続・大村憲司を知ってるかい?
大村真司が聞く、父親のすがた。

ギタリストの大村憲司さんが亡くなったのは
1998年、しし座流星群の流れる
冬のある日のことでした。
それから2年、
この、ひとりのギター弾きを想って、
たくさんのミュージシャンが集まり開いた
トリビュート・コンサートのオンエアにあわせ、
「ほぼ日」では大村さんの特集を組みました。



あれから、さらに、2年と数ヵ月経った今、
もういちど「ほぼ日」は大村さんの特集を組みます。
彼の遺した4枚のソロアルバムが
ふたたびCD化されて、発売されることになったのを
みなさんに、お知らせしたいと思ったのです。
たくさんプレスされるものではありませんし
ひょっとして、初回プレスのみで、
品切れになり次第、もう二度と、
手に入らなくなる可能性もある音楽です。
ほんとうに聴きたいひとのところに
ちゃんと届くように、お手伝いができたら
こんなにうれしいことはありません。
First Step
1978年
Kenji Shock
1978年
春がいっぱい
1981年
外人天国
1983年

8月6日の発売日には、「ほぼ日」を窓口にして、
販売のお手伝いもします。
(それについては、また、あらためて
 お知らせいたします)

今回、この特集をするにあたり、
「ほぼ日」ではレポーターをひとり立てました。
大村真司くん。
憲司さんの長男です。



憲司さんが亡くなったときにはまだ高校生で
「ほぼ日」の前回の特集のときには
ギタリストとしてデビューしたばかりの彼も
21歳になり、父親とは違う自分の道を
一歩ずつ、着実に、歩き始めています。

そんな彼に、音楽の世界で、憲司さんといっしょに
過ごしてきた人たちのところに、
憲司さんがどんな人だったのかを
あらためて、聞いてきてもらおうと思います。

まず、入り口として、
憲司さんの晩年、いっしょに音楽をつくっていた
ドラマーの沼澤尚さん



この場には、聞き手として、
「ほぼ日」からdarlingにも参加してもらいました。

そして、憲司さんを心から尊敬し、
いちどだけ、いっしょにコンサートを開いたことのある
THE BOOMの宮沢和史さん



YMOのワールドツアーで長い時間をともにして、
「春がいっぱい」のプロデュースも担当した高橋幸宏さん



同時代をともにすごし、
憲司さんとほんとうにたくさんの音楽をつくってきた
大貫妙子さん



憲司さんのギターのメンテナンスを、ずっと、
いえ、じつは今も行っている、
松下工房の松下久さん



インタビュアーなんて体験は、
生まれて初めてという真司くんですから、
ちょっと行き詰まったり、逡巡したり、
意外なことを言ったりするかもしれませんが
どうぞ最後まで読んでいただけたら、うれしいです。
なお、4枚のアルバム解説は、
ギターマガジン編集長の野口広之さんにお願いしています。

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「大村憲司」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-07-24-THU

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