沼澤 |
憲司さんって、絶対に、
ものすごい感覚的なものだけが
こっちに残るタイプの人だったんです。
憲司さんは、ギターを弾くという
テクニックをものすごく持ち合わせていた。
たいへんな技術なんですよ。
でもそれを全く、
そんなものはあってもなくても
関係ないことだって言ってるような
ギターに聞こえちゃう人だった。 |
真司 |
それって、
普通は持ち合わせないものですよね。 |
糸井 |
真司君はどんどんそれが
分かって来ちゃったわけだよね。
ギターを始めちゃったおかげで。 |
真司 |
そう。って言うか、
音自体っていうよりは、
何なんだろうなあ‥‥。 |
沼澤 |
弾きだしたら、
オヤジが弾いたものが聞こえて、
それをどうやったらできるっていうのが
分かるじゃない?
でも自分でやると
ぜんぜんできなかったりするでしょう。 |
真司 |
できない。 |
糸井 |
(笑)。
どう弾いてるかまでは
理解できるようになっちゃったわけだ。 |
真司 |
うん。やっぱりこう、
音出てないんだけど
押さえてる部分っていうのがあるみたいな。 |
糸井 |
へえ。 |
真司 |
オヤジの音ってね、
速く弾いて全部の音を聞かせるみたいな
ギタリストとは違うものがあったんです。
グィーンっていう音の中に、
技術じゃないあやふやな、
あやふやなんだけどいい音、っていうのが、
入るんです。 |
1996年6月、日比谷野音で。 |
沼澤 |
こういうふうに弾くとこういう音が出る、
っていう技術を見せるために
ギターを弾いてないっていうことだよね。 |
糸井 |
そうそうそうそう。
昔俺が言ったことがあるんだけど、
原宿がファッションの街って言われてるけど
修学旅行で来た子は
裏で買うほうが喜ぶんですね。
何故かと言うと田舎に帰った時に、
特徴がハッキリしてるんですよ。
例えばの話、
何か真ん中をねじるっていうのを
センスのいい人が
「ちょっとねじる」ってやると、
裏でやってる人たちは
「もっとねじっとく」わけです。
そうすると、ほーらやっぱり
流行の「ねじってある」服だって言って、
田舎に持って行った時に
「お、ねじってあるね!」
って言われるわけ。
ところが、表通りは
あんまりねじってないんだよ。 |
沼澤 |
流行の本流から距離が離れて行くと
デフォルメされて行く。 |
糸井 |
そうなんですよ。
それはもう、
おれたちの仕事でもそうなんですよ。
でもね、デフォルメされているものは
変な顔をしてるの。
「この味を出そう」って
思ったものって必ずね、
変な顔してるんですよ。
ギターもそうじゃない?
カラオケ自慢の人の歌もそうですよね。
変な顔してるんです、その表現が。 |
沼澤 |
そうですよねえ。 |
糸井 |
表通りと裏通りと違うんです。 |
沼澤 |
やっぱり分かりますよね。
憲司さんのギターも、
いつも言ってるような話になっちゃうけど
結局練習したから弾けるものじゃないんだ、
っていうものを
ものすごく感じさせる人だったんです。
人のレコーディングに入った時に
必ず耳が行っちゃうギタリストでしたよね。 |
糸井 |
すごいなあ。つまり明晰なんですよね。 |
真司 |
頭はめちゃめちゃよかったと思う。
頭がよすぎて、
逆に不幸だったかもしれないくらい。 |
糸井 |
ああ。 |
沼澤 |
いろんなことが分かってた人だからね。 |
糸井 |
研究者タイプだったのか。とも言える。 |
真司 |
そうですね。 |
沼澤 |
だって本とかすごいもんね。 |
真司 |
書斎すごいです。 |
糸井 |
でも、憲司さんおしゃれでしょ? |
沼澤 |
そうなんですよ。 |
糸井 |
おしゃれと頭がいいは、
両立しないんです。本当は。 |
真司 |
でも、持ち合わせていました。
ありえないよね‥‥。 |
糸井 |
僕、今、おじいさんがたと
いっぱい付き合ってるから
話いっぱい聞くんだけど、
文学なんかで天才はいるって言うんです。
それは意外と志賀直哉だったりするんだって。 |
沼澤 |
へえ。 |
糸井 |
もう、ほんとに天才なんだって。
でも、それは、
ほんとにすごいものは
作れないって言うんです。
刀で言えば、
刃こぼれしちゃうらしいんですね。
でも、刃なんかろくについてないのに、
ナタだったら切れるものって
あるじゃないですか。
家建てる時に繊細な刀で削ってっても、
だめだこりゃってなるじゃないですか。
また磨いてとかね。 |
沼澤 |
うーん。 |
糸井 |
だからそれを、
両方持つことってやっぱりできなくて。 |
沼澤 |
実用性もあって、ってことですね。 |
糸井 |
スポーツの世界でもそうだけど、
一番才能のあるやつって
金メダル取れないらしいんですよね。 |
真司 |
へえ。 |
糸井 |
一番才能のあるやつを
うらやましいと思いながら、
どうやってやるんだろうっていって。 |
沼澤 |
勝とうとしてる二番手が、
勝つ方法を見つけちゃうってことですね。 |
糸井 |
スケートの清水なんて、
ひたすらに努力してったわけでしょう?
そういうふうに乗り越えるっていうのは、
研ぎすましたものじゃないらしいんですよ。
だから大村憲司さんって
そこがぎりぎり仕事になるところまでは
できてたんだけど、
もしかしたら研ぎすましていくほうに
行っていたかもしれないですよね。 |
|
沼澤 |
だから晩年、
49歳で亡くなったその付近、
その時に僕が覚えてるのは
自分の居場所ってひょっとして
もうないのかな、みたいなことを
おっしゃっていた姿なんです。 |
糸井 |
ああ‥‥。 |
沼澤 |
簡単に言うと、
音楽にも流行がありますよね。
何が売れたりとか、
売れないけど何が注目されてるとか、
100万枚は売れないけど
カルトファンがついているとか。
そういうことが、
時代の流れである中で、
ひょっとして俺なんかさあ、
っていうような時期があるって
こぼしているのを、
ちょっと僕は知っていて。
何でこんな人がこんなこと言うのって。 |
糸井 |
そんなに切れる刃物作ってくれても、
使う場所がなければ。 |
真司 |
誰も使えないんですね。 |
糸井 |
刃が出てくるカッターあるじゃない。
あれ、大量生産できるじゃない。
切れなくなったら折りゃいいっていう。
あれはすごい発明だと思うんですよ。
あれで一回で全部切れるわけですよね。
その代わり研ぐ技術はもういらない。
でも、そこで生きてたら、
別の苦しさは当然あったよね。
だから新たにナタになる決意をして行く。
俺は、完全にナタになる決意ですよ。
もうボッカンボッカンナタになってやる
おもしろさを覚えちゃうわけです。 |
沼澤 |
ナタになるということと
自分のクォリティを落とすことは
同じではないですからね。 |
糸井 |
つまりチームプレイのおもしろさとかね。
監督になる人もそうですよね。
自分が打ってできないことっていうのを
他の人が違うところで
やってくれるわけだから。
そしたらその後はオーナーになるとか、
FIFAになるとか。 |
沼澤 |
うわあ、僕もそっちの方がいいなあ。 |
糸井 |
沼澤さん、そっち系統ですよね。 |
沼澤 |
パス出したいですもん。
自分で点入れなくてもいい。 |
糸井 |
大村憲司さんみたいに
書斎の充実してる人って
やっぱり辛いんですよ。
俺、それを変えるのに
2年かかりましたよ、やっぱり。
プレイを変えていくっていうか、
職人としての誇りみたいな
ものじゃないものを
おもしろがるというのが。 |
沼澤 |
要するに自分を客観的に見ないと
絶対にできないですよね。 |
糸井 |
できないですね。
居場所がない感じっていうのも
誰でも思うんですよ、40過ぎたら。 |
真司 |
俺、40過ぎなくても何か思う。 |
糸井 |
思うよね。思うんですよ。
若い時は若い時で思うんですよ。
で、おんなじ世代の人が
くじ引きに当たって
うまく行ってるのも見るし、
ボロボロになってるのも見るし、
俺危ねえところにいるなって思うんですよ、
やっぱり。
でも目の前にある
おもしろいことっていうのは
その都度、あるから、
もっと上手にやりたいだとか、
一人の人がものすごい感じてくれただとかは
全部ご飯のおかずになるわけですよ。
でも、何だろう、
「大村憲司だったら」
っていうのは想像できないんだけど、
そういうタイプの人が辛くなるのって、
掘り下げるのが
自分自身になっちゃうんですよ。 |
沼澤 |
うん。それも自分発信の時に
そういうふうになるんですよね。 |
糸井 |
だからソロアルバムとかって
毒なわけですよね? けっこう。 |
沼澤 |
でも俺、憲司さんのソロアルバムって、
ものっすごい楽しそうに
作ってるように聴こえたけどな。 |
糸井 |
でも、もう楽しそうに作ってる
「次」を待たれるんですよ、必ず。
ソロって。
そしたら、前のを超えるとかっていうのを、
例えばドラムでいったらね、
ドンチャカドンチャカだけ叩いてても
俺だって言える自信があっても、
お客さんはちょっとオカズくださいって
言いますよね。でも、そこんところで、
例えば「ザ・バンド」なんかもそうだけど
オカズくださいっていうのを、
いやあげません、今日も白いご飯ですって。 |
沼澤 |
それがいいわけじゃないですか。 |
糸井 |
そう。あれはバンドだからできたんで、
ソロアルバムで
そんなことできないんです(笑)。 |
沼澤 |
なるほどね。
だから、憲司さん、あの後、
新曲をあんなにたくさん書いてたのに、
ソロを出さなかった。 |
糸井 |
出せないよ。 |
沼澤 |
俺はね、そこで憲司さんに知り合ったのが
もうちょっと早かったらって
すっごい思ってた。
僕は憲司さんと
バンドやろうと思ってたんです。 |
糸井 |
うん。 |
沼澤 |
僕とウィル・リーと憲司さんの
トリオでやろうっていうのを決めてたの。
絶対やろうって。
僕の知っている憲司さんの好きなところ、
憲司さんのかっこいいところを前に出す、
具体的なアイデアが自分の中にあって。
憲司さんはこれをやりたいと思ってるけど、
多分そうじゃなくて
こうやったらもうちょっとこうなるのに、
みたいなこともあって。 |
糸井 |
沼澤さんはチームプレイを
経験して来てるからね。
バッティング技術を研ぎすましてる
タイプじゃなくて。 |
沼澤 |
こうやったらチームが勝つぜ、
みたいな(笑)。 |
糸井 |
プロデュースってそういうことですよね。
たとえば、
若いタレントとかをキャスティングする時に、
その子ができる精一杯のことを
やらせるっていうのは無理なんですよ。
つまり、最大限やっても
その子の範囲しか出ない。 |
沼澤 |
うーん。 |
糸井 |
もっとでかく見せるためには、
やれるぎりぎりの
その外側のことやらせると必死になるから、
違うものが出てくるんですよ。 |
沼澤 |
それはすっごい分かるな。 |
糸井 |
大昔に宮沢りえちゃんでやったんだけど、
ぬいぐるみ持たせて
りえちゃんに腹話術やらせたわけ。
ところが、腹話術ってできないから
うまく行きっこないんですよ。
でも腹話術をしなさいって目的を変えると。 |
沼澤 |
やろうとするんだ。本人がね。 |
糸井 |
そうすると、りえちゃんはりえちゃんを
精一杯出す必要がなくて、
腹話術を一生懸命やる人になればいいんですよ。 |
沼澤 |
ああ、なるほど。分かる分かる。 |
糸井 |
そうすると自然に
その子の一番いいところが出てくるんですよ。 |
沼澤 |
それプロデュースですよね。 |
糸井 |
それがプロデュースなんですよ。
でも自分で研ぎ澄ましていく人は、
そういうことをやらせないでくれって
思ってるんですよ。
せっかく分かりかけて来たところだからって
いつも思ってるんです。 |
沼澤 |
自分はこういうふうに
学んでいるんだからって。 |
糸井 |
あと1mmで見えるって
いっつも思ってるから
永遠に1mmの延長なんです。
だから、細かいところじゃなくて
違う要求を出す人が、いいんです。
それは愛情でしかないんですよね。
ほんとに愛していて、
嫌なことをやらせるっていうのが
最高なんですよね。 |
真司 |
タカさんは、晩年のオヤジと
ずいぶんつきあいがあったんですよね。 |
沼澤 |
僕はやっぱね、
自分がずっと憧れてた人なので
自分がプロデュースを任された仕事で
来ていただいたり。
憲司さんのギターを聴きたくって。
でも、一人でスタジオに座らせて
「はいこれが譜面です」ってやる
スタジオミュージシャンの作業っていうのは
絶対によくないって思ってるんで、
レコーディングは全員一遍で一つの部屋で。 |
糸井 |
乱暴なことだよね。 |
沼澤 |
それを、
「こういうレコーディングって久しぶりじゃん」
って憲司さんがその時言って。
岩崎宏美のプロデュースでした。
その時に組んだセッション、
イントロから憲司さんのギターソロですよ。 |
糸井 |
おお(笑)。 |
沼澤 |
歌も一緒に、仮歌を入れながら
みんなでワーッとやったのがあるんです。 |
糸井 |
そういうようなことなんですよね、
多分必要だったのはね。 |
沼澤 |
それをすごい楽しそうに言ってくれて。
僕も、自分が思ってたことを
ちょっとずつできるようになってきていて。
僕のソロアルバムにも
憲司さんのギターが入るっていうのを
遥か昔に決めてあって。
そのセッションの時も、
憲司さんがアコギを弾くのが
あんまり好きじゃないっていうのも
知ってたんだけど。 |
真司 |
うんうんうん。 |
沼澤 |
俺は好きだから、
エレアコを弾いてもらって。 |
真司 |
エレアコは大丈夫みたい。 |
沼澤 |
それも2発弾いてもらったのね。エレキと。
その時自由に弾いちゃっていいですからって。
コード進行がめちゃくちゃ
難しいとこなんだけど、憲司さんって、
ソロじゃないけどバッキングしながら
リフやるっていうのの天才なんですよ。 |
糸井 |
うんうんうん。 |
沼澤 |
矢野顕子さんのピアノが
そうじゃないですか。 |
糸井 |
見事にそうですよね。 |
沼澤 |
あっこさんって、伴奏、はいソロ、
じゃないんですよね。 |
糸井 |
うん。違いますね。 |
沼澤 |
これってソロ? これって伴奏?
どっちなの? っていうことを
歌と一緒にやってく人でしょう。 |
糸井 |
うんうん。 |
沼澤 |
で、憲司さんはソロイストとしても
バッキングにしてもものすごい人なんだけど、
そのどっちなの?
という場所で印象づけるんです。
それをやってもらったものがあるんだけど、
すっごい困ってたの。難しかったから。
コードばんばん変わってって。 |
真司 |
糸井さんごぞんじですか、
沼澤さんの "the wings of time"
っていうアルバムの
タイトル曲なんです。
あの曲のオヤジはすごいと思う。 |
沼澤 |
それが最後になっちゃったんですけどね。 |
1998年10月24日、
沼澤さんのソロアルバムのレコーディングで。
この後約1ヵ月で憲司さんは急逝した。
↓そのアルバム“the wings of time”
|
糸井 |
そうだったんだね。
|
真司 |
俺ね、オヤジが生きてりゃ、
あれが始まりになったって思う。 |
沼澤 |
僕はそういうつもりだったんです。 |
真司 |
いわゆる年を重ねて脱皮した
すごいプレイが、
孵化した瞬間の音だったですよね。 |
沼澤 |
弾きまくってないんですよ。
弾きまくれるのに。 |
真司 |
何かね、間がすごくて、
あとすごい太いの、音が。 |
沼澤 |
早弾きとかすごいよね、実は。 |
真司 |
すごい。
「俺早弾きなんかできねえからよお」
って言っといて、
次のライブでバラバラ弾くの。 |
沼澤 |
難しい早いことをさあ、
実はすっごいできるんだよね。 |
真司 |
そう。できる。 |
沼澤 |
でもやんないっていうか、
全然そんなことを見せようとはしないよね。 |
真司 |
しないしない。 |
糸井 |
それはサーカスになっちゃうからね。 |
沼澤 |
ウワーッていう時、
容赦ない時あるもんね。
何で急にそうなの? みたいな。
うわっ、何? 今の、みたいな。ね。
突然来るんだよね。 |
真司 |
リズムを取って
譜面を見てやってる人じゃなくて
ほんとにその曲を
消化してるからできると言うか。 |
糸井 |
その技術っていうのは
絶えざる練習をしてたの? |
真司 |
練習じゃなくてきっとね、
ステージ出た時のことだと思うんですよ。 |
糸井 |
本番が練習になっていた? |
真司 |
本番が練習だと思います。
家で練習してたことっていうのは
ほんとに基本的なことだと思う。 |
糸井 |
家でどんな練習してたの? |
真司 |
晩年のオヤジが練習してるところを
俺は見たことがないっすね。
ギターをずっと調整してました。 |
沼澤 |
絶対自分でやってたもんね。 |
真司 |
そうそう。そういうところはね、
タカさんとすごい共通するものがありますね。
だからオヤジが今頃生きてれば。 |
糸井 |
習いたい? |
真司 |
うん。しっかり。
いるのといないのじゃ、
方向性が大分違うと思うから。
今やってることと違うことを
絶対やってたと思うんですよ。 |
沼澤 |
やりたいことっていうのがあるじゃん。 |
真司 |
うん。 |
沼澤 |
そうするとやりたいことを
できるようになることは知りたいでしょ? |
真司 |
知りたい。
生きてれば間違いなく
頭下げるかどうか分かんないけど、
意識的にオヤジを解明するみたいな
そういう作業は絶対してたと思う。 |
沼澤 |
それで絶対、今生きてて
真司君がバンドやってたら、
絶対全部見に来てると思う。
僕は僕で憲司さんとバンド。
全員でスーツで登場して、
ブルーノートで思いっきり
ブルースをやるとかっていうのを
やりたいなって思ってた。 |
真司 |
見たかったなあ。 |
沼澤 |
できなかったというところが‥‥ |
真司 |
よかったのかもしれないし。
そう考えるしかないんだけど、でも。 |
糸井 |
でも、あったんだろうなっていうのを
想像して、息子がやるしかないよね。 |
沼澤 |
憲司さんが出そうとして
出せなかった新曲がいっぱいあるのを
真司くんが持ってるわけです。
僕はこの息子と、
落ち着いたらそれをやりたいって言ってるの。
一緒にやろうって。
そのうち俺もあれだよ、
もう叩けなくなるかもよ? |
糸井 |
この憲司さんの4枚がどうなるか
わからないけれど、
少なくとも真司くんが
これから音楽やって行くには
ものすごくいいチャンスだね。
何やりたいかのルーツは全部見えるからね。
|
2000年冬、東京・青山劇場で行われた
大村憲司トリビュート・コンサートで
ステージに並べられた憲司さんのギター。
(撮影=沼澤尚) |