宮沢 |
CD、「First Step」が、
新鮮に聞こえましたね。 |
 |
真司 |
俺も、いちばん最初に
聴いたんですけどね。
なんか若い感じがしますよね。
若いころのオヤジって感じが、
いちばんするんです。
「KENJI-SHOCK」は、
俺が聴くと、
かっこつけてる感じが、なんかある。 |
宮沢 |
ん。 |
真司 |
なんかいい意味でかっこつけてるかな、
っていうのがすごくあるんです。
「First Step」は、
同じ曲が入ってるんだけど、
なんか、もっとこう、なんていうの、
若いころの親父が
そのまま出てるかなっていう感じが
すごくするんです。
だから「KENJI-SHOCK」は
たとえば何かしながら聴く、
っていう感じじゃないですけど、
「First Step」は、聴けますよね。
宮沢さん、「春がいっぱい」とか、
どうですか? その頃のYMOを
聴いてらっしゃったんですよね。
俺はやっぱりリアルタイムじゃないので。
俺の感じでは、
陽気な感じがするんです。 |
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宮沢 |
「春がいっぱい」は
やっぱ「実験」だったんだろうなって
思うけどね。YMO自体もそうですし。
アメリカの音楽に影響されて、
どっぷりやって。
でも何か、誰もやってない、
誰も行ったことない境地に
行きたいっていうような思いが
きっと、あったんだと思うんです。
細野晴臣さんなんかは、
「さよならアメリカ、さよならニッポン」
なんてメッセージを言ったり、
矢野顕子さんは独自の世界に行った、
みたいな感じがありました。
みんなそれぞれのところへ、
飛びだしちゃったみたいな‥‥。
その中できっと、
もしかしたら大村さんも、
自分なりに、ギターでできる、
誰も行ったことのないとこへ、
扉をこう開けたのかなって
いうふうに思ったけどね。 |
真司 |
けっこう切ない感じの曲が多いです。 |
宮沢 |
意外とそうだね、聞き直してみたら。 |
真司 |
メローなんだけど、
すごい、こう、にこやかな、
感じもするなっていう。
これが、YMOが? |
宮沢 |
全面バックですよね。
ギターっていうのはやっぱり、
それまでは、人間臭くて、泥臭くて、
っていうイメージがあったから、
それとコンピューターの、
無機質な世界と同居するっていうのが、
すごく斬新に見えましたけどね。 |
真司 |
そっかー。 |
宮沢 |
なんにもお手本のない
世界だったんだよね。 |
真司 |
そうですよね、
それは俺もほんとに思います。
コンピューターって、
その頃、デカかったんですよね。
タンスみたいなのを使って
やるわけじゃないすか。
本気度が違うんですよね。
今やってる、俺らみたいな若いのと。
昔みたいに、楽器を極めて、
いい音を出したいっていうよりは、
自分を表現するぜ、みたいなほうに
行ってる気がするんです。 |
 |
宮沢 |
日本の音楽シーンで、ちょっと寂しいなと
常々思っているのは、
アーティストとかプレーヤーの人が、
何か商標、商品みたいになってることなんです。
人間自体の評価っていうものが、
希薄な気がするんですよね。
たとえばアメリカでとか、
ジャズプレーヤーでもなんでもいいけど、
リトナーだったら
「あ、リー・リトナーね」
っていうものがあって。
彼のCDがどうのとかっていうよりも、
彼の存在自体にスポットライトが当って、
みんな評価してる。
いや、俺は好きじゃないよっていう人も
もちろんいるけども、
そういう部分が日本には
すごく少ないなと思ってて。
ですから、ギタープレーヤーっていうことで、
食える人って、昔に比べたら、
今、すごく少ないじゃないですか。
バンドの中のギタリスト
っていう場合もあるけど。
大村憲司さん、チャーさん、
鮎川誠さんとか、
名前出しただけでもう、
音も聞こえるっていう人が。 |
真司 |
今は、ミュージシャンを町中で見ても、
なんか普通なんですよ。
「キャーッ!」ってなる存在の人が、
少なくなったんじゃないかな。 |
宮沢 |
日本のポップスの歴史、まだ短いんで、
全然まだ始まったばっかりだと
思うんだけれども、
音楽ファンの人にも言いたいんです。
商標に目が行くっていうことじゃなくて、
プレーヤー自体に目を向けて、
評価していく時代になって欲しいなと思うし。
で、憲司さんのアルバム、発売になるんで、
すごいいいチャンスだと思うんですよね。
日本の歴史の中で誇るギタリストのCDが
再発になるって、
すごい良いことだなと思って。
これだけいっぱい色んなものが
CDで発売されていく中で、
ちゃんとこの素晴しいものが、
また、みんなの目にとまるチャンスです。
これはすごいことですよね。 |
真司 |
俺が聴いても、
斬新だなと思う部分もあるくらいだから。
古いのに新しい部分って
やっぱりありますよね。確かに。 |
── |
宮沢さんが、大村憲司さんと
一緒にツアーをやられる前に
感じていたことと、
一緒にやってみて、実際にプレーヤーとして
おんなじ舞台に立ったときとっていうので、
何か変化ががありましたか?
ほんとにこの人こうだったんだ、
って感じたことって、ありましたか? |
宮沢 |
あのね、いくらファンだといっても、
それまでは生の音を聴くことは
なかったんです。 |
── |
そうですよね。 |
宮沢 |
コンサートでも、
会場のスピーカーを通して聞くでしょう。
アンプから出てくる生の音なんて、
聴けないわけですよ。
だから、ビックリしましたね、音の良さに。
リハーサルでもう、
バンザーイっていうくらい
この音はすげぇな! と思って。
そして、ライブだと、
もっとすごいわけですよ。
ビックリしましたね。
これだっ! これがエレキの音だ、
っていうぐらい。
そのときのツアーメンバーは、
すごいミュージシャンばっかりでね。
小原礼さんがベースで、
沼澤尚さんがドラムで、
憲司さんがいて、っていう。
そういう後ろからのサウンドがもう、
ヴォーカリストの僕は
気持ち良くって気持ち良くって。 |
真司 |
いまだにすごいと思うのは、
親父の機材って、
ほんっとにスタンダードなもので。 |
宮沢 |
そうだよね。 |
真司 |
ほんと、誰でも買えるもので。
ケーブルもね、さしていいものを
使ってるわけでもないし。
でも、ほんとに、
「その人が出す音」っていうのがあった。
まさに、大村憲司の音
なんだなっていうのがあって。
ほんとに心からね、出てる音っていうか。 |
宮沢 |
そうだよね、今はほんとに、
シミュレートすることが多いというか
言い方変えれば
バーチャルなサウンドが多いわけですよね、
ギターにしても。
アンプもシミュレートできるし。
誰でも、けっこうどんな音でも
出せるっていう世界だけど、
逆ですよね。
もう大村さんしかできない。
だけど、そんなに、
なんか秘密があんのかっていうもんじゃない。 |
真司 |
なんにもないですよ。 |
宮沢 |
人間が出ちゃうっていうのがね。 |
── |
そんなに違うんだ。 |
真司 |
ほんと、まさに、真似できないとこですよね。
ほんとに。大村憲司のサウンドっていうのが、
チョーキングのタイム感とか、
ピッキングもぜんぶ含めて、
「音っていうのは、すごいな」
っていうのがあって。 |
 |
宮沢 |
憲司さんのソロで盛り上がって
終わるっていう曲があったんだけど、
メインボーカルの僕が
客になってるっていうぐらいに
背中で聴いてました。
背中で聴いてんのに、
ゾクゾクってするんです。 |
── |
本番も、また違う感じですか。 |
宮沢 |
ライブだからって
デカくなったり派手になったりする
わけじゃないんだよね。
すごい冷静だし。
より、濃密になってくんですよ、音が。
やってることは、
リハといっしょなんですけど、
濃密なんですよ、音が。
説明しづらいんですけどね。 |
── |
それって、今、何かで、
見れたり聴けたりしないんですか? |
宮沢 |
あ、DVDになってますよ。 |
 |
真司 |
俺も、たまに見ますよ。
すごいです、あれは。 |
宮沢 |
あ、そうね。それ、見て欲しいですね。
そっか、あれが残ってるんだよね。 |
真司 |
かっこいいっすね。
あれで初めて俺はタカさん
(沼澤尚さん)を見たんです。
もともとTHE BOOMは聴いてたんですよ。 |
宮沢 |
え、真司君、いくつだったの? |
真司 |
小学校か中学か。 |
宮沢 |
今いくつ? |
真司 |
今、21です。 |
宮沢 |
当時、ウチの息子ぐらいの
歳だったんだね。 |
真司 |
あんときのライブ、
かっこよかった。
いま映像で見ても、なんか力がある、
伝わってくるっていうか。 |
 |
宮沢 |
僕が最初に憧れた
日本人のミュージシャンっていうのは、
やっぱ憲司さん世代なんですよ。
矢野顕子さん、
坂本龍一さん、
細野晴臣さん‥‥
すごい層じゃないですか。
あの、数年に凝縮された人たちって。
あの層には、すごい影響されたんです。
たとえば矢野さんは
リトル・フィートと
『Japanese Girl』を作った。
そして、そのリトル・フィートから、
ギャラいらないよって言わせた。
これ、すごいことですよね。
佐野元春さんは
ひとりでニューヨークに行って、
『VISITORS』っていうアルバムを
作りましたね。
あの時代に、向こうで
ミュージシャン集めて。
俺、ラジオで、山梨の田舎で
ラジオしか情報源のないところで、
そういうの聞いてて、
すげぇな、みんな、と思ってた。 |
真司 |
なんか、昔のほうが、
ほんとにアメリカの人とかね、
対等にやってたっていう
イメージがありますね。 |
── |
「はっぴいえんど」の写真集
『SNAPSHOT DIARY:TOKYO 1968-1971』
『SNAPSHOT DIARY:TOKYO 1971-1973』
を見ました? 顔が違うんですよ。
すんごい鋭い顔してるんです。 |
真司 |
俺はね、親父の「赤い鳥」時代の写真で
そういう印象がある。
あの人たち、なんか、
野人みたいだね(笑)。
ほんっとに。 |
 |
宮沢 |
かかってこい、
みたいな感じなんですよね。
みんなそうだったじゃないですか、
あの時代って。
俺はそれを田舎で見てて、
俺が好きな人、みんなそうなんだから、
俺もいつかはそうしよう、
っていうのがどっかにあったんです。
だから、この歳になって、
ヨーロッパで勝負をしたりとか、
ブラジルでもまれたりとかしていますが
先輩たちのそういう姿があったから
免疫みたいに、体に入っているわけですよ。
その先輩たちを、
自分の父親みたいなもんだと考えると、
親にはできないことを俺はやるぞと思って。
そういうことでしか
「追い越した感」がないわけです。
いつまでたっても、みんな一線だし。 |
── |
わかります、すっごくよくわかります。 |
宮沢 |
矢野さんにはできなかったこと、
教授(坂本さん)には
できなかったことを、
やりたいなっていうのが、ありますよね。
だから、真司君を見てると、
そういう人が身近にいたっていうことが
すごく羨ましいんです。
お手本であり、
越える、ひとつのハードルであり、
金字塔であり。 |
真司 |
知らないでいたらもったいないし、
でも、知っているからツラくもあります。
でも、幸せだっていったら
幸せかもしれないです。
これは、俺に限らず、
同世代の人に言いたいです。 |
── |
知ったほうが、
面白いんじゃないかな? |
宮沢 |
大村憲司さんみたいなプレーヤーは。
そんなに音楽をコアに知らない、
一般の人にも、知っていてほしいんです。
知らないと、おかしい!
ぐらいに思うわけですよ。
誰も知らない境地を作って、
自分で切り開いていった人って、
何人もいるわけじゃないじゃ、ない。
そういう人を、
みんなが知ってるっていうほうが
健全だと思うし。だけど、
作られたスポットライトの当る人間にしか、
みんな興味がいかない。
それは、売るほうの
システムもあるでしょうけど、
そうじゃない! と思うんですよね。 |
真司 |
でも、今なんかは、
けっこう動いているほうだと思います。
やっぱりそういう商標的なとこって、
いつでもあるんだけど、
そうじゃない部分っていうのが、
活発になってきてる部分が、
自分が音楽をやっていても思うんです。
若者は若者で、やっぱ考えていて。 |
宮沢 |
そうかもね。フジ・ロックなんかで、
井上陽水さんなんか出ると、
若い人なんかが、すげぇ、って。
大拍手だっていうんですよね。 |
── |
本来、その人目当てじゃないのに、
その人に持ってかれる
っていう感じですよね。 |
宮沢 |
俺ら(30代後半)の井上陽水像っていうの、
あるじゃない?
で、10、20下の、
たぶんそんなのがない人たちが純粋に、
すげぇ、この人は、っていうの、
すごい面白いことだと思うんです。
日本のポップスも、
どんどん面白くなる気はしますよね。
そういうなかで、大村憲司さんのCDが
バッと出るっていうのは、
いいチャンスだなと思います。 |
── |
これから、真司君に、
大貫妙子さんと高橋幸宏さんに
会ってもらうんですよ(笑)。
びびってる? |
真司 |
‥‥早く終わらせたいくらい(笑)。 |
宮沢 |
もう、あのお二方は、
憲司さんがいなかったら、
たぶん音楽人生、
ぜんぜん違うほうへ
行ってたかも知れないぐらい、
憲司さんと密接でしたよね。
で、すごく不謹慎な言い方なんだけど、
亡くなってね、大貫さんとも話したし、
いろんな人たちと会ったときに、
みんな口々に同じことを言ってたのが、
「どうしよう」、
「代わりがいない」って。 |
真司 |
うん‥‥。 |
宮沢 |
憲司さんの代わりがどこにもいない、
どうしよう?
そう、みんな思ったっていうんですよね。
そういうアーティストだったんだな、
そういうプレーヤーだったんだな、
っていうのを、改めて感じましたね。
‥‥真司くん、いま何してるの? |
真司 |
LightFoot(ライトフット)っていう
バンドやって、ギターやって、
曲つくってます。
|
宮沢 |
お、こんど聞かせて。 |
真司 |
まだ宮沢さんに聞かせるほどじゃ‥‥ |
宮沢 |
いや、聞きたい。
送ってね。がんばって。 |
真司 |
ハイッ、わかりました。
ありがとうございました!
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