淡路島「おのころアイランド」での家族写真。
奥の水色のTシャツが真司君。
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大貫 |
(憲司さんのギターの写真を見ながら)
なつかしいよね。
‥‥うーん、すっごいねぇ。
宝物だね、このギターは。 |
真司 |
そうなんですよ。 |
大貫 |
何本あるの? |
真司 |
23本とか4本ぐらいじゃないかな。
こんど、イシバシ楽器で
展覧会(*)やるんです。
*展覧会は終了しました。
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── |
何本かオークションに出すことに
なったんですよね。 |
真司 |
そうなんです。5本だけ。
母さんや、いろんな人と相談して。 |
大貫 |
早いんじゃないの? 売るの。
もうちょっと先でいいんじゃないの? |
真司 |
だけど、俺も思ったのは、
パーツがね、やっぱり弾かないと、
サビたり‥‥。 |
大貫 |
ああ、ダメになるの? |
真司 |
そうそうそう。
でもパーツを変えたら、結局、
オヤジが変えたわけじゃないから、
オリジナルじゃなくなるから。
持っていて、直し続けていると、
パーツもオリジナルじゃ
なくなっちゃうし。 |
大貫 |
なるほど。
憲司さん言ってた。
「きゅうにギター触りたくなってさ、
いろんなとこ直しはじめるんだよね、
夜中に。なんか不気味だよね〜」
って、にまにましながら・・・ |
真司 |
それで、5本、
手放すことにしたんです。
俺が弾いたりするのもあるんだけど、
やっぱ限界があるから。
自分のギターもあるし。
俺と合わないものが、
いっぱいあるから。 |
大貫 |
そうよね。
わたしも持ってるよ。
憲司さんが
「たー坊にはこれが似合うと思うよ」
って探してきてくれた
リッケンバッカーのショートスケール。
この前のBeautiful Songsツアーで
ちょっと弾いてみた。 |
真司 |
だけど、ほんっとにこう、
思い出のものっていうのは、
手放さないですよ。
たとえばテレキャス(*)とか。
*米フェンダー社の
エレクトリック・ギターでの1モデル、
テレキャスターTelecasterのこと。 |
大貫 |
うんうん。
お宝ですよね。 |
真司 |
ギターはすべて、
しっかりちゃんと
メンテも出してます。
ちゃんとした部屋の、
クローゼットに置いてあるんです。
除湿機をかけてしっかり保管して。 |
大貫 |
弾く? |
真司 |
ま、たまに出して弾いたりとか。
だけど、さすがに
テレキャスは弾けない。
怖くて。
ちょっと、なんか、カツッとでも
ぶつけようものなら‥‥。 |
── |
あ、未だに怖いんだ。 |
真司 |
怖いです! |
大貫 |
(笑)。 |
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真司 |
たー坊(大貫さんのこと)が
いちばん最初にオヤジに会ったのって、
どれぐらいの年なの? |
大貫 |
すっごい前。 |
真司 |
すごい前(笑)。 |
大貫 |
「赤い鳥」を見に行ったことある(笑)。
あのステージを。
私はお客さんでしたけど。 |
「赤い鳥」。憲司さんは右から2番目。
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真司 |
そうなんだ! へぇー。
いっしょに音楽を
するようになったのは‥‥ |
大貫 |
いつかなぁ‥‥
私のセカンドアルバムって、
彼がぜんぶ弾いてるよ。 |
真司 |
あ、ほんとに? |
大貫 |
77年のセカンドアルバムの
「サンシャワー」。
彼の写真も入ってる。
最近、クラウンから
「大貫妙子セレクション
1976ー1977
PANAMイヤーズ」っていうので、
マスタリングし直して出てます。
渡辺香津美さんが弾いてる曲も
あるんだけど、
メインは憲司さん。 |
真司 |
ちょっと聴いてみよう。
俺、そういうのって、ぜんぜんね、
わかんないからね。なんかこう‥‥。
(サンシャワーのジャケットを見て)
たー坊も若い!
オヤジも若いけど。 |
1977年「サンシャワー」のころのスナップ。
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大貫 |
若いわよ。
ン十年も前だもん。 |
真司 |
CD、ウチにあるかな?
あ、でもね、母さん、
たまにたー坊のCD聴いてる。
俺はね、「プリッシマ」聴いてるよ。 |
大貫 |
ありがと。
いいんですけど、
聴いてくれなくても。 |
真司 |
なんで!?(笑) |
大貫 |
あ、いやいや、
なんか、真司くんが聴いてると思うと
はずかしいな・・・(笑)。 |
真司 |
あれ、いいよ。朝、聴くんだ。 |
大貫 |
「サンシャワー」の演奏は
すっごいですよ。
もうみんな20代だったと思えない。
ほんっと。
この前、マスタリングしてて、
驚いたもの。自分で。
なんでこんなに
みんな、上手かったんだろう?
と思って。
今の20代、こんな弾けないもん。 |
真司 |
弾けないね。弾けないっす。
チョーキング1回ぐらいだったら、
100回に1回ぐらいだったら、
オヤジのプレイに、
ちょっと似てるかな? と思うけど。 |
大貫 |
真司がどうっていうのでは
ないのだけれどね。
おしなべて、ということですけど・・・ |
真司 |
でも、そうそう、
全体的に、いないんですよ。
宮沢(和史)さんとも、
話してたんだけどね、
オヤジみたいに、
ギターで目指したいっていう人が、
やっぱいない。 |
大貫 |
憲司さん別格ですけど
私たち世代を目標にしちゃダメよ。
他に目標なんていっぱい、
もっとすごいの、いるんだから。 |
真司 |
うーん、でも、やっぱ、
確実にやってることっていうのが
変わってるからね。僕らの世代、
ギターソロが入って、歌があって、
メロディーがあって、ていう
「音楽」が、希薄なんです。
たー坊、オヤジの20代の頃って
全部が、いっしょになってた
時代だったかな?
と思うの、俺は。 |
大貫 |
だって、誰かがプレイしなければ、
音楽が成立しない時代だったんですよ。
今みたいにコンピューターで、
音楽ができる時代じゃなかったんだもん。 |
真司 |
うん、うん。 |
大貫 |
楽器を持って、
ちゃんとプレイしなければ、
音楽として成り立たなかった。
今は便利になりすぎたんじゃない? |
真司 |
俺、それ、すごい羨ましい。
昔だったら、エフェクターいっこでも、
新しいの、出たらしいよ、
っていうのでね、買って、
こういう音するんだ! ってなるけど、
今は全部、入ってるから、フルセットで。 |
大貫 |
でもね、私、若い人がそういうのね、
言い訳だと思うよ。 |
真司 |
いや、だけど、
もちろんいい音楽を作りたいっていう
気持ちも絶対あるし。
あるんだけど、あの時代だったら、
もっと面白かったかな?
っていうのが、べつに、後悔じゃなくて。
行ってみたいんだ。 |
大貫 |
みんな言うよね(笑)。 |
真司 |
ほんとに? |
大貫 |
うん、この時代だったら良かったな、
っていうこと。
でも、つまらない! その発言は。
もう聞き飽きました、私。 |
真司 |
あっはっはっはっは!
いや、だけど、
この時代に対しての愛情が
あるっていうことだから。
その時代へのリスペクトっていう意味では、
いいと思うんだけどね。 |
大貫 |
(笑)。 |
真司 |
だって、関係ねぇよって
言ってるワカモノは、
ほんとにもっとひどいから。
関係ねぇよって言っても、
関係あるんだから。 |
大貫 |
もう‥‥(笑)。 |
真司 |
そういうこと言わないで
いい音を出して欲しい、
ってことでしょ?
そういうことですよね。 |
大貫 |
いや、いい音なんてさ、
死ぬまで出るかどうか
わかんないんですよ、そんなことは。 |
真司 |
‥‥はいッ。 |
大貫 |
そういうことではなくて、
その発言が聞き飽きた(笑)。
それは、何の前向きな発言ではないし。
なんかこう、
幸運を呼ばない発言だよね(笑)。 |
真司 |
うっ。 |
|
── |
真司くん、お父さんのこと、
もっと訊いて下さい(笑)。 |
真司 |
ハイッ。う〜ん。何があるかなぁ。
難しいな、なんか。
やっぱオヤジのことを
人に質問すんのって、
なんか、難しいな、うん。
抽象的な質問しか‥‥
ギタリストとして、
どんなところが良かったんですか? |
大貫 |
そうね(笑)‥‥
憲司さんみたいな人、いないの。
世界中探したって、
大村憲司さんは大村憲司さん。
そして、世界に通用する人だった。
プレイヤーとして。 |
真司 |
ああ、なるほど。 |
大貫 |
音もプレイも、
抜群に素晴らしかった。
私のツアーを前にして
亡くなっちゃいましたけど。 |
真司 |
うん、そうだよね。
俺も、見に行くはずだったのに。 |
大貫 |
その時私はNYで訃報を聞いたんです。
NYに着いて3日目。
日本を発つ前の日に
憲司さんと電話で話したの。
「よろしくね〜」って言ったら
「まかしといて〜」って。
でも、今思えば、憲司さんていっつも、
なんか、気の利いた冗談とか、
必ず言うのに、
その時は言葉少なだったなあって・・・。
で、その知らせを聞いたその場で、
マネージャーに
「このコンサート、キャンセルしてほしい」
って頼んだの。
憲司さんがギターを弾くことを
想定して全部選曲してあったし
たとえ、他の人を呼んで
コンサートをしても、
もう、ステージに立ったとたん、
歌えないのはわかっていたし。
なんか・・・
ずっと胸が金縛り状態のままで。
レコーディングしながら、
鉛を背負っているようだった。
お通夜も行けなかったから、
NYから帰って
箱に入っちゃった憲司さんに会った時。
ただ・・・呆然となっちゃって。
でも、ひとりで訪ねて行ったから、
聖子さんとうんといっぱい
話しできてよかった。
でも・・・大損害!(笑)
LAとニューヨークのメンバー、
ぜんぶ決まっていたしね。
もう大キャンセルの大損害!
冗談です(笑) |
真司 |
大損害(笑)。 |
1997年の憲司さん。大貫さんの「サンシャワー」から20年。
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大貫 |
クリス・パーカーやドン・グルーシンや
生前、憲司さんと交流のあったメンバーは
みんな手紙、くれました。
憲司さんの思い出や、
ほんっとに残念だってことを。
その半年ぐらい前かなぁ?
ごはん食べたときに、
なんかつまんなそうでさ。 |
真司 |
うーん。 |
大貫 |
なんか、つまんなそうなのよ。
でもね、よくわかるのよ、
その気持ち‥‥。
それで、こう言ったの。
「つまんないんだったらもう、いっそ、
憲司さんぐらいの
素晴しいプレイヤーは、
海外とかで、好きな人と好きなだけ、
やったら?」 |
真司 |
そしたら何て? |
大貫 |
「いやー‥‥」って言ってたね。 |
真司 |
日本好きなんですよ、オヤジは。 |
大貫 |
そうみたい。
そこにこだわってた。その時も。 |
真司 |
日本が好きじゃなければ、
もっとほんとに凄いことに
なってたんじゃないかな‥‥。 |
大貫 |
そうね。だって、彼、
海外にも住んでたしね。 |
真司 |
そうそう。 |
大貫 |
でも、日本好きだってことが、
その時にわかった。
サクセスとか、
そういうことを求めてたわけじゃなくて、
ほんとの音楽家だったんですよね、
憲司さんという人は。 |
真司 |
教授(坂本龍一さん)が
「もともとイギリスかアメリカで
生まれるべき人だった。
日本で生まれてしまったことが残念」
って言ってて。 |
大貫 |
でも、日本で生まれたから、
こういう音が出せるわけなのよ。 |
真司 |
そうそう。そうなんです。
でも、意識はほんとに、
日本にあるんだけど、日本になかった。
イギリスのものだったり
アメリカのものだったりがすごい好きで。
クラプトンとか聴いて。
そういう人たちと肩を並べてやるべき、
っていうか、そっちのほうがたぶん、
精神的には良かったんだろうけど。
けどやっぱ日本人に
生まれたっていうのもあって‥‥。 |
大貫 |
でもね、べつに、人種とか、
そういうの関係なく、
彼には彼の、確固とした、
ゆずれない何かがあったよね。
生き方も。
‥‥あったと思うんですよ。 |
真司 |
うーん。なるほど‥‥。 |
大貫 |
だから、国は関係ないっていえば、
関係ないんだよね。 |
真司 |
うん(笑)。 |
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大貫 |
じゃあ、いったい
どうしたかったのかというと、
それがわからなかったのよ、彼も。 |
真司 |
というか、「こうしたい」っていうの、
頭には、あったと思うんです。
それをどうやって実現するか、
というところで、
実現ができなかった。
タカさん(沼澤尚さん)から
聞いたんだけど、オヤジ、
一緒にバンドやろうって
言ってたらしくって。
タカさんはオヤジが自分でやりたいと
思うようなことを、
オヤジが考えるやり方じゃない
やり方でできる気がしてた、って。
そういう人がもっといて、
オヤジを、オヤジだけの世界から
ひっぱりだすというか、
こんな世界楽しいんじゃないの? って
言ってくれてたら、って思うんだけど。 |
大貫 |
憲司さんを見てて、
沼澤さんが一緒に
バンドやろうって思った気持ちも
わたしがコンサートで
思いっきり楽しく弾いてもらいたい
と思った気持ちも、同じだと思う。
ん。でもきっとね、
ちょっとやったらまたすぐ飽きちゃって、
ああ、やっぱりもうやめるわ、
って言ったと思うよ。憲司さん。 |
真司 |
うん‥‥いや、それでもいいんだけど、
だから、そういうのが何回もなきゃ
ダメな人だったんですよ。
自分でそういうの決断してやるより、
誰かがいたほうがよかった、
みたいな人じゃないかなって
俺は思うんです。 |
大貫 |
うん。
なんかね、やっぱり、
理想に思う社会とか、
理想に思う人間関係とか、
理想に思う仕事とか、
そういうの、わりと、きちんと、
イメージできてる人だったんですよね。 |
真司 |
そうそう。 |
大貫 |
だから、何かを夢見て、
やり始めるんだけど、
あ、やっぱり違うなって思うと、
すぐ、やめたくなっちゃうの。
そういう人だったから、
あれもこれもやってみたけど、
結局長続きしないっていう。 |
真司 |
そうだね、うん。そうだね。 |
大貫 |
それはでも、わかるな。
我儘っていえば我儘だけど。
でも、当然じゃないかなと思う。 |
真司 |
そうだね‥‥。 |
大貫 |
だいたい、やりたくないことを、
我慢してやるなんて、できない人だし。 |
真司 |
そう、できないし、イヤでやるのは、
やっぱ音楽じゃないと俺は思うから。
正直に、その時その時が出てる。
ソロアルバム、全部そうだし。
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