続・大村憲司を知ってるかい? 大村真司が聞く、父親のすがた。 |
大村憲司のファーストアルバムです。 当時の、クロスオーバーあるいは フュージョンっていう流行が 下敷きにあるアルバムです。 スタジオ・ミュージシャンの世界でも、 当時実力ナンバーワンって言われていた大村憲司が、 初めて出した個人名義のアルバムです。 ポンタさん(村上秀一さん)や林立夫さんであるとか、 高水健司さんであるとか、 ほんとに旧知のメンバーと演奏しているアルバムです。 深町純さんがプロデュースです。 聴いていて、すごく、 「何かが始まる感じ」 のするアルバムなんですね。 すごく、こう、何かをやりたい気持ちっていうのが、 いまでも、伝わってきます。 未完成な部分もあるんですけど、 そこがね、逆にすごくいいんです。 完璧じゃないがゆえの良さ、もろさ。 そのときの憲司さんの感情とか、やりたいこと、 何かを始めるっていう意欲のようなものが、 すごく伝わってきます。 すでにキャリアがかなりありますから、 「初々しい」という言葉は当てはまらないかもしれませんが でも、やっぱり「初々しい感じ」がするんですよ。 リズムが強力で、すごくグルーブ感があります。 人力グルーブですね。 演奏者全員が一致団結して向かってくる感じ。 パワフルですよね。 憲司さん、エリック・クラプトンが大好きで、 クラプトンのカバーを1曲入れています。 “Better Make It Through Today” そこでボーカルを披露してるんですけど、 これがすごくいい味なんです。 ほんとに好きなクラプトンの曲を、伸び伸びと歌っている。 ギターも、すごく「歌う」ギターを弾いてます。 気負わない、ゆったりとした、 とてもいい感じなんですよね。 レイド・バック(ゆったり)した感じの曲なんですよ。 この曲自体は、クラプトンの中でも、 そんなに有名な曲じゃないんですよ。 よっぽどのファンでなければ 知らないような曲なんですけど、 憲司さんはこの曲がすごくお気に入りだったみたいで。 この曲は、次作の「Kenji Shock」にも入ってます。 アレンジはもちろん違うんですけど、 聴き比べてみるのも面白いんですよ。 僕は、ファーストに入っているほうが、 なんていうんだろう、初々しさがあるというか、 1発目の衝動みたいなのがあると思います。 このアルバムは フュージョンが下敷きにあると言いましたが、 ジャズの匂いもかなりあります。 ジャズは、憲司さんの下敷きに、 すごく大きいものとしてあるんですけど、ここには ウェス・モンゴメリー(ジャズ・ギターの名手)にも、 匹敵するような曲もあるんです。 “Here's That Rainy Day”という、 フュージョンでもないしロックでもなく、 大村憲司以外の何者でもなく、 ほんとにウェスとかに匹敵するぐらい、 素晴しい空気感のあるジャズのインストが入ってます。 5曲だけのコンパクトなサイズではありますが、 この当時の憲司さんがやりたかったこと、 作品を作ってみたいって衝動が、 すごく詰ってる感じがします。 今回の再発では ボーナストラックが2曲追加されています。 このアルバムはアナログ時代に再発されたことがあり、 それに入っていた別バージョンの 「Boston Flight」という曲、 そして深町純のアルバムに入っていた 「Left-Handed Woman」ですね。 全7曲。「完全版」という意味でも、 聞く価値があると思います。
赤い鳥やYMOと同じ アルファレコードから出たアルバムで、 当時のアルファの社長だった村井邦彦さん、 赤い鳥は言うまでもなく、 ユーミンとかYMOの育ての親ですけれど、 村井さんが憲司さんのギターを、 すごく高く評価していたんです。 「赤い鳥」の時代からもちろんそうだったんですけど、 とにかく、大村憲司は世界に通用するギタリストであると、 見込んでつくったアルバムです。 アメリカで、その当時セッションドラマーとして ナンバーワンだったハービー・メイソンの プロデュースで作ったアルバムですね。 で、ロスアンジェルスでの録音です。 バックのメンバーっていうのは、 後にTOTOになるスティーブ・ルカサーだとか、 ポーカロー兄弟(ドラム、ベース)だとか、 デビット・ペイチ(キーボード)だとかがつとめています。 そういったそうそうたるメンバーを従えて作った リーダーアルバムです。 この当時、どうしてこういう内容で作ったのかを インタビューで憲司さんに聞いたことがあるんですけど、 ソロアルバムだからといって、 マニアックなものにはしたくない、 多くの人に聞いてもらいたいので こういう方向にしたんだ というようなことを言っていましたね。 内容は、フュージョン色のひじょうに強いアルバムです。 当時のラリー・カールトン、リー・リトナーなどの フュージョンのアルバムの 影響の大きいアルバムですね。 ですが、憲司さんは、やっぱり、 フュージョン一色には絶対に染めないんですよ。 クラプトンのカバーを入れたりしていて。 このクラプトンのカバーは、 ファーストに入っていたものと同じ曲ですけども、 ファーストで練習したことを、 ここで完成させたという感じがあります。 バックの面子が全く違うっていうこともあるんですけども、 歌も格段に上手くなってますし、 やっぱりその、空気が違うのか、 アメリカって空気がそうさせるのか、 より、日本人がやってる感じには聞こえないんですよね。 アメリカなりイギリスのミュージシャンが やってるふうに聞こえるというような曲です。 「BAMBOO BONG」という曲は むかし憲司さんが組んでいた 「バンブー」っていうバンドでやっていた曲です。 あと、矢野顕子さんも大好きだという 「YUMEDONO」っていう曲が入っています。 両方とも憲司さんが作った曲で。 憲司さんが亡くなって 僕が矢野さんにインタビューしたときに、 わたしは今でも「YUMEDONO」が弾けると おっしゃってました。 「すごく一生懸命練習したのよ」って。 ここにはほんとに、この当時、 70年代終わりまでの憲司さんの代表曲といえるものが 全部入ってますね。 「LEFT HANDED WOMAN」も。 この時代の大村憲司っていうのは、 ある世代にとっては、ほんとにもう、 これが大村憲司だよっていう世界なんです。 今聴いても、もちろん色褪せないですし、 フュージョンという言葉ではくくりきれない、 とにかく「大村憲司」なんです。 ギターが歌っている。 結局、歌心なんですよね。 表面的に上手い人っていくらでもいるんですよ。 早弾きがすごいとか、正確に弾くっていうことは、 練習すれば、誰でもあるところまでは行く。 憲司さんは、もちろん、誰にも負けないぐらい テクニカルな人なんですね。 テクニックをひけらかそうと思ったら、 簡単なことなんですけど、 このアルバムの頃から、そういう方向を外れていく。 「そういうことじゃないんだ」っていうか。 ギターを演奏する能力っていうのは、 テクニックよりも、実は歌心なんだっていうことが、 このアルバムを聴くとよくわかるんですよ。 例えば美空ひばりの歌を聴いて、テクニック的にすごいとか、 そんなことはどうでもいいわけですよね。 そういうことを考える前に、人は何かを感じているわけで、 テクニックを聴いてるわけじゃない。 だから、結局、歌もギターも、変わらないんですよ。 表面的にボーカルのテクニックがあって、 歌える人はいっぱいいるんだけど、 何の感動もしない歌ってあるじゃないですか。 要するに練習とか鍛練では習得できないものが あるということでしょうね。 才能というか、生まれ持ったものもあるんでしょうし、 どれだけ何を吸収してきたかっていう経歴とか、 そういうことにもよると思うんですけど、 憲司さんの場合は、そういうものが、 とにかくあるんですよね。 そういうことがすごくわかるアルバムです。 基本はインストアルバムで 1曲だけ憲司さんが歌を歌ってますけど、 もう全部含めて、ギターで歌っているアルバムです。 ここまでが「YMO以前」です。 YMO以前の憲司さんのギターは、 最初の2枚を聴くとわかります。 憲司さんがどういうルーツを辿ってきたか、 ブルース、ジャズ、ロック、フュージョン、 とにかくいろんなものを吸収して、 自分のギターとして放出してるっていうことが、 この2枚でわかると思うんですね。
ちょっと個人的な話をしますと、 僕がいちばん好きなのはこれなんですよ。 「春がいっぱい」。 当時、実を言いますと、 僕は大村憲司っていう人を、YMOに参加するまでは、 知らなかったんです。 ある日、YMOが頻繁に テレビに出るようになったんですよ。 1980年だと思うんですけどね。 「パブリック・プレッシャー」っていうアルバムが オリコンチャートで1位になって、 それからYMOがすごいブームになって。 それからテレビで、たとえばロスアンジェルスだとか、 いろんなところのライブを中継するようになったんですよ。 僕はYMOがすごく好きだったので(笑)、 いつも見てたんですが、 そのライブにね、ギタリストがいたんです。 なんか弾きまくっているギタリストがいる。 かっこいいなー、と思ったんですよね。 大袈裟な言い方をするとね、腰が抜けるぐらいショックで。 それまでいろんなギタリストは聴いていたし、 僕もギターを弾いていたんで、 いろんな人をコピーしてきましたが、 このYMOっていう、 ギターとはあんまり縁のなさそうな バンドにギタリストがいて、 左後ろのほうに仁王立ちして、 のけ反ってギターを弾いてる人がいたんですよ。 で、あの、え!? こんな人いたのか、と思って。 で、名前は何ていうの? 大村憲司! 初めて大村憲司っていう人を知ったんです。 YMOでの憲司さんは、 ご自分の役割をきちんと心得ていて、 大半の曲ではタイトなリズムを刻むことに 徹しているんですが、 1曲だけ、必ず憲司さんを フィーチャーするコーナーがあって、 そこだけは憲司さんが主役になる。 そこでやっていた曲が「Maps」っていう、 「春がいっぱい」にも入ってる曲です。 歌いながらギターを弾くんだけど、 このギターがですね、何とも言いがたい、 クラプトンをもっとこうエモーショナルにしたような、 すっごい太い、よく伸びる音で。 完全に世界観を一変させるんですよ、YMOの世界を。 テクノだったステージが、ふつうのロックバンドが、 ドラムとベースとギターだけで演奏してるような、 ものすごいロック感のある演奏に、 パッと変わっちゃうんですよね。 憲司さん、その曲だけはギターソロを弾きまくるんですよ。 といっても早弾きをするわけじゃなく、 口をへの字に結んだあの顔で ここぞという音に強烈なビブラートをかけて、 まるで自分の心の中を放出するように 感情を入れて弾くんですね。 それにとにかくショックを受けて。 あの時の音は未だに耳に残っています。 そういう時期があって、 YMOとの関わりが詰ったアルバムが ここにできたわけです。 81年の発表なんですけど、 YMOとのコラボレーションが生んだ、 すごく幸運なアルバムだと思います。 でもね、やっぱり大村憲司なんですよ。 ここがまた難しいところなんですけど、 この頃は、フュージョンの時代の要素が、 ひとつもないんですね。ひとつもなくて、 ひとことで言うとポップで、 カラフルなギターです。 ギターを別の方向で歌わせることに、 考えをシフトしているようなところがあります。 それは何かって言いますとね、 憲司さんのルーツである、 シャドウズとか、ベンチャーズだとか、 60年代のギターインストを、 81年の自分がやったらどうなるか、 っていうようなことを、考えてたんじゃないかなぁ、 と思うんですよ。 「春がいっぱい」って曲自体が、 シャドウズのカバーなんですね。 で、これも大村憲司以外の何者でもないんですけど、 透き通るようなストラトのすっごいいい音で。 テクニックなんかは一切ひけらかさない。 ただそのギターで音楽を追求する。 追求するっていうのもちょっと変なんですけど、 やっぱりこの当時に憲司さんがいちばん やりたかったことをやってるんですよね。 当時、ニューウエーブ、 イギリス系のギターっていうのに すごく関心があったみたいで、 その感じもすごく詰っています。 幸宏さんと坂本龍一さんの共同プロデュースで、 プロデュース自体は憲司さんなんですよね。 YMOの手助けもいっぱいあったと思いますけど、 全体としては、この時期の大村憲司、 YMO期の大村憲司っていうのが、 この1枚に見事に集約されていると言えます。 これは今聴いてもね、 ぜんぜん色褪せないと思います。 YMOが好きじゃなくても、 ふつうにポップなものが好きな人であれば。 それどころか、日本のポップス史に残る 名盤だと僕は思っています。 音楽的なんですよね。 ギタリストがソロアルバムを作ると、 テクニックを見せたりだとか、 すごくギターギターしたアルバムになることが多いんですが、 「春がいっぱい」はギターギターしてるわけでもない。 ここ一発で聴かせるギターっていうのは当然あるんですが、 全体を音楽として、大村憲司のギターではなく、 大村憲司の音楽として作っているような感じがあるんですね。 音楽家のアルバムっていう感じがしますね。 これはすごく。 これが出た当時僕は、高校2年の終わり頃で、 その後の大学受験時代の1年間、 これをずっと聴いてたんですよ。 ほんとに、どれだけこのアルバムに 救われたかわかんないぐらいです。 僕が生きている中でベスト5を挙げろって言われたら、 絶対入ります。 いちばん最後の「The Prince Of Shaba」って曲は、 憲司さん曰く、 ウエスタンとかの映画を意識して作った曲らしいんですけど、 これがね、またね、すごいいい曲で。 クリーンなトーンで、もうギターの音色として これ以上美しい音色はないんじゃないかって いうぐらい、すっごいきれいな音なんですよ。 で、いいメロディーで、ほんとに映画音楽の情景が、 映画の情景が浮かんでくるような、 そういう雄大な感じの曲なんですよね。 この曲を聴くと、今でも僕は涙が出ることがあります。 ギターを弾くっていうのは、こういうことなんだ、 ギターというのはこういう風に弾くもんなんだ、 っていうことが、わかりますね。
「外人天国」。 これがまた、ぜんぜん違うんですよ。 結果的にはこれが最後のソロアルバムになってしまいました。 このアルバムは、明らかにYMOを経てきたものです。 YMOとやって付けた自信とか、 自分がどこまでできるかっていうことの可能性とかを、 試しているというか。 全体としては、すごくAORの影響が強いんですよ。 AORっていうのは、具体的には スティーリー・ダンとか、 ドナルド・フェイゲンとかですよね。 シンセドラムとかシンセベースとかっていうような 感じの音作りもあったりするんですけど、 ドナルド・フェイゲンの影響が、とくに強いかな、 という気がします。それから、 ブライアン・フェリーとか、 あとはイギリスのニューロマンチック系とかですね、 そのへんの影響がある感じがします。 歌を、何曲も歌っていて、 その歌の成熟の度合いっていうか、 上手さの度合いが格段にアップしています。 ボーカリスト憲司っていう意味でも、 すごく楽しめるアルバムじゃないかなと思います。 ギターに関して言うと、 たぶん、ソロアルバムをこれ以降出さずに 亡くなった憲司さんが、 ギターで何をやりたかったかに関しての ヒントがあるんじゃないかと思うところがあるんですよ。 というのは、ギターがですね、 むしろ昔に戻ってるんですよね。 昔っていうのはね、たとえば「赤い鳥」とか、 フュージョンとかに邂逅する前の、 クラプトンをもうほんとにアイドルとしていた 憲司さんにちょっと戻ってるような感じがあって。 それは、ブルースなんですよね。 ひとことで言うとブルースなんです。 わざとゆっくり弾いてるっていうか、 間(ま)のあるギターを弾いてるんですよ。 間とか溜めとか、チョーキングだけで表現するとか、 気迫とかですね。 たとえばB.B.キングのギターを 譜面で表すことができないように、 この時期の憲司さんのギターっていうのは、 ほんとに譜面では表せない感じがあります。 ブルースなんですよ。 山下達郎さんも言ってましたけど、 日本人でブルースギタリストっていったら、 憲司の名前が一番先に挙がる、って。 ブルースっていうのは情念であって、 憲司っていうのは、情念の、 ブルースのギタリストなんだよ、 っていうふうにおっしゃてました。 そういうことが、これを聴くとわかります。 これまでのソロ・アルバムでは、 確かにブルースっぽいとこもあるんだけど、 それは、ほんと一部分っていうような感じなんですね。 けど、これを聴くと、憲司さんっていうのは、 ほんとにブルースにすごく影響を受けていて、 自身、その、ブルースギタリストっていうことを、 ここで言われても、 たぶん否定はしなかっただろうなと思うような ところがありますね。 ここまでブルースギター色の強いアルバムはないんです。 とにかく、ギターの音が立ってるんですよ。 ギターを、できるだけ音数少なく 歌わせようとしてるっていう感じがしますね。 ギターが、指先から音を出すものだとすれば、 その指先のコントロールが、 もう、本人にしかわからない、 微妙な加減でコントロールしてる。 やっぱり、職人の世界にいっちゃうんですかね‥‥。 心でギターを弾いてる感じがします。 その後憲司さんのギターは その方向がすごく強まっていくんですよ。 ブルースのセッションとかも多いですし。 このアルバムって、その後の憲司さんのギターの 方向性を決めたんじゃないかな、と、 ちょっと思うんですけど。 フュージョンっぽいプレイもありましたけど、 たぶん憲司さんの弾きたかったギターっていうのは、 こういう方向だったのかなと思うようなところが ちょっとありますね。
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2003-08-06-WED
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