今回、みうらさんは動画の中で
仏像のすばらしさとその隆盛、
恩返しをしたい所以を詳細に
ウルトラマンになぞらえて
ご説明くださっています。
仏像が好きになられたのは、
小学校4年生ということですから、
同年代のご友人のあいだでは、
ほぼアウトな話題だったことでしょう。
しかし、その感覚を共有できる方が
身近におられたことは、ほんとうにラッキーでしたね。
饗庭葦穂(あいばあしほ・実祖父)ですね。
動画の中でも言いましたが、これはペンネームです。
親戚に対して、ペンネーム気取りなじいさんです。
彼は自室を「葦穂庵(あしほあん)」と
名づけていました。
のちに自室を「スタジオ」と呼ぶ孫に
その遺伝子は受け継がれたわけですね。
それと、もうひとり、
仏像のとらえ方で
僕が激しく共感できた人がいます。
おお、それは?
土門拳という写真家の方です。
饗庭葦穂(くり返しますが実祖父のペンネーム)の
部屋に行くと、
仏像関連の書物や写真集がビッチリ並んでいまして、
そこで見たある写真集が
僕が当時、怪獣写真を切り抜いて集めていた視点と
そっくりだったんです。
それが、土門拳さんの本でした。
土門拳といえば、『古寺巡礼』で有名な、
写真の大家ですね。
ええ。土門拳さんは、ほかの仏像写真家とは
ちょっとちがっていて、
例えば四天王だったら、
甲冑のアップだけを撮ったり
口元の部分だけを撮っていたりするんです。
つまり、自分がビビッと
感じたところを撮る、と。
つまり、怪獣のビビッと
かっこいい部分を切り取る自分と
すごく近いような思いをしまして。
四天王というのは、
こういう格好をしておられる方たちです。
なるほど。
土門拳さんは、もうお亡くなりになりましたけれども、
仏像を撮影されたときに、
弟子の人たちに、
「早く照明をたけ!
早く撮れ!
でないと仏像が
動き出すから!!」
という名言を吐かれたそうです。
僕も、怪獣育ちなもんで、
怪獣は当然動くものでございますんで、
まったく同じ感覚で仏像を見ていました。
仏像というものはですね、基本的に、
釈尊の形をしているものは、
手で「印(いん)」を
組んでおられるんですけれども、
その「印」は、釈尊が説法をされている
手のアクションをあらわしているんです。
僕は、
「いま見ている仏像を真ん中に置き、
前後のコマを頭で想像すると、
仏像が説法しているように動くぞ」
ということを発見し、
そのことを友達に言ってしまい、
また友人をどんどん無くしていく、
ということになりました。
お友達がハラハラ離れていく、みうら少年と、
孫相手にペンネーム気取りの饗庭葦穂さんとの
あいだに存在した、濃密なひととき。
「葦穂庵」に自由に出入りを許されたのは、
親戚のなかでも、みうら少年だけだったとか。
仏像というものがもつ歴史と力、
仏像をめぐって各時代にがんばっていた人たち、
そして、自分がビビッと来る感覚を大切にしていた
このすばらしい祖父と孫。
いま、心をこめて、仏像に、ありがとうと言います。
みうらさんの、3つめの恩返しでした。
「つっこみ如来」
人間の生み続ける煩悩に対し
もう、えーかげんにしなさい!!と
ツッコミを入れてくださるありがたい如来像。
さてここで突然のプレゼント!
この「つっこみ如来像」
(エディションナンバーと
みうらさんの直筆サインつき!)を、
このページをお読みの方1名様にさしあげます。
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『バロウ』さま がご当選されました。 おめでとうございます! |
「仏像」
怪獣好きだった小学校4年生のみうらさんは、
東大寺戒壇院で四天王像に出会い、衝撃を受ける。
以来、
かっこいい仏像の写真を切り抜いては貼る、
仏像スクラップを開始する(全7巻)。
土門拳(どもん・けん)
日本が誇る、写真の巨匠。
26歳で報道写真家としてスタートし、
「報道写真の鬼」とも呼ばれた。
30歳のとき、室生寺を訪れたことをきっかけに、
古寺や仏像など、日本の美をカメラを通して探求。
1990年にこの世を去る。
とにかく、すごい写真を撮る、すごい人。
興味のある方は、この本あたりから、どうぞ。
慶派(けいは)
鎌倉時代を中心に活躍した
仏師(=仏像をつくる彫刻家、芸術家)の流れ。
運慶(うんけい)、快慶(かいけい)らが有名。
力強さと写実表現に優れた仏像の様式を築く。
迫力満点でリアルな仏像は、この人たちがガンガンつくりました。