みうらさんと「巨人の星」とは、
イメージがあまり
つながらないんですが。
みなさんがすでに思っていらっしゃるとおり、
僕は見るからに野球ファンでしょう。
誰が見ても、
King of 野球ファンと
思われがちですけれども、
ちょっと前までは、ヒョロッとしててね、
文科系まるだしで、おたくみたいだ、と
言われていたものですわ。
はあ。
ガリガリで。小学生のときのあだ名も
死にかけとか
蚊トンボとか
言われていました。
そんなあだ名の時代に
「巨人の星」が放映されました。
動画で、みうらさんがおっしゃっていますが、
また同じくヒョロヒョロの、
胃腸の悪い顔をしたお父さんといっしょに
「巨人の星」をごらんになったわけですね。
なぜ「巨人の星」に恩返し、なのか、
くわしくはみなさんに動画で観ていただくとして、
(この場合は「銭湯に恩返し」ではないのか?)
まあ、それもさることながら、
「巨人の星」そのものの内容にも
影響を受けられたのではないでしょうか?
東僕ね、「巨人の星」の登場人物のなかで
自分をあてはめると誰か、
ということを、やってみたんだけど、
みうらさんの「あてはめ」は
ほとんど癖なんですね。
自分は飛雄馬ではなかったですよ。
(やや、やさぐれ気味に)
花形でもない、伴でもない、
左門でもぜんぜんない。
唯一「俺っぽいな」と思ったのは
牧場(まきば)君なんです。
‥‥誰ですか?
牧場君。マンガを描いている奴なんです。
そいつが星の投球フォームを
マンガに描いたりしたせいで
ライバルに星の欠点がバレたりして。
ちょっと迷惑な役回りですね。
うん。
そんな牧場君が大人になって
銀座かなんかで
「先生」って呼ばれてる
シーンがあった。
だから、最終的に僕は
牧場君をめざしちゃったかな、
というかんじですかね。
さきほどからお話をうかがっていますと、
切手の回といい、奥村チヨさんの回といい、
ほんとうにいいお父さんをお持ちですね。。
「巨人の星」以来、親父とは
キャッチボールをしたことがないです。
ヒョロリ親子がふたりで
「よし!」とやっていたわけですね。
お母さんも、微妙に内容に感化されて
父子の中には入っていかず‥‥。
やってましたねえ。
それだけ流行ってたんですよ、
すごいことだよね。
そんなことをやっていたのは
三浦家だけではない、ということですか。
たぶん、土曜日は
どこの路地でもキャッチボールが
発生していたと思います。
みんなキャッチボールをやって、
「巨人の星」の提供だった
ボンカレーを食った。
きっとお父さんは一徹になりたかった、
お母さんも明子になりたかった。
いっしょに「巨人の星」の世界に
行っちゃってるはずだったのに、
息子が焼きつけていたのは、エロ映画のポスターだった。
そんな愉快な家族の姿が浮き彫りになる、
みうらさんの7つめの恩返しでした。
「巨人の星」
梶原一騎原作、川崎のぼる画の熱血野球マンガ。
「週刊少年マガジン」で連載され、
1968年にテレビアニメになった。