わしは見とるぞ、見とるぞ! ほら、松本清張さんの声が聞こえます。



本を読んでるあいだに関係のないことを考える癖があり
話の筋がどんどんわからなくなっていくので
どうも読書は苦手だ、とおっしゃるみうらさんが、
松本清張さんの作品だけは
ほとんど読んでいらっしゃるそうです。
なかでもおすすめは?




『砂の器』もよろしいし、
『点と線』もいいんですが、
僕がもっともグッと来たのは、やっぱり
『ゼロの焦点』です。
女性関係で、もめている方もおられるでしょう、
つらい思いをされている方もおられるでしょう、
こんなことしてたらこんなことがあるよ、
ということもあるでしょう。
松本清張さんの小説に出てくる人たちは
罪を犯します。
犯罪はいけないことです。
「こんなことが起こったらこう考えるかもしれない、
 けど、ナンチャッテ!!」と、



犯罪の手前で
自分をはげますための反面教師として
この話を、ぜひ、読んでほしいです。
地方の、さびしーい風景が
出てくるんですけれども、
こんなに「いい、せつないかんじ」が
日本という国にはあったんだなあ、
ということも、よくわかります。




昨今あたりまえになった
「サスペンス+旅情」という組み合わせも、
よくある崖のクライマックスシーンも、
清張さんの貢献が大きいですね。




『点と線』に、
からだの弱い主婦がひとりで
時刻表を見ながら
「いま、この電車はこのへんを走っているな」
というシーンがあるんです。
じつは、それは清張さんご本人のことだったんですよ。
旅行に行きたいけれども、
生活が苦しくて旅に出られない。
そんなときに、時刻表や日本地図を見て
「いま何時何分に、この電車はここを走っておる!」
というようなことをやっておられたらしいんです。




小説の、あの臨場感というか、
心に迫り来る描写はすばらしいです。




清張さんの小説を読んでいると
「旅行感」のようなものが
わいてくるんですよ。
昭和の日本の、
駅のかんじ、電車のかんじ、移動するかんじ。
いまはもう
なくなってしまったものも多いですけどね。





いなかの、無人駅の空気とか。




そうそう。
それに、清張さんの作品の魅力は、たぶん、
トリックではなく、
社会へのメスだったんですよね。
いまだったら「研究」と称して
スッと書けることなのかもしれませんが、
「当時によくここまで書いたなあ!」というような
すっごい内容ばかりですから。




「社会派」と言われていました。




圧力をものともせず書ききるあの姿勢は
すごいとしか言いようがないですね。
きっとご本人は、
怖い目にもたくさん遭っていると思います。
この方が生んだ世界は、
小説としては新ジャンルだったから
文学の世界では不遇だったと聞いています。
ハングリーな反骨精神が生んだ
なんです、これは!



こんな人はもう生まれて来ないと思います。
もう無理だと思う。





ハングリーな反骨精神。
眼力と唇は、育ちますね。




そりゃあね、
飛び出してくるよ、いろんなものが、
前に向かって。



だってさ、調査がすごいんだよ、この人。
古文書とか古美術とか
ふつうの学者以上にくわしいですから。
そこに、邪馬台国のなぞだとか、
自分の「マイブーム」もちゃんと入れていく。
そういうことのもっていきようは
それまでのサスペンスにはなかったんです。




なるほど。




女性の雑誌には
ちゃんと女性向けに書いていました。
「俺はこのスタイルだ」というのを
決めなかった人だし
書くもののジャンルもさまざま。




清張さんのことを話すと
みうらさんは
止まらないですね。




山口県に行ったら、
碑が立っててね。
昔、清張さんが住んでおられた家の
壁のかたちが
オブジェになってんだ。




壁がオブジェに?




そう。そんで、その壁に穴が開いててね
清張さんが「ここから覗いてた」って
書いてあるんです。






‥‥。




変わってんなあ、と思ってね。
やっぱり、
「見とるぞ、見とるぞ」なんだよね。



「見とるぞ!
 
見とるぞ!
 
わしは見とるぞ!
「なんなんだ!
 
なんなんだ!
 
どうしたんだ!
 
わしは見とるぞ、
 
見とるぞ!!」
清張さんは、いつも弱者の側に立って
書いておられました。
もっと長生きしてたら、
いまの社会の、いっろんなことを
書いたでしょうね。
残念です。
手塚治虫さんと、この人は、
亡くなって、ほんとうに残念です。
死ぬ前も、何本も原稿を抱えてたらしいですよ。




まだ、やる気まんまんだったんですね。




40すぎてからのデビューだったから、
くやしかったんじゃないかな?
もっと書きたかっただろうなあ。
清張さんは映画に出るのも好きで、
ご自分が原作の映画に
よく出演していらっしゃいました。
銀座の高級クラブのシーンなんかで
「先生」とか言われたりしてたよ。




映画に登場してまで、
みんなのことを
見ていらっしゃるんですね‥‥。




そう。
清張さんはいつでも、見ています。







‥‥これは?






清張さんを描いてみたんだけどね。
清張さんをディズニーみたいにしたかったの。




じゃあ、カエルがミッキーの役で。
うしろにいるのは、




ガラモンです。
マングースとか、テンとか、
いろんなものが清張さんに集まっているんです。




いま、清張さんがいたら、
今日のあの事件この事件、
いまの日本が悩んでいるあんなことこんなことを
誰の手も届かないところまで行きあてて
書いていらっしゃったのだろうと思います。
でも、清張さんの書くことは、じつは、
人間の誰もが
心の奥底で知っていることだったりするのですね。
柱の影から、雲の切れ間から
唇のシルエットが見えたら、
それは、あの人です。
日本のほんとうの姿を小説というかたちで残した
奇跡のような晩成の作家に、
みうらさんの33個めの恩返しでした。





みうらさんは、松本清張さんのことを、
心のなかで「まっちゃん」と呼ぶ。
仕事で毎週大阪に通っていた頃、
往復の新幹線で清張さんの推理小説を
必ず読んでいたそうです。


松本清張(まつもと・せいちょう)
作家、小説家。
作家としては遅咲きの、42歳でスタート。
1953年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞する。
「社会派推理小説」という新しい分野を築き、
平易な文章で多くの読者の支持を得て
『点と線』『眼の壁』などが大ベストセラーに。
'92年に、82歳でこの世を去る。
作品の数は、長篇、短篇あわせて、なんと1000に及ぶ。
現在、テレビのバラエティ番組で「作家」をあらわすとき、
和服でメガネという出で立ちの人が、
ちょっと下唇を出したりすることがあるが、
モデルはもちろん、この方。
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2005-08-04 THU
(c) Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005