ニャンまげは、日光江戸村などを運営する
時代村のキャラクターです。
みうらさんが動画でおっしゃっていたように、
ニャンまげが世に登場する前の日本のキャラクター界は、
ミッキー、スヌーピー、キティちゃん、というような
スーパー有名どころの、
カワイイカワイイ人たちの世界でした。
そうですね。
ニャンまげ以前にも
無名なキャラクターはいましたが、
メジャーじゃないものに対しては、
みんな目を背けていました。
ニャンまげ出現によって
「知ってるけど‥‥」
というキャラクターが存在できるところまで
世のなかは進んできたわけです。
知ってるけどアニメはやってない、
知ってるけどポケモンじゃない、
知ってるけどグッズを子どもたちが持っていない。
同じ立場としては、
ピーポくんもいますが、
市民権を得ることになるには、
やはりニャンまげの影響は大きかったでしょうね。
みなさんも、ご自分でキャラクターを発表されたら
ニャンまげを基準にして
自分のキャラクターの位置を測るようにしてください。
ニャンまげによって、渾然となっていたキャラクター界が
しっかりと「わかる」ようになったのです。
のほほんとした顔をしながらも、
ニャンまげの功績は、大きいですね。
一時期「飛びつこう」というキャペーンがありましたが、
ニャンまげは、そうとう頑丈な
キャラクターだったんでしょうか。
初代ニャンまげの人は
とにかく頑丈な人だったらしいですよ。
当時は、江戸村をウロウロしているニャンまげのうち、
飛びつけるニャンまげと
飛びつけないニャンまげがいました。
飛びつけるニャンまげの、その頑丈な人は、
じつはとてもたいへんだったようです。
小学生とか、悪ノリするでしょう。
あんまり飛びつくのも、どうだったんだろう?
僕が想像するに、命からがら
だったんじゃないでしょうか。
いくら痛くても、ニャンまげの顔は
「イテエ!」用に変わりませんものね。
「ヤメテ、ヤメテ」と言ってもあの表情ですから。
あのビートルズですら、映画の中で
迫り来るファンから逃げていたんですよ。
そこを、ニャンまげは「飛びついてこい!」と
自ら言ったわけです。すごい奴です。
スター界で、唯一無二の存在です。
「ニャンまげに飛びつこう」は、
もう6〜7年前のことになるでしょうが、
いろんな方に飛びつかれて
その間たいへんな思いをされたと思います。
その功労はあまりにも大きいので、
僕はニャンまげに、
第6回みうらじゅん賞をあげました。
そういえば、ニャンまげをデザインされた
佐野研二郎さんのプロフィールの受賞歴に、
「東京ADC賞」や「JAGDA新人賞」と並んで
「みうらじゅん賞」と書いてあるのを
どこかで見た記憶があります。
さて、この収録、回を重ねるごとに
どんどん部屋が散らかってきて
床にいろんなものが散乱してきていますが、
そのあたりも、もはや気にならなくなってきましたね。
キャラクター界にいくつもの新風を吹き込んだ
ニャンまげに、みうらさんの43個めの恩返しでした。
みうらさんは、
日光江戸村にニャンまげに飛びつきに行ったが、
結局は飛びつけずに終わった。
かわりにニャンまげ枕を購入。
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2005-09-08 THU
(c) Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005