TAKAO TAJIMA'S BIG NEWS ABOUT ME またまた帰ってきた! 田島貴男のオレのニュース

すれちがう者同士が
「こんなところでこんな時間に何を?」と
目線で言い合いたくなるような
深夜の高速道路の休憩所。
早々に成田空港を追い出され、
エネルギー切れ切れの
しかし、頭には分厚い毛布のような
不気味帽子をのせた男がひとり。

番長、終わりましたね、
今回のオレのニュースが。



「終わったな。
 中国は広い。
 もういまはそのことしか考えられません」

そうですね。
我々も、なにも言うことはありません。
それは帰路に総計27時間かかったからです。
特に、蘭州で4時間、西安で6時間半、
先行きのわからないまま雪空を眺めて待つことで、
頭のどこかが
全員、はずれてしまいました。



「案内板が出てもまるで読めない、
 英語を話す係員が極端に少ない、
 人びとが常に窓口に
 すごい勢いでつめよっている。
 そういう状況を、日本の我々は
 連続あいうえお作文でごまかすことにしました。
 たとえば‥‥なんだっけ?」

“トラブル”というお題で、
 
 とばないよ
 らんしゅうからの飛行機が
 ぶったまげたなぁ、こりゃ
 ルルルル〜

と、最後をすべて
ルルルル〜で締める作品を数本(苦笑)。

「プッ(苦笑)」

乗り換えの西安で出会った人から
“中国に行って兵馬俑を見ないのは
 エジプトに行ってピラミッドを見ないようなものだ
 ─シラク元大統領─”
という言葉を聞いて、
リベンジの炎を一瞬燃やしたりして。

「西安、いいところっぽかったね」


結局西安は空港しか知りません。

西安では、雪と濃霧で
飛行機が飛ばなかったので、
あのときは‥‥

「濃霧のダジャレ連発で、 切り抜けたな」

すべての道はノームに通ず、とか(苦笑)。
ノーマライズ、とか(苦笑)。
最後のとどめに、番長が、

「打ったぁ、ノームラン!(苦笑)

落ち着きましょう番長、日本にはいつか帰れます、
と、思わず口にしたことを憶えています。
でも、こうしていま
我々は日本に帰ってきました。

「しかし暑いな、日本
 こんなムシムシした国には
 住めないぞ 」

湿気がすごいですね。

「あ。手ぶくろから手を出しても、
 手が痛くない!
 それに、外を見てみ。
 木、多いわ!」

さっきから言葉が通じるのが
ほんとに不思議で。

「不思議で不思議で
 便利で便利で」

雪が降ってしまったとはいえ
目的は果たせましたから、
オレのニュースは
2年連続大成功だったと
言えると思います。

「うん。今回はね、
 東京の片隅に生きてると
 いろんなことがわかんない、
 つくづくそう思ったよ。
 いろいろ行ってきたけど、中国は
 感覚的にいちばん遠い場所だった。
 オレのイメージの中の“世界”というものが
 また、広がりました。
 
 あのね、オレのたのしさメーター、
 行く前はこのくらいだったの」



横浜中華街くらいって、
おっしゃってましたからね。

「うん。だけど、行ってみたら、
 このくらい」



「で、グルーっとまわるくらい」



まず、最初に降り立った北京で
驚きのあまり言葉を失いましたからね。
いちいち奥が深かったです、
人も、料理も、街も。



「やっぱりさぁ、
  長いことやってるからね、国を」

北京原人からですもんね。

「北京はでかすぎて
 歩きづらいくらいだった」

そういえば、北京を歩き回った後、
あまりに疲れ果てて、
帰りはぜひ地下鉄に乗ろう、ということになって、
地下鉄のまね、しましたね。

「した、した」



あれ、ちょっと悲しげな表情でした。

「だからもういちどやり直したんだよ」



そうでしたね。
2度目の顔はすばらしかったです。


ほんとの地下鉄はこんな顔。
料金は2元(約32円)均一でした。


「北京の八達嶺長城も、
 嘉峪関の懸壁長城も、
 てっぺんまで登ったじゃん?
 いちばん上まで行って見たときの景色が、
 それぞれ、最高にすばらしかったな。
 まぁ、歩いてへとへとになって
 景色を見るってのは、いいね。

 オレらは万里の長城の
 東の端に近い北京と、
 西の端の地点しか見てません。
 これだけの、6700kmの長い距離を
 歩くだけでもたいへんなのに、
 作ったんだからね。
 それはもう、宇宙人的な作業ですよ。
 でも、6700kmの壁って、せつなかったです。
 特に、西の端にいた、あいつが」



あいつがね。

ところで、オフシーズンだったためか、
道中あまり観光客に会いませんでした。
蘭州に入ってからは特に、
我々以外の見物客はいませんでしたね。

「どこに行っても
 客という名のものがオレたちだけ
 だったね。
 外国人どころか、中国国内の客もいなかった。
 誰もいない観光スポット、
 オレのニュース一行はたいへん得意にしています」

いろんなことがあって、
枯れ果て凍りつきそうになった瞬間もありましたが、
乗り切りました。
トラブルを呼んでしまうのは運命かもしれませんが。

「いや、運命というのは、
 ただ我々がそういう性質ってだけだ。
 あれだけ乾燥した土地でも、大丈夫だ。
 どんなに、なにもないところでも
 枯れ果てない
 ゆかいのオアシス、オレのニュース!」

よくぞ、おっしゃいました。

「おいしかったし、たのしかったね。
 旅は、病気もなく、ブータレもなく、
 ほんとにこれが最高だよ!
 これからはオレを
 オアシス田島と呼んでくれてもいいよ」



じゃあ、ときどきそうします。

「そうか」

では、最後のあいうえお作文を
やりましょうか。
このさい“オアシス”でお願いします。

「よし!」


う〜〜〜〜〜



‥‥‥‥!!!

「できた‥‥気がする! いくぞ。
 
 オレの夢
 あそんじゃったり
 しゅぎょうしたり
 すなの上をめぐる」

ぃよっ! オアシス番長!

「イエス、オレはオアシス!
 2007年は一陣の風のごとく
 過ぎていきましたが、
 今年は長城のように、大きく長くいきたいです」

一陣の風ですか。

「そう。頭の中が大忙しだったんだけど、
 そのほかのいろんなことが
 ひと吹きでした」

1年とは、そういうものかもしれません。
さぁ、2008年がはじまっています。
オアシスのように、オレのニュースが
ゆかいにまた、帰って来ることができるよう
がんばっていきたいと思います。

「ちょっと」

はい。

「イマイチ決まんなかったな、最後、
 また今回も。
 つまり、さっきのあいうえお作文」

いや、あれでいいです。あれで充分最高です。

「充分最高っていう言い方はないと思う」



いいんです、いいんです。
言葉にできないものに大事なことが含まれている、
番長だっていつも
そうおっしゃっているじゃないですか。

しかしながら、番長がどうにも無念そうですので、
最後に、今回の旅をダイジェストスライドショーにして
このページをお読みのみなさんにお届けします。

「おっ、そりゃいいね」

どうぞどうぞ、ごらんください。

オレのニュース in 中国 音楽入りスライドショー
↑クリック!↑

それでは、みなさん、またいつか、
お会いできる日を心からたのしみに。

さようなら!

「バイバーイ、キャハハ!
 みんな、元気でな」


グリグリ、ピース。

さよなら、さよなら、
田島貴男ニュース番長。

(一度去ってから再び出てきて)
「ま・た・な!」




(田島貴男のオレのニュース おしまい)

ご愛読、ほんとうにありがとうございました。
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