|
糸井 |
続いては、いまだに兜町のにおいさえ漂わせる
「某経済新聞社」系の出版社にいる柳瀬さんですが。
(※柳瀬博一さんは、今年のはじめの「ほぼ日」の、
こちらで「イトイ経済新聞編集長」として登場) |
柳瀬 |
ええ、そこの雑誌部門の会社です。
入社して配属されたのは、
ビジネス雑誌で、
もうモロに新聞系編集部!
って感じでした。
会社に入ったのは1988年でして、
バブルが来るちょっと手前だったんですが。
編集部に配属されて、
オフィスに入ってまず思ったのは、
マンガやテレビで見ていたように、なんか、
部屋の上のあたりに、煙がたちこめてて・・・。 |
糸井 |
おお!(笑) タバコね。 |
柳瀬 |
朝いちばんなのに、すごい煙・・・。
泊りでソファにシャツ半分出して
寝てる人は、当然見かけましたよね。
当時は、まだ、
ワープロすらほとんどなかったんで、
みんな鉛筆で書いていました。
片手に煙草をこう持った感じで・・・。
みなさん、椅子をナナメにしながら、
並んで原稿を書いてるわけでして。
カタいビジネス誌だったんですが、
雰囲気的には、当時はまだ、
事件記者の世界だったんですよ。
大学出て、ビジネス雑誌の記者になって、
いきなり「男らしさ満載」の世界。
今、ぼくは38歳なんですが、
当時のデスクがそのぐらいの年齢です。
ただ、感じとしては、デスク、
ざっと今のぼくより10歳は老けてましたね。
その老けかたが、なんか、男くさかった。 |
糸井 |
あぁ、なんとなくわかる。
怒鳴ったり、原稿を破いたりという
ドラマで見るような世界は? |
柳瀬 |
ありました。 |
糸井 |
(笑)ワクワクしてきたねぇ・・・。 |
柳瀬 |
ぼくが編集部に配属された初日、
いきなりデスクに、
「とりあえず原稿書け」
「あ、何を書けばいいんですか?」
「ここに電話しろ」
当時、原宿に
ヴィッテルアクア何たらクラブというものが
できたところだから、それを取材しろと。
ただし、時間がないから電話取材でイイぞ、と。
で、今日仕上げろ、と。
取材の仕方もぜんぜん知らないまま、
電話で取材して、まぁ、原稿を書いたんです。
17字×25行の原稿だったんですけど。
この原稿がですね、
まずデスクの前にキャップがいまして、
キャップは30歳くらいなんですけど、
この人のところを通るのに
7回ぐらい書き直しさせられまして。
まず、最初に見た時、
「何言いたいんだか、ワカらない」
と言われまして。
そのあと、
ダメ、ダメ、ダメ、ダメっていって
7回書き直させられて、
その間すでに4時間くらい経っていまして。
5時くらいから書いて、7回突っかえされて、
10時ぐらいにようやくキャップの関門を抜けて、
デスクんところに原稿持って行ったんですね。 |
糸井 |
うわぁ・・・。 |
柳瀬 |
40歳ちょい過ぎのデスクが、
これがまた、タバコを・・・いや、
「ヤニ」って言ったほうが合ってるかもしれない。
ヤニをくわえながら、低い声なわけですよ。
パッと原稿見て、
「オメェ、日本語ワカってねェみたいだな」 |
糸井 |
(笑) |
柳瀬 |
「さっき7回書いたのは何だったんだ」
という心の叫びがあったんですけど、
それでそこから、デスクのところで
7回ほど、また、書きなおさせられまして、
その25行の原稿が、
結局夜中の1時半くらいに、ようやく
「じゃ、そろそろこれで、通すか」
っていうことになって・・・。 |
糸井 |
それでも「しょうがない」というレベル? |
柳瀬 |
はい。
当時は鉛筆書きの原稿に
赤ペンで朱を入れられるんですが、
「おう、できたぞ」
とあがった原稿が、もう真っ赤っ赤。
25行の原稿のうち、ぼくのオリジナルの原稿で
残っていたのは、3行ぐらいだけでした・・・。
「合計14回も書き直して、それかよ!」と。 |
祖父江 |
よく数字を覚えてますねえ・・・。 |
糸井 |
いや、それだけやられたら、
よっぽど、覚えてると思うよ。 |
柳瀬 |
よっぽどぼくがヒドかったのか、
それとも、「そういう通過儀礼」だったのか。
どちらにしても、そういうのが
軟弱なぼくは、すごく苦手でしてねぇ。 |
糸井 |
はじめに、精神をボコボコに殴っちゃう、
みたいなことですよね。 |
柳瀬 |
そうです。
「ウエルカム・トゥー・ザ・新聞ワールド!」
みたいなそういう話は、けっこうありまして、
3〜4年経った先輩記者でも、
デスクと原稿をやりとりしていて、
何度やっても、通らないんです。そのうち、
「あんた、向いてないよ」
「窓あいてるから、飛びおりてイイよ?」とか。
|
しり |
(笑) |
糸井 |
言うねぇ。 |
柳瀬 |
ワープロが普及したての頃は、
電源抜くと、データが消えちゃいましたよね。
「今書いてるオマエの原稿はダメだ。
どんだけ書き直したってダメだ!」
ってブチッて電源を抜かれてぜんぶ消されたりとか。
「キミの原稿を見てると、目が腐るんだよねえ」
そういう世界だったんですよ。
その男くささ、好きなやつは好きなんでしょうが、
ぼくはけっこう苦手、というか(笑)
ただ、その一方で
こういうデスクが侠気あるんですよ。
自分の通した原稿は責任を持つというか、
どんなクレームが来ても、
「おう、クレームが来たら、
ぜんぶオレに任せろ!」って感じでした。 |
糸井 |
そこで、「ホロリ」だ。 |
柳瀬 |
バンバン殴られた後だから、
そういうの、効くんですよね・・・。
ほとんど洗脳みたいですが。 |
糸井 |
カツアゲされた後、
「電車賃、持ってんのか?」と聞かれると、
ああ、いいひとじゃないかって思うという、
そのシステムだね。
「いいひと」でもなんでもないのに・・・。 |
柳瀬 |
ぼくのやっていたビジネスの方面って、
ほとんど男社会だけの仕事でして、
アシスタントの女性は何人かいるんだけど、
女性記者は一人しかいなかったし、
ぼくが配属されたころは、
「めずらしいから、女社長に取材に行こうか」
というくらい、男ばっかの世界でした。
マーケット男濃度が世間でいちばん濃そうな、
ほとんど、男子高みたいなとこだった。
だから、男はどういうものと言われると、
あまりにも毎日男だったから、
パッと、思い浮かばないぐらいで・・・。
比較対象としての「女の論理」が見えないぐらい、
同僚に女がいない世界だった。
今は、同じ雑誌に女性記者も10人単位でいるし、
ずいぶん違うと思うけど。
日々男っぽい空気で、
男の足のひっぱりあいだとか、
男の女々しさなんかも含めて、
男しかいないから、とりたてて
「男とは何だ?」なんて改めて思わない。
お酒も好きな人が、多かったです。
ほんと、血ヘドを吐くまで飲む人もいましたし。 |
糸井 |
(笑)やっぱり、飲む打つ買うなんですか? |
柳瀬 |
新聞記者って割とカタいので
「買う」はぼくのまわりではなかったですけど、
「飲む」「打つ」のほうは、ありまくりですね。
「ヤナセ、原稿しあげとけよ」と言われて
こっちは原稿書いているんですが、
「じゃ、オレ、飲みに行ってくるから」
って飲みにいっちゃうんですね。
今から考えると、あの人たちは
よくあれで仕事をデキてたなと思うんですけど、
ほとんど真っ赤な顔をして、
「おう、デキたか?」
みたいに、夜中に帰ってくるわけですね。
「できました」と言うと、酔った目で原稿を見て、
「おい、ここの話、詳しく言うとどうなってる?」
って来るわけです。
あるメーカーの記事だったんですけど、
酔ってるのにポイントを突いた質問をされまして。 |
糸井 |
当たってるの? |
柳瀬 |
当たっているんです。質問に答えると、
「オマエ、そこんとこがおもしろいんだよ。
ちょっと待ってろよ・・・」
とダーッと赤字を入れてくわけですね。
で、1時間ぐらいして
赤字の入った原稿が戻ってきて、
「おう、じゃあ、あとはきちっとやっとけよ」
とまた飲みにいっちゃう。
改めて清書した原稿を読むと、
ツボを突いている原稿で、
「俺の原稿と全然違う! プロじゃん!」
しかも、原稿用紙の隅に
赤字をぐちゃぐちゃに入れて
書いていたのに、原稿の行数も
ほとんどピタッと収まっている。
もちろん、全員じゃないんですけどね。
なんか、そんな本宮ひろ志的な人が、
その頃は、何人もいたんです。 |
糸井 |
理屈は通っていないけど、
あることはあるんだなぁ、そういう世界。 |
柳瀬 |
過程のめちゃくちゃさと
アウトプットのよさにギャップがあるので、
そのギャップが、男くさかったですね。 |
糸井 |
あぁ・・・。 |
|
(つづく) |