第17回
「正しい休日の過ごし方」(1)
みなさん、こんにちは。
これを読まれている方、どんなシチュエーションで
過ごされているのでしょうか。
仕事中に上司の目を盗んで「ハラハラしながら」ですか?
家に帰ってきて、ちょっとテレビみてから
「ほっこり」しているときですか?
これまでのこのページのコンテンツを
さっきじっくり読み返してみました。
我ながら「う~ん、意味深いな」と思うところがある反面、
「ちょっと偏っとるな、これは」と
自戒の念も抱いています。
え~、なんでそんなこと言ってるかって?
へへっ、今、『休憩』しているんですよ。
すべての「苦しみ」「義務感」「感動」から解き放たれて、
「平常心」の自分に戻っております、ハイ。
私の傍らには、Maker's Markが置かれていて、
さっきから後ろでは
「なんであのサビが作れるンかい」と毎回思わせ、
また「Highway ster」を初めて聴いたときと同じくらい
心震わされた、ウタダさんの「First love」の2曲目
(すみません、曲名知らないんです。。。
「ふ~ざけたアリバイ」ってやつです)
が何回もリピートを続けています。
いつか、「人間はバランスが肝心」ということを、
言い放ったことがあったと思いますが、正にこれです。
実は、多くの批判と励ましを受けながら
ここに連載してきたコラムの内容がしめるのは、
私の人生の、う~ん、そうですね、
6割くらいというところでしょうか。
8割以上ああだったら、死んでますよ、今ごろ。
もちろん、6割が「あっち」なので、
4割の「こっち」よりは「自分」を代表している筈ですが、
でも「より」あっちの方が強いだけで、
「自分」は両方とも、です。
お~っと、何が言いたいのか
はっきりさせないといけませんね。
ここまで読んでもらった読者の方に申し訳ありません。
本日のメッセージは明解そのもの。
この「こっち」があるから「あっち」が活きてくるし、
「あっち」のおかげで「こっち」がより楽しくなる、
ということです。
う~ん、全然明解じゃないなあ、こりゃ。
要するに、いかに「こっち」、
つまり「休憩」の部分を充実させるかが
すべてを決するということです。
私の知り合いに、某「飛ぶ鳥を落とす勢い」の
米国資本のインベストメントバンクで
トップクラスの業績を残し、20代にして、
ちょっとここでは“言うのもはばかる”ような、
お給料をもらっている奴がいます。
別に彼を批判するつもりはないのですが、
「あ~、うまく休んでないなあ、あいつ」
っていう思いを抱かせます。
株の売り買いですから、
マーケットが閉まれば基本的には、
休める(まあそう簡単にはいかないみたいですが)ので、
年柄年中、水子の霊みたいに
仕事がついて回る私なんかよりは
時間的に余裕があるはずなのですが、
暇があったら、訳わからん大量の女友達を
都心の自分の広大なマンションに召集して、
カネに物言わせて騒ぎまくっとるらしい。
え? 別に嫉妬しているわけじゃないですよ。
なんとなれば、、、
「休憩」するときに人間は「成長」するものなんです。
自分のやってきたこと、いや、昨日やったことでもいい、
自分の過去の行動を回顧し「反省」と
「改善の方向性を模索」できるのは、
「休憩」のときしかないのです。
自分のコラムの内容とこれまでの読者の方々からの
大量のフィードバックを、「素」になって読み返せるのも、
仕事上の失敗を後悔しまくるのも、
仕事の上とはいえ厳しく罵倒してしまった
自分のチームのコンサルタントに
「心の中」で謝るのも、
この「時間帯」でしかありえません。
Overdriveがかかっている仕事中に
「後悔」「回顧」「謝罪」はありえませんから、
自分の「負」の部分を残らず「正」にconvertするには、
「休憩」中、すなわち、
安息日たる「休日」しかないのであります。
この「休日」の価値は「時間の長さ」ではなく
「質の高さ・濃度の濃さ」で決まります。
(つづく)
注:前回のコラムからの(つづく)は、
また今度ということにします
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