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情報は本当に必要か 現代は情報化社会である、といわれて久しい。 望むと望まざるに関わらず、大量の情報が押し寄せる。 最新の情報に触れていないと動きの激しい世の中に 乗り遅れてしまうとまで言われる。 ビジネスの世界においては 情報による差別化が不十分では競争に勝てない、 という話になる。 日常生活では、少しの間雑誌などを読んでいないと、 まるで石器時代の人間かのように言われる。 しかし本当にそうだろうか。 私はこれらに対して極めて懐疑的である。 私は、スポーツ新聞以外殆んど新聞を読まない。 スポーツ新聞もモータースポーツの記事が 掲載されている「ある一紙」に限定される。 時間が無駄だからだ。特殊で限定的な情報なら 能動的に取りにいかなくてはならないが、 これだけ情報が溢れていると 日常生活における重要な情報などは 放っておいても吸収できる。 「いやそれでは常識がないと思われて 恥ずかしいではないか」という向きもあろうが、 そんなものは誰かと「その話」になったときに 吸収すればよい。常識なんかは常時持っていても 何の付加価値にもならない。 常識が必要になったその場面で獲得すればよい。 「小泉内閣の支持率もあれじゃ落ちますよね」 と誰かに言われたら、ニコっとして 「いや~、そりゃそうですよ」と同調すればよい。 私は小泉内閣がどうなろうと全く興味がないから 事前にそんな情報を獲得しているはずもないが、 それを知っていなければ誰かとの コミュニケーションが うまくいかないというのであれば、 その人とのコミュニケーションの際に それとなく相手から入手すればよい。 新聞に書かれている情報の価値など、 それくらいのものである。 「知った」らそれで終りである。 情報というものは、入手しただけである種の 「満足感」をもたらす。 私でさえよく経験するのだが、 最新の情報に囲まれていないと「知らない」という 疎外感を感じるものだ。何でもそうだ。 だから最先端ファッションやトレンドが存在し、 それに対する求心力たるや凄まじいものがある。 ところがこれが人に災いをもたらす。 「情報の受け売り」が始まるのだ。 そうなると、もはや人は「考え」なくなる。 小泉首相が全国民にむけて 「毎朝5分間、一日の自分の活動について椅子に座って じっくりと考える時間を取るように」 と呼びかけるだけで、日本の生産性が向上し、 株価も10%くらい上昇するのではないかと思う。 それくらい世の中の人は ギリギリと考えるという行為が嫌いで、なるべくなら 自分では考えず人が考えたもので代替しようとする。 それが「情報」である。 「考えろ」というのは、何も難しい方程式を解けとか、 複雑な問題を解決しろ、と言っているわけではない。 頭の良し悪しを論じているわけではなく、 むしろ情報にかまけるその態度を問題視している。 新聞、雑誌、インターネットなどに囲まれ 「その気になれば情報はいつでも入る」状態の中で、 不要な情報まで押し付けられ、 それを前提として生活を営んでいる我々は 明らかに考えなくなってきているわけであるが、 いい加減にこの悪循環に気付くべきである。 |
2002-12-25-TUE
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