第5回 そんなことはどうでもよかった
25年前に、ひとつの出会いがありました。
吉本隆明さんは、そのとき、53歳。
当時76歳になっていた
日本のサル学の創始者・今西錦司さんへの
インタビューにのぞんだときの言葉が、とても
印象深いので、今日はそれを短めに紹介しましょう。
「今西錦司にたった一度会ったとき、彼は
『千の山登りを達成したところだ』
と繰り返し語っていた。
二の腕のところが日焼けで焦茶色にひかり、
ところどころ皮がむけている。
これはいままで会ったどのタイプの物書きにも
あてはまらないたくましさだとおもった。
今西錦司の『棲み分け理論』には、
鮮やかなイメージがつきまとう。
深山幽谷の渓川や淵のなかを、
たったひとりでズボンやシャツをたくし上げた
壮年の孤独な学徒が静かにはいっていって、
微小な水生生物の群れの泳動の仕方や
形態のつくり方を黙って観察したり、
メモしたり、スケッチしたりしては、
また水から上がって、つぎの渓川や淵をもとめて
渓谷をのぼってゆくといったイメージだ。
今西錦司の生物学はこんな孤独な
自然の河谷とのつき合いのなかで
はじめられたにちがいないとおもった。
『棲み分け』の観察を定着できるまでゆくためには、
孤独な河谷とのつき合いの深さが
どうしても必要だったにちがいないとおもえた。
じつはこの孤独の面影をどこかに宿した
今西錦司に出会えるかもしれない期待を
それとなくもちながら、わたしは出かけたのだ。
いまかんがえても暑い
夏の日のぎらぎらした京都だった。
今西錦司はたぶん76歳になった老齢だったが、
日焼けした痩身のたくましい筋肉をもった
元気いっぱいの人だった。
『わたしはナチュラリストです』と
繰り返し語っていたが、でもほんとは
そんなことはわたしにはどうでもよかった。
あまりにもたくましく日焼けしていた姿には、
孤独な壮年の学徒の面影は
どこにも見つけられなかった。
たぶんかれはそのときすでに
自他ともにゆるすほど偉大だったからだとおもう」
いただいた感想メールを読むなかで、
「300歳で300分」のイベント会場で
78歳の吉本隆明さんに出会うかたがたは、
いったい、どう思うのかなぁと感じたんです。
それぞれの人は、自分なりの
イメージを抱えて会場に来てくださるわけだけど、
ひょっとしたら、話の内容よりも、
たたずまいが印象に残るのかもしれないなぁ、と。
そこで今回は、ごくごく、参考までに、
壮年期の吉本さんが、老齢の学者のたくましさに
触れたときの文章を、おとどけしたくなりました。
「そんなことはどうでもよかった」という出会いが、
なんだか、読み返してみると、おもしろかったので……。
また、次回から、ふつうの内容にもどります。
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