その12 ぜったいに、わかってもらいたい。
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糸井 |
「よりみちパン!セ」は、
どれもページは多くないけど、
込められた内容が濃い。
うちの社員なんか、
読んでワンワン泣いている者もいましたよ。
それは、込められたものの、
巨大さを感じるからだよね。
さきほど言った、マッカーサーの
「12歳の知性」という言葉に対して、
僕たちはそれを
「西洋の押しつけだ」
と思ったかもしれません。
でも、その12歳の知性を、
どこまでも豊かにしていくことが、
いまの「ほぼ日」や、
僕たちのやることのひとつなのかなあと
思うんです。
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清水 |
ほかのメディアにだって、
そういう役目が
ほんとうはあるのかもしれないですね。
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糸井 |
「よりみちパン!セ」では、
人に何かを伝えようとするときの文章を、
みなさんが、書いているんです。
「ひとつ残らず伝えたい」という気持ちが
みごとに入っていますから。
先日、ぼくは
吉野弘さんの詩「祝婚歌」を読んだんですが、
あの詩は、それこそ子どもをはじめ、
「言葉は、ある程度以上は、必要ない」
と思っているような人にも、
わかるように書かれています。
「ぜったいにわかってもらわなきゃなんないから」
というときの文章って、きっと
ああなんだと思うんです。
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清水 |
いい話ですね。
「言葉は、ある程度以上は、必要ない」
‥‥なんて新鮮なんだ!(笑)
ところで「祝婚歌」って、
結婚式に贈った詩でしたよね?
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糸井 |
ええ。
詩として発表したつもりも、
あまりないらしいんです。
それが、勝手に、
風のたよりのように流行っていったわけです。
言葉や思いが伝わっていく道のりとして、
こんなに幸せなことはないですね。
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清水 |
ほんとに、そうですね。
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糸井 |
言葉が道具のように使われることを
「下」に見たりする人もいる。
でも、それでいいじゃん?
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の
冒頭少しを憶えている人が、つらいときに
「雨にも負けず‥‥」
とつぶやいたとする。
それを聞いて
「お前に宮澤賢治の何がわかる!」
と言う人、どうかなあと思う。
吉野さんが考えていた
「伝わっちゃう」知性は、
決して低いものではない。
そして同時に、
西洋から見ると「12歳」のものなんですよ。
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清水 |
そのとおりですね。
(ふたりのはなしは、つづきます)
2006-02-05-SUN
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