「ほんらいおとなになるべきなのに、なっていない」
ことで、手厳しい批判を受ける、
いわゆる正規雇用の職につくことなく生きている若者たち。
著者である貴戸理恵さんは、
かつては小学校にほとんど通うことなく家で過ごし、
いまはコドモ・若者と学校の問題について考えている、
花の(?)大学院生。
そして聞くところによると、彼女の回りには、
彼女じしんも含めて、
「永遠の不登校児」「ひきこもり依存」
「フリーター中毒」「ニートおたく」としか
いいようのない人たちがいて、
それらを生きる彼ら、彼女らのあいだでは、
回りの批判の声や擁護する言葉の数々なんて
突き抜けたところで、すご~くスケールが大きくて、
すご~く豊かなことが、年がら年中、
しかもそれぞれの身を引き裂くようなかたちで
考えられているというのだ。
それはいったい、どんなことなんだ!?
貴戸さんの「パン!セ」第2弾のはじまりは、
こんなふうだった。
さらに聞くと、本にできるならば、
タイトルも決めているという。
『コドモであり続けるためのスキル』。
どうやっておとなになるか、とか、
成長するための物語、とかじゃない。
むしろそのま逆である。
こうあるべきと世間から思われている
「成長」「成熟」の姿を目ざさないという
きっぱりとした宣言。
しかもそのためには特別なスキルがいる、というわけだ。
なんと挑戦的な本ではないか。
タイトル案を聞いた瞬間、
まだ原稿が仕上がっていないというのに、
もう本のできあがりがはっきりと見えたような気がした。
本ができあがって、まさに挑戦的で、
同時にものすごく切ない本になった。
そして貴戸さんがいっていた、
すご~く豊かですご~くスケールが大きいこと、
つまり、「人とのつながり」と「生きるということ」
そのものへのリアルな問いかけが、
この1冊のなかにぎゅっとつまっています。
また、貴戸さんやその仲間達が、
「ほんらいおとなになるべきなのに、なっていない」
とされる状態を生きながら、
必死でひねり出した切実な「スキル」は、
私たちがすでに鍛えることを忘れてしまった
筋肉のようなものを、ときに手痛く、
ときにとってもやさしく刺激してくれるものと思います。
こちらも本の刊行を記念して、
貴戸さんの「先生」である小熊英二さんとの
対談があります。
貴戸さんは小熊先生が「おとなになることの重要性」を
よく話していらっしゃるので、
そこのところをつっこんで聞いてみたい、とのことです。
師弟のガチンコ勝負に、乞う、ご期待!
(編集担当・清水 檀)
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