よりみち
パン!セ
中学生以上すべての人たちへ。
キミたちに、
伝えたいこと。



他人がやっている稽古を
よく見ている俳優は
演技も格段に上達します。
考えてみれば、人は生まれて
まず見えている世界を
まねることから出発します。
上達してゆく俳優は
すでに「見ること」について
意識的だからこそ
「見る」によって、より対象から
深いものを受け止めているのです。
まずは「見ること」の意識を
高めることです。
それは、演劇ばかりか
ものごとへのごく基本的な接しかたです。



演劇は道具だ

宮沢章夫

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むかし船会社の倉庫だったという、
運河に面したスタジオで、
演劇ワークショップ講師の宮沢さんが話しはじめます。
ぼそぼそと低く、それでいてからだの芯に響く声。
いきなり、「演劇ワークショップって、何だ」という
話でした。
典型的な例として、
・海外から演出家が来て
・ずっとヒーリング系の音楽が流れていて
・全員を床に寝かせて
 「あなたは水に浮かぶ木の葉です」とか言ったりして
・最後は大きな感動に包まれる
という話を紹介したのち、坊主頭の宮沢さんは言いました。
「僕のワークショップでは、感動はさせない。
 後悔して帰るワークショップです」
それからうれしそうに、くくく、と笑ったのです。
 天井の高いスタジオで、
参加者たちは(これは冗談で、笑うところなんですよね)と
空気を伺いあって、かすかな不安を抱きつつ曖昧に笑いました。

この本にも、宮沢さんのワークショップ実践例は
いくつか出てきます。
たとえば、「歩く」。ただ歩きます。
そして他の人は、それをただ見ます。
さらに、町に出て、歩いている人を見たりもします。

あるいは、「自己紹介」。
順番に、何周もしつこく自己紹介します。

なんという地味さでしょうか。

自分を解放する爽快感。観客をうならせるテクニック。
そういうものを期待して来たら、拍子抜けですね。
でも宮沢さんは意地悪でも、
斜にかまえているわけでもないのです。
演劇というおこないを誠実に考えたら、こうなった。
ワークショップを進めるうちに、
参加者たちは気づいていきます。
歩きかたは、皆ちがっている。
ちがう人、ちがう状況。それを見るまなざし。
これは、演劇のはじまりではないか。
「何周も自己紹介」では、
ウケる話が求められているのではなく、
語る言葉がつきて頭が真っ白になり、
どうでもいいことを話しだす、
そのわけのわからないからだに出会う体験ではないか。

テレビ、ゲーム、ウェブ、街、友だちとの会話……
あからさまな面白さは、
私たちをとりまいてちかちか瞬いています。
もはや「なんでもないこと」には耐えられず、
空白の時間はとにかく
手近な面白さで埋めなければならないような、
強迫めいた感じさえします。
宮沢さんは「なんでもないこと」の前で、立ち止まります。
なんでもない、空白に見えるところこそ、
ほんとうに面白いものが潜んでいる。
あたりまえとされることをうたがって。
うたがいつつ、自分でやって。
そうしてこつこつ戯曲を書き、演出して、
考えてきたことを、はじめて書き下ろしたのがこの本です。
演劇という不合理なおこないを語るにふさわしく、
話は時として不合理に横道にそれ、
それがまた人間のばかばかしい豊かさを見せる
演劇のようでもあり。
人間の面白さを、どうやって発見するか――。
これは宮沢さんのやりかたです。
あなたは、どんなふうにするのでしょうか。

(編集担当・打越由理)

 


2006-12-18-MON




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