この本の舞台になった「宅老所よりあい」にお邪魔した
なんどめかのときのこと。
そこでは「そんなはずねえんですがね!」の
マサトさん的状況が、
そこにいるご老人の数ぶん、繰り広げられていました。
そのなかのひとつ。
*
はじめてその場に居合わせることになった同行の知人、
あるおばあちゃんに大きなタオルを渡され、
これがいかに大切で、だから忘れずに
「持っていって、渡してくださいね、
忘れないでくださいね。よろしくね。
よろしくお願いしますよ、
あなたにたしかに頼みましたよ」
と、ちゃぶ台を挟んで、繰り返し懇願されていました。
そのタオルがどんなものなのか、なぜ大切なのか、
どこに持っていって、だれに渡したらいいのか、
渡すことにどんな意味があるのか。
このタオルに関するそれらの「有効な情報」は、
この30分ほどのやりとりのあいだついぞ伝えられぬまま、
ただただおばあちゃんの真剣な熱意に、知人は言葉を失い、
彼女の差し出す大きなタオルに
とりあえず片手をのせたまま、
固まり続けておりました。
そろそろ業を煮やしたおばあちゃん、
「いつまでぼ〜っとした顔で触っとんの!
忘れないように早くしまうがよか!」
と一喝。
びくりとした知人は両手でタオルを受け取り、
カバンにしまいこみました。
それを見届けて、おばあちゃんひとこと
「ぜったいに忘れなさんなよ!
あいかわらず信用ならんやつたい!」
知人小さな声で、「かならず渡しますから。」
*
そのあと知人は、一部始終を見ていた、
この本の著者であり、
宅老所よりあい所長である村瀬さんに、
「わかったような演技をしてしまって……、
おばあちゃんにすごく失礼なことをした気がして
つらい……。でもいったいどうしたら……?」
と泣き出さんばかりの面持ちで訴えました。
村瀬さんはそれには直接答えずニコニコしながら、
「あのおばあちゃん、今日はスターだったでしょう!
新しくて若いお客さんとおばあちゃん
ふたりのやりとりに
最初から最後まで、その場の全員、
じっと注目してたもんね。きょうはきっと、
うれしくて眠れないんじゃないかなあ〜?」と。
*
村瀬さんは禅問答の達人ではないですから、そのあと、
「あまりわけのわからないことでしつこくされて
不愉快であれば、そろそろやめていただけませんか?
と言うことは
失礼でもなんでもないんじゃないでしょうか」
とか、
「毎日毎日みなさんこうですから。
ぼくが答えてほしいように答えてくれる人なんて
だれもいないですし。それになにか聞かれても、
だいたい聞かれていることがわからないから、
推理しながら返事してると、逆ギレされるし(笑)。
応用なんてきかないですよ、
毎日方角だって変わるし、朝なのに夜だし、
天気なのに台風ですって言われますから。
勤めてだいぶたつのに、いまだにみなさんから、
『あなただれでしたっけ?』って
しょっちゅう聞かれるし、
みなさんのご経歴も聞くたびに変化していますしね」
やら、いろいろなお話を伺うことになるわけですが、
村瀬さんはそのたびに本当に困っているんです、
と絶望的な表情になったり、
楽しくてしかたがない、という表情になったりします。
「すごく困るし、すごく楽しいんですよ、
やめられません…」。
*
本書巻末の谷川俊太郎さんの言葉が浮かびます。
お母さまの「ぼけ」をきっかけに考えられたことです。
“この世には「意味」で割り切れない「存在」があるし、
役に立つ立たないとうことだけで
人を判断することはできません。
人と人とが通じ合うのに言葉だけが大事なのではなく、
言葉によらないスキンシップもおとらず大切だし、
固まりすぎた秩序を
もう一度混沌に戻すことを恐れる必要もないということも
考えるようになりました。”
*
ぼけの可笑しさ、不思議さ、怖さ、美しさ。
忘れがちですが、若い時期ばかりがヒトではない。
人間すなわち混沌をおそれず、
この1冊で、ぼけを丸ごと学んでください。
(編集担当・清水檀) |