「ありおりはべり、いまそがり」。
高校時代を思い起こすとき、
呪文のようなこの言葉が浮かびます。
たぶん、古文のなにかだったと思うのですが、
この言葉を、黒板の前で、
不機嫌きわまる顔でとなえていた
年配の先生の顔も同時に思い出しつつ、
「はて、これってなんのことだっけ?」
と意味不明な思いに頭をひねります。
この本の、扉に登場する16人の先生を、
じっとごらんください。
どうですか?
あなたの知っている先生に、
どこか似てはいませんか?
打ち合わせの喫茶店で、
伊藤比呂美さんの口から、
家庭科の「直立カバ」先生の名が出たとき、
私の脳裏にはまざまざと、
高校の時の漢文の先生の姿が浮かびました。
国語の「トガシ先生」は、
社会科の「ウルトラマン」に何から何までそっくりで、
「オメガ」は、私の中では「ガっちゃん」です。
この本には、
古くはテレビドラマの「金八先生」のような、
いわゆる“熱血先生”は登場しません。
熱血ではないけれども、
それから、生徒みんなから、
必ずしも好かれていたわけではないけれども、
でも、子どもにとっての「身近な大人」として、
忘れがたいなにがしかを残していった人が
つづられています。
リアルタイムで「学校の生徒」をやっていた昔、
「学校の先生」にいつも、
「理想の大人」「完璧な大人」を求めては、
やれ、この先生は好き。あの先生は嫌い。
嫌いな先生はどーして、あんなにイヤなんだろう。
と、キリキリ、さわがしくやっておりました。
でも、「学校の先生」ってべつに、全部がぜんぶ、
「理想の、完璧な大人」でなくたってよかったみたい。
(もちろん、悪いことしてつかまったり、
意味なく人を傷つける人だったらすごく困るけど)
ヘンな髪型をしていた担任が、いつも平気で
生徒から笑われていた、その「平気」っぷりが、
大人になって、なんの脈絡もなくふとよみがえり、
やけに気持ちを謙虚に正されることがある。
あるいは、誰も聞いちゃいなかった授業で、
新米先生が絶叫せんばかりに説明していた
江戸城開城の話を、昨日のことのように鮮やかに
覚えている、ということもあります。
「そうそう、
当時はわかんなくても、たしかに、
子どもだったあなたの中に種をまいて、
大人になってから気づかせてくれる、
先生って、そういう存在でもあるんです」。
ページをめくるたび、
伊藤さんがそう言っている声が聞こえます。
「ありおりはべり、いまそがり」。
あの古文の先生はいつも、
不機嫌で恐ろしげな顔で、授業といえば
このうえなくぴりぴりと苦痛な時間でしたが、
この意味不明な言葉のぶんだけ、私の世界を、
たしかに広げてくれたのでした。
(編集担当・坂本裕美)
|