SHIRU
まっ白いカミ。

130枚目:「ベッピーノ・タブッキの変貌」

 

「ばきゅん。ばきゅうーん。」
そう口で言いながらベッピーノは引き金を引き
マリオの額に直径8ミリの風穴を2つもあけた。

いまさっきまで天使も悪魔も一緒になって踊っていた
船上パーティーは一瞬で恐怖に静まりかえり
地中海のじりじりとした日差しの下で
トマトのように赤いマリオの血が静かにデッキに広がった。

「てくてくてくてく…。」ベッピーノは呟きつつ
拳銃を手にしたままボスの後について船室に消えていった。

マリオがボスの遠縁の親戚にあたることを知る者は
ボスが身内にさえ容赦なく制裁をくだすのを目の当たりにして
その厳しさを耳に囁きあっては結束を固く誓うのだった。
そして偶然、昔のベッピーノを知る人は
ボスの残酷さ以上に彼のその変貌ぶりに
背筋をぶるぶるさせていた。

 

 

ベッピーノ・タブッキは南イタリアはエリチェの港町
小さなパスティチェリア(製菓店)の長男に生まれた。

ベッピーノの学生時代。
おとなしくていつも袋からもぐもぐと菓子ばかり食べてる彼は
コアラに育てられたような奴だ、と
クラスメートからよくからかわれたものだった。

そして 高校卒業と同時に店を継いで働きはじめたベッピーノは
幼い頃からのお手伝いのかいあって
若くして既に35種類の生地を使いわけるベテラン職人だった。

若旦那になったベッピーノの焼く菓子やパン
とりわけ、名物のドライフルーツたっぷりのパネットーネは
町の人だけでなく、港に訪れる船員達にも評判になって
航海にでる前にはこの店でドルチェを
船が沈むぐらい食い倒れてから出航するのが
甘味好きの海の男のならわしとなっていた。

ベッピーノの手は大きくあたたかくて
小麦粉の生地はいつだってよく伸びた。
手と心のあたたかさの反比例するなんて法則は
少なくとも彼にはあてはまらなかった。
そんなナイーブで凄腕の菓子職人、ベッピーノが
泣く子も黙るマフィアの処刑隊長になるに至るきっかけには
ありがちだが1人のわるい女の存在があった。

 

 

それはよく晴れた春の日の午後のことだった。
テラス席に座って栗毛色の髪をなびかせながら
こんがり焼けたフィオレンティーノを
囓っていた少女、ルチアにベッピーノは一目で心奪われた。

おっぱいが綺麗にみえるスペイン製のニットとか
肌理を細かくするハンガリー製のローズウォーターとか
鼻の毛穴を綺麗にする日本製の化粧パックとか
そういうものでルチアは完全武装していたので
18歳、愛の盲戦士ベッピーノには
目の前の笑顔の、その奥にあるものを見抜く術はなかった。
太陽がいっぱい。ベッピーノにとってそんな季節が始まり
可哀想に、冬の北欧よりあっという間に太陽は沈んだ。

「アリベデルチ、ベッピーノ。」

秘伝のシチリア菓子のレシピをあらかた手に入れさえすれば
あとは用は無いとばかりの言い種だった。
もはや、振り向きもしないですたすたと
アイスクリーム屋の角を曲がってルチアは消え去り
あわれベッピーノはいつまでも鳩と一緒に公園に立ちつくしていた。

「ぽいっ。」

ベッピーノは自分の口から無意識にでていた言葉に驚いた。
でも、なんだか、空き瓶をわざとおどけて捨てると
胸の痛みがへってるみたいに。
それだけで壊れそうだった心が
ぜんぜん他人のもののように思えた。
ベッピーノは歩きながら、またつぶやいてみた。
「てくてくてくてく…。」
(おお、まるで自分が歩いてるんじゃないみたいだ!)

 

 

その日からというものベッピーノは
ナポリの食品会社が同じ味のパネットーネを
スーパーマーケットで売りだそうと
ルチアが赤い車の助手席に乗っているのを見かけようと
どんなにつらいことがその身に降りかかったって
「がーん!」の一言をつぶやいて乗りきれるようになった。

そのかわり、菓子作りにいちばん必要な悦び。
パッショーネやアモーレも消えてしまって…
すっかりお店は開店休業状態。
いつしかベッピーノ本人の姿まで港町から消えてしまい
エリチェの町の人たちが再び彼の姿をみつけた時。

それは菓子職人のベッピーノさんではなく
モノクロ写真で新聞紙上に掲載された
哀しみも悦びも感じない、鉄の処刑隊長。
国防省警察がブラックリストのトップに載せる
ベッピーノ・タブッキ、その人になっていたのだった。

 

2000-02-21-MON

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