糸井 |
岡田さんは、愛がないと
おっしゃっているわりには、
実際には、人の役に立っちゃってますよ。
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岡田 |
はい。役に立つのは、いい気持ちです。
手ごたえもある。
でも、そんなに愛があるのかな、ぼくに?
「乗ってみたら燃料不足だった」
ということがあるので、心配です。
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糸井 |
そんなこと、ぼくだって、
自信ないですよ。
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岡田 |
「子どもが井戸に落ちそうになっていたら
『危ない』と叫ぶだろうか」
というところまで設定を拡大させないと
「そうですね、愛です」
とは、なかなか言えないです。
ぼくはそんな、自分だけが大事な人間なんですよ。
そういう前提があるからこそ、
おせっかいに人に関われる、
という一面もあります。
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糸井 |
ああ、なるほど。
それは、とてもおもしろいですね。
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岡田 |
右足が「自分しか生きている価値がない」と
思っている。
ぼくは自分が死んでも世の中が存在するのが、
不条理じゃなくて不可解なんです。
でも、左足が
「そんなことないだろ」と言っている。
右足の軸足を持っているんですけれども、
それがあるからこそ左足で、
「なんでもいいから世の中の
役に立ってる間だけ生きてたいな」
と思ってる。
この両方の足で、
それなりにバランスがとれているんですよ。
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糸井 |
う〜ん。しかし、岡田さんは
自分の考えを鍛えあげるねぇ。
聞いていて、おもしろいですよ。
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岡田 |
(ささやくように)暇だからでしょうか。
脳のエンジン、フル回転しすぎかもしれない。
ぼく、お酒とか、
意識がぼんやりする種類のものは
ぜんぶ嫌いなんです。
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糸井 |
じゃあ、
「毛糸玉がこんなになっちゃってるのよ、
ほぐして」
なぁんて、言われたら、どうします?
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岡田 |
ほぐしますね。
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糸井 |
ほぐしますか!
じゃ、農業は?
理不尽な雨とか、しょうがないことが
たくさん起こるようなことは‥‥
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岡田 |
ダメです!
理不尽は全部ダメです。
そういうことは、
理不尽な状況で何でもできる
マゾの人がやってくれぇ!
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糸井 |
ハハハハ。
マゾじゃないんですね?
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岡田 |
どうも世の中は、みんなが自覚していないだけで、
SとMに、完全に分かれていると思います。
だいたい、人さまがテレビで
野球やサッカーをやってるのを
あんなに熱心に観ることができる人たちのことを
ぼくはさっぱり理解できなかったんです。でも、
「あいつらMだったんだ!」
とわかってすっきりしました(笑)。
ぼくはMじゃないから、
人が動くものを鑑賞していると、
なんだか腹が立ってくるんです。
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糸井 |
それは、子どものときから?
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岡田 |
こんなに極端になったのは、
30歳をすぎてからだと思います。
30までは、まだ、お芝居も観に行けたし、
コンサートも観ることができたんです。
いまはコンサートを観ていると、
「俺が前に出て歌いたい」という気持ちが
フツフツと出てきて、どうしようもなくなります。
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糸井 |
Mというのは、つまり、
「痛い」ということで
生きている実感を感じる人たち、ですね。
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岡田 |
はい。もしくは、
「主導権がないことで気が楽になる」
という人たちです。
Sは主導権を
どうしてもとらなければ気がすまなくて、
Mは主導権が
自分にあると心が安らかにならない、
という差があると思います。
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糸井 |
でもね、「○○ファン」と呼ばれる人たちは、
選手やアイドル○○君を運転しているのは
自分だと思っていますよ。
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岡田 |
そうなんですか!
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糸井 |
イチローが打ってるときにさえ。
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岡田 |
それは‥‥おもしろいなぁ!
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糸井 |
うん。意外にね、冷酷なこと思ってんです。
「だーめだー!」とか。
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岡田 |
では、どうして自分でやろうとしないんですか、
Mの人たちは。
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糸井 |
うーん、きっと「下手をする」からでしょう。
上手くできないことは、嫌いなんですよ。
観てばっかりいる、というのは、
そういうことだと思う。
ですから、観てばかりいるようなMの人が
じつは王様かもしれないですね。
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岡田 |
そうですね。
MはマスターのMとか、満足のMと
言いますし‥‥。
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糸井 |
できることならぼくは、Mでいたいです。
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岡田 |
選べればいいんですけれども、
MかSかは、生まれたときに引く
クジのような気がしますね。
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(つづきます!)