糸井 |
『プチクリ』に書いてあるとおり、
ぼくも、クリエイティブを
「みんながやればいい」と思うんです。
でも、食えるか食えないかは別の話だよ、
ということを、ぼくはわりと、強く言います。
「食ってく」というのは、別の技術だから。
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岡田 |
はい。
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糸井 |
学校は、そこのところを教えることが多いんです。
文章でいうと、原稿用紙の使い方とか
テーマの見つけ方とか。
そうやって、
誰でもできるマニュアルを作って、
「食える道」を探させる。
岡田さんは、その前の、
「おもしろいと思ってるなら、
やりたいんだったらやればいい」
と、背中をポンと押してくれるわけです。
遠慮することないんだよ、と。
『プチクリ』では、
食えるかどうかについては、
じつはあまり書いてないですね。
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岡田 |
ほんとうは
はっきり書きたかったんですよ、
「もういい、30までは親にすがれ」と。
実際に、一回書いて、消しました。
でも、ほんとは、
人に頼って暮らすのが当たり前、
みたいな顔してる奴が
うらやましくてしょうがないからかも
しれないですが、嫌いなんです。
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糸井 |
ハハハハ。
岡田さんの「歌」は、
「好き」と「嫌い」で
できていますね。
『プチクリ』にも「好き=才能!」
って書いてあるもん。
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岡田 |
はい(笑)。
そこはもう、白旗です。
ぼくのラインは「好き」「嫌い」です。
で、糸井さんの歌は
「快」と「不快」かな。
ぼくは、自分が好きなことにしか
価値がないと思っているところがあります。
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糸井 |
屋台のおでん屋さんで、
みんなが和気あいあいと
飲んだり食ったりしてるのかと思ったら、
かわりばんこに
自分の話をしてるだけの状態のような。
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岡田 |
オタクの飲み会は、そんなかんじですよ。
自分の話しかしない。
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糸井 |
「客と自分」なんだね!
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岡田 |
会話のキャッチボールじゃなくて、
投げ込みをしたいんです(笑)。
以前、うちの会社にいた社員が
「俺は女の子と
会話のキャッチボールをしたいんじゃない。
ピッチング練習をしたいんだ。
いいキャッチャーの女が欲しいんだ!」
って言っていました(笑)。
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糸井 |
ボールは、返ってきてほしくないんだ。
そんなにまで、不慮の事故ってものが
嫌いなんですね?
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岡田 |
そうです。
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糸井 |
でも、例えば、愛って台風でしょ?
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岡田 |
はい、はい。
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糸井 |
「なんで俺はあんな女のところに、
こんな傘をさして出かけてるんだ?」
というのが愛ですよね?
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岡田 |
それをぼくの歌に翻訳すると
どうなるかというと、
自分のなかの、
盛り上がる感情が大事なのであって、
その女の人のことは、
きっと、どうでもいいんですよ。
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糸井 |
はああ。
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岡田 |
ですから、感情に女の人が引き合わなくなったら、
その人のことはどうでもよくなります。
‥‥言いながらイヤになるな。
微妙にイヤ、いやちがう、
日本語にするとイヤになるんだ、
いやいや、どう言ってもイヤはイヤだ(笑)。
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糸井 |
じゃあ、チキンレースだったら、どう?
断崖絶壁を前に猛スピードで車を走らせて、
いつブレーキをかけるか、というやつ。
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岡田 |
チキンレース‥‥!
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糸井 |
そういう、見通しというものがきかないのが
人生ですよね、だいたい。
ブレーキをあんまり前で踏んだら、
相手が勝っちゃって、殺される。
崖を通り越しちゃうと、落ちて死んでしまう。
その場合は?
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岡田 |
その場合は、ブレーキは踏まないで、
充分に死ぬくらいのことをします。
そのほうが、気が楽だから。
手前で止めて殺されるくらいだったら、
崖に充分突っ込んだほうが、まだ気が楽です。
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糸井 |
その場合は、
自分は死んでもしょうがないと、
決めてるんですか。
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岡田 |
自分の決断で死ぬんですからね。
不慮の事故があろうが、何があろうが、
自分の決断さえあれば死ねるんですよ。
決定権が手放せないんです。
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糸井 |
岡田さん、いったい
何歳くらいのときから
自分で決定したがるタイプだったんですか?
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岡田 |
ぼくは、幼稚園を
自分で辞めましたので。
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糸井 |
ブブッ(笑)!
それはすごい!
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岡田 |
幼稚園で、2年目にあがるときに、
黒板の行事表に去年と同じことが
書いてあったので、
「同じことを2年やるところに
ぼくはいるつもりはない」
といって、親を説得して、
園長先生のところにいっしょに話しに行って、
辞めました。
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糸井 |
へええ!
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岡田 |
そのくらい、ぼくにとっては、
自分で自分を決めるということは、
大切なんです。
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糸井 |
ご両親は、どんなかんじで?
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岡田 |
うーーん、そうですね、
親に愛されすぎたのかもしれません。
ぼくは「心臓弁膜症」といって、
心臓に欠陥があったんです。
生まれてから1年間、
泣いたら死んでしまうような状況だったそうです。
ですから、その間、親は
ぼくを泣かさないように育てたので、
「世の中は自分の思い通りになるはずだ」
という思い込みが
ついてしまったのかもしれません。
それがどうしても取れないんでしょうね。
あの1年が、
こういういろんなところに
影響を及ぼすとは(笑)。
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糸井 |
例えばコンビニなんかで、
「サービスをしない」と決めている店員さんに
会ったときのせつなさのようなものを
ぼくは感じることがあるんだけど、
親にかまってもらった人は、
そうは思わないみたいだね。
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岡田 |
そうですよ。
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糸井 |
うるさくてしょうがないから、
コンビニくらいは黙っててくれ、というのが、
無愛想なサービスを求める人たちなんだ、
とわかって、最近、とても驚いたんです。
そうか、そんなにみんな、
親にいろいろかまわれてるんだ!
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(つづきます!)