遙か彼方で働くひとよ。 フィラデルフィアの病院からの手紙。 |
手紙1 「AMAって何?」 こんにちは。 このたび、ここでしばらく連載をさせていただくことに なりました。どうぞよろしく。 わたしは日本の学校を卒業して数年、 日本の病院で内科医として働いていました。 昨年の7月に縁があって フィラデルフィアにある大学病院で内科のレジデント (日本でいえば研修医)として採用してもらえることに なって引っ越してきました。 こちらに移ることを両親に告げたときに、 父から 「おまえはいつまでも定職に就かなくて大丈夫なのか」 と本気で心配されてしまいしたが、まさにそのとおりで、 2001年6月まで、契約が打ち切られない限り ここで過ごすつもりですがその後は未定です。 日本の病院と同じように ある意味ではもっと厳しく、アメリカの病院も 厳然たるヒエラルキーに支えられています。 この国のトレーニングプログラムに入る以上、 1からやり直すしかないわけで、 今私はその底辺、1年目レジデントとして こき使われています。 白衣を着てポケットのなかにいろんなものを詰め込んで、 病院の中をぐるぐる歩き回って患者さんのお部屋を 訪ねる生活のスタイルはどこの国でも同じで、 日本にいたときと変わりません。 自分で選んで購入する(問題山積みの)医療保険の制度や、 人手が多くて分業が確立している病院運営のシステム、 医学部卒業時にはだいたい日本の2、3年目の 研修医程度につかえるようになってる医学教育など、 日本との違いを感じることはいくつもありますが、 そういう構造的な違いよりももっと、 「わたしは外国で働いてるんだなあ」 としみじみ思い知らされたことについて 今日は書きたいと思います。 まだこっちに来て日が浅く、2回目か3回目の当直のときに 夜中に電話で起こされました。 電話口では看護婦さんがすごく興奮していて わたしの患者がAMAだ、と言ってるように 聞こえるのですが、AMAというのが何なのかわかりません。 神経内科(neurology)と泌尿器科(urology)ですら 聞き間違えるわたしとしては、解決法はただひとつ、 「わかった。すぐ行きます。」 と言うしかありませんでした。 病室に行ってみると、 患者さんが服を着替えて 荷物を持って立っています。 なんだかいますぐ帰りたいらしいのです。 からだのほうはまだ良くなっていないので、 こちらとしてはお帰しするわけにはいかないしなあと 思って、ペアで働いてる2年目のレジデントを呼びました。 彼は患者さんとしばらく話した後で、 「やっぱり帰るって言ってるから、 AMAにサインもらっといて」 というのです。 「AMAって何?」 ここでようやく聞くことができました。 「Against Medical Advice」 つまり、 医者の助言を聞かずに、 無理やり病院から帰ることなのだそうです。 そんなことが、略語で呼ばれるほど多いのか と、まず驚いたのですが その後渡された紙はもっとすごかった。 Against Medical Advice と大きくタイトルをつけたその書類には、 「私は自分の責任で、医者からの助言を 十分に聞いたうえで、自分の意思により病院から帰ります。 今後命にかかわるようなことを含め、 何が起きても、その責任は一切自分にあります。」 とあって、 本人の署名と日付を書きこむようになっているのです。 その紙にサインをして、患者さんは帰っていきました。 残されたわたしは、 「患者さんはAMAで帰りました」 とカルテに書いてその紙をファイルしておしまい。 AMAのときにはくすりも渡せないし、保険もききません。 調子が悪くなってすぐ病院に戻ってくるひとも 少なからずいます。 医療を買うという意識が強いこの国では、 それが気にならなかったときに、 洋服をお店に返品するみたいな感じで 「いらない」、 と言うのはそんなに珍しいことではないみたいです。 先日も、タバコの吸いすぎで 肺の細胞が壊れてしまう病気になってしまって 家でも酸素を吸って暮らしてるおじいさんが 肺炎で入院してきましたが、 病室でタバコを吸っているところを 看護婦さんに見つけられました。 酸素を使っている人にタバコは厳禁です。 「あなただけではなくって病院全体が爆発の危険がある」 と説明してもわかってもらえず、 「AMAで帰るから紙をくれ」 高らかに宣言して、署名して帰っていきました。 自分でAMAと言っちゃうあたり、 かなりの経験者と思われます。 こういう人たちを相手に働いていくのね、と 少し疲れますが、まあしょうがない。 わたしにできることは もくもくと目の前の仕事をかたづけるだけです。 では今日はこの辺で。 みなさまお元気で。さようなら。 本田美和子 |
1999-04-09-FRI
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