PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙2 「しごとについて」

こんにちは。
4月も半ばになって、この街の桜も満開です。
わたしは会社勤めをしたことはありませんが、
電車の中に、いかにもって感じの微妙な緊張感を漂わせた
新社会人がたくさん乗ってるこの時期が結構好きでした。
来春卒業の方は就職活動を始める頃なんでしょうね。

この季節になると、
自分が仕事選びを考え始めた頃のことを思い出します。

九州の高校を卒業して、都内の大学に通っていたわたしは
適度に授業に出て、サークル活動をする毎日を
送っていました。
男女雇用機会均等法が施行されて間もない頃で
総合職につくのが周りの女の子の中で流行ってました。

なんとなく、
自分もその一人となるんだろうなと
漠然と考えていましたが、
具体的な職種については決めかねてました。

もちろん日本経済が
なぜだか羽振りの良い時代だったので、
銀行、証券、不動産といった業界が大人気です。
そんな中で、お金やものを扱うよりも、
できれば直接ひとに接してサービスを提供するような
仕事に就きたいと思うようになりました。

青田買いの感じが強かった、
コンサルティング会社のアルバイト募集に
応募してみたり、ホテル業界ってどんなかなあと
考えてみたりしていたのですが、
ある日新聞の健康相談に載っていた
ソーシャルワークという仕事が
なんだか面白そうにみえたので、
新聞に回答を寄せていた、
そのソーシャルワーカーの方に連絡を取って
話を聞かせていただくことにしました。

その方は大学病院にお勤めで、
医療ソーシャルワーカーとして、
患者さんのさまざまな困りごとの解決に
努めていらっしゃいました。
仕事の内容としてはすばらしく、
こんな仕事もいいなあと思ったのですが、
その病院の医療相談室は、
いわゆる日本の草分け的な存在で
その時点では、この分野で働く人のすべてが
パイオニアとして働くことを求められている感じでした。
当時、ソーシャルワーカーの規定はあいまいで、
その病院だからこそ実現できていることも数多くあって、
社会的認知を高めていくのは
大変そうだというのも、もう一方の感想でした。

情けないことですが、わたしはその頃、
実力で社会と渡り合っていくための力は
自分には足りない、と実感し始めていました。
腕一本で、とか、自分の感性を信じて、
ということができそうになかったので、
なにか客観的に評価される尺度として
資格を持って働こうと決めました。

学校で勉強していたのは法律なので、
その分野で考えるのが手っ取り早いとは思ったのですが、
法律は学校で話を聞いてる分には面白いものでしたが、
それを仕事としてずっと続けていけるほど
好きじゃないことも自分でわかっていました。

サービスの目的と内容が
はっきりとした方向性を示していて、
なるべく普遍性をもって、
誰にでも同じように行なえるもの。

しかも、
人にどれだけ親切にしても怪しまれなくて、
(親切し過ぎるってことがなくて)
資格があって、ずっと働けるような仕事。

そんなことをある程度かなえることができるかもしれない
と思って、医学部に移りました。

こんなはずでは、と思うことも結構ありましたが、
なんとか卒業にこぎつけて、免許も取れました。

悪いところをすっきり取り除いてしまう外科とは違って、
内科はからだの調子の悪いところを
本人と相談しながら、食事や、生活習慣を変えたり、
薬を使ったりしながらすこしずつ良くしていこうとする
仕事です。
本人の話をよく聞くところから仕事が始まります。

調子の悪いところを全部治してあげることは
できないかもしれないけれど、昨日よりも今日のほうが
少しでも楽になったと感じてもらえれば、
わたしもうれしい。
そんなかんじで、毎日を過ごしています。

では、みなさまお元気で。
あ、それからメール下さった方、
ありがとうございました。

本田美和子

1999-04-19-MON

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