PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙58 水泳1 先生の話

こんにちは。

わたしはもともと体を動かすことが好きなのですが、
運動系のクラブ活動をしたのは
小学校の時の夏だけやってる水泳クラブだけでした。

早朝練習のために早起きするのが嫌だったり
上級生を「先輩」付けで呼んで、
しかも廊下であったら必ず「正しい挨拶」を
しなければいけないのが、どうもなじめなかったり、
というような瑣末な理由が当時のわたしには大問題で、
中学校以降はチームでスポーツをするという経験を
ほとんどしないまま今日に至っています。

というわけで、基本をわりときっちりやった
スポーツは水泳だけです。

ほんの数年間(しかも夏だけ)しか
競技っぽい練習はやらなかったのですが
水泳のことは好きになって、
その後も暇があって、元気もあれば
プールに通うようになりました。

最初に通った大学での体育の授業は
2カ月ごとに決まったスポーツを
順番に回る方式をとっていましたが、
夏は全学生が水泳の授業を取らなければなりませんでした。

この学校には
「本校の学生はすべて、
 50メートル以上泳げなければならない」
という面白い決まりがあって、
授業の中で行なわれる泳力テストで合格しないと、
シーズンスポーツ、という季節毎に行なわれる
やはり必修の科目が自動的に水泳に変更されてしまって、
夏休みを返上して
毎日プールに通わなければいけなくなっていました。

泳げない学生には体育会の水泳部、水球部の人たちが
とても親切に教えてくれていて、
結局みんな最後には泳げるようになっていたみたいでした。

すごく強引な決まりでしたが、
泳ぎを学ぶ機会を得る、
という意味ではいいのかもしれません。

その後通った学校は
体育関係の環境が、それはそれは充実していました。
この学校では、1年を通して
1つのスポーツを続けるというやり方をとっていて、
もうとても昔のことになってしまって
うろ覚えなのですが、
たしか20種類くらいのスポーツの中から
1つ選んでいたような気がします。
しかも、普通の学校では体育はだいたい2年生までなのに、
この学校では
きっちり4年間履修しなければなりませんでした。

この学校の体育にも、基本理念というか
目標が掲げてありました。それは
「生涯楽しめるスポーツを身につけよう」。

競技としてではなく、気分転換と健康のために
楽しんで定期的に続けていけるスポーツを
身につけていこう、
というのがその基本的な考えのようでした。

学生や教員の中には、
国際レベルの競技会に参加するような人たちが
たくさんいて、
たとえば、競泳用の公認プールでは
まるでイルカのようにすごい速さで休みもせずに
がんがん泳いでいるのですが、
そんな選手たちを指導している先生が
一般の学生の授業も担当していました。

最初の時間に先生がしてくれた話は
とても印象的で今でも覚えています。

「この授業で僕がやりたいことは、
 競技会に出る選手を育てるような水泳じゃなくて、
 これから60代や70代になってもずっと続けていける
 レジャーとしての水泳です。」

「だから、体調がすぐれないときには泳いじゃいけないし、
 その体調を自分で見極められるようになってほしい。」

「大切なのは速く泳ぐことじゃなくて
 ゆっくりでもいいから、
 途中で止まらずに泳ぎつづけることです。」

「そのためには
 できるだけ無駄を省いたフォームが疲れないし、
 上手に呼吸ができるようになると、さらに楽になります。
 僕の授業では、そのことについて教えていく予定です。」

「まあ、こういったことを考えながら、
 週に一回楽しい時間をプールで過ごしてください。」

面白い先生だなあ、と思いました。

実際、彼の授業は初日の言葉に忠実に進められ、
わたしは水泳が一層好きになっていきました。

次回からは
その1年間にわたしが教えてもらったことについて
ちょっとご紹介してみようか、と思っています。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2000-08-06-SUN

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