PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙64 ミスを防ぐために3
     Libby Zion その1

    
こんにちは。

1998年の初夏にフィラデルフィアで仕事を始めた時、
4日に1回巡ってくる当直の日は本当に憂鬱でした。

まだよく慣れてなくて要領が悪いので、
朝6時には仕事を始めなければなりません。
当直の日は午前中に
それまで入院している患者さんのお世話をして、
午後から深夜にかけては
ひたすら新しい入院患者さんの話を聞いたり、
診察したり、治療を始めたり、と
慌しく過ぎて行きます。

運が良ければ当直室でちょっと寝て、
翌日も朝6時には仕事始め。
担当の先生と連絡を取ったり、
検査の結果を検討したり、
カンファレンスに出たりしているうちに
夕方5時。

当直以外の日は
夜だけ働くシフトの同僚に
患者さんの引継ぎをして家に帰ります。

家を出てから帰ってくるまで35時間。

日本での生活も似たようなものでした。
慣れてくると
「まあ、こんなものよね。」という感じにはなりますし、
何より手際良くこなせる余裕も出てきます。

また、会社や役所や研究所、
さらには鼠穴で働いている知り合いや友達が
もっと過酷なスケジュールで仕事をしていることも
知っています。

ですから、仕事の内容についての不満は
あまりないのですが、
それでもやっぱり疲れはちょっとたまります。

一方、ニューヨークの病院に勤めている友達は
もう少し違ったシフトで働いています。

当直の日はわたしたちと同様に
患者さんをどんどん入院させるのですが
夜10時ごろになると、
夜のシフトの人に全部任せて帰宅するんだそうです。

「病棟では1日の仕事時間が
 16時間を超えてはいけない」

「救急治療室においては
 1日12時間以上働いてはいけない」

これはニューヨーク州の法律で決められています。
(正確には、もう少し細かく規定されていますが
 骨子はだいたいこんな感じです。)

どうしてニューヨーク州のレジデントは
このような勤務時間の上限が定められているのか。

これは1984年3月のある日、
18歳の女の子Libby Zionが
ニューヨーク州マンハッタン島にある
大きな病院の救急治療室で亡くなったことに起因します。

この日に彼女に起こったこと、
そして、その後彼女のお父さんが起こした行動と
その結果について、
次回はお伝えしようと思います。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2000-10-08-SUN

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