手紙104 レジデントの暮らし・1 戦友
こんにちは。
3年前に
フィラデルフィアで仕事を始めることになった時、
わたしが一番心配だったのは
病院の中でちゃんと働いていけるか、ということでした。
日本でも同じ仕事をしていたので、
仕事の内容については
まあ、なんとかなるか、と思っていたのですが、
病院のシステムや、診断や治療についての考え方など、
日本とは少々異なったアイディアに基づいて
運営されている新しい職場で、
うまくやっていけるかどうか、ということが
わたしの重大な関心事でした。
わたしの心配は、そのまま現実のものとなりました。
アメリカの病院で働いたことのある友達が、
「なんだかヘレン・ケラーになったみたいだった。」
「話せないし、聞こえないし、
みんな字が汚いから、カルテは読めないんだよ。」
「目が見えるだけましだ、と思いながら働いていた。」
と、以前話してくれたときには
「ふーん、そうなの。大変だねえ。」と
気楽に聞いていましたが、
これが自分の問題となると、話は違ってきます。
ああ、これが彼が言っていたことなのね、と
追体験を重ねながらの毎日になりました。
でも、辛いのはわたしだけではありませんでした。
今年レジデントを終えた同期の友達は39人です。
レジデントの1年目が
どんなに辛かったかと語り始めると
もう、誰もとどまるところを知りません。
辛い思い出を共有する戦友のような感じで
レジデント仲間は、基本的には仲良しです。
仕事を始めて間もない頃、
そんな中でもとりわけ親切にしてくれる友達が
何人かできました。
ある日、彼らと食堂でご飯を食べながら話している時に
自分の出身地についての話になりました。
「僕はね、小学校5年生の時に
親と一緒に韓国からアメリカにやってきたんだけど、
英語なんて、全然勉強したことなかったし、
学校も訳わかんなくて、最初は本当に大変だった。」
「ようやくこの国でやっていける、と思ったのは
4年くらい経ってからだったよ。」
「だから、美和子が今大変だってことはよくわかる。
でも、きっと大丈夫だから。
助けが要るときにはいつでも言ってね。」
内科のレジデンシーは3年間ですから、
慣れる間に
レジデンシーは終わってしまう計算になってしまいますが、
ともかく、彼の優しさは心に染みました。
39人の同期のうち
米国の医学部を卒業していないのは
わたしだけでしたが、
およそ4分の1は外国生まれでした。
程度の差はあれ、みんなそれぞれ
異なる文化へ馴染む過程を経てきているんだな、と思うと
自分が今困っているのも
仕方のないことなんだ、と考えることができましたし、
そうすれば、気分も多少晴れました。
このような友達と過ごすことのできた3年間は
とても思い出深いものとなりました。
そして、ここで働く機会を得たことを
心から感謝しています。
では、今日はこの辺で。
みなさまどうぞお元気で。
本田美和子
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