PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
フィラデルフィアの病院からの手紙。

手紙111 レジデントの暮らし・8 花火

こんにちは。

レジデントの3年間が終わり、
フィラデルフィアを離れることになりました。

6月の最後の週まで仕事があったので、
引越しは本当に慌しく、
たくさんの友達に助けてもらいました。

どうにか荷物も運び出して、部屋の掃除も終えたのは
6月の最後の土曜日でした。

わたしが住んでいた部屋は東向きで、
窓の向こうには、大きな河と
対岸のニュージャージー州の水族館が見えました。

わたしは花火を見るのが好きで、
日本にいる時から、いろいろなところで花火を見ました。

房総の病院で働いていた時には
海岸で寝転びながら、
自分の真上に上がる花火を
降ってくる灰とともに見る、という
とてもワイルドな楽しみ方を知りましたし、
大阪で、飛行機の窓から
花火を真下に見たこともありました。

日本の花火大会は、だいたい夏が多いですが、
アメリカの花火に季節はありません。

祝日や、お正月、クリスマス、といった
みんなが知っている日はもちろん、
なぜだかよくわからないけど、
花火が上がる、ということも時々ありました。

フィラデルフィアの花火は、
ペンズ・ランディングと呼ばれる川岸で
上がることが多かったのですが、
そこは、わたしのアパートの正面でした。

ですから、花火がある日はいつも
電気を消して、
真向かいに広がる花火を独り占めの気分で
楽しむことができました。

アメリカの独立記念日は7月の4日ですが、
その前後はいろいろなところで
花火が上がります。

わたしがフィラデルフィアのアパートで過ごした最後の夜は
ペンズ・ランディングでの花火大会の日でした。

すべての荷物を運び出したがらんとした部屋で
仲のよい友達と3人、
電気を消した暗闇の中、
最後まで残っていたワインを開けて
当直の時、いつも取っていた出前のピザを食べながら、
目の前に上がる花火を楽しみました。

暗闇の中で、花火を眺めていると
本当に3年間が終わったんだなあという気分が
じわっと湧いてきて、
こういう気持ちのことを
「区切りをつける」というのかもしれないと思いました。

ほぼ日で、このスペースを頂くようになってすぐの頃、
「2001年の6月までは
 フィラデルフィアにいる予定ですが、
 その後は未定です」と書いたことがありました。

最近は、そのことを覚えてくださっていた方々から、
「今後はどうするの?」という
メールを頂くこともありました。

実は、アメリカでの最後の1年を
ニューヨークで過ごすことになり、7月に引越しました。

今度の病院はニューヨーク・マンハッタン島の
アッパーイーストと呼ばれる東の端にあって、
ここで1年間の予定で
老人科という部門で働くことになりました。

ご報告が遅くなって、すみませんでした。

ですから、次回からは
フィラデルフィアの病院からではなくて、
ニューヨークの病院からの手紙、としてくださるよう、
糸井さんにお願いしておきます。

では、みなさまどうぞお元気で。

本田美和子

2001-08-12-SUN

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