手紙113 ニューヨーク家探し・1 病院宿舎
こんにちは。
今の仕事が決まったのは
去年の秋の終わりごろでした。
「どこに行くことになった?」と
聞いてくれた友達に病院の名前を言うと、
誰もが口を揃えて
「よかったね。あそこはすごくいい職員宿舎があるしね」と
教えてくれました。
わたしはこの大学や病院については
あまりよく知りませんでした。
そこに決めた理由は、
面接に呼んでくれたいくつかの病院の中で
最初に、「来ませんか?」と
声をかけてくれたから、というだけでした。
宿舎のほかに、誉めるところはないのか?と
ちょっと妙な気もしましたが、
ともかく、歴史のある大学病院だし、
老人科、というわりと新しい分野で
まとまった経験ができる、というのは
面白そうだったので、
プログラムが始まるのを楽しみに待っていました。
プログラム・ディレクターに
「行きます。よろしくお願いします」と
連絡してから数日後、
山のような書類が送られてきました。
その中には
名高い職員宿舎への申込書もありました。
確かに、いい感じです。
病院のある、アッパーイーストと呼ばれる地域は
こざっぱりとした、住みやすいところで
家賃も他の地域と比べると少々高めです。
地域の相場からすると、
およそ半額から7割程度の宿舎の家賃は
とても魅力的でしたし、
何しろ病院の向かいにあるので
通勤時間は2分です。
さっそく申込書を書いて、
去年の11月までには
すべての手続きを終えました。
フィラデルフィアでの仕事も
終わりに近づいてきていた5月の始めに、
そろそろ引越しのことも考えなくちゃね、と思い
大学の宿舎のオフィスに電話をしてみました。
「入居予定日の2週間くらい前にならないと
詳しいことはわからないから、
その頃もう一度連絡してくれる?」
と受付の人は、明るく、しかもきっぱりと言いました。
入居予定日というのは6月の末でしたから、
少なくとも6月の上旬までは
連絡をしてくれるな、という返事に
「大丈夫なのか?」
とちょっと心配になりましたが、
とにかく、向こうの言うことを聞くしかありませんから
おとなしく待つことにしました。
年度末でいよいよ慌しくなってきた6月の始めに
再び電話をかけました。
「あのね、まだどの部屋が空くのか
リストができていないんです。
あと、10日くらいしたらできると思うから
その頃もう一度連絡をくれる?」
この宿舎は主に、レジデントと、
レジデントを終えた後も
専門医になるためのトレーニングを続けるフェロー
(わたしはこのフェローとして働いています)
のためのものです。
病院の暦は7月から始まるので、
6月の終わりにレジデントや、フェローは
総入替えになります。
誰が出て行って、
誰が新しくやって来るのか、ということは
とっくの昔にわかっていることです。
しかも、わたしたちは半年以上も前から
部屋を申し込んでいるのに、
まだ、リストすら作っていない、という返事に
だんだん不安が募ってきました。
もしかしたら、わたしの交渉技術が足りないのか、と
心配になってきて、
同じ病院で働くことが決まっていた
チーフレジデントの男の子に
彼の事情を聞いてみました。
彼は、チーフに選ばれるくらいですから
いつも冷静沈着で
何事もクールにこなすタイプです。
「僕も、まだって言われたよ。
ちょっとやばいね。もうすぐ始まるのに」
彼が交渉してもだめだったのなら、
本当に待ちつづけるしかなさそうです。
6月も半ばを過ぎたころ、
催促の電話をしてみました。
「今、新しいレジデントの調整をしているところで、
フェローについては、その後になります。
あと10日くらい待ってもらえますか。
あ、それから、希望者がとても多いので
秋の終わりごろまで入居ができない可能性もあります。
もし、待てないようだったら、
自分でアパートを探してください」
厳格なヒエラルキーの下に運営されている
アメリカの病院の底辺で働くレジデントが、
その仕事の忙しさゆえに
フェローに優先して入居する、というのは
ごく、当然のことです。
レジデントの事情については
そりゃあしょうがないよね、と思いましたが、
秋まで入れないかもしれない、なんて初耳です。
6月の終わりどころか
秋の終わりまで待つかも、
などというむちゃくちゃな予定を
仕事が始まる直前にいきなり聞かされたわたしは
途方にくれてしまいました。
では、今日はこの辺で。
みなさまどうぞお元気で。
本田美和子
|