手紙114 テロ。
こんにちは。
さっき、帰って来ました。
火曜日の夜は
アパート探しの続きを書こう、と
先週からずっと思っていたのですが、
ちょっとそれどころではない感じです。
今日は、今朝から起こったことを
ざっとお知らせする回にさせてください。
今日はとてもいい天気でした。
気持ちいいねえ、と思いながら支度をして
いつも通り、朝8時には入院棟へでかけて
患者さんの回診を始めました。
患者さんの部屋にはそれぞれテレビがあって、
たいてい朝のニュース番組がついています。
ある患者さんの部屋に入った時、
番組が、臨時のニュースに切り替わっていました。
世界貿易センタービルに
飛行機が突っ込んで、燃えている、と
ニュースは告げていました。
世界貿易センターというのは
マンハッタンの南の端にあって、
ウォール街を背にした
金融機関がたくさん集まっているビルらしいのですが、
それよりも
とても高い、110階建てのツインタワーで
上の階からの眺めが素晴らしいことで有名です。
その時は、まだわたしたちも呑気に考えていて
「観光用の遊覧飛行機が
突風か何かに巻き込まれたんじゃないの」
などと言っていたのですが、
そのうち、2機目がもう一方のビルに突っ込んで行く様子が
生中継で放送されました。
しかも、これらの飛行機は
ハイジャックされたものだったこと、
ニューヨークだけではなく、
ワシントンでも同様の事故が起こり、
おそらく第3の事故へ向けて飛行していたのだろう
と思われる飛行機が
ペンシルベニア州ピッツバーグの郊外で
墜落したこと、などが刻々と明らかになりました。
誰かが周到に計画して遂行されたテロ。
病院の中が慌しくなりました。
各病棟では、患者さんのリストが見なおされ
退院できるひと、
ERをもたない隣接の病院へ搬送が可能なひとなどが
あっという間にリストアップされました。
こうして空いた一般病棟のベッドの一部には
現在集中治療室にいて、
状態が落ち着いている患者さんたちが移されました。
集中治療室のベッドも、準備OKです。
今日行なわれるはずだった予定の手術も、
緊急のもの以外は、すべてキャンセルです。
すべての手術室は、
事故に巻き込まれた人びとのために
待機することになりました。
献血を呼びかける張り紙が
病院じゅうに張り出され、
ERには、たくさんの医師や看護スタッフが集まり
点滴などの準備をしています。
最初の事故が起きてから
2時間あまりの間に、
これだけのことが、
あまり混乱もなく整然と準備されたことに
わたしは本当に驚きました。
まるで、こんな事故が起こることを
知っていたみたいに。
これが、危機管理の実践なんだなあ、と
目の当たりにして、しみじみ感心しました。
今これを書いているのは
火曜日の夜7時です。
日本は水曜朝の8時ですよね(ちょっと自信がない)。
現時点で、このテロを起こしたのが誰なのかは
確定されていません。
ですから、わたしたちが
昼間に病院にいたときも、この攻撃が
誰によって何のために起こされたものなのか
わかりませんでした。
この不安な気持ちは、
わたしが研修医の2年目の時に遭った
東京で起きた地下鉄サリン事件の時と同じだ、
ということに気がついて
わたしは、胸がきゅんとなりました。
当時、わたしは事件が起きた大手町からは
少し離れた病院で働いていました。
被害に遭った方々は
まず近くの病院へ運ばれたのですが、
その数がふくれあがるにつれて
運び込まれる病院も増えていきました。
3次救急(とても重症な患者さんを診る救急)を
手がけている病院として、
わたしが働いていた病院にも
次々に患者さんが運ばれてきていました。
瞳孔が小さく縮んで、
「今日は外が暗い」という方がたくさんいました。
あの日は、本当にいい天気だったのに。
瞳孔が縮んでいる、とか
呼吸に障害がでている、といった
症状についての情報はだんだん集まってきましたが、
地下鉄でまかれた物質が一体なんだったのか、ということが
わからなくて、病院内は大混乱でした。
ともかく、必要な応急処置を始めた時の不安な気持ちが
今日、久しぶりによみがえってきました。
相手のわからない恐怖、というのは
本当につらいです。
内科のわたしたちができることは
限られていそうだったので、
ともかく、自分たちの仕事をやらなきゃね、ということで
予定されていた往診へ出かけました。
テロとは関係なく、病気の人は病気です。
街ヘ出ると、通りは人であふれていました。
みんな黙々と北へ向かって歩いています。
南の街にある会社は
ほとんど閉鎖されてしまっていて、
早めに帰宅する人たちでした。
南の空にはもくもくと灰色の煙が上がっています。
マンハッタン島に向かう
橋やトンネルはすべて閉鎖されました。
地下鉄は止まっている、という話をききました。
かろうじてバスは走っていましたが、
非常事態宣言のもと、料金はただでした。
マンハッタン島とクィーンズ島を結ぶ橋の上には
たくさんの人たちが
徒歩で渡って行くのが見えました。
いつもは大渋滞の大通りの車の数も
うんと少なくて、
救急車や警察の車、装甲車が時折通って行きました。
患者さんの家に向かう途中、
突然頭上にジェット機の音が近づいてきました。
現在、米国内の全ての飛行機は
飛行を停止しているはずです。
思わず、身をすくめて見上げると
(たぶん)米国空軍の戦闘機でした。
すごい爆音を残して、飛び去って行きましたが、
飛んでいる飛行機を見て
怖いと思ったのは、初めてでした。
なんだか、シリアスな話ばかりになってしまいましたが、
そんな街の中、
レストランで食事を取っている人たちも
たくさんいましたし、
おしゃれなお店やスーパーマーケットも
いつもと同じように営業していました。
日常と、非日常が交錯した
忘れがたい一日になりました。
家へ帰ってみたら、
思いがけなく、たくさんのメールが届いていました。
心配してくださって、本当にありがとうございます。
わたしのことを
気遣ってくださる言葉が
とても、とてもうれしかったです。
ありがとうございました。
わたしは元気です。
本田美和子
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