手紙171 医療制度のしくみ・8
保険会社にかかってきた電話
こんにちは。
フィラデルフィアで
医療保険会社に実習に行ったときのことを
ご紹介していますが、今日はその続きです。
米国での医療保険制度について
その歴史や、基本的な考えについて学んだ後、
わたしたちは、
その保険会社で働いている医師と一緒に
過ごすことになりました。
これまで、米国の臨床医としか接することのなかった
わたしにとって、
これは、とても新しい経験となりました。
わたしが配属された医師のオフィスは
高層ビルの上位階にあって、
フィラデルフィアの街並みが眼下に広がっていました。
数年前までは
癌を専門とする内科医として働いていた、というその医師は
とてもおだやかな、感じのいい方で、
わたしも楽しく話を聞いていました。
そんな話の途中に、
彼の机の電話が鳴りました。
それは、保険の契約者から問い合わせの電話でした。
「ちょっと待っていてね。
話の続きは、この電話をすませてから。」
彼はそう言うと、
秘書に電話をつなぐように命じて、
電話をかけてきた、保険の契約者と話し始めました。
「・・・、ええ、おっしゃることはよくわかります。
しかし、あなたが加入していらっしゃる保険では、
年に5回までは病院に通うことができますが、
それ以上は
わたしたちはその費用を
負担することはできないんです。」
わたしは、電話を邪魔しないように
おとなしく雑誌を読んでいたのですが、
思わず聞き耳をたててしまいました。
「・・・、そうですね。膝が痛いのが辛いのは
わたしも医師ですから、よくわかります。
しかし、非常に残念なことですが、
あなたのお選びになったプランでは
専門医を受診する回数に限度があって、
もうすでにあなたはその数を
使い切ってしまっているのです。」
「わたしたちの保険は
契約を結んだ内容に沿って保険金を支払っています。」
「ですから、最初の契約にあったこと以外のものに対して
お支払いをすることはできないんです。
残念ながら。」
「もちろん、現在の保険のプランから、
新しいプランに変更すれば
より広い医療保障を受けることができます。」
「・・・、ええ、そうです。
受診回数に制限のないプランでは
月々の保険料の支払い額も上がります。」
「・・・、はい。
では、どうぞよくお考えになってみてください。
お返事をお待ちしています。」
電話を切った先生は、
「話の内容はだいたいわかったと思うけど」と前置きして
今の電話の事情を説明してくださいました。
「もちろん、
体の調子が悪い人が、医学的に必要なときには、
専門家に診てもらう機会を
確保しなければいけないのだけれど、
もし、患者さんが自分の好きなだけ、たとえば毎週、
もしかしたらその必要もないのに、医師に会いに行けば、
もう、医療費は天井知らずになってしまうでしょう。」
「もちろん、医師が本当に必要だという手紙を添えれば
例外的に保険金を払う制度もあるのだけど、
それも、それほど多く認められるわけではないしね。」
「ぼくたちの会社は他の保険会社と競争しているわけで、
利益を確保することも、とても大切なんです。」
「だから、患者さんにこんなことを言うのは、
本当に嫌なんだけど、
誰かがやらなきゃいけなくて、
そして、これがぼくの仕事の一つなんですよ。」
つまり、
電話をかけてきたおばあさんは、
わたしが一晩かけて読んでも、うまく理解できなかった
医療保険の各プランの説明書をもう一度読み直して、
新しい保険に変更するか、
もしくは、これ以上整形外科へ行くのをあきらめるか、の
どちらかを選ばなければいけない、というわけです。
公的な医療保険制度の整った国で育ったわたしは、
米国の医療保険制度については
頭では理解していたつもりでした。
でも、自分で保険会社と交渉しなければ
医療機関への道すら断たれかねない、という事実を前に
何だか沈んだ気持ちになってしまって、
その日は家へ帰りました。
では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。
本田美和子
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