PHILADELPHIA
お医者さんと患者さん。
「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。

手紙190 日本のHIV
40代・母親
1)わたしの病気と、わたしの家族について



こんにちは。

前回までは
世界保健機関WHOの援助を受けて
HIV対策に成功した途上国のひとつとして
タイのことをご紹介してきました。

WHOが・・・とか、国連が・・・とか、
途上国が・・・、というような話になるときに、
いつも心配なのは
『これは、遠い、遠いところのお話で、
 わたしたちの普通の生活との接点はあまりないですよ』
という感じで受け取られやすくなってしまうことです。

でも、少なくとも、HIV感染症に関しては
遠い話ではありません。

前回申し上げたように
「自分の病気の経験をお話しすることで、
日本のHIV感染について役に立つことがあれば、
ぜひ、話をしたい」と
おっしゃってくださる方が、
わたしの外来には何人もいらっしゃいます。

その中のお一人にお願いして、
ご自分のことをお話ししていただきました。
今回から数回に分けて、ご紹介していこうと思います。

わたしは40代の母親です。
10年以上、フルタイムの仕事をしています。
家族は夫と二人の息子です。

2003年の夏に
わたしはHIVに感染していることがわかりました。
まったく思いもよらない出来事に、
気が動転してしまいましたが、
その後に明らかになった事実には、
もっとうろたえることになりました。

わたしだけではなく、わたしの夫も
そして、小学生の息子も
HIVに感染していることがわかったのです。

息子の感染は、
妊娠・出産・授乳のいずれかの時点で
母親のわたしからうつったのだろうと
主治医の本田先生から告げられたときには
診察室で、泣き出してしまいました。

初めて先生の外来に来たとき、
わたしの体の中にはHIVのウィルスがたくさんいて
体の抵抗力は、とても落ちていたそうです。
その話を聞いたときには
「もう、わたしは死ぬんだな」と思いました。

でも、そうじゃない、ということを
先生は、何度も何度も話してくれて、
わたしはHIVの治療を始めることになりました。

2003年の11月からHIVの治療薬を飲み始めました。
そして、今日まで毎日薬を飲み続けています。
わたしの体調はとてもよくなって、
10キロ減った体重も、以前の体重に戻りました。
体の抵抗力も徐々に戻ってきています。
HIVのウィルスも
数えられないくらいに少なくなっています。
仕事も、まったく問題なく続けています。

もう、死ぬことを具体的な問題として
考えることもなくなりました。

夫は、まだHIVの治療を始める必要もないくらい
体の抵抗力が残っていて、
3ヶ月に一回くらい
外来に来て検査を受けるだけの状態です。

2番目の息子は
つい最近、HIVの治療薬を飲み始めました。
まだ10代前半の息子のことを考えると
今でも涙が出るほど辛いです。
息子をできる限り守ることが
親のつとめだと思いながら暮らしています。

今回、本田先生から
わたしの経験を話して欲しい、と頼まれたとき
もし、わたしの経験が本当に役に立つのなら
ぜひ使って欲しい、と思いました。

HIVの感染がわかる前のこと、
わかったときのこと、
家族のこと、
職場での出来事や
同年代のお母さん方にお伝えしたいことなどを
お話ししようと思います。



では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2006-04-21-FRI

BACK
戻る