お医者さんと患者さん。 「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。 |
手紙202 日本のHIV 40代・会社員 3)「暗転」にはならなかった人生 こんにちは。 今週のほぼ日では、 HIVの本を一緒につくった 朝日出版社の鈴木久仁子さんが、 「担当編集者は知っている。」で この本についての彼女の経験を書いてくれました。 もしよろしければ、 こちらもどうぞご覧になってみてください。 さて、今日は 会社員・40代男性のお話の最終回です。 今回は HIVの治療を始めることになった前後のことを 話してくださいました。 3)「暗転」にはならなかった人生 さらなる検査や 社会的な支援を得るための手続きを経て、 実際に治療薬を手にしたのは 初めて検査の為に病院に赴いた日から 1ヶ月半くらい後のことでした。 ちょっと大きめの3種類の錠剤を眺めながら、 「これが僕の命を救ってくれる薬かあ・・・」 と呟いてみた私に、 「ダメダメ、悲劇のヒロインぶってちゃ!」 と即座に突っ込めるくらい、 そのころには私のパートナーも元気になっていました。 「1ヶ月に3回飲み忘れると耐性ウィルスが生まれて、 その薬は効かなくなる。」という、 先生の恐ろしい警告が 最初はずっしり肩にのしかかりましたが、 案ずるより生むが易し。 実際、服薬を始めてみると、 もともと几帳面(!?)な私の性格も手伝って、 服薬は100%維持できています。 そう言えば、家のローンを借りた時もこんな感じでした。 30年もの長い間、 毎月欠かさず返済し続けることができるだろうか? 返せなくなった時には、家を失い路頭に迷うのか? そのリスクは今でも決して消えたわけではないけれど、 かれこれ10年、ローンは無事返せている。 不安は、日常の中でいつか忘れているものです・・・ 月に1回、先生に会いに行くたびに、 順調にCD4は上昇し、 ウィルス量はケタ単位で減っていきます。 毎月、エクセルのグラフに数値を打ち込むのが 楽しみになるくらいです。 仕事も以前通り続けています。 相変わらず残業も多いですが、体調は良好です。 出張の時は、 名刺より先にまず「薬」を忘れていないか 確認する必要はありますが、 出張先で食べるおいしい御馳走に制約はありません! 1995年にみたある映画では、 服薬をしながらも副作用に苦しみ、 最後は痩せ細って死んでいく若者が描かれていました。 看護師さんも 「つい3、4年前までは、こんなでかい薬を大量に 1日に何回も飲んでいたんですよ。」 と見せてくれました。 医療の世界でも、 こと、この分野の進歩のスピード感には 目を見張るものがあるそうです。 止まっているのは、 (つい数カ月前までの自分がそうであったように) この病気に対する人々の認識の方です。 私が、愚かにも踏み込んでしまった 「HIVポジティブ」という世界ですが、 そこには全く想像もしなかった程の サポート体勢が出来上がっていました。 豊富な知識を持つ本当に信頼できるお医者さんたち、 優れた新薬や効果的な処方に関する多くの知見、 生活周りや社会支援に関して 実用的なアドバイスを 丁寧にしてくださる看護師さんたち、 様々なわかりやすい小冊子やマニュアル、 個人のプライバシーを守る様々な工夫、 そして健康保険や自治体の物理的・金銭的支援・・・ 貧しい国々の、悲惨な状況を聞くにつけても、 つくづくこの日本という国に生まれたことが、 また、治療方法が進歩した今この時代に 感染が判明したことが、 本当に幸せだったと感謝するばかりです。 かくして、私の人生は「暗転」しませんでした。 会社を辞めたり、ましてや家を手放す必要もなく、 不思議なほど以前通りの生活を続けています。 食べるため、治療を続けるため、 そして住宅ローンを返すため(!)にも、 働き続ける日々に変化はありませんでした。 どうやら、甘えたことは言っていられないのです! あの日、不安に追い詰められた結果ではありましたが、 思い切って検査に行って本当によかったと思います。 今から思えばもっと気軽に足を踏み出してみてもよかった。 悩んでいるより、 前向きになれる世界がそこにはありました。 そして何より、 思いも寄らず、先生と看護師さんという 強力な人生の味方に出会えたことも、 とても大きな収穫であったと感謝しているのです。 文中にもあるように、 この方は、今とてもお元気にご活躍になっています。 HIVの治療はすごくうまくいっていて、 治療を始めて3ヶ月目には 血の中のHIVのウィルスの量は 数えることができないほど少なくなりました。 大成功です。 また、免疫の力の指標となるリンパ球の数 (これをCD4と呼んでいます)も 一番少なかったときと比べると倍以上になりました。 HIV感染がわかったのは、去年の12月のことでした。 治療を始めたのは今年の1月です。 今は、もう、毎月通院する必要もなく、 2、3ヶ月に一度受診していただければ大丈夫、 というところまでになりました。 ご自分で、「検査を受けよう」、と思い立ったことで 治療を始めるタイミングを逃さなかったのが、 この方の場合、本当に幸運なことでした。 毎回のタイトル 1)不安から目をそらしてきた日々 2)検査に出かける〜人生の転機 3)「暗転」にはならなかった人生 は、ご本人がつけてくれたものです。 その時々のお気持ちが手に取るようにわかる、 とても良い題名だな、と思いながら 毎回のお話をご紹介してきました。 HIVに感染した人を対象とした社会的な支援については また機会を改めてご紹介いたします。 この方がおっしゃるように、 日本では、すでに十分な制度が確立しています。 では、今日はこの辺で。 次回は、北海道教育大学の学生さんたちに 話をする機会をもったときのことを ご紹介しようと思います。 みなさま、どうぞお元気で。 本田美和子 |
2006-06-30-FRI
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