お医者さんと患者さん。 「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。 |
手紙238 日本のHIV 世界初のHIV治療薬を生み出した日本人 満屋裕明先生(2) こんにちは。 前回は 世界で初めてのHIV治療薬・AZTを開発し、 その後もHIV治療薬の分野の最前線で ご活躍中の満屋裕明先生のことを ご紹介いたしました。 今日は、その続きです。 10年ほど前に わたしは、米国の病院で働くための 採用面接を受けるために 米国東海岸の街にいました。 ちょうど開かれていた 米国のエイズ学会のために 日本から出張に来ていた上司に連れられて、 ワシントンDCで わたしは満屋先生に 初めてお目にかかることになりました。 満屋先生は とても穏やかに わたしたちを迎えてくださり、 ご自宅に招いてくださいました。 不勉強なわたしは、その時に初めて AZTの開発者が 満屋先生であることを知って とても驚いたのですが、 先生は、そんな超初心者のわたしにも 開発に関する思い出を たくさん話してくださいました。 お話しくださったいろいろなエピソードは どれも、とても面白く わたしたちは先生のお話に 聞き入ってしまいました。 ここでは、その時のことから まずご紹介しようと思っていたのですが、 なにしろだいぶ昔のことで 記憶違いもあるかもしれないと思い、 今月先生にお目にかかったときに 「あのー、先生、 あのときお話しくださったことを このように覚えているのですが、 間違いないでしょうか」と 確認してみました。 先生は、 「その通りで間違いないですよ」と おっしゃるとともに、 「あのとき話してないこともあるから、 今度まとめてメールで送ります」 と思いがけなくうれしいことを おっしゃってくださいました。 後日届いたメールは ご本人しか生み出せない迫力に満ちていて、 内容をわたしが要約するのでは この魅力をお伝えすることができないと 思えました。 先生にお許しいただいたので、 いただいたメールを そのままご紹介したいと思います。 前置きが長くなりすぎました。 先生のメールの紹介は 次回にいたします。 では、今日はこの辺で。 みなさま、どうぞお元気で。 本田美和子 |
2007-09-28-FRI
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