PHILADELPHIA
お医者さんと患者さん。
「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。

手紙247 大貫妙子さんとHIV(1)
患者さんの手記を
朗読することになったきっかけ。


こんにちは。
前回、大貫妙子さんが
東京FMのHIVについての番組に
ご出演になったことをご紹介しました。

その後、みんなで行った食事の席で
わたしは大貫さんの向かいに座りました。

凛とした雰囲気はそのままに
とても穏やかで暖かくお話しになるご様子に
わたしはすっかり魅了されていたのですが、
このようなイベントにご参加になるのだから
HIVについてのお考えを
うかがってみてはどうだろうか、と
ふと思いつきました。

「もしよろしければ
 糸井さんのやっていらっしゃるサイトで
 大貫さんのお話を
 ご紹介させていただけませんか?」

おそるおそる伺ったのですが、
大貫さんは
「もちろん、いいわよ」とおっしゃって、
今月のはじめに時間を取ってくださいました。

夢のようだ、と思いながら当日を迎え
わたしは大貫さんから
2時間半、いろいろなお話を伺いました。

今日から10回に分けて
大貫さんのお話をご紹介いたします。

本田 今日はどうもありがとうございます。
先日の東京FMのイベントで
HIV感染者の手記を
凛とした雰囲気でお読みになったのが
とても印象的ですばらしかったので、
ぜひお話を伺いたいと思っていました。
どうぞよろしくお願いします。

まず、今回の朗読をお引き受けになったのは
どういったいきさつからなんですか?
大貫 番組のプロデューサーである
延江浩さんとは、旧知の仲でしたし。
彼がディレクターとしてデビューした
何十年も前に
いちばん最初の彼の仕事の
ディスクジョッキーを
わたしに頼んでくれたのがきっかけでしたが。

わたしが仕事で
アマゾンやガラパゴスに行ったときも
途中で来て、
そうめんを差し入れてくれたりして。
仕事とは関係なく、
食事に行ったり飲みに行ったり。
仲が良いいっていうことですね(笑)。

ですから
できる限り協力して差し上げたいと思っていて、
お引き受けしたんです。
本田 今回の朗読会の前に
大貫さんはHIVについて
何か身近なご経験などを
お持ちでいらっしゃったのですか?
大貫 経験というより、
それがどういうものであるかは知っていました。
また実際に知人の中にもいましたし。
また、HIV感染が
社会の中で静かに広がりつつあることも
わかっていました。
本田 じゃあ、最初にHIVが身近になったときには、
治療薬もまだあまりないころなんですね。
1980年代のおわりから90年代のはじめくらいの。
大貫 そうですね。
ですから、当時は残念なことに
亡くなってしまう方もいらっしゃいました。

それから、血友病の方で川田龍平くん。
彼は坂本さん(註・坂本龍一さん)などとも
交流があって、
龍平君のことを応援しようという
会もありました。
龍平くんは坂本さんのコンサート楽屋にも
顔を出していましたし。
今は国会議員にまでなってしまって。
本田 では、彼がまだ学生の頃から
ご存知でいらっしゃるのですね。
大貫 ご存知というより、面識はありました。
川田くんはほんとにがっちりしてきましたね、
最近。
本田 わたしは
彼がご病気と共に
生活していらっしゃるのと同時に
一人の社会人として、政治家として
多方面でご活躍になっていらっしゃる姿が
多くの方々の目に触れているというのは、
この病気について理解を得るうえでも
とても良いなあと思っています。
大貫 わたしもそう思います。
大変な病気をかかえながらも
世の中を動かしていく人の
ひとりだと思っています。

冒頭に話題になった延江浩さんは
東京FMのプロデューサーで、
穏やかな、とても素敵な方です。

当日大貫さんから伺うまで
知らなかったのですが、
延江さんは作家としてもご活躍で
小説現代新人賞の受賞歴もお持ちです。

今回、延江さんのご紹介で
大貫さんにお目にかかることができ
こんなに長いインタビューが実現しました。
本当に感謝しています。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2008-01-25-FRI

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