ここ奈良県北葛城郡広陵町は靴下の日本有数の産地で、
「杉田利一靴下工場」も50年、ずっと有名ブランドの靴下を
企画、生産してきたそうです。
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有名ブランドのメーカーからの依頼を受け、
「なにか特徴のある靴下を」と言われて
企画を提案しても、最終的には、
「とにかく短時間でたくさん数がつくれて、
金額が安いものがいい」
と言われることが、よくあったそう。
受注する量産品は、
仕様書通りの仕上がりが求められるから、
たとえば、靴下の左右の長さが
少し違うだけで不良品になります。
洗って乾かすとくしゃっとするから、
形がそろいにくい。
だから洗わないで最後にプレスして
左右ピッタリになるまで熱で伸ばす。
そんな作り方を、せざるをえませんでした。
「一所懸命、編んだ靴下が、
ちょっとの大きさの違いで不良品と呼ばれて、
あとは切って捨てるだけって、かわいそうで。
編み地にムリをかけてまで、
やらなくてもいいのになあって」
田中さんはずっとそう思っていたそうです。
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そういうふうにできあがった靴下には、
つくり手から見ても、魅力はないなあと感じていたそうです。
「わあ! どれをはこうかな?」
と思えるものが、できなかった。
「自分たちがつくったのに、
なんだか愛情が持てないと思いました」
けれども、価格競争をしないと生き残れない。
価格が安くなっていく分、
たくさんつくらないといけなくて、
ますます、自分たちの想いと
ギャップのあるものをつくることになります。
「だから、靴下工場で靴下をつくっている私たちが
本当にはきたいと思える靴下をつくりたい、
みなさんに誇れる靴下をつくりたいと、
ずっと思っていました」
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杉田さんとふたり、
「こういうの、いいよね」
「自分なら、こうするなあ」と話をしていても、
毎日、仕事に追われ、
忙しさにかまけてしまいます。
糸も編み方もかたちも、
具体的なことは、なにも決まらないまま、
「つくりたい」気持ちだけがつのっていきました。
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ある日、たまたま、杉田さんが新聞で
「奈良ブランド募集」という記事を見つけます。
「『応募してみない?』って、私に見せたんです。
それは県主催の奈良ブランド開発支援事業の公募で、
もちろん期限がありました。
それまで『やりたいな、やりたいな』で終わっていたのが、
期限があることで、発奮しました。
『とにかく、どんなものかわからないけど、
自分たちのオリジナルがひとつできるんや!』
と、参加することにしました」
頼まれた仕事ではなくて、
自分たちでやろうと決めた仕事は、
「なんでもできるし!」みたいな気持ちがわいてきて、
そのことがすごく大きいと思ったそうです。
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