まるでハガキのように。 |
◆「まるでハガキのように」によせられた 「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。 |
●ジャイアン 2年生のときに、近所のワルガキあんちゃんに 女のアソコにおしっこをかけると赤ちゃんができるんだぜ! と言うことを聞き、妹が欲しかった私は、 お風呂でお母さんのアソコにおしっこをかけました。 殴られ、鼻血を出し、庭の柿の木に 素っ裸でしばられました。 ● ゆけしゃん 小学6年生のころの頃。 友人と深夜に自転車で海岸に行ったそれだけでも 大冒険だった。が面白いものを見つけた。 子豚の死骸が浜に打ち上げられていた。 近くにあった棒で頭を打った。 「ゴフ」と音がした。 いいものを見つけたと思って 町まで自転車のカゴに入れて帰った。 そして夜中の3時ごろに喜ぶと思って 別の友だちの家の玄関の前に「ゴフ」を置いて帰った。 その後 話題にも出ず僕は忘れた。 今になって思うとヒドイいやがらせのようだ。 たかちゃんごめんね。 ● おーしま 小学2、3年のころ、同じクラスに、 いかにもお勉強がよくできます、という感じの 7・3分けの少年がいました。 ある日の授業中、彼は、何を思ったか 消しゴムを小さくちぎっては鼻の穴に入れ、 「ふんっっ」と飛ばして遊んでおりました。 しかしそのうち、そのかけらの一つが 出てこなくなったらしく、 指を突っ込んで取ろうとしたのですが余計に奥へ……。 結局、泣いて、先生に怒られながら 保健室でピンセットで取ってもらってました。 ● 小学1年のこと。 お気に入りだった男の子に 「私は○○君のこと好きだけど、○○君は私のこと好き?」 となかば脅迫のように訊ね「好き」と言わせた。 嬉しさのあまり、家に帰って両親に報告した。 「○○君が私のこと好きで、私も好きなんだけど、 二人は愛し合ってるっていうのかなぁ」。 今思い出しても恥ずかしい。 ● yhu 物を持っている女の子の「おかして?」 (持っている物をここに置いていい?の意) にドキドキ。 ● 平野@川崎 多分4つ位の頃、ちょっとした力仕事を軽くこなした父を 「わぁ〜、お父さんすごい“馬鹿力”!」 と心から賞賛したところ 「親に向かって馬鹿とは何事だー!」 とすさまじい勢いでしかられました。 とにかく覚えた言葉を使いたがった私も間抜けですが それに本気で怒鳴る父もいかがなものかと今は思います。 ● ともとも 3歳のころ、2つ年上の兄と、その友だちと遊んでいて、 「おまえはまだ3歳だから(これは触っちゃ駄目)」と 「おまえはもう3歳だから(この仕事をしろ)」 とを使い分けられて、(なんか変だな)と思いながらも 気づかなかった……なんてのは みんなお持ちの体験でしょうか。 ● CAORI 子どものとき図鑑を見て、地球の中味には 核という熱いとこものがあるのだということを知り、 核爆弾は深〜い穴を掘って、これをとってきて 爆弾にするものだと思っていました。 う〜ん、今考えても、どうしてそうなったのか わからない・・・。 ● 11号 崖や屋根など高いところをだーっと走っていって、 地面が途切れたところで、空中を何歩か走り、 「は?」となって、ひゅーと落ちる、というマンガを見て、 本当に、「空中で何歩か走り、<は?>」とできるのか、 屋根で実験して、怪我をした友人がいます。 あとで「少し勢いが足りなかった」とか言っていました。 ●ようこうよ 子どもの頃というか、つい数年前まで 「カニかま(ぼこ)」がホンモノのカニだと思っていた。 |
1999-12-21-TUE
●あなかしこ なぜかわかんないけど、よく川に落ちていた。 元旦にウサギのえさやり当番に行った帰りも落ちた。 長靴に水が流れ込んで足が上がらず死ぬかと思った。 すぐ近所の叔父さんに助けられたけど「元旦なのに」 と泣きながらお礼も言わず帰った。 でも、私だけじゃなくて近所のボーっとしたのは 軒並み落ちてた。 兄弟でぞうりそろえてから落ちてたやつもいたし、 自転車でダイブしてたやつもいた。 でも怪我した子は誰もいない。不思議。 ● たまご 水溜りの中に補助輪つき自転車をのり入れ 人の良い遊び仲間を自転車の後ろに立たせます。 そして思いっきり自転車をこぐと水がはねて 友だちは頭からずぶ濡れ。 これが楽しくてたまらなかった私って・・・。 単なる意地悪ですね。 ● ブラック・ウイング 木造校舎の3階に小4の私の教室はありました。 いつもは何人もの生徒たちが上り下りをしていた その階段が、時たま私以外誰もいなくなることがあります。 本当に誰もいないのか? 確認しながら階段の踊り場まで行く と、おもむろにパンツを下ろしケツを出す私。 ホンの一瞬、時間にするとコンマ5秒か。 ヒンヤリとした風をケツに感じるやいなや 再びパンツを上げておしまい。 毎年学級委員をしていた、いつもニコニコな私の もう1つの顔。 ● モモンタ あれは、小学二年の時でした。 なぜか突然パンツのゴムが切れてしまい どうしようと悩んだあげく (なぜか)先生に相談してました。 チョンチョンと先生の背中をたたき伝えたところ 先生の「ブルマは?」の一言で解決しました。 そうです。持ってたんです。 焦ってまったく思いつかなかったんです。 先生、誰にも話さずにいてくれてありがとう。 ちなみに男の先生でした。 思い出すととてもはずかし〜話しでありました。 ●you 私、小さい頃から毛虫といも虫がだーい嫌いでした。 しかも、昔は近所にキャベツ畑とかいっぱいあって、 苦手な青虫がいっぱいいたわけです。 で、小学生の私は考えました。 青虫は、もんしろ蝶が卵を産むから増えるんだ。 もんしろ蝶さえこの世からいなくなれば、 青虫は絶滅するに違いないと。 そして、もんしろ蝶をみつけては殺すという 恐ろしい殺戮をしていた時期がありましたのさ。 今では、虫も殺さない優しい大人になりましたけれ ●しんら 私が中学校2年くらいだったと思うのですが、 そのころ、チェッカーズなどのアイドルが人気を誇る中、 私は根津甚八さんの大ファンでした。 しかも、学校指定のかばんに銀色のペンで 「根津甚八命」と書き、友達の机の上に 「根津甚八参上!」と書くという程の 熱いファンでした。 今思うとなぜあそこまで熱くファンだったのか わからないのですが……。 ● りんりん 小学校低学年のある冬、いつも遊んでいた空き地が 住宅地になることになり、阻止しようと考えた末、 雪の上いっぱいに5、6人で足跡をつけた。 子どもの頭では、こんなに足跡があったら 誰かが住んでいると思って、おじさんたちは 家を立てるのをやめるだろうと真剣に思っていた。 バカだけど、ちょっといい思い出。 ● ともこ 小学校1年の時、下校時になると校門のところで ひよこを売っている人がいて 「オスが20円、メスは30円だよ! 早く買わないと帰っちゃうよ」と言われ、 何かあったときの電話代として いつも母がランドセルのポッケに入れてくれていた30円で 「やっぱり玉子生むからメスがいいよなぁ」 とか思いながら買って帰り、家に帰ってピヨピヨ言う 穴の開いた箱を後ろに隠しながら母に言った 「ママ、ひよこ買ってきていい?」 この会話はその後3回ぐらい続いた。 ● takano 11歳の時、東武越生線とゆー電車の線路の上に立って、 電車が来たらケツだして 運転手さんがビビって急停車したところを、 ダッシュして線路脇の桑畑の中に逃げてた。 今思うと、ちょっとコワイ。 結局バレて、小学校を停学になったのさ。 ボクのスタンド・バイ・ミー。 ● まみぞう 私の「バカだったなあ」は小学生の時に流行った におい付き消しゴムです。 イチゴやらメロンやらのいいにおいがする、アレです。 流行り出した当初は普通にそれで字を消して、 「いいにほひ」などと一人ほくそえんでいたのですが、 だんだんみんなの持っている消しゴムを混ぜたら もっといいにほひになるんじゃないか? という話になって、「特製消しゴム」を作ろう! ということになったのです。それからが大変。 まず消したカスをビニール袋いっぱいに集めることになりました。 字を消したら黒ずんで汚くなるから、 白い紙の上で意味も無く消す! ひたすら消す! そしてみんなの消しゴムのカスが袋いっぱいになったら 箱に移し、ノリで固める。今考えると本当にバカです。 子ども心に何となく、勢いだけでやってはみたものの、 実は無意味だったということが身に染みて分かり、 二度とやろうと言い出す子はいませんでした。 |
1999-12-20-MON
●ヤギダイ 小学1年生の頃まで住んでいた家の近くに JR駅がありました。 その駅前のロータリーに、 「なんだかよくわかんないけど実のなる木」が あったんです。 で、毎年その実がなると友だち連中で こぞって食べてました。 赤いのとか、紫のとかあって、これといって おいしいわけでもなかったんですけど。 なんだかごく一部のブームみたいになって。 「こんな色のがうまいんだぜぇ」 とか言うヤツもいたりして。 いまだになんの実だったのかナゾです。 (オナカを壊した記憶はないけどね) ● ゆけしゃん 小学3、4年の頃でしょうか・・・。 当時ワンパククソガキだった僕が 友だちと喜んでやっていた事があります。 近所の毛糸屋のおばあちゃんが店の前をほうきで 掃除している目の前を30メートル位前から 助走をつけて全速力で走り抜けるのです。 こんな事がなぜ面白いかって? おばあちゃんは僕らが走りぬけて2、3秒後に 掃いているほうきの手を止め顔を上げ 頭を小刻みに左右にプルプルと振るのです。 その仕種がおかしくって友だちと一日に5回ずつぐらい 交代でやってました。ホントにバカでした。 ばーちゃんごめんね。 ● kyotonian 幼稚園くらいのことでした。 工具箱を出して何か修理している父の横で 電気のコンセントしかもその先が剥きだしのコードで 2極に別れているやつを見つけた私は当然のように それをプラグに差し込み両極を しっかり両手で握りしめました。 その瞬間、ぎゃーという悲鳴とともに 電気くらげ状態助けようとした父も 私の腰を持ったまま同じく電気ウナギ。 やっと悲鳴に飛んできた母がコンセントを抜いて 事なきを得ました。 それ以来、電気もの一切ダメ。 電池ひとつ、電球ひとつ替えられません。コワイ ●たんぱくん 小学生の時、口の中で突然異物感を感じて出してみてみると 直径6ミリくらいの平べったい「白いもの」がでてきた。 なんかこうタンパク質っぽい感じのものが。 のどを通ってきた記憶もないし、 かといってずっと口のなかにずっとあった気配もない。 勇気をだして妹に聞いてみたら 「姉ちゃんも!」とのことで姉妹で今だに未解決。 しかも1度や2度どころではなく所構わず何度も。 誰か経験ないですか? ないですよねぇ。 ● みーぼママ 私には5歳年下の弟がいます その弟が2歳位のころ、母をとられたような気になって そうだ! こいつをうんと悪い子にしたてあげよう・・・ と考え、母のはんどくりぃむを自分の手ですくいあげ、 ヤツのちっちゃなお手手にべったりとつかませたのです。 すかさず私は 「おかぁ〜さぁ〜ん、かーくんがいたずらしてるぅ」 と言いつけた私の手にもはんどくりぃむはべったり。 今思うとなんてアサハカナバカ女だったんだろう・・・。 |
1999-12-19-SUN
●巨泉今日子 うちは田舎だったため野山に恵まれ 幼少時代(15年前)は自称『冒険野郎』が 町内に溢れておりました。 その中でも私は『珍獣クラブマヨネーズ』という 町内に棲息する珍獣(すべてヒト科)を捜索し 研究を行なうといった集団に属して、 日夜違法ライン、スレスレのところで戦っておりました。 今思えばあの時代は人としてやってはいけないことを 平気でやっていたように思います。 ● kero 小さい頃姉は、近所の男の子を後ろから 棒でどついていました。 泣かせては祝杯と称して、長靴に水を入れて 飲んでいました。 そんな姉をあこがれのまなざしで見てました。 ● JINKO 同じ小学生の名札でも、 一年生のやつは長細くて一番大きかったりするのですが、 思えばあのとき、なんか知らないけど気が付いたら、 人目をしのんでしゃぶってました。(授業中とか) ● る〜 芸能人はみな、私たちとは違う人種であると おもっていた。 住む世界も、環境も特別な存在だと思っていた。 ● ウエハラ 小学校の頃、帰り道で「花」を食ってました。 その花、吸うと甘い味がするんです。 友だちと一緒に夢中で食ってました。 足元には食べカスが・・・。 「今日も寄ってく?」と言っては 毎日のようにやってました。 幼心とはいえ、環境破壊をしてしまった、バカ者です。 |
1999-12-18-SAT
●こたつアリシオ 小学校6年生のときの先生は忘れ物をすると、 ものすごいけんまくで怒るので有名だったんです。 ある日、隣の席のSくんが、給食のおぼんにひく ナプキンを忘れてしまい大パニックに……。 そこでなんとSくんは、お習字に使う「黒い下敷き」を ひいたのです! 下敷きって、フェルトだから一応「布」なわけですね。 「す、素晴らしいひらめきだ!!」と私は感動しましたが、 ほかのクラスメイトにさんざん笑われて、 結局Sくんったら泣いちゃって 給食どころじゃなくなってしまいました。 で、泣きながらハンカチで目ふいてんの。 はじめからハンカチ使えばよかったのに……。 ● あまき 「男性のペ○スが女性のワ○ナに入る」と聞かされて 「ウソだ!」と思ったのです。真実は別にある、と。 しかしどの大人も雑誌も本もそう述べているので 「なぜここまで口裏を合わせられるのだろう?」 と不思議に思ったり、 「一定の年齢になると“子どもにはセックスを こう説明しろ”というお達しがどこからかくるのだ」 と考えたりしていました。 ●tokumei 小学校の低学年の頃、両親の押入の布団の間に 何だか見慣れない箱発見! ご丁寧に中身の小袋まで開けて母親に聞きに行くと、 事務処理の時に指にはめるモノだと言われた。 おままごとの時ずっとそれ指にはめてお父さん役で 会社で書類の整理やってました。 でも翌日消えていた...いくら捜しても見つからず。 お母さん! ウソはいけませんゼ。 あ〜ぁ バカだった私。 ● ヤギダイ 子どもの頃、遠足に行く時は必ず水筒のヒモを ガジガジ噛んでました。 なんだかしょっぱくて美味しかったんです。 噛みごたえもあったし… 今考えると、よくまあ、あんなきちゃないものを 口に入れてたもんだと思います。オエッ! ● ちゃわん 高校受験を控えた冬休み。私たち三人は遊び呆けた! 「発表の日皆で集まって騒ごーね♪」と約束して 受験の日を迎え、私は友人の前の席に……。 そして、発表の日、冬の寒い朝。「一緒に見に行こう」 と電話をかけてきた友人に 「寒いから私の番号もついでに見てきて」 と電話で頼んだ私……。 ところが何時まで経っても電話が無い!? 仕方がないので自転車に乗って自分で発表を見に行った。 友人の受験番号は....無かった。 |
1999-12-17-FRI
●あゆみ 夏の暑い日、小2の私はひとり砂場をシャベルで 2日間(8〜17時)掘り続け、 みごと(岩盤の層でなくて良かった)穴の中から 夕空を見た。自分の掘った穴の中から空を見る、 これは当時3年来の願望で、イイ仕事したなー、 と満足感にひたった私は、 思えばかなりキモチ悪い女の子でした。 ● ryu わたくしがガキの頃は、 「風は念じれば自分の方に吹いてくる」 と本気で信じ込んでおりました。 なぜそんな阿呆な事信じていたかと言うと、 あー熱いなあと思った時風が吹いてくれたと 勘違いしたんですね。 熱くなったら、からだにうーんと力こめて風ふけーっと 思ってました。よけい熱くなりそうなのに。 吹いてくれない時は自分が悪い子だからと 本気で信じてました。あー恥ずかしい。 ● まゆにゃご 「ピンポンダッシュ」。 やっぱこれでしょう。かなりの人が身に覚えがあるはず。 やってる事はたしかにアホなんだけど、 当時はスリルがあったんだよね〜。 きっと大人はきずいていたんでしょうけどね。 ● ゆかぽん グラサンをした人は極悪人だと思っていた。 電車で前に座ってたりすると、じーっとにらんでました。 (でも、目があいそうになると、 小心者だから目をそらしてました) どうしてでしょう? あの頃は今みたいなオシャレ〜なグラサンって なかったからかもしれません。 ● てるきよ 小学校の頃、ブランコに立って乗る、 「立ちこぎ」が流行っていた。 友人たちと、立ちこぎのままでどれ位の高さまでこげるか 競っていたときのこと。 ぐんぐんと調子に乗ってこいで、 みんなの中で一番になった直後、 びょ〜んと落ちて、大怪我した。 膝にはその時の傷跡が今もくっきりと……。 |
1999-12-16-THU
●SAN 小学生の頃、友人達と学校帰りに毛虫を大量に採取して、 業務用のボンドの容器に密閉したモノを、 他人様の家の物置に隠してありました。 しかも、毎日帰りににそこへ寄って、 容器の中にみんなでお小水を……。 今ではこんなこと誰にも話せません。 ●ゆきくま NHK教育「できるかな」のノッポさんは 喋れない方だと本気で思っていた。 今になってメチャ赤面。 ● キーみ 小学校の頃ピアノの稽古の帰り、 友だちとバス停でバス待ってる時にやった遊びがあります。 それは、1人が道端に出てクイズを出すのです。 例えば「今、信号なに色?」「次に来る車の色は?」 当てた人がその次にクイズを出すというしくみ。 究極の問題は「次の車はバスか?」でした。 それで本当にバスだったら「きゃー」って感じで バスに乗り込んで帰りました。今から考えると笑えます。 ● ぷりん 幼少の頃から“食いしん坊バンザイ!”だった私。 特に、ふちゃふちゃ歯ごたえの無い食べ物がお気に入り。 そんな私が3歳の頃。 かっぱえびせんを、植木鉢の受け皿 (植木が吸収できなかった水の溜まる部分)の水につけて、 ふちゃふちゃ美味しそうに食していたそうな。 泥水も、なかなかイケますぜ。 ● にゅうちゃん ガキの頃もバカでした。 保育園の頃は西城秀樹さんの大ファンでした・・・。 親と自動車で出かけた際に、 橋(五反田橋<=加茂市)を渡る時や、 トンネルをくぐるとき、「入」と「出」のところで必ず 「ッヒデキッ!!」と叫んだものです。 もちろん頭の中では「君が〜望むならっ」って 響いてる状態です。 親は何も言わずに、私を許してくれていたようです。 ありがたいわ。 一度、ジュリーファンの友だちも 一緒に叫んでくれたことがありました。 なんか、楽しかったなあ。 (また、投稿しよっと。まだネタがあるんです・・・) |
1999-12-15-WED
●はな 恥ずかしいけど、小さい時生理用ナプキンのCMを見て、 「長い時間でも安心。漏らしません」というフレーズに、 本気で大人用のオムツだと思い、 「大人は、トイレに行く暇もないくらい仕事が 忙しいんだー」っと感心してました。 「大人のオムツは小さいんだなー」とも・・・。 ● アイラグ 「透明バリア、か〜ぶった!」 保育所に通っていた頃、こう言いながら (関東では「えんがちょ」にあたるか?)、 出す手のポーズが決まっていた。 女子は人差し指と中指をクロスさせる。 男子は手をグーにして、親指を人差し指と 中指の間からちょろっと見せる・・・嗚呼。 ● う−ろん・あおや 「鬼ごっこ」をしているとき、 両手でチョキをつくって胸の前でクロスすると 「バリア」でした。 それをすると 鬼にタッチされても無効なのです。 時間は無制限で、鬼もちゃんとその掟に従っていました。 バカですね。 ● うかいっす フォークダンスの「マイムマイム」ってのありますね。 小中学校の頃、この曲の間奏の時、皆で手をつなぎながら、 大声で「スタコラスタコラおやじの頭!」と叫んでいた。 このかけ声は全国共通だと信じていた私。 高校生になって、このスタコラの叫びが、 ウチの近所の非常に狭い地域限定だったことに 遅まきながら気づいたのであった。 ● けろっぴ 子どもの頃...子どもの頃もですが、この5年前まで、 年末に大勢のコーラスグループで歌う「第9」! うちのお父さんが大工のせいもあるのですが、 ず〜っと『大工』だと思っていて、 なんで年末に大工の歌なんか歌うのか不思議でした。 今37ですから32まで「おバカ」でした。 誰にも尋ねなくて良かった。 |
1999-12-14-TUE
●fighting 隣のクラスの転校生が漢字テストで10点満点とったと 聞いて、「天才が転校してきたんだってー」 と噂しあった小学生の私。 彼女は優秀なひとでしたが、漢字10点で いきなり天才にしてしまう女子小学生って...。 ●hono そんな記憶もない頃の話です。 いつも仲良く遊んでいたリサちゃんに、 2人で公園で楽しくじゃれていた僕は、 唐突に「おまえのへそバカ!」 といって泣かしてしまったそうです・・・。 ●小股の垂れ下がった女 中学の転校生のじ君は、男らしさで 人々の人気を得ようとしていました。 ある日、トゲが刺さった指にマッチで火をつけて、 「トゲは木だから、燃えるんだ」とあぶっていました。 ちょっと偉いと思うのは、熱そうな顔を してなかったことです。 ●おーしま 「あ〜面白い 虫の声〜」という歌詞を 「青も白い 虫の声」だと信じていた幼少の頃の私。 青いものが白く見えるくらいすばらしい、 と解釈していたんですよ。バカっていうより天才だな! そんな私の兄は、小さい頃、母から 「台所行って、お湯を火にかけてきて」 と頼まれて、やかんを火にかけるべきところを、 ガスの火にジャ〜っと水をぶっ掛けた人です。 ●ゆきえ 小学校の体育の時間に鉄棒のテストってありませんでした? 他の運動ならともかく鉄棒ってけっこう苦手な子が多くて みんな一斉に流行りみたいに一生懸命練習を し出す訳ですよ。 勿論私もそのうちの一人なわけですが、 当時の私たちはみんなスカートをはいてたでしょ? でもね、鉄棒なんて、しかも足掛け回りなんて やろうもんなら当然パンツ丸見えな訳ですよ、 で考えた私たちは、スカートの裾を満遍なく パンツの中にしまい込んで「これで大丈夫!」な気分で 安心して果敢に鉄棒にしがみついていたのです。 バッカでしたね〜。 |
1999-12-13-MON
●とらさん バーゲンのチラシをレコードにかければ、 「大根150円!」とか言う声が聞こえるのだと思い、 チラシを丸く切り抜き、真ん中に穴を開け、 それをレコード盤の上に置いて作動させた。 「ッガガガガッ」という音とともに、 母の大事にしていたレコードの針は ボロボロになった・・・。 ● タナコ 「汚職事件」と「お食事券」を間違えていた。 ニュースがある度に偉そうな政治家が、 ウキウキと嬉しそうにお食事券を手に デパートのレストラン街を物色している姿を想像していた。 そして捕まって「あのハンバーグ、食べたかったなあ」 としょんぼりしている姿が目に浮かび、切なくなっていた。 ● ブッチ・キャシディ 根性=誰もやれない事をする=誰もやろうとは しない事をする、という子どもらしい風潮があり、 チャリを敢えてブレーキをかけず 前輪に足を突っ込んで止めたり、 爆竹に火を付けて長く手に持っていられる、 人より痛い所(自分の)にエアガンを打てる奴が、 いわゆる「男の中の男」でした。 馬鹿な事程怪我を勲章扱いされました。 ● とらさん 私が通っていた小学校では、3年生になると 自転車免許の試験があった。 私がその試験を受ける年 「手放し運転ができないと、合格できない」 という噂が広まり、皆で公園に集まり、 何度も転びながら練習した。 試験では、もちろんそんなソバ屋の宅配みたいな試験は 出なかった。 ●アッキー ヤニ取り歯磨きの“ザクトライオン”に描かれた タバコのフィルター部分のイラストを見て、 「ああ、これはウエハースのようなもので、 ガリガリかじって食べるものなんだなぁ、 “ザクザク”食べるから“ザクト”っていうんだ」 なんて思い込んでました。 |
1999-12-12-SUN
●sakaguti 小学生のときのこと。 「一緒のトイレはいろ!」となぜか約束をして、 私が最初にトイレに入りました。 入ってみたらどうしても大がしたくなり、 してしまいました。ドアの前で待っている友だちに、 「やっぱり他のトイレにハイっていいよ」と言いましたが、 「いいよぉ〜、待ってるよ」の返事。 どうしよう……と思いましたが、 もうどうにもならないのでしっかり済ませて外に出ました。 その友だちがトイレに入って、 「○○ちゃん(私のこと)、う○ちした??」 とちょっと苦しそうな声で聞いてきました。 私は澄ました声で、「してないよぉ〜」と一言。 友だちがトイレから出てきてからの目が 冷たかったこと……。 それでも私はしらを切りとおしました……。 ● ゆんぼ 童謡の「ふるさと」の歌詞で、うさぎ追いし、 かのやまーと言うところ、うさぎおいしい とずっと思っていた。あと、大勢が表彰状もらう時、 以下同文と、校長先生が言うのを、イカの胴物が、 何で関係有るんだろう、と思っていた。 ● ojamaru 私が中学2年生くらいのお正月のこと。 家族が皆で親戚の家に行くのに、 一人熱を出し家で寝ていた。 お昼頃になって「何か食べなくては……。 そうだ! 正月といったらお雑煮でしょう! 食べなくては……」と思い、フラフラで台所へ向かった。 味付けのときに、以前母が 「料理にはお酒がかくし味になるのよ」 と言っていたことを思いだし、これはいれなければ! と、フラフラな手でお酒を鍋に入れ出した。 きちんとビンも握れていないから、鍋の半分は お酒で埋まってしまった……。 それでもなんとか作り終え、食べてみると……。 かなり気持ち悪い。 「やっぱりお雑煮にお酒はいらなかったのかなぁ……」 とかなり落ち込んでまた寝た。 ● ひつじこ 小学校の時、好きな子に対していろーんなおまじないを しました。効果は無かったけど……。 星印のなかに変な図形を書いたり、 長ーく芯を出したシャーペンでハートを塗りつぶしたり、 後ろ姿に向かって変な呪文を唱えたり…… ああっ! 恥ずかしい!! 恥ずかしすぎる……。 ● 1090 通学路に半分どぶ川のような川がありました。 学校帰りに「魚を捕まえる!」と張り切って川に入り、 満ち潮で水位が上がって首まで水に浸かって、 半べそかいて通りがかりの大人に救助されました。 どう考えても「ばかたれ(博多弁)」でしたね。 |
1999-12-11-SAT
●みさき 深酒して二日酔いしそうなときは濃い塩水を飲む。 あまりひどくならない。 二日酔いして最悪のときも同様に飲む。 むりやりアルコールを体外除去する〔意味通じますか〕には いいですよ 身体に悪そうで 効きそうでしょ。 ●かずしゃも 地元が長崎の大村市というトコなのですが、 そこでは、<かさぶた>のことを < つ >と言います。 上京するまでなんとも思ってなかったんですが、 通じないんですよ。ま、方言なので当たり前なんですが。 通じなくなってやっとなんで<つ>って言うんだろうと 初めて考えたんですよ。 そしたら、かさぶたって血が固まったモノじゃないですか。 だから、< ち >の時間経過したモノ。 た行で言うと・・・・・・・・・< つ >・・(笑)。 いやぁ、すいません。 コレ気づいた時、嬉しくてしょうがなかったんですよ。 役に立ちますように・・・愛をこめて。 ●二人のミツル キリストが十字架にはりつけにされている絵をみると、 手のひらを板に打ち付けられていますが、 物理学者の話によると、手のひらをうちつけてしまうと、 後ろの板ごと前に倒れてしまうけど、手首なら絵のような 状態になるのだそうです。で、僕は学校で友だちに 手のひらと手首をつかんでもらい、試したところ、手 首の方が上半身がダラーンとたれる状態になったので、 これは本当だと思います。 ●dona 先日、無事出産した仕事の相棒からメールが入ってた。 「赤ちゃんとは、初めて免許センターでもらった 運転免許のようだ。もう何処の道を走ってもいいよ、 と言われても仮免コースしか自信がないのに 世の中に放り出されてどうすりゃいいのさ。 知識はあっても実践はなかなかうまくいかない。 でも毎日のことだからやっぱり車の運転のようなものだ」。 なるほど、そうなのか。 ●紫苑 なぜ男女は惹かれあうのか? 昔人間は、顔も手も足も4本ずつ 背を向けるようにして持っていたそうです。 それを神様が2つに裂いたから、片方の体 はもう片方を求めるようになったとか。 人間が「相方」を探すのは、こういうとこから 来てるのかどうかは分からないけど、 哲学者アリストパネスのこの意見になるほど、 と思いました。 |
1999-12-10-FRI
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