まるでハガキのように。 |
◆「まるでハガキのように」によせられた 「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。 |
●ねこにゃ 大人になれば河合なおこみたいなバストが得られると 当然のように思ってました。 母の胸を見ても、自分がああなるはずがないという 絶対の自信がなぜかありました。なぜ? でも中学校に入るまでかなり信じてました。 ● としこ 小学生の頃、自転車を両手をはなして乗るのはすごい... と思って練習に励みました。乗れる様にはなったものの、 両足にはすごい傷が...。 今でも傷跡がくっきり残ってます。 あ〜、顔じゃなくてよかった...。 ● 椿 もう5年生にもなろうというのに、 パトロール隊をつくって近所をチャリで 巡回していました(女の子2人で)。 それぞれ別の地域を回って迷子とか事件とかあったら (ったってないんだけど)かぶっていた野球帽 (中日のニセモノ)のつばを後ろに向けて帰ってくる、 とか。でも遊びじゃなかった。 ● fighting 小学2年位のこと。 ドラえもんのコミックスで、のび太君が 日本の首相に電話をかけようとするシーンがありました。 「三木首相 いますか?」と慌てる箇所、 福田首相になったんだから名前も変えないと! とえんぴつで訂正してしまった本物のバカの私でした。 後でコミックス見てびっくり・・・。 ● shina 熱湯にマッチを突っ込んだら、発火すると思ってた。 ● くらんべりー 保育園に通っていたころ、園児のあいだで、 『ブタ年生まれの子は小学校行けない』 というウワサが広まり不安になった私は真顔で 「おかあちゃん、わたしブタ年?」 と、聞いてバカ笑いされました。 ● 福ちゃん 幼稚園生の私に6歳年上の兄が自分の腕にある 種痘のあとを見せて 「この傷は、うちの近所にキーハンターの撮影が 来たとき使ったピストルの流れ弾からお前を守った傷だ」 と言ったことを何年間も信じていて兄のことをずっと 「命の恩人」だと思ってた。 ● nishiue 夏になるとよく流れる盆踊りの曲のひとつに、 「東京音頭」がありますが、 ガキの頃は何を聞き違えてか「所沢音頭」と 信じきってた私。 (実は、22歳の時に友人に指摘されるまで そのまんまでした) ● ささき うちの妹は子どもの頃、「冬山 で登山パーティー遭難」 というニュースを聞くたびに、 「そんなとこでパーティーしたら死ぬに決まってるやん」 と思っていたらしい。 ● だいちゃん 「トイレに行って用を足す」というのを 「ゲリしてくる」と言っていた。 私の中では、それで大小両方の意味を兼ねていた。 バカだったけど、合理的でもあったと思う。 ● わたまり 小さい頃って、なんか悪いことした時に、 「どうしてそんなことしたの?」と理由を訊かれても 「どうしても」って答えてた気がする・・・。 全然理由にならないというのに。 でもそれでれっきとした返事だと思ってました。 そしてそれが子どもどうしだと「どうして?」 「どうしても」「ふーん」っていう会話が ちゃーんとなりたってた。 なんでそれで納得できたんだろ。 ● ゆうちん 私が中学生の頃、地元に和菓子屋で 「蔵づくり最中」というお店があったんです。 お店だとは知らずに、この看板を見ては、 「まだ蔵造ってる“さいちゅう”なんだぁ、長いなぁ」 って思っていました。 バカですよね・・・。 ● 成桂 十才の頃かな、マントをカッコいいと思ってた。何でだろ。 ドラクエの影響だったと思う。 作ってもらうのもはずかしくって、 ジャンパーの第一ボタンだけ留めて ポンチョみたいにかぶっていました。 「ぶぅわさっ」なんてやってるうちに だんだん頭がハイになってきて、 登山用の杖なんか引っぱり出して柿の木殴っていた。 着れなくなってもとっときましたね、そのジャンパー。 今さら考えんでも正真正銘アホガキです。 ● タナコ 以前、整理用ナプキンを大人用オムツだと 思っていたという方がいらっしゃいましたが、 私は「汗ワキパット」だと思っていました。 宣伝だと青い水をナプキンに流すわけですが、あれを見て 「大人の中にはすっげー汗かきな人がいる」と思って 脅威に感じていました。 ● たま 小学生の頃、映画の新聞広告を見て 「バージンブルースって何かきれいな響きで好きだなぁ」 と母親に言ったところ、 「あんまりお行儀のいい言葉じゃないからやめなさい」 と言われ「どういう意味?」と尋ねると 「男の人を知らない女の人のこと」と言われました。 バカだったというより、淡々と答えた母親ってすごい。 ● 天野慶 天気予報の晴れマークを見て 各地にひとつずつ太陽があると思っていました。 東京都の太陽はでてる。茨城の太陽はでていない、とか。 都道府県の数だけ太陽があって県境に行くと 何個か太陽が見える。長野県なんか大変。 ● なかちゃん まだ自転車に補助輪を付けてた頃、 目をつぶり両手を離して真っ直ぐに漕げるか 近所の友だちとやってた。 上手く乗ってると思った瞬間・・・ 案の定、道路脇の側溝に自転車ごとハマってた! 今思うと手を放すまでは分かるけど 何故に目をつぶらにゃぁいけなかったのか・・・ よう分からん。 ● ライム 土木産業の会社の社長だったおじさんのことを、 ずっと組長だと思っていた。(だって妙な貫禄が)。 母に「そうじゃないよね?」 と確認してみたら、 「そんなこと言うんじゃありません!」 とえらい真剣に怒られたので、 かえって思い込みに拍車がかかってしまってた。 おじさんごめんなさい。 ● macya姫 幼稚園の時、お母さんに100円お金をもらって、 翌日の遠足用のおやつを一人で買いに行った。 近くの駄菓子屋さんに行ったのだ が、80円のお菓子が100円玉で買えるのかどうかが 分からなくて泣きながら家に帰った。 ● もこ 小さい頃、兄貴のH本で性知識を学んでいた私。 Hの仕方を知ってはいたんだけど、 ばかだったのが小学6年の時に母に 「お母さん、処女?」と聞いた。 笑って答えない母に不思議に思ったが、 今じゃ当たり前じゃんねー子ども産んで 処女はないでしょう? ● いわたか 自分の苗字の「城(き)」という字が難しくて書けず、 勝手に「木(き)」に換えていた。 名前に限らず、読み方が同じなら、 漢字は何を使ってもよいと思っていました。 ● ひろポン チョコバットという当たりくじつきの駄菓子。 ヒット3枚とホームラン1枚で満塁ホームランといって、 4本もらった。 (ヒット4枚で1本、ホームラン1枚で一本が本当) 店主はわかっていたと思う。 ● 元でんこ 子どもの頃、濡れた手でコンセントを触ると 感電すると聞き、どうしてもやってみたかった私。 しかし濡れた手で触るのが恐かったので、 電卓のACアダプターをコンセントに差し、 電卓に差すほうをおもむろに口に含み舌でその先端を なめました。もちろん感電しました。 濡れた手で触ったほうがマシだったかも。 その後私は大人になって、某電力会社の子会社に勤務し、 電気の実験をしていた。 子どもの頃のトラウマで静電気の実験が嫌いだったのは 言うまでもない。 ● ゆきのみゆき あれは、家の庭にはじめて雪が積もった日、 私は嬉しくて雪ウサギを作った。 しかしこのままではせっかくのかわいい雪ウサギが 溶けてしまう。それは可哀想と思い、 私は雪ウサギを冷凍庫にしまった。 3ヵ月後、私のかわいい雪ウサギは見る影もなく、 冷凍庫の霜と一体化して不細工な氷の塊と化していた。 雪は解けないようにしておけば ずっと雪のままだと信じていた私。あーバカ。 ● わたまり 音楽の時間に笛の吹き方を習うまで、 穴を指で押さえずに、そのまま口でうーうー、 って歌うのが笛の正式な吹き方だと思ってた。 そして縦笛は横にすると横笛になるもんだと・・・。 ● けめけめ テレビで“小野田さんの地下生活”特集を観て (たしかルソン島で発見された小野田さん)衝撃を受け、 すてきな地下生活を夢みて、次の日から せっせと隣の空き地を掘り続けた。 しかしあまりにも無謀な施工計画のために一週間で断念。 中途半端におおきな落とし穴を作っただけだった ●しの 小学校の時、学校のすぐ裏に歩道橋があって、 その歩道橋には一段だけ色の違う段があって、 利用する児童はみんなそこをまたいでました。 なぜならそこは 「“えんぴ”(えんがちょ)だからまたがないといかん」 と上級生に教えられたからです。 こないだ児童の下校時間にそこを通りかかったら、 みーんなまたいでました。ばかめ。(わたしも) ● かよ 小学校3年生の時、目をつむって何メートル走れるか、 それも全速力で! とふと思い、走ってみました。 広い道だったんですが、横の溝に落ちました。 ひざに穴が開き、大流血。 その時、車が来てたらどうなってたんだろう……。 傷跡はもちろん今でもひざにクッキリあります |
2000-01-06-THU
●Kei 小学生の頃『アルプスの少女ハイジ』の 雲の上を歩いてる場面<歌の時>をみて、 ずっと自分も歩いてやろうって決めていたのに。 弟に姉の決断! を言ったら冷めた目で 『歩けるわけないやんって』一言。 純粋だったんだよね。バカとも言うのか。 ● どうじま はるか どうして神様は結婚したら赤ちゃんをプレゼントするのか? が不思議で仕方がなかった。 どうして結婚してるってわかるの? 神様にどうやって教えるの? 赤ちゃんをくださいって言うの? と考え出すと霧がかかった様に謎が深くて 結論はそれくらい結婚するって神秘的なものなんだ。 神様にはなんでもわかるの...と落ち着いた。 その後5年生の時真剣にそう信じている私に級友は 何にもしらないのねと事細かく教えてくれたが どうしてもそれを長い間信じなかった。 ● hako 隣のミカちゃんと、いつも喧嘩してしまうので 二人でペナルティーを考えました。 そしてあみ出した方法が、「喧嘩をしてしまったら ミカちゃんの妹がいつも流し忘れるでっかいウンニョを 二人の手を『カンチョウ』の形にして触る (もちろんトイレの中に手を入れて)」ことでした。 実際何度か経験しました。 ちょっと人には言えない過去です。 ● なおみんと 中学の頃、飼っていたオスの猫のタマタマを 何気なく触っていたら、猫のあそこが大きくなってしまい、 今度はそれをテッシュで作った「こより」で つついていたら、猫は低いうなり声とともに、 射精してしまった。 びっくりしたけど、ちゃんとテッシュで拭いてあげた。 そして、そのことを誰にも言えなかった。 ● ぱんちゃん 小2のとき、美人のクラスメートに憧れて、 その子がおかっぱの髪形だったのを真似しました。 耳の横の髪を授業中に指でつまんでは 舐めているのが妙にかっこよく思えて、 私も舐めてみました。 ガジガジな舌触りでいやだったけど 「これができればかっこいい」と本気で思ってました。 ● MAIKIAM 私も花の蜜を吸ってました。 「ツツジ」と、あともう一つおいしい花があって。 でも、あとから聞いた話によると、ツツジの蜜には ちょっとした毒があるそうです。ガビーン。 ● わん 小学生の頃、折り畳み傘の持ち手のところをはずして、 内側のねじの所をなめるのが、仲間うちではやってました。 学校がえりに友だちと 「私の傘はピンクだから、イチゴの味がするんだよー」 「えーっ、ホント? なめさせて!・・・ あ、ホント、イチゴ味だー!」 ・・・あまりにもバカです・・・でも、ホンキでした。 ● 明智 不肖私のバカだった思い出は、 チャリンコチキンレースです。 家の前にある坂で友人たちとしていました。 ある日私はかなりのスピードで自転車をこぎまくり、 柵に激突しました。 その柵がなければ川に転落してました。 額から血が流れていたのを口元からと勘違いし、 「北斗の拳」みたいでカッコイイと思い、 一人悦に入っていました。 しかしそれが頭部から流れる血だと気づくや否や 大泣きしていました。ほろ苦い幼少の思い出です。 ●D.K STUDIO 今考えると、なんであんなことしたんだろうって思います。 そうです、小学校のころ下校時にいつも、友人と競って ドブ川のおいしい水をのんでました。 だけど味までは、忘れました。いや! 思い出したくない。 ● えど 「ひみつのアッコちゃん」のコンパクトのおもちゃを 持っていました。 「このコンパクトで魔法が使える」と男子にいばっていたら 「じゃあ、これをなおしてみろよ!」と、 割れたガラスの前に連れてこられてしまいました。 「テクマクマヤコン、ガラスよ、もとにもどれ!」 必死で唱えているうちに周りには 誰もいなくなっていました。 ● さいしゅー 私自身は覚えていないのですが、 子どもの頃にトイレの芳香剤のCMで 香りのイメージを伝えるために出ててくる花びらが 実際に出てくるものと信じていたそうです。 で、実際には出てくるわけもなく、 母に「お花出てこないよー」と聞いていたそうです。 ● 長難 小一の頃、母に 「動く物と書いて動物(どうぶつ)と読むんだよ。 だから人間も動物なんだよ」 と聞き、感動した私は翌日隣の席の男の子に 誇らしげにこう言いました。 「動物って書いてにんげんって読むんだよ」。 その男の子が「えー、違うよー」と言ったにもかかわらず 「ホントだよお母さんが言ってたもん」 と言い返してしまった私。 はぁー。母はそんな事言ってなかったよなあ。 ● とくがわ 子供の頃、「ベントラー、ベントラー」と呼ぶと UFOが来る、というデマを信じ、家の裏のドブ川の横で、 左手を西に差し上げ、一人で 「ベントラー、ベントラー」と叫んでいた。 近所で「ちょっと、おかしい」と噂になってたらしい。 ● おーしま 幼稚園のころのこと。 出席カードにスタンプを押すための 青いインクのスタンプ台が教室にありまして、 友だち数人と、そいつにたくさん水を含ませまして、 出来たブルーの液体をオモチャの注射器で吸い取って、 「予防注射だぁ〜」と言って遊んでおりました。 もちろん、先生は烈火のごとくお怒りになりまして、 私たちはお遊戯室に閉じ込められて、 しばらく反省させられました。 ●ないしょ 小学生の頃変質者に物陰につれこまれて あやしいことをされたことがあるのですが、そのとき、 「おじさんは病気なんだ。恥ずかしいから黙っててね」 と言われ、あとで警察のヒトに保護されたときも ほんとに黙っていました。今思うとばか正直・・・。 今あの変質者に会ったらどうするかな。 顔はまだ覚えてます。 ● ユキコ もう大人なのにもかかわらず、かなり最近まで、 ニュースでよく聞く「…家宅捜索しました」というのを、 「かたく=厳重に捜索しました」ということだと 勘違いしてました。キャスターの決まり文句として、 警察は悪いやつをみっちり調べあげてますよー、 というニュアンスを伝えているのだと思っていた。 ● nosi 小学生のころ、でかいおたまじゃくしを飼っていたが 死んでしまったので、普通ならそこで 埋めたりするんですが何を思ったか、 道路におたまじゃくしを投げ捨て、 どうなったか見に行ったら、 お腹のうずうず(腸?)が出ていた。 それ以来なんか恐くて飼うのヤメタ。おえっぷ。 ごめんね、おたまちゃん。 ● なおなお 小学校2年くらいの時、何を思ったか家族(当時5人)の 家の中での交通調査をしました。 私が作り出したのは、部屋毎に設置した 家族毎に色分けした紙と回収箱。 紙には移動元の部屋の名前が書いてあり、 これを移動先まで持っていってもらう訳です。 家族全員で何日間か実行しましたが、動機は全く不明。 ま、とにかく、何かにつけ 真面目につきあってくれた家族に感謝。 ● つーりー 小学三年の頃、授業参観の前日に担任の田中先生が 「明日は皆さん普段どおりにしてくださいね」 と言ったのを真に受けて、当日普段どおり後ろを向いて 友だちとべらべらおしゃべりしていたところ、 父兄が大勢いる前で、田中先生に叱られました。 その後しばらく人間不信に陥ったのは 言うまでもありません。 ● うらちゃん 終業式のあとのホ−ムル−ムで、我慢しきれなくて、 おもらししちゃった。 「先生、トイレいってきていいですか」 の一言が言えなくて。悲しくてず−と覚えてましたね。 小4くらいのことでした。 ● あああ 幼少時のかかりつけのお医者さんは、注射の時にはいつも、 イタイ気持ちを逸らせるためか、 「1、2、3・・・」と患者(子ども)に 数えさせるおじいちゃん先生でした。 腕をチューブできゅっと縛って、 最後脱脂綿で押さえるまで、50前後カウントするのが 常でした。ところがある日、 「はい、それじゃ、ひとーつ、ふたーつって数えて いってごらん」と言われ、素直にひとつふたつ、 っと始めたのはよかったのですが、「とう(十)」 まで来て、その先の古風な数え方がわからない! っと、ひとしきり考えて結局黙り込んでしまいました。 先生には 「どうしたのかなーお熱でわからなくなっちゃったかなー」 と言われたのですが、かといってそこから 「じゅういち」と語感を変えるのは、 子どもながらに美意識が許さなかったのです! 気のせいか、いつもよりも頓服が大きかったような思い出。 ちなみに普段でもカウントをいつ止めたらいいのか 心を悩ませていました。 ● ゆーた アニメ『ムーミン』の「ねぇムーミン、こっち向いて・・」 という歌の中で、「あらまあ、どうして? けどで〜も」を 「あらまあ、どうして? ケドゲーも」だと思い、 ニョロニョロとは、一直線に隊列を組んだ状態で、 一匹だと「ケドゲー」と呼ぶものだと思っていた。 ● なな ♪アブラハムにーはー7人の子ー♪ っていう歌を、♪アブラハム人はー7人の子ー♪ だとずっと思ってて、必ず子どもが7人産まれる (しかも、ひとりだけ背が高くなる)、 アブラハム人という人種がいると信じていました。 高校になって友だちに「アブラハム人って何人?」 と言われ、初めて正しい歌詞を知ったのでした。 ● コメロ 「マンホールを踏んだ奴は3日以内に死ぬ」。 そんな伝説が跳梁し、友人をマンホールにドツキ落として そこに「お前は既に死んでいる口撃」を浴びせる行事が 流行した事があります。 よってたかって泣かされる子が 続出するようになりましたが、 勇気あるガキ大将が平然とマンホールに乗る パフォーマンスを見せ、皆に尊敬される事により その流行は終わりを告げました。 ● サマンサ厚子 子どもの頃 超メンクイだった私は アニメの『一休さん』に マジで惚れてました。 今の好みは まったく違いますが...。(当たり前) たまに再放送を見ると、今だに照れくさいです。 ● ここあっち 小2の時、NHKでやっていた「生命の神秘」みたいな番組を 母親と2人で見ていました。 「男の人にはおたまじゃくしがあって、 女の人のお腹に卵があって、 ほ〜ら、こうやってめぐりあって 赤ちゃんができるのよ〜」と母が言いました。 受精の瞬間の映像が映っていたわけですが、 「それでそのおたまじゃくしはどっから出るの? どーやってママのお腹に入るの?」 と物理的な説明を求めたら、母は 「お乳みたいにパパのおっぱいの中にあるの。 それをを飲むのよ」と説明したのです。 そのときの部屋の家具の配置まで覚えています。 しばらくは男の人の胸を特別な目で見てました。 「おたまじゃくしウヨウヨしてるんだ」って。 2年後に真相を知りましたが、 母のヘンなウソに困惑しました。 |
2000-01-05-WED
●てんてん 通学路にある歩道橋の上から走る車を眺めて、 ナンバープレートが 黄色の車を五台続けて 見られると幸せになれて、緑色のナンバーを 五台続けて見ると不幸になると、 上級生に教えてもらいました。 自動車学校通うまではどこかで信じてたんですよ。わたし。 ● やしゅー 小学生の頃、私もチョキにして走ってました。 それと、靴の中にちっちゃーい見えるか見えないか位の 小石を靴の中に入れて走ると速く走れるという噂もあり、 みんな石の無いグランドのスタートライン近くで 入れても痛くない程度の小石を探していました。 高校の頃、親戚のおばさんに大学合格を占ってもらえと 無理矢理連れて行かれた占い師のところで、 「これから受験まで、肉は食うな。 キャベツとタマネギを炒めたものを毎日食べなさい。 そうすれば、第一志望に合格するでしょう」 と言われ、母は毎朝それを朝食に出し、 私はそれを黙々と食べました。 第一志望の大学は一次の新テストであしきりされ、 最後まで受験することすらできませんでした。 信じても、救われない場合があるのですねー。 ● お姉ちゃん 小学校低学年のころ・・・羽つきもテープも ついていなかった母の生理用ナプキン。 一見するとただのティッシュ。 間違えてポケットの中へ入れたその日に限って衛生検査。 机の上にハンカチとティッシュを並べて爪のチェック。 気づきもせず平然としてた私に注意してくれたのは、 隣の男子でした。 「これは、女の人が股にはさむもんだぞ」 カマトトではなく本当に知らなかったんです。 ● はらこ なめくじを手の平に乗せたことがあります。 カエルやかたつむりじゃなくなめくじですよ! どこが“可愛い”というんだ!? しかもそのなめくじは学校のニワトリ小屋で ニワトリと一緒に飼われていた1羽のカモの餌に・・・。 すごい勢いでなめくじを食べるカモに調子付き、 張り切ってつぎのなめくじを探したのでした。 ● パンダ 会社のおねぇさんが子どもの頃の話。 急に足のつけねが痛くなったキヨちゃんは、 慌てておかあさんに相談しました。 「あたし、足が折れたのかもしれない」と。 母親は笑ってまともにとりあってくれない。 キヨちゃんは考えた。 「これは、あたしがひとりで何とかしなければ。 足がもげちゃったら、えらいことだ」。 キヨちゃんは、お医者さんまで、走った。 (そもそもここでおかしいのだが。) この町内で、この「病気」を治してくれるところ。 キヨちゃんにも唯一読めた看板があった。 あそこに行けば、助かるかもしれない。あ、ここだ。 キヨちゃんは、指でなぞりながら読んでみた。 「ほーねーつーぎっ」。 ここなら、とドアを開け、先生に言った。 「足が、もげそうに、いたいんですけど」。 先生は、キヨちゃんの足を診て、そっと教えてくれた。 「あなた、これはね、パンツのゴムがキツイのよ。 おかぁさんに言って、直してもらいなさいね」。 ● たろこ 小さい頃、外国は空の彼方にあるんだと思っていました。 なんとなく空を見上げて、(あそこに外国があるんだな〜) とロマンチックな(?)気分になってました。 ちなみに弟もそう信じていたらしい。 ● なつと 「笑っていいとも!」の「テレホンショッキング」は、 いつか自分にも順番が回ってくるものだと思っていて、 何を話そうかとドッキドキしてた。 一般ピープルには回ってこないんよ……。 これはまだ「ガキの頃」の勘違いだから、 まあイイのですが、本当につい最近まで、 「テレホンショッピング」だと思ってました……。 まんまじゃん……。 ● SWD “ファミリープラン”の自販の前で 「これ買って〜!!」と母親にお願いしていた。 母親はさぞ困ったことだろう. ● あゆみ ガキの頃から、つい、数ヶ月前までなのですが、 「赤穂浪士の討入り」のちゃんとした話を 知りませんでした。年末になるたびに、その話が出る度に、 「今年も詳しい話がわからないまま 年末が来てしまった・・」 と、話題に入れなくて恥ずかしかったのです。 知らないのに、「あー、そうねぇ」と、 嘘をついて返事をしていました。 周りの人には、ほんと、ごめんなさいでした・・。 しかし、今年こそは! と思い、テレビドラマを見て、 話がわかりました。もう、年末も、怖くない!! 嬉しい。 ● エアロベース 小学2年のころ人間は猿がシンカしたものだと聞いた。 そうすると近所のあの動物園の猿は いつ人間に変わるのか、変身する瞬間に 世話係の人にどうやって申し出るのか不思議だった。 七歳の時だから、コウノトリの説とのつじつまで 悩んだりしていた。 ● あねやん 10歳頃、秋に頭を打撲して運動禁止だった私は 唯一大得意だったスピードスケートの授業をどうしても、 やりたかったんです。 その日の写真、満面の笑みを浮かべている私の頭には、 黄色い帽子、その下には白いヘルメットが...。 バレないとおもったんだもん。 ● アイラグ 保育所時代、一時期クラスみぃ〜んな はみがきセットを持って行ってた。 イチゴ味オレンジ味パイナップル味、 「おいしいね」ってはみがき粉を食べるのを 流行らせました。ごめんなさい。 ● ヘバコミ 小学生の頃、長〜いクソが出ると 「どうだっ!」と姉に見せていた。 負けじと姉も長いクソが出ると私に見せて威張っていた。 あの頃は平和だったな〜。 ● うー吉 長い雑草の真ん中に葉を三角に折りたたんで作られた 「クモの巣」を見つけるたびに、歯先をピッ! と引っ張るの。すると! 「クモの子」がドッヒャ〜!! っていっぱい飛び散るの! 私は 「お母さんクモのお手伝いだ」 と思いあちこちの葉の巣を見つ けては、ピッ!・・・うう〜〜ん、快感〜♪ ● a-ash ガキんちょの時、兄貴と一緒に見ていた「巨人の星」。 主題歌の中の「思いー込んだぁーらぁー♪」を 「重いコンダーラー」と思いも込み、 「コンダーラー」ってなんだろうって、 っそりゃあマジで考えましたわ。 でも、同じ事を考えた人もぜ〜ったいいるハズ!< ●わたまり 光GENJIブームの頃、それまで「かぁくん」 と呼ばれてた男の子に対し、クラスの女子全員が 「かぁくん(諸星和己)と同じじゃ許せない!!」 と猛反発。かくしてかぁくんは「がぁぐん」となり、 ついには「がー」というアダナになったのだった。 |
2000-01-04-TUE
●ブン 英語は、日本語をローマ字表記したものだと思っていた。 英語の歌をTVで見ていると字幕が出るが、 てっきり音と、歌詞が合っているものだと思い 心の中で歌っていた。 小学生低学年の時の記憶です。 ● うぬ 小学生の頃、色水を作って遊んでいた。 びんに水を入れて、水性サインペンをつけたとき インクが溶けるのがきれいで。 親に見つからずにサインペンを捨てるのは なかなかスリリングでした。 ● うぬ 妹にナメクジを「ガムだよ」 と言ってつまませて水羊羹の間に保存してた。 しばらくたったら炭みたいになったので、また妹に 「消しゴムだよ。」といって始末させた。 なめくじって乾いても消えないと始めて知った。 ● コブタ 中学1年の頃「こっくりさん」が流行り、 私はその存在や呪いを信じ込んでいた。 そんなある日、部屋にはってある俊ちゃんのポスターに 黒い人影が見えるのを発見。 以前部屋でやったことを気にしていた私は 「これは呪いだ」と泣きながら友人に相談し、 怖々2人でポスターを剥がすことに。 そして剥がしてみると。 ポスターの裏にはシブガキ隊が・・・いた。 俊ちゃんの心霊ポスターの正体は、 フッ君が裏から透けたものだった。バカだった。 ● メグ 私は三人兄弟なのですが、ガキの頃は四人兄弟だと 信じて疑わなかった。それは母の一言が原因だった。 ウルトラマンタロウは実は拾われた子だった。 という噂を耳にした私は母にその事を伝えた。 すると、母はあっさりとこう言った。 「そう言えば、一人捨てたわね」と。 そして私はそれを信じてしまった。 実は四人兄弟だったのだ、と。 それから何年後に、ウルトラの父と母の本当の子は タロウだけで他のウルトラ兄弟の方が拾われた子だと知り、 心をなでおろしたのでした。 ● カウ 小4ぐらいのころかなあ。 「学校の怪談」シリーズをおもしろ半分で読んでいたら、 「1カ月以内に、ここに書いてある言葉を忘れなければ、 あなたは呪われる」と書いてあるのを読んでしまい、 忘れようとしても忘れることができず、 その本を読んでしまったことをめちゃくちゃ後悔し、 真剣に悩んだことがあります。 純粋な少年の気持ちを考えない、意地悪な本ですね。 今考えても、むかつきます。 ● ゆきのみゆき 小学5年生のころ「湯沸し研究会」なるモノを作って、 来る日も来る日も家の前の空き地で焚き火をしては 湯を沸かしていた。当然会員は私一人である。 毎日毎日湯なんか沸かして、この研究会、 いったいどういう結果を得たかったのだろう。 ある時これに飽き足らず、 家の裏のがけの赤土を削って作った粘土で ご飯茶碗をこさえて焚き火で焼いた。 ウサギさんの模様を彫り、灰で白く上薬をかけた なかなか本格的なものだったが何の役にも立たない。 子どものくせに、なぜこんなことばかり していたのだろうか? ● うー吉(女っす) 近所に深さ5mくらいの用水があって、 その淵に立つと「ザリガニ」が あちこちへばりついてて水面に上がってくるのが見えるの。 それを棒切れでつんつんするの。 すると「あーっ!」ってまた、用水の底に沈んでいくのっ! 一匹でなく、何匹もあちこちにいるから、 つんつんに忙しくて(おいおいっ!)ああ〜あの頃は、 自然に溶け込んで楽しかったなぁ〜・・・。 ● OTOKOMAE ガキの頃はタイに住んでいた。 ガキだった僕は、日本全国どこもビルが乱立し、 近代的な建物が建っていて、緑や自然は すべて失われていると思っていた。 ● KYO 小さい頃はよく歌詞を聴き間違って歌ってました。 例えば松田聖子の秘密の花園の 「ママの目を盗んできたわ」を 「ママの目を結んできたわ」と。 しかも小2だったので、盗むと知っても 意味がわからずにいた。 あとまちゃあきの「さよならと書いた手紙」を 「さよなら都会たてがみ」と聞き、 なんとなくライオンのたてがみを連想して、 都会ってなんだか哀愁だわ、と思っていた。 |
2000-01-03-MON
●わたまり 小2の時「かっぱえびせん何本口に入るか実験」を やってた。 口にどんどん詰めこむうちにはじめに入れたのが ふにゃふにゃというかどろどろになりながらも 「おぉ! 100本入ったぞ!」とか大喜びしてた。 何の為にやってたんだろう。 ● 松たろー 近くに廃校跡の空き地があって、 鉄筋剥き出しの鉄筋コンクリートが林立してました。 小学生のわたしは石を拾い、 その鉄筋の一本をぐいーんとしならせてその石をのせ、 パチンコのように飛ばそうとしたところ、 大人のわたしなら即オチの見えるとおり その鉄筋はわたしのあごを直撃したのでした。 あごをおさえながら家に帰りましたが 血痕が玄関まで続いておりました。 ● ちょっちょ 小学1年生の時、嫌がる男の子たちを追っかけまわして 顔にKISSしていたので 『キス女』というあだ名をいただいた。 忘れたい話なので本当に忘れてしまっていたら 同窓会で会った同級生は全員覚えていた。 ● 平和な男 近くの駄菓子屋兼カメラ屋 (カメラ屋なんて言ってもフイルムと現像を 取り扱っているだけ、まあこんなところを カメラ屋って言っているんだから子どもだった)に 地下室があって、みんなでそこは店のおやじの 秘密の隠れ家って思ってたんだけど、 でかくなってから廃品回収とか手伝うことになって 行ってみたら、単なる物置だった。 まっエロ本があったけどサ! ● にやんこ 私の故郷は自然がいっぱい。 同級生のユミちゃんと、 小学校からの帰り道によくお花をつんでました。 レンゲ、たんぽぽ、すみれ、オオイヌノフグリ、 ヒガンバナetc. 両手いっぱいの花を見て最後に決まって、 「これ、都会に持っていったら、すっごい値段で売れるよ。 一本○○円として・・・」 といってたのです。 可愛かったあの頃にはもう、今の自分の片鱗が うかがえます。 ●やす 小学生のころ、キッチンハイター、醤油、バスクリン、 サラダオイル、みりん、洗濯洗剤、ドリンク剤、酒、 台所洗剤、歯磨、インスタントコーヒー、塩胡椒砂糖の類、 味の素など、家にあるあらゆる化学製品を混ぜ合わせ、 出来あがった1リットルくらいの得体の知れない液体を 「クスリ」と称して庭にまいて芝生を真っ黄っ黄にした。 むっちゃ怒られて、翌日も同じことしたら、 叩きまわされました。 アレが何に効くクスリだったのか、いまだにわかりません。 ● 渡月 サンポールに、クレンザーをいれたら爆発した。 ● ふでまめ 私はダンゴムシでした。 今はちーとも触れませんが、 昔私はダンゴムシ大好きでした。 で、友だちとたくさんあつめて転がし、 最後には「おうち」といって電信柱の穴のところに そのムシたちをいれ、石でフタをしてあげたの。 (そして2度とあけられることはなかった・・・)。 ● nak 幼い頃、私はゴレンジャーに夢中でした。 私も、ゴレンジャーのグリーになれる……と。 やりました。ゴレンジャーキックを! 思いっきり電信柱に向かって……見事に決まりましたが、 そのままの体制でアスファルトに横になっている 私がいました。 ● あみ 小学生のとき、家のうらが墓場という友だちの家に 遊びに行くと、「何か飲む?」「何か食べる?」 と言っては裏の墓場に連れていかれ、 勝手に御供えものをとってきてふるまってくれた。 ぬるいオロナミンCや熟れすぎたバナナの味が 忘れられない。 ● t@et@e 『たのきんトリオ』が人気だった頃、 私の周りはみーんなマッチのファンでした。 本当は自分もマッチが一番好きだったのに、 なぜかみんなと同じなのが嫌で トシちゃんを装っていました。 なんであんなことで意地張ってたんだろう……?? ● てっぴん 『TVヒーローの変身ポーズを一晩保って寝れれば、 朝起きた時には変身してる(一日だけ)』。 小学生の時、(男子のみに)流れたうわさです。 僕はドキドキしながらウルトラマンにチャレンジ。 当然失敗しましたが、失敗した僕らはその時期に 休んだやつらのことをヒーローに変身してしまい 学校に来れないのだと思い込んでいました。 ● ロビタ 小学校3年の時、同級生のノリオって男が クラスの女子数人を放課後よびだしました。 あたしもその中にはいってたんだけど。 彼曰く「いいものみせてやる」 と校庭の片隅でオモムロにパンツをさげたのです。 しかし、女子の反応はいまいち。 するとノリオ君は「じゃぁとんぼくってみせる!」 と落ち葉を焼いていたたき火にとんぼをあぶってぱくり。 次の日、もちろん彼は腹痛で休みました。 ● mina 某CMで「カレーの中にはりんごとハチミツが入ってる」 と思いこんだ私。 親にどこに入っているのか聞いてみると 「にんじんの中」と言うので、 一生懸命にんじんばかり拾っては「入ってないなぁ」 と探しながら食べて続けていました。 ● まみぞう 会社の先輩の話です。 帰国子女の彼はアメリカから帰国後、 大泉第四小学校に転入したのですが、 初登校のその日まで「大泉ライオン小学校」 というところに行くのだと信じ込み、 「かっこいいな〜」と思っていたそうです。 ● イシタニマサキ 色白で髪が生まれつき茶色で左利きの私は、 それが、幼少の頃アメリカで一時期暮らしていたことに 起因するものだと堅く信じておりました。 そして、ケンタッキーフライドチキンの前で 佇んでいるひげのおやじに、 「お前も故郷を遠く離れてつらかろう」と わけのわからない共感を抱いていたものです。 そのおやじが昭和60年、道頓堀に投げ込まれたことを知ると (当時は中学生になっていた) またしてもその白いおやじに対しての感情が沸き上がり、 かつ優勝記念のタオルを買いに走ったわたしは、 「おやじともに喜べたな」とわけのわからないことを 思ったものです。 ● ヘバコミ 小学生の頃、長〜いクソが出ると 「どうだっ!」と姉に見せていた。 負けじと姉も長いクソが出ると私に見せて威張っていた。 あの頃は平和だったな〜。 |
2000-01-01-SAT
●エンゲル智子 お菓子(せんべいとか、カリカリ系)食べる時の音、 自分の音と、周りの人の音が全然違う、 TVのCMなんかで流れてくる音も 「カリッ、ポリッ」とか、「パリパリッ」とか、軽やかで、 いかにも美味しそうなのに、自分の食べる音は、 もっと低くて、可愛くない音なんだ。 静かー−に、かじってみたり色々周りの音に近づけたいと、 無駄な努力をしたもんだ。 今になれば、自分の耳に響いてるから、 それぞれみんな自分にはそう聞こえてたんだろうけど、 自分だけが違うと、親にも言えず真剣に悩んでたもんだ。 ● わび 私が幼稚園児の頃、今よりもっとバカだったころの コトです。 おかんたちが「草刈マサオって日本人離れしてるよね」と、 話してるのを盗み聞きし、「日本人離れ=人間じゃない」 と思いこみ、しかも「人間じゃないけど人型だから、 きっと怪獣と人間のハーフであろう」 という結論に達してしまったです。 テレビに彼が出る度、恐ろしくて両親の後ろに 隠れていた私でした。 だって当時ウルトラマンやってたから、 怪獣って確実に存在すると思ってたんだもん! ● Nammy 私のとりえは「歯並び」。 小学校の時、「よい歯のコンクール」の選抜をやった際、 「きれいな歯だねえ、噛んでみて」と言われて、 わざと上の歯と下の歯がきっちりそろうように噛んだ。 ちょっと猪木さん風に。 その頃はそれがきれいな噛み合わせだと思ってたんだよぉ。 私が選抜からもれたのは言うまでもない。 ● varuku 小さい頃、野菜のカブが大好物だった私は テレビなどで大人が「株で失敗して・・・」 などと言ってるのを聞き、なんで食べ物で失敗して お金がなくなるんだろうと不思議に思っていたのだが、 カブを作りすぎたから売れなくなったんだ と一人納得していた。 ● いちゃお ガキといえるかわかんないですが、中一の冬。 あんまり寒かったので、授業中に 学生服の上から柔道着着てました。 ● mayu 幼い頃、両親と海にドライブした時のことです。 コンビナートの大きなガスタンクを指差して母が 「あの大きな丸いのは恐竜の卵が中にあって、 ああやって守っているんだよ」 と教えてくれました。 私は、信じきってその道を通るたびにいつ生まれるか、 わくわくしていました。 母はよくそうやって、純粋だった私に 嘘を教えていたそうです。 ● リカチャン 小学校に入学する前、「理科」は、 リカチャン人形について勉強するのだと思っていた。 「理科」の時間になると、今か今かとわくわく待っていた。 私の頭の中では、リカチャン人形がいろいろな衣装を着て、 回転寿司のように回っていた。 卒業する頃になってやっと、「理科」というものは、 期待していたものと違うんだと気付いた。 理数が苦手なのは語るまでもない。 ● あめゆ 幼稚園くらいのころ、何を思ったか、 いきなりリカちゃん人形の髪の毛を切りはじめた。 どうやら、『人形の髪の毛も伸びるもんだ』 と思ったらしい。 ● そらまめ 小学生のとき、結構皆んなやってたと思うけど、 家まで線(タイルやコンクリ)を踏まないで帰るってやつ。 あまりに夢中になりすぎて、友だちがすごい勢いで転んで、 膝をすりむいた。それがかすり傷じゃなくて、 膝のおさらが見えるくらいのけがだった。 命がけで毎日下校してたな。 膝のおさらって、本当にきれいな白だった。 ● 星野三十八 カプセル入りの風邪薬(クララ?)を飲むと、 E・H・エリックみたいに耳を動かせるようになると 思っていた。 ● あまき 「台風一過」を「台風一家」だと信じていました。 お父さんお母さん、じいさんばあさんから子どもまで、 家族全員がすっごい自分勝手で、 他人を引っかき回して迷惑をかけまくる どえらい一家のことをいうのだと思っていたのです。 子どもの頃、今度新しい人が近所に越してくるらしいと 聞くたびに、(どうか台風一家でありませんように) と胸を痛めていました。 ● うふふ 小学生の時、運動会の最中もようしてしまい、 トイレでしていたら、なんと形が8の字になっていました。 「おおお!」と、すごいと思ったけども、 もちろん誰にも言えなかった。 今初めて言ったけども、どうでもいいくらい恥ずかしい。 ● うなぎ 小学生のころ、友だちと消しゴムを食べてました。 もちろん、カッターナイフで小さく切ってから 食べてました。当時はプラスチック消しゴムのはしりで、 高いものは食べがいのあるおいしさでした(?)。 スナケシは食べられませんでした。 でも美術の時間に、クレヨンを消した後の消しゴムを 食べたときに、オエッとなってから、やめました。 ● マイ 日本人形みたいねと誉められる髪が自慢だったワタシ。 ある時「油をぬるとツヤツヤになる」という情報を ゲットした。 今思えばたぶん椿油かなんかなんでしょうね。 うちではお餅をバターとサラダ油で焼いて食べるんだけど、 食後の油と醤油でギトギトしてる自分の手を見た私は 「これだ!」と思い、そのまま髪の毛になすりつけた。 でもなぜか誰にも気づかれなかったのが ちょっと納得いかなかった。 幼稚園に入る前だったのに、このおしゃれ魂! ● インド バスに乗ると流れるアナウンス「運賃は運賃箱に・・・」が 「うんちはうんちばこに・・・」としか聞こえなくて、 「うんちばこがバスのどこかにあるのか?」と思ってた。 小学校中学年くらいの時「うんちん」 であることを知ったが、「うんちん」がなんなのか分からず またしても謎は深まるばかりだった。 ● ヤギダイ 子どもの頃、ドロップハンドルの自転車が 流行ってたんです。 でも子どもだし、末っ子だしで、 実際に乗ってたのは兄のお古のお子様自転車。 どーしても欲しいので、子どもながらに考えて、 ハンドルのネジをゆるめて上下逆さまにしてしまいました。 (友だちにはけっこうウケた) いま思い出したけど、止まるときも途中から ブレーキつかわず、足の裏でザザザッ!ってやって 停まってたなぁ。 ハンドル逆さまのミョーな自転車で、 走ったり止まったりを繰り返すボーズ…… その時はそれが「カッコイイ」と心の底から信じてたの!! ● koguma 幼稚園に行っていた頃、大人(おばあちゃん)が 毎日お薬を飲むのがすっごい「大人」に思えて 自分もやってみたいと思い、幼稚園に「たまごボーロ」を 何粒かティッシュにくるんで持っていき、お弁当のあと、 「あたし、おくちゅり飲まなくちゃ」っと言って 友だちの前でポッケから「たまごボーロ」を取り出し カップに水をくんできて自慢げに飲んだ。 ふふふ、みんなうらやましそうに見てるわ! と思って大満足だったんだけど、今思えば 「この子、ばかじゃん」って思われていたのかも。 きゃあ〜、はずかし。 ● やす 高校時代もバカでした。 トイレ掃除当番で、クレンザーにサンポールを混ぜると 正体不明のガスが発生することを発見した当番一同は、 テニスボールの空き缶に細かくちぎった トイレットペーパーとクレンザーとサンポールを 六分目まで入れ、密閉してよく振ったあと トイレの真ん中に置いて逃げました。 しばらくすると「ポンッ!」という音とともに 内容物が噴出し、壁といわず便器といわず 濡れたトイレットペーパーが付着。 大笑いしながらそれを洗い流すのが掃除時間の日課でした。 ● きょうこ 小学校の頃、両親が出かけている時に鈴を 鼻の穴に入れて遊んでいた。 入れては出しを繰り返しているうちに、 「もっと奥へ!」が高じて取りだせなくなった。 「お母さんたちが帰って来ちゃう!!」 母の鏡台の前で脂汗浮かべつつ鼻の穴思いっきし広げ、 それでも取れない鈴。 帰ってきた母に連れられて耳鼻科へ行きました。 ●わたまり 自動販売機には、人が入ってると思いこんでて、 「トイレに行きたくなったらどうするんだろう」 とかいらん心配してました。 あと「ジュースをちゃんと間違えずに出してて、 すごいなぁ」とか感心したりしてました。 |
2000-01-02-SUN
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