まるでハガキのように。 |
◆「まるでハガキのように」によせられた 「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。 |
●jun 真冬の木枯らし吹く中、スラーピー (氷シェイクドリンクってかんじの飲み物、わかります?) を学校帰りに歩き飲み。 ストローから一気に冷たい液体が喉を通って落ちる、 と同時に心臓がきゅーっと痛くなって、目の前が黄色に。 すぐ 戻りましたが 心臓麻痺ってこーゆー事? 三つ葉の茎をストローにしておすまし飲んで、 喉を火傷した事もあります。 ● えれき いつも三人で遊んでいたので、「手打ち」 (バットすらもたない野球遊び)をするときは、 ピッチャー、バッター、外野を配置すると いっぱいいっぱいになってしまい、 バッターが打ったときは「透明ランナー一塁!」 などと叫んでいた。 走ったつもり、ということなんだろうけど、 自分がピッチャーをやる頃には たいていどの塁にいたか忘れていた。 ● ウルトラの母 兄がいつも見ていたウルトラマンに 自分もなれると思っていた。 ある日、兄のおもちゃ箱から変身グッズを持ち出し、 変身した!? そして、家の階段の一番上から、 シュワッチ!!! 頚椎損傷、左足骨折、左上腕部骨折、右手首骨折・・・ 全快した私は、やっぱりウルトラマン? ● K2R 友だちの家で洋式便器の上にまたがって 用(大)を足してたこと。 無論、それまで和式便器しか使ったコトなかったさ・・・ しかもくみとり。ぽっとん便所。田舎モンやったな〜。 ● しのりん そういえば「おれ、おしっこ飲んだことあんねん!!」 って豪語してた友だちをめっちゃ教祖的な目で見てた。 尊敬! ついでに恋もした。ばかって言うか、あほやろ。 ● はち 小学校の道徳の時間で黒板になんでだったか忘れたが、 「めんどうくさい」と書かれていたのを、 休み時間になっても消えていなかったので、 友だちと相談して「め」を「あ」に変えて 「あんどうくさい」にした。 クラスに安藤君がいたので先生がすごく怒っていた。 帰りの会で「誰がやったんだ?」と問い詰めていたが、 私は知らん振りしてたので 「誰がやったか知っている人はこの紙に書きなさい」 と言ってクラス全員に紙を配り、提出させ、 まんまと私だけバレた。 私だけ漢字ドリル10ページの宿題が出された。 ● Hammama 「パンダ従業員募集!」と言う電柱に貼られたチラシを見て 「パンダの社員を探しているんだ」と本気で思いこみ、 いつパンダが勤めるかワクワク。 しばらくはそのラーメン屋を貼りこんでいた私って… お馬鹿さん。 ● なつめ 小3のとき、初めて我が家に電子レンジがやってきた。 3歳上の兄は 「電子レンジのあのオレンジの光を直接見るとな、 目が焼けてしまうねんぞ」 とわたしに伝授。 以来、赤の半透明の下敷きを目に当てて、 目を防御しながら毎回モノを温めていた。 ● ばる 「スフィンクス」はピラミッドを背中に乗せている と思っていました。かたつむり状に。 教科書の写真が小さい上にモノクロで 遠近感なんて感じにくかったからだと思います。 だいたいエジプト感を演出しようとして、 「あの」角度から撮った写真ばかりなのも 問題ではないでしょうか。 きっと同じ過去をもつ人がいるはずだ! と思ってます。 ● わびすけ 思い出した。 小学生のころのケンカは「言った、言わない」 というのがよく原因になってた。 んで、大抵「このままあと一押しすれば勝てる!」 という状況になった方が、旗色の悪そうな方に向かって、 「そげなこと言わんわぁ、いつ言った? 何時何分何十秒に言っただ!」 と言ってました。 そして、大抵「言っただ」の後に 「地球が何回廻った時?」と言う、 誰にも答えられない問いが付け加えられ、 答えられないでいる(当たり前だ)旗色の悪い子に、 押しの強い子が「勝った!」という誇らしげな表情を見せ、 ケンカは終わってました。 大抵のケンカのラストがこんなカンジだったような・・・。 ● こじ 小学校4年生の夏休み。 妹と学校付近で遊んでいたとき、 あずき氷のアイスの容器を見つけました。 中は空っぽだったんだけど、すぐ隣に あずきがたくさん転がっていて、 手でつまんで空のカップに入れて遊んでいました。 と、よく見るとムサムサ動いているのです。 丸まっているダンゴムシでした。 妹と泣きながらおうちへ帰りました。 ● 肝臓帝国 小学校三年の時のこと。 社会科の時間、教育テレビの 「はたらくおじさん的グループ研究」を課された。 私たちのグループは「お肉屋さん」を 研究することになった。私たちは発表した。 「鶏肉100g・・・円、豚肉100g・・・円、 牛肉100g・・・円」と。 担任の会田先生の激怒の意味が全く分からなかった。 ● キーみ 小学校の頃、ストーブにみかんを置いて 焼いて食べている人たちがいました。 わたしもやってみたけど、まずかった。 すごくはやってたんですが、なんであんなにみんな、 のせて焼いてたべていたのか、いまでもわかりません。 ● ささや 中学生の時レストランにて。 友人と「コレ、美味しそうだね」ということでオーダーを。 「かいろうグラタン2つ」。 ウエイトレスのお姉さんは冷たく 「エビグラタンですね」と言いました。 海老なんて漢字で書かないでほしかった。 とても恥ずかしかった&おバカでした。 そのトラウマが今だに残り、食べ物をオーダーする際は 「これ」とメニューを指で指すようになった。 ● 純潔 今初めて明らかに致します。 小学校3年の時、友だちが家からこっそり持ち出した 外国のもろだしH本を見せられました。 最初はうきうきして見ていましたが、 後半、初めてみた結合場面では気持ち悪くなり、 その場でおう吐してしまいました。 ● 欣喜雀躍 夏休みの工作の宿題に、 牛乳パックに水を入れただけのモノを 「消化器」というタイトルで出品したこと。 ● コロ太2000 小学校低学年のある日、近所で改築のため 取り壊した廃屋の中から“階段”の部分が キレイに落ちていました。 「これをイカダにして乗ろう!」と、 その“階段”を子どもたち6人くらいで川まで運びました。 川までの道のりは約2キロ、めちゃくちゃ重いその “階段”をやっとの思いで川に投げ入れたとたん、 “階段”はブクブクと沈んでいきました。 ● チュー とある女の子に翻弄された我クラス4年2組の生徒の ほぼと言ってもいいくらーいの人たちが、 音楽室のグランドピアノに玲子さんという幽霊が いるという話を信じてて、行くだびに ピアノの中を覗き込んで、耳をそばだてたわ。 ● 二人のミツル 幼稚園か小学校低学年の頃、 お父さんが自室で仕事か何かをしているときに、 よくパソコンでゲームをやらせてもらっていました。 その内の一つに 「じゃんけんに勝つと女の人が脱ぐゲーム」、 つまり「野球拳」がありました。 当時はそれに気づかずにじゃんけんを楽しんでいましたが、 今思うととても恥ずかしいゲームをしていたなぁ。 5〜7歳ぐらいにすでにアダルトゲームを やっていたとは・・・。 16歳になってやっと気づいた僕って馬鹿・・・。 ● ころりん 酔っ払った父に 「いいか、カリントウっていうのはウサギの糞を 固めて出来てんだ!」と言われ 「なるほど」信じていた。親も親だけど私も相当。 ● のすたるじあ 小学生の頃は勉強のよく出来る、おとなしい女の子でした。 学校でくしゃみをするときは上品にするよう 心がけていましたが、実は加藤茶のくしゃみ 大好きだったので、家でするときは親の前でも必ず 「ひっクしゅっ」とやっていました。 今アメリカにいるのですが、 ひとりでいる時はどうしてもまた加藤茶になります。 ● ようこ 私は、神経質で時間に几帳面な子どもだった。 幼稚園には母が送ってくれていたが、母の支度が出来る間 「早く行かないと幼稚園の門が閉まっちゃう〜!」 と毎日のように大泣きしていた。 しかし今や遅刻の常習犯。 ● ようこ 小学校入学前、居間の床で大の字になって 昼寝中の父を見かけ、その胴体をぴょんっ! と飛び越して遊んでいた。ふと思いつき、 「飛び越さずにこの腹の上に着地したら 良く弾んで面白かろう」 と思いつき、両足飛びで父の腹の上に着地。 ぐっすり眠っていた 父が上げた「ぐえっ!」という声が今でも忘れられない。 ● ヒノリ 小2のころ。授業中。 鼻くそをほじり、自分の座ってる椅子の足に くっつけてためていた。 授業を聞きながらなので手探りでくっつけるんだけど、 そのとき前日の鼻くそくんが カリカリになってるのが触れたり。 我ながら小2のころはなんと伸びやかな お子だったのだろうと感心。 ● ヒノリ 小2のとき。クラスの山崎くんは、消しゴムで なかなか消えない鉛筆で書いた文字を消すのに、 赤鉛筆で上塗りしてから消してた。 赤鉛筆と黒鉛筆の成分が化学反応を起こして… とか考えてたんやろうか。 ● えど 小学校1年生の時、なぜか「反省しなさい!!」と、 母に怒られ、玄関の外にしめだされてしまいました。 「なんで?」と、思った私は目の前にならべてあった 牛乳ビンを相手に 「それでは、これからはんせいかいをひらきます。 どこがいけなかったと思いますか」 とミーティングをひらきました(マジで)。 しばらくして様子を見に来た母が「まだ遊んでる!」と、 さらにしめだしが長引いてしまいました。 ● はらぺこ 5歳のころ、母が出かけていて、 おやつが見当たらなかったので ひそかに好きだったビオフェルミンを一瓶食べた。 ● のりこ 実は私、二十歳を過ぎるまで、あみだくじをするたびに 「あぁ、今日のは上手にできたから 同じ所に行かなくてすんだ」と 毎回思ってました。 ● 痴人 10歳の頃、毎日夕方になると友人と3人で 丸いバッヂを身に付け、円になり、まじでUFOを 呼んでいた。 ・・・いまだに現われない。 ● りい太郎 TVドラマや映画で殺される役の人は 本当に死んでしまっていて、悪いことをした人? だと思いこんでいた。 ぜ-んぶ嘘っぱちだとわかった今でも、 そういうシ−ンはやっぱりドキドキしながら 見てしまうんですよねー、なんかくやしい。 ● お陽 小学6年生のころ担任の先生から 「せこい」ということばは使ってはいけない というお達しがでた。 当時ちまたにセコイヤチョコレートなるものがあって ・・・・そうです・・・・ 瞬く間にクラスのほとんどの子が 「せこい」を使っていなかった子も(私もその一人)含めて 口を開けば「せこーーイヤチョコレート」 と言うようになっていた。困ったガキたち 。 ● イタリアかぶれ ガキというか中学の時。 スポーツテストの持久走で校庭を走っていた。 女子はハチマキするのが決まりだった。 2周目、ただの持久走だってのにナゼかハチマキが落ちた。 3週目、その場所に戻ってきたので 走りながら拾おうとした。 そこはちょ〜ど、好きな先輩の学年が座っている場所の前で もあった! …それを意識したのか、拾うのに失敗してコケた。 そして膝から出血。 今思い出しても、ただのバカ。 そんな私も、今では立派な薬学生。 ● MON したことのある人は多いと思うんだけど、 風呂の中でオシッコしました。 水面近くにオチンチンをもってきてすると、 噴水みたいで面白かった。 あとで親たちが入って、ああ、いい風呂だなあー、 と思っていたんでしょうねえ。 ● なおぞー 今もあるかどうか分からないのですが、 カルミンみたいなやつで笛になってるのがあったのですが、 (円盤状で真ん中に穴があいてる) それを喉に詰まらせた事があります。 ちょうどすっぽりはまったらしく息をするたび 「ピーピー」音が。 私はかなり苦しかったのですが、 周りに居た家族からは爆笑され、 「ラムネみたいなやつでしょ。溶けるから大丈夫よ」 と言われ、苦しいながらも「そうか」と、納得してました。 でも、ほんとにくるしかったっす。 |
2000-01-18-TUE
●もこ21 トイレで水を流すとき、水を流すレバーに「大」、「小」と 書かれているので、 子どものころ 「大きい方と小さい方は、流れ着くところが違うんだ」 と思っていた。だから、大きい方をしたのに間違って 「小」で流すと、処理する人に迷惑がかかると思い、 わざわざもう一度「大」で流し直したりしていた。 三年くらい前にふと「単に水の量の違いなんだ。」 と気づいた。 ● きつね ガキの頃に良くやっていた遊びというか悪戯というか... ゴムフーセンに小便を入れて、 それを友だちや近所のガキに投げつける! ただ、小便だけでは風船もそれほどふくらまないのに、 記憶ではかなりふくらんでいたような? どうやって空気を入れていたのか考えると...。 ● ほーちゃんのママ 4、5才の時、銭湯に行って母の大事な所の毛を見て、 お父さんと同じだと思い大きくなったら、 女の人もおちんちんが付くものだとずっと思っていました。 自分の心の中で考えて気付いて、こんな恥ずかしいことを 人に聞かなくて良かったと思いました。 ● てるみ 小さい頃、母に「風はどこから吹くの?」と聞いたら、 母は、窓から外を指差して 「あの遠くに見える山に洞穴があって、 そこに鬼が住んでいてね、 その鬼は大きな扇風機を持ってるのよ。 風はその扇風機の風なのよ」と教えてくれました。 その日から、来る日も来る日も窓際に座り、 目を皿のようにして、山の洞穴を探しました。 その後、その山に送電のための鉄塔が建ったとき、 母に「あれはロケット?」と聞いたら、 「そうよ」と答えてくれました。 ロケットが発射する瞬間を見逃してはいけないと思って、 来る日も来る日も、山の鉄塔を見張っていました。 ● YU-KI 良くお店にあるお客様の声という箱に、 カセットテープに声を吹き込んで入れると思っていた。 ● おかる 母から聞いた話。 私が3歳ぐらいの頃、なかなかトイレから出てこないので 心配に思い、覗いたら、出したばかりの自分のウンチを 舐めていたのだそうダ! 自分の中から放出されたウンチなる存在が 不思議だったんだろうね。 ● まんもす 小さいころの写真にはなぜか ビニールでできたおもちゃの買い物カゴを 頭にかぶった私と妹が写っている。 それも何枚も。 どうやらかっこいいと思っていたらしい。 ● 陽さん 4、5歳のころ、ともだちの家に遊びに行ってて 大◯をもよおしたので、ちょっと帰ってくると言って 自宅にもどった。 けれどかなりピーピーで、またトイレに行きたくなる。 母親も出かけていて、ともだちにピーピーで というのも恥ずかしかい。どうしたものか。 なんと母のナプキンをオムツがわりにして またあそびに行ったのでした。 内緒でごみ箱に捨てていたのだけど 見つけられて笑われました。 ナプキンが何かはよくわかってなかったけど 本人は必死だったのだ。 ● かってに修羅 妹のユキちゃんはとてもシャイな子でした。 中学生ちかくになってた時、道を尋ねられても 東へ向き指差しアッチ。西へ向き指差しコッチ。 ・・・とそれだけしか答えませんでした。 そのユキちゃんが某電器メーカーの キャンペンガールとして町へ帰って来たとき 母は驚きのあまりぶっ倒れました。 ● うーじー あれは夏のことだった。 今は亡きおばあちゃんの作ったおいなりさんを・・・ 短パンの横から出ているおいなりさんと比べていた。 ● なほ 小学生の頃、父にたばこのおつかいをたのまれると 近所の人や警察のひとに見られたら 私が吸うと思われるんじゃないかと思い、 コソコソキョロキョロしながら買っていた。 今思うとそんな私が一番不審・・・。 ● このやろう いつも僕をイジメてくる兄貴を 本気で兄貴が寝静まった後、殺してやる!! と兄貴が寝るのを待っていたが、 いつも兄貴より先に寝てしまっていた。 ● へろん 2つ並んでいる鉄棒の境目部分で、 右手で右側の鉄棒を、左手で左側の鉄棒をつかんで、 前まわりをしました。 アタマの中では、わかってるんですよ。 それやったら支柱にアタマ打つってことが・・・ なのにもしかしたら(何がもしかしたらなのか・・・) と思って。 ● CHIDA 小学校の低学年の頃、我が家のトイレは汲み取り式で、 オトシガミ(四角くて目の粗いペーパー)を 使用しておりました。 ある日、無性に落書きがしたくなり、 クレヨンで、土壁にニョロリ〜と線を一本書きました。 しかし、すぐに後悔の念にとらわれ、思い立った対策が、 オトシガミの四つ角を唾で濡らして土壁に ペタッと貼り付けること。 …当然母にこっぴどく叱られましたが、 なんでバレたのか不思議だったなぁー。 ● 稲荷 油揚げはきつねだと思ってた。 皮のところはパリッとしてて、うまいんだろうなと……。 毛は全部剥いで売っているんだと思っていた。 ● かぁぼぅ 幼稚園くらいの頃、よく朝に近所の店で 豆腐を買ってくるおつかいをたのまれていたけど、 帰り道にちびちび豆腐の角を食べながら帰ってました。 そして家に着くと「こんなのしかなかった」と 角の無い豆腐を渡していました。 ● 松本 忍 小学生のとき弟とガムテープをぐるぐるに巻いた ピンポン玉とバトミントンラケットを使い、 近所の空き地にプリンのカップを埋めて ゴルフらしきゲームを毎日のようにやってました。 近所の「今野さん家」の屋根越えなど あまずっぱい思い出です。 ●ロボット番長22号 小学校中学年の頃、「リポビタンD」は 勃起するための薬だという噂が仲間内で広まり、 性に目覚め始め無防備だった当時は 真剣に思いこんでしまった。 そのころ、家でよくリポDを飲んでいた親父に 聞いてみたら「似たようなもんだ」 と言われ、その思いこみが確定した。 それから十数年... 真実を知ったのは、バイアグラが職場で 話題にのぼったとき、 「あー、リポDの強力なやつでしょ?」 と口走って終わりを告げた。 ● Chaffet 小さい頃、コンタクトレンズにすごく憧れてました。 だから入れてもいないのに、強い風が吹くと 「あ、コンタクトが」 てな感じに目の縁をいじってました。 そして小六になって初めてコンタクトを入れて通学の日、 朝急いで入れたせいか ずーっと右目の調子が悪かったんです。 全然見えなくて。 でもこれはきっと「コンタクト」が「目の裏に」 行ったのに違いない、とみんなに自慢して 一日を過ごしました。 家に帰ったら、朝涙を拭いたタオルに パリパリになったコンタクトがくっついてました。 ● おーしま うちの妹は、わりと大きくなるまで、 セシールのTVCMの最後に流れるフランス語の 「…フィアンセソネム〜」とかいう言葉を、 日本語で「しあわせそのもの〜」と言っていると 思っていたらしい。 ● ぺしゃめろ 父の転勤で北海道から東京都国立市に 引っ越してきた小2の私は、 JR国立(クニタチ)駅に貼ってあったポスターの写真 「国立(コクリツ)xx公園」の白波うねる断崖絶壁が ご近所と思い、自転車で探検に出ましたが、 (やっぱり都会は広すぎるんだ)と諦めました。 ● ぎむ 幼稚園の頃、「セーラー服を脱がさないで」が流行。 でも歌詞の「脱がさないで」の部分で 議論がまっぷたつに分かれました。 あたしは絶対「脱がす」派・友だちは皆 「濡らす」派でした。 「だから! 意味的に脱がすじゃないと変でしょ!!」 と力説していた……(しかも誰も理解してくれなかった)。 ● おひさま 中学のころ先生いじめがはやったんです。 すごくひいきする先生でみんなから嫌われていました。 でもそのいじめ方がかなり幼稚!! 「10時になったらみんなでシャーペンをカチカチやろうぜ」 とか 「みんな一斉にカンペンを机から落とす」とか・・・。 何がばかってそのためにみんなカンペン買ったのが 1番だと思う。 ● おひさま 「ドラマに出ている夫婦が本当の夫婦だと思っていたこと」 絶対みんな経験してると思う!! 子どものころ東ちづると中畑清が さんまのまんまみたいな特番組やってて 「この2人は夫婦だ」って中学のころまで信じてました。 今考えればバカな話!! ● HIGE 私は幼稚園の頃、お外遊びの時間というと いつも砂場に座り込んで透明な石(石英の細かいやつ) 探しをしていたことを思い出しました。 別にばかってほどでもないんですが、 みんなが鬼ごっこやブランコで遊んでいる時に 一人ぼっちで幼稚園の片隅で 石を集めながらにやにやしている子どもを想像すると 自分のことながら「気持ち悪いぞお前・・・」 と言ってやりたくなります。 ● イチョウエキス ガキの頃、といってもたった4年前の中三の頃の話ですが、 学校の国語の授業で、戦争文学の勉強にと戦争中の歌や 空襲爆撃音や天皇の玉音放送のテープを 先生が流した時でした。 最初はおとなしく聞いていた私たちでしたが、 歌をバックにした解説のナレーションに誰かが 「あ、ポロリだ」と言った瞬間、 「そうだ! この声の人、にこにこぷん (おかあさんといっしょ)のポロリの人だ!」 とクラス中がテープの内容ではなく ナレーションに騒ぎはじめ、そのあとはもう 「なつかしいよねぇ、ピッコロって怒ると ドーン! って跳んでみんなころんじゃうんだよねぇ」 とか言って授業どころではなくなってしまったのでした。 ● なつ なかなかとべないなぁ〜と思いながら、 ホウキを股にはさんで友だちの家へ遊びに行った。 サリーちゃんのホウキにそっくりだったので、 飛ばないはずがないと思っていた。 ドキドキワクワク、小学校2年生の忘れ得ぬ数日間。 |
2000-01-17-MON
●彩 子どものころ、どうして風が吹くのか謎だった私。 そこで、お母さんに聞いてみた。 「なんで、風って起こるの?」 「あー、それはね、世界のどこかに、 おっきな扇風機があって、そのせいなんだ。」って。 まじで? って子ども心にも思ったけども、 言われてみればそれもそうかも、ってあっさり信じた私。 しかも、給食の時間に得意顔でみんなに教えてあげたら、 めちゃくちゃばかにされた。 ● さおる いまだにげっぷが上手にできない私。 当然小さいときも出来ませんでした。 出来ないとなると、人間うらやましくなります、 欲しくなります。そんなときどうするか? 4歳年上の兄から買っておりました。 「げっぷ屋さん。一つ下さいな」 「まいど〜。(げっぷ)10円になります」 馬鹿だった〜。 ● ユーコ 私はサンタクロースを信じていない、 かわいくないガキだった。 が、中学3年生の時にお花見に行ったときに、 生まれて初めて‘見世物小屋’なるものに出会い、 ほんとーっにへび女がいると信じた。 「そんなかわいそうな生い立ちの人を見せ物なんかにして! 大人はなんて汚いんだ!!」 と誤った正義感で怒りにもえていた。 ● イロヤン ガキの頃ではないけれど、うちの嫁が テレビ番組を見ていて「よねこ」って面白くないね と言ってるので、誰のことかと思ったら、 お笑いコンビの「よゐこ」のことだった。 うちの嫁は「ゐ」という文字の存在を知らなかったらしい。 ● せら 子どものころっていうか、今もなんだけど、 車が猛スピードでバックしてるのを見ると、 「あれ? そっちが前だったっけ?」 って思ってしまいます。 ● ゆずりんご 小学2年生の時、ガードレール (鉄の棒が3本水平に並んでいる)で 鉄棒の前回りをしたところ、 棒と棒の間に頭が入ってしまった。 向こうは溝になっているし、頭は抜けないし、 血は上ってくるし、もがいていると大勢の人が 集まってきて、救出してくれた。 ● こたつアリシオ 「から〜すなぜ鳴くの〜」の 「山の古巣にきてみてごらん」のところ、 「フールス」というしゃれた感じの地名だと思っていた。 ● おぼこいだだひ 小4くらいのとき。 突然「おぼこい だだひ」という変なコトバ(?) を勝手に思いつき、 「このコトバ、いったいいつまで覚えてるんだろう」 と思いました。 ● なみへい 小学校低学年のころ“道路の歩行者用の白線から出たら 死んでしまう!”と一人思っていた私は、 ものすごく通学路のすみっこ歩く子でした。 ● シルチョフ 人の勘違いを暴露しにこっそりやってきました。 高飛車なるみこ文体でほぼ日読者を魅了する 「るみこさん」ですが まだ日本にいらっしゃった幼少のみぎり 「竿屋ー竿竹ー!」という物売りの声をずっと 「酒屋ー竿酒ー!」と思っていたらしいですよ。 走るトラックに積まれているのがどうみても竿竹にみえても 「あれこそが竿酒というもので 中にお酒が入っているに違いない。」 …とかたく信じていたとか。 お母さまが物干し竿を新調された際に わくわくはじっこのキャップにとびついた少女は 母親の笑声を浴びてひとつ賢くなりました。 家にある物干し竿は、既に中身を飲み干した竿酒だとでも 思っていたんでしょうかねえ…? まったく、子どもの考えることはわかりませんわ。 ● くりきんとん 佐川急便のトラックの飛脚のふんどしをさわると 幸せになる、という話を信じ、みかけては なでなでしてたなあ。でも、このはなし、 いろんな説があるんですよ。 さわるのは飛脚のおしりだ、とか、 運転手のお兄さんのおしりだ、とか。 局地的に発生した流行だったのかな。 ● さっきー 私は、あの天下?の五木ひろしさんを小学校3年生まで、 ずーと「ごき ひろし」と呼んでいた事です。 画面に彼が出てくるといつもゴキブリみたいだなぁー と嫌な気持ちに勝手になっていました。 ● みっちょんちょん 「恐ろしい恐ろしい」とテレビをみていう祖母。 最近知った「コンパ」という言葉を うちのおばあちゃんは確実に 「乱交パーティー」と勘違いしていた。 お正月の親戚が集まってる中、 どこぞのじいさんとばあさんがキスしたとかいう話題で 皆をひかせたこともある。 こんなハイカラなおばあちゃんをもって大変しあわせです。 ● コリンズ・スミさっ 小学生のころ、たまの外食で、残ったごちそうを テイクアウトするのが、はずかくしてしかたなかった。 お店の人に、パックをもらって詰める母の姿が いやでいやで、そんな母を怒りとばしていた。 ほかのお客さんやお店の人の前で、 私がそんなふうに怒ることが、 母を惨めにさせていたとも知らずに。 ごめんなさい。 いまでは、ちゃんと残さず持って帰っています。はい。 ● あつおの 幼稚園の頃、なかよしのコトエちゃんと、 秘密の遊びをしていました。 その名も「エッチマンごっこ」。 コトエちゃんはお医者さんの娘で、 私はそれだけで彼女は医学的な事を 知っていると思いこんでいました。 エッチマンごっこはいわゆるお医者さんごっこの 延長だったのですが、その医者は とてもエッチだという設定です。 そして、医者になった方がもう一人に 注射をするのが決まりです。注射器は普通の鉛筆でした。 私がコトエちゃんに注射をするときはお尻のほっぺたに していたと思うのですが、 コトエちゃんは必ずといっていいほど 私のお尻の穴に注射をしていました。 結構痛かったのと、そのあとコトエちゃんが その鉛筆を鼻に持っていくのが印象的でした。 ● 菜種ココ チューインガムを飲み込まずにペッしてポイするのは、 飲み込むんだチューインガムが心臓にペッタリ貼りついて ポッコリ死ぬと思っていた私。 ● 紗南 私ではありません。断じて。 先生の話で「毎年いる」と注意された私たちの学年。 注意したからには間違えさせないと言う 先生の考えに反して、世界史のテストで、 「問い 世界で初めて貨幣を使ったのは何人か?」 「答え・・・1万人??」 と言う自信なさげーな解答がちらほら。 少なくとも世界史を学ぶ歳のことでした・・・。 ● ゆうじ 小学校の卒業直前に、家族が引っ越したので、 僕だけ、おじさん宅から学校に通っていました。 土曜日には家族のところにバスと電車で、 1時間ほどの小旅行を何回かしたのですが、 そのたびに腰のベルトにかなずちをさして、 往復していました。 お袋に見つかって、以来50年、話の種にされています。 だけど、どうしてそんなことしたのか、 今思い出しても、判りません。 ● よーちん 小学校に入る前くらいまで思ってた。 ちびっこは成長が早〜い。 母が「あら、もう靴ちいちゃくなったのねぇ」 と言って買い換えてくれる度、「靴って縮むんだぁ!」と。 ●かってに修羅 ずぅ〜っとむかし・・・。 もちろん子どもの頃、建国体操というのがありました。 カンタンな体操です。 兄は大人たちに上手だ上手だとほめられるとオイチニ、 オイチニと同じ動作をいつまでもくりかえし、 くりかえしやっていました。 なぜか私は、やりませんでした。 ● のり 勢いよく ブランコから落ちて、お尻を地面で しこたま打ってウッ・・・となっていると もどってきたブランコで後頭部を強打。 5、6回落ちたが、すぐに逃げないと 時間差攻撃の後頭部強打がくるということを 毎回忘れていた。 ● みど 小2の時、綿(わた)を細くねじって糸を作る という遊びが女の子の間ではやりました。 家に帰って綿を探していたら、棚の中に、 袋に小分けされて綿のつまった四角いものを発見しました。 次の日には、それを友だちの分まで学校に持って行って 糸をせっせと作っていたんですけど・・・。 数年後に気付いて赤面しました。 それって、母の生理ナプキンだったのです (昔のは綿が入ってたのよぉ)!! ● akko 「へびいちご」(きいちごみたいなもの?)を食べて 友だちから 「それ食べたらお腹の中で蛇が育つのよ」 と言われ心配で毎日出てくるウンチが 蛇になっていないかブツとにらめっこしていました。 ● ちゃい 幼稚園くらいの頃だったか、 お茶漬けの素に似てなんとも美味しそうだった物質を こっそりなめてみた。が、姉に見つかり 「おかあさーん、○子が金魚のエサ食べてるー」 とチクられた。 ● いちぼう 親に怒られ、傷ついた(フリ)ことで気を引きたかった。 そして家出にあこがれていたわたしは 裏口からそっと我が家を後にする。 しかしそれも芝居で、実は窓の下に隠れていた。 日曜のお昼どき。 時間にすれば20〜30分というところだったろう。 その時のわたしにはもう夕方か? という感覚と、 もうすぐ見つかるかも知れないという ドキドキわくわくした期待感がある。 おなかが減ってきた。 あまりに遅いのでそっと中をのぞきこんでみた。 そこには、普段と変わらない「日曜のお昼ごはん」な、 家族の姿があった。テレビなんかに気とられちゃって。 わたしは音を立てずに家に入り、 そしてさりげなく食卓の輪についた。 あの頃はバカだったと思う。 ● 達人 夕暮れ間近の小学校からの帰り道に ふと石を見つけまして、コレを蹴飛ばしながら家路につく。 なぜにそう思ったのかは未だにわかりませんが、 石を途中でどぶに落としたらゲームオーバーという ある意味自己脅迫観念に似た使命感を持ちながら帰ることが しばしばありました。 無事家まで石を蹴りつづけられたならHERO気分でした。 そんな経験皆さんにはございませんか? |
2000-01-16-SUN
●塾長 コドモの頃、 足のひざに毛の生え始めたコドモの頃...。 そこをやさしく撫でることの気持ちよさに 酔いしれていたコドモの頃...。 今では、ひざは剛毛に包まれ、 「ひざ毛(げ)」として みんなから愛されています。 ああ、こんなに生えるまで 刺激するんじゃなかった! ● 風害 山手線がまだ、ドアに入ると真ん中に ステンレスの棒が立っていて、床はまだ板で 時々消毒の為かコールタールが塗られていた時代だった。 渋谷から高田馬場まで通学していて、 ある日中国からの引き揚げ船・橘丸が竹芝桟橋〜大島に 連絡船として就航し何日に大島に向け、 処女航海と赤い字で大きく書かれていた。 その当時私は中学2年、恥ずかしくて そのポスターの処女という字が頭にこびりついて、 その日1日貧しい想像力で、頭の中は、いっぱいだった。 授業どころではなかった。 ● zue 子どもの頃親に「大きくなったら何になりたい?」 と聞かれ 「私大きくなったら女優さんになる」と答えると 「女優さんはいろんな国の言葉がしゃべれないと なれないんだよ、だからこのアメリカ人も 日本語をしゃべってるでしょ」と言われ 「そんないろんな国の言葉を覚えるなんてとても無理だ」 と思った私は女優への道をアキラメタ・・・。 アフレコなんて知らなかった・・・から。 いや、理由はどうあれ正しい選択だったかも・・・ ● BON むかぁーし むかぁーし...っていっても 10年前くらいかしら? ホンマにしょうもないことでいろいろと 喧嘩していたんだけども...その一つに 「ねぇねぇ、あそこ見てごらん」と言って相手を促し そしてすかさずこう歌う。 「馬鹿が見ぃーる 豚のけぇーつ 蝿がと.ま.る」。 憤慨する相手...追いかけ回され叩かれる... 今考えてみると「だから何?」 でもあのころは妙に楽しかったのよねぇー。不思議。 ● maru-tama 「大好きなモノは一番最後に食べたい!!」が高じて 小学校一年生だった私は給食に出たイチゴをひとつ お気に入りのグリーンチェックの ジャンパースカートのポッケに入れた。 すっかり忘れて迎えた放課後、いい香りとともに ポケットにはぺちゃんこにつぶれたイチゴの果汁 100%のシミが広がった。 ● 夫人 高校の頃、おせんべい、チョコレート、おせんべい、 チョコレートと順番に食べると天国だ〜と発見した私は、 見事、天国太りという地獄に陥った。 ● やまそだち 半ズボンをはいてたガキの頃、 何にでも登るのが好きでした。 その日も道路標識(駐車禁止とかの白いポールのやつ)に 登って得意になってた私。 その日の半ズボンはポケットが無く小遣いの十円玉を 口にはさんでました。そこへ通りかかった友人。 もちろん自慢せずにはいられません。 声をかけようと口を開いたとたん……。 十円玉はのどの奥に。 幸い食道には縦に詰まったため、 呼吸が苦しい位で本人は冷静でしたが 周囲は大騒ぎで病院にかつぎ込まれました。 人生最初の危機でした。 ● ばーちゃるばーちゃん 幼稚園でかわいい女の子がいて、 皆から目がぱっちりして可愛いと言われているのを聞いて 自分も言われたいと思い、目をパチパチ ずうっとやっていた。 親が先生から、逆さまつげかもしれないので、 病院へ連れて行くようにと言われているのを聞いて、 4歳にして、可愛いふりはできないものだと悟った。 ● よねこ 私はラジオは全て生放送だと思ってました。 トークの途中の「歌」や「CM」までも。 ラジオ局にはたっくさんのスタジオがあって、 そこに歌手がスタンバイしていて、 全て生演奏して歌っていると思っていたのさ。 子ども心に 「歌手って毎日朝起きて寝るまでずっと歌ってるのは 大変だ」と思ってました。 なぜテレビでもラジオでも歌えるのかが不思議で 母親に聞いたら「あほかっ」の一言で一喝され、 そういえば自分の持ってるレコードと毎回同じ歌、 と気づいた時にはすでに小学校3年生くらいでした ●原口ガイア 小学校2年生のとき、クラスで仮面ライダーV3が 異常に流行っていました。 小学校のそばの公団住宅に主人公風見志郎を演じている 宮内洋が住んでいる、という根も葉もない噂を 聞いた私と友人は、おもちゃのトランシーバーを持って 「宮内」と書いた部屋まで行き、 どきどきしながらドアにいろんな角度でアンテナを接 触させてはスピーカーから出てくるノイズを懸命に聞いて、 「確かにここにはV3がいる」という確信を得ていました。 ● たれみみねーたー 「パーティーで鳴らすクラッカーには、 紙テープの芯に中国の新聞が入っている」 といううわさを信じ、異国情緒恋しさに、 たんまり買って鳴らしては、1個1個必死で調べていた。 お陰で家中きな臭くなって、親に「頼むからやめてくれ」 と泣かれた。 ● paris ごくたまーーーにお月様が赤い日ってありません? 今も時々あると思うんですけど…。 小さい頃兄に 「あれはなー、世界で一番高い山の頂上にある赤い土を、 登った人が月にむかって投げたから 赤くなっているんだ…」 とまるで言ってはいけない話をするかのように こっそり教えてくれて、なんだか怖くてそ れ以来すっかり信じ込んでしまいました…。 ● ルーキー 小学生のとき。 プロ野球の試合中、監督や選手がサイン (身振り手振りの方)でやりとりをしている事に 非常に憧れていた私は、クラスの友人と 「今日○○君の家に3時集合」 「あのアニメは面白い」 などといった簡単なサインを必死で開発した。 しかし、休み時間だろうが授業中だろうが常にその 「サイン」を使って友人とやりとりをしていたため、 先生に怒られた。 だけど、そういうバカな遊びには 頭を使っていたんですねぇ。 ● しょうちゃん 小学4年の頃、ソロバンの試験の帰り、 前を行く女の子に気をとられ国道2号線を、 信号無視して走り抜けかけた。お巡りさんに怒られた。 山とたんぼばかりでほとんど 信号機に縁のない暮らしだったので、 交通システムが分かってなかった。 ● 土方歳三(女) 動物好きの父に凧糸を亀の甲羅に結びつけてもらい、 畳の上で亀の散歩を楽しんでいた。 恥ずかしいけど懐かしい幼児期の思い出。 ● ino 小学校の頃ふざけて絵の具をなめていたら、 友だちが「絵の具には鉛が入っているから舐めると死ぬよ」 と言ったのを真に受けて 「ああオレは死ぬんだ」と一人で泣きながら遺書を書いた。 危ないと思ったら医者にでも行けばいいのに。 ● みゆう たまたま自分の名前は簡単で、幼稚園の頃には既に漢字で 書けるようになっていた私。 同じ名前の友だちに、得意満面で教えたことがあった。 今、思うとその友だちの漢字は全然違う文字だった・・・。 なんて、嫌なガキだったのだろう。 ● とんと 「しゃっくり100回したら死ぬ」っていう噂を 本気で信じてた。学校で99回まで止まらなくなって 真剣に怖くなったことを覚えている。 結局100回超えても死ななかったけど、 そんなことを信じて、授業中ずっと しゃっくりを数え続けた自分が物すごく馬鹿だったと思う。 ● みき わたしはその昔ドラえもんがいると思っていて、 学習机の手前の引き出しに 何度か足を入れてみたことがあります。 ● waka♪ 海のすぐそばにある、横須賀の「ドック病院」で 生まれた私。 小学4年生ごろまでずっと、自分は、なにかの手違いで 「犬猫病院」で生まれてしまったんだと思っていた。 おまけにこのことは 「お母さんも気にしているだろうから、 くわしく聞いちゃいけないんだ」と思っていた。 アホやな〜。 ● 開運祈願 小学一年のテストで「次の言葉の反対語を書きなさい」 という問題があった。 普通「みぎ」に対し「ひだり」と答えるところ、 私は自信満々で「ぎみ」と答えた。 これに限らず全ての問題に対しその様に回答した。 その後、この馬鹿っぷりが職員室で大笑いに なったらしいと聞いた。そんなことで笑うなよ。 皆とちょっと感じ方が違っただけぢゃないかっ。 でも私って今でもこんな感じなのが笑えない事実。 ● Izzy 小さい頃、丸虫やコオロギなど虫好きだったワタシ。 おばあちゃんちに遊びに行ったある日、 虫の宝庫の大好きな庭の木に蓑虫がぶらさがっているのを 発見。中がどうなっているのか見てみたくなったワタシは、 服を脱がせたら寒かろうと、ストーブの縁にガーゼを置き 万全の状態で蓑を剥いた。が、手元がくるい 蓑虫はストーブの中へ・・・あまりのことにしばし呆然とし、 しばらく泣き続けたのでした。 ● まる 親戚の家の雄のマルチーズを、 旅行の間あずかることになって、 そのマルチーズが腰をふりふり私の足に 擦り寄ってきました。 後ろ足で立って、前足を私の足に絡みつけ、 腰をフリフリしてバランスを崩すので 足の指で大事な所をはさんであげだら、 うまくバランスがとれるようになりました。 (意味はわからなかった) ずーっとそうやって遊んでいてあげたら、 犬の大事なところが三倍くらいになって 戻らなくなってしまうし、はぁはぁと狂って 家中を走り回るしで、親に大目玉でした。 幸い親戚の人が帰ってくるまでには、もとにもどりました。 ● よいち 蛾が血を吸う生き物だと思っていたので、 蛾が近づくと必死で逃げてました。 蛾と蚊を勘違いしてたんだと思うが…。 ● JINKO 5歳くらいの頃。 幼児向け英語教材テープを再生しながら、 ラジカセと向きあう。 テープの中のバイリンガルなおねーちゃんが 「さあそれでは、かずをえいごでいってみましょう!」 と言う。後について復唱する。 ねーちゃんは6番目に「シックス」という。 わたしはかならず「セックス」と発音する。 あわてた家族がどう正してもそう発音する。 その間違えたほうの言葉が本当に存在することを まだ知らなかった。 ● 狂子 私はオシロイバナの種を鼻に入れた事があります。 幸いすぐに出ましたが。その話を高校の頃友人に話したら、 彼女は切れるかどうか…と爪きりで前歯を ガチッとやってみたそうです。 確かに彼女の前歯は角が少し欠けています。 お互いそっちがバカだと言い合いました。それから12年。 我娘はビーズを鼻に突っ込み耳鼻科のお世話になりました。 親の因果は子…彼女の息子が心配です。 ● t@et@e 昔母親に 「『大統領』と『総理大臣』は、どっちがエライの?」 と聞いた事があった。 母親曰く『大統領』。 面倒くさかったんでしょうね、 3歳の子どもに説明するのは。 しかしその返答、ちょっと国際問題だぞ?? ● 小僧 小学生の頃、給食に出るバナナは一面だけ皮をむき、 そこから先割れスプーンですくって食べるという 暗黙のルールがいつのまにか出来ていた。 全部皮をむいてそのままかぶりついて食べると、 「猿食べ」といわれてクラスのみんなから からかわれるので、絶対やらなかった。 なんであんなルールが出来ていたのか、 未だ分からないけど、みんながやることは 絶対だったからね・・・。 いまじゃあ、猿食べでむしゃむしゃ食べてる。 ● WALLY 天然パーマの私は「伸ばすと始末に終えない」 という母親の判断で、いつも母の洋裁用の裁ちハサミで 短くザクザクとワカメちゃん型に切られてしまい、 それがとっても悲しかった。 小学校の低学年の時学校の帰り道で、 ちょいと首を傾げた自分の影を見たら、 傾げた方向に髪がタランと下がるため、 なんとなく伸びたように見える。 「ああ、憧れのロン毛じゃん!」 それが嬉しくて、ずーっと首を傾げたまんま 影を見ながら家に帰り、あとで首のスジの痛みに泣いた。 |
2000-01-15-SAT
●きくよい子 小学校一年生の時、友だちと二人でなぜか突然 「アリの病院」をやろうと思い立ち、 休み時間になるたびに校庭の隅で、 怪我をしたアリを探し求めた。 が、なかなか見つからないので、アリを軽く踏んで、 わざと怪我をさせ「けがにん発見!」などと言っては、 葉っぱの布団に寝かせてあげた。 でも、すぐにベッドから逃げてしまうので、 それをつまみ上げては戻していた。 当然次の休み時間には脱走しており、 また一から新しいアリを踏んでは入院させていた。 当時、けっこう充実した仕事をしていると思っていました。 ● こーちゃん 子どもの頃、寝ているときに、おねしょをした私は、 怒られるのがいやで「僕、汗かいちゃった」と言いながら、 パンツをはきかえてました。 ● なおみ 若干名、正社員募集。って書いてあるポスターをみて、 こんなちっさい会社に、若い人1000人も募集して どーすんのって、思ってました。 ● くろまめまみこ 口裂け女を信じてた。 それも練馬から時速40キロで チャリンコに乗ってやってくるという・・・。 それも何年何組のほにゃららと 名前まで解っていますという。 恐ろしくて友だちと遊ぶ約束してたのに 外にいけず布団かぶって泣いてしまいました。 あと東の方からやってくるという噂もあった。 ● ぶらん 私は、小学校一年生くらいの時、知り合いのおばさんに おもちゃ屋へ連れていってもらったことがありました。 「なんでも好きなもの買ってあげるよ」 と言われ、ほんとうはリカちゃんとか お人形系がほしかったのに、そういうものは 子どもっぽいと思われるかもしれない、 としばらく悩みました。 結局買ってもらったのは「魚つりゲーム」でした。 いったいこれのどこが、リカちゃんより 大人っぽいと思ったのでしょうか。 いまだにわかりません。 ● cova. たぶん、幼稚園ぐらいの頃でしょう。 怖いくせに、よく姉と二人で『あなたの知らない世界』を 見てました。 妖怪特集で、「アカナメ」という妖怪が紹介されて、 私は、お気に入りの赤いポロシャツが着れなくなりました。 本当は、「垢舐め」。お風呂場とかにいるらしい。 ちゃんと意味が分かった今でも、お風呂場に 赤いタオルなんかが置いてあるとちょっとドキドキします。 ● はげたけ 幼稚園生の頃。漬物石ほどの石を線路において (2人がかり)電車を脱線させようとしました。 脱線する様を横で眺めようと線路の真横でいたら、 「コラー」とおまわりさんが飛んできたので、 その場は走って逃げた。 が、幼稚園に連絡が入ってて(何故か私の仕業とばればれ) 先生にしばかれた。 そんな私も去年結婚し、堅実に生きています。 ● しょうちゃん まだ家の周りが田んぼだらけだった小学生時代、 その田んぼに硬球ボールを打ち込んだことがある。 草取りをしている人がいるのは分かってたのだけれど。 結果はもちろん何ごともなし。 ● とど 何であんなに授業中に居眠りしてしまったんだろう。 もっと勉強していたら違う人生だったかもしれないのに。 ●yoshiboo 小学生の時、友だちの親父が栽培していた唐辛子の鉢植えを 手で潰して遊んでいて そのことをすっかり忘れ、その手で目をこすり 「目が熱い、潰れそうや〜」と親戚の家に飛び込み 病院に行くまで原因がわからずに 親戚のおばちゃんが青くなって心配してました。 ● どーもちゃん パーキングのPの事をパチンコ屋だと思っていた。 だってパチンコ屋には必ずPの看板があったから。 だからデパートとかレストランとかでPを見つける度に どこにパチンコがおいてあるのだろうか。 と頭を???にしていたものですばい。 ● 平野一隆 田舎に遊びに行った時、 親戚と川に「ザリガニ」を採りに行きました。 「たくさん採れたね」と言ってバケツ一杯になった 「ザリガニ」を自慢気にしながら親戚と 「明日帰るから、その時に半分コしよう」と、 その日は早く床につきました。 夢の中、バケツ一杯の「ザリガニ」を 二人で分けるのはとても楽しかったのですが……。 翌朝、二人でバケツを覗いてみると、 バケツ上層の数匹を除いて窒息死したのか白っぽく変色した 「ザリガニ」に成り果てていました。 今ではその姿さえ見ることも少なくなった「ザリガニ」。 原因は過剰な捕獲だったのでしょうか……。 ● nonbay 小学校も高学年の頃。 台所の戸棚で、小さな入れ物に入った唐辛子(鷹の爪)を 見つけた。「ちょうど鼻の穴に入るな」と思った私は 即実行。当然右左。途端に激痛が走り、 その後1週間くらい鼻の穴ヒリヒリしてた。 もちろん、唐辛子は入れ物に戻しておきました。 ● 平野一隆 小学1年生の最初の席替えの時、 担任(新任女性)の先生がクラスの円滑を図って 「好きな女の子と隣同士になりたい人は 手を挙げてください」と言った時のことです。 当時好きな女の子がいた僕は、ざわめくクラスの中で 迷わず挙手し「千恵子ちゃんの隣になりたいです」と、 告白めいた発言をしたとの事です。 めでたく彼女の隣なることができたわけですが、後日談。 当の彼女は「目が悪かったから前の席でよかった」 (母親談) 。 ● わーま 少々、主旨が違うかも知れませんが、 小学生の頃、自宅の近くの倉庫裏に友だち数人と 「基地」を作ろうという事で土を掘り返していたら、 ビニール袋に入った何かの「骨」を見つけてしまい、 「殺人事件だ!」と思って警察まで、 その骨を持って行った思い出があります。 結局、その骨は、犬のモノだろうという事で 片付いたのですが、その骨を近くのレストランの裏に 置きっぱなしにしてしまったので、今思うと 「非常に悪い事をしたなぁ」と後悔しています。 ● せきちゅ 自宅から歩いて10分位で、国道に出れるのでしたが 私は何を勘違いしたのか「国道=東京だ」 と思い込んでしまい、次の日学校の友だちに 言いまくったことがあります。 「昨日一人で東京に行ったんだよ! 車が多かった」。 小学校2年生の話でした。なんか、ありがちかなあ・・・。 ● せみ ピップエレキバンの磁石をとって、 耳に突っ込んでとれなくなった。 結局耳鼻科で鉄の棒を突っ込んでとってもらった。 なんで磁石いれたんだろう。 ● よう・よう 4、5歳のころ 好きな男の子が蜂をつかまえたのを わたしもーと 真似をして蜂をつかみ、 チクリと刺されちまいました。 ● ネムリン 小3の時、夜中に布団が濡れていることに気がついて、 朝までに体温で乾かそうと、臭い布団にへばりついて寝た。 起きたとき、何となく乾いているような気がして ホッとしたが、臭いまで消えていないことに気づく余裕は なかった。 ● かちょー 「脱サラ」って「サラ金」から借りた金を 全部払い終わって取りたての手から脱出するって事だと ずーっと思ってた。だから脱サラしたって人を見ると 色々苦労があったんだろうなって思ってました。 ● 爆弾野郎へろりんぱ 「猫釣り」ってーのをやってました。 縄跳びの先に煮干しをくくりつけて野良猫の前に垂らす。 当たり前だけど全然釣れなかった・・・。 あの頃の発想が懐かしいやね。 ● きよこ 「ワンマンバス」と書いてある巡回バスを見て、 ワンマンな人が運転しているバスだと思った私は、 「何故? そんな人を運転手にするの?」 といつも疑問に思っていました。 ● Seo 子どものころ、胸の大きい女の人たちはみんな 詰め物をしていると本気で信じていたため、 ある女の人に「そんなに大きな物入れてたら肩がこるよ」 と発言し、ひんしゅくを買った。 当時はどうしてかわからなかった。 (ちなみに私は女) ● ユージ 平和教育ブーム(?)の影響で、 空を飛んでる怪しいプロペラ機を発見しては 「原爆落とすんちゃうか」という妄想がよぎり 人知れず不安を覚えていました。 あと、風呂場でチンゲ(産毛)を発見した時に、 無性に悲しくなってすっぽんぽんのまま 家の中を泣きながら走り回ったこともあります。 いったい、何なんだったのでしょうかねぇ? ● ogirin3 中学生の頃です。 「相対的クーラーごっこ」というのをやってました。 学校の裏庭に何も栽培されていない 空っぽのビニールハウスがあったので そのなかでぐるぐる走り回ってから外に出ると どんなに外が暑くても自分は火照っているので 涼しく感じるという遊びでした。 「あーすずしー」などと得意げにしていました。 はずかしー。 ● よう・よう 4、5歳のころ 母に お互いなんでそうなったか 覚えていないのですけれどめちゃくちゃ叩かれ 家の外に閉め出されました。 で わたしのとった行動は・・・・ 庭の盆栽を片っ端からなぎ倒していきました。 母はすごい子だと思ったそうです。 ● 白パンダ 小学校のころはやった「心霊写真集」の本。 友だちからゴーインにもらったのはいいけれど、 夜ひとりで見ていたら、すんごく怖くなっちゃって、 本棚にあるのも怖くって、処分に困った私は なんと庭先に穴を掘って、埋めてしまいました。 そのほうが怖いって、あとから思いました。 ● 紅白パンダ 小学生だった私は、縁日のときに、 ラムネの瓶のくぼみにあるあの空色のビー玉が どーしても欲しくって、 神社のうらの、暗がりにひとりで行って、 こっそり瓶を割って拾おう、と計画しました。 うまいこと割ることはできたんですが、 あまりに暗くて、とうとうあのビー玉を 見つけることはできませんでした。 ● 紅白パンダ 小学生のころ、友だちと一緒にだんご虫を捕まえては 坂の上から下水溝の入口を狙って転がして、 うまく溝に落とせたら勝ち、という遊びをしていました。 だんご虫が見当たらないときは、丸くてよく転がるから、 というだけの理由で、10円玉を縦にして転がして、 うまく落ちると同じようにやっぱり喜んでいました。 そんなお金の使い方をしていた私も、いまでは銀行員。 ● ひろぴ〜 幼稚園の頃地方に住んでいた私は、 テレビのウルトラマンの影響からか、 東京には怪獣がいると勝手に思いこんでいた。 それで東京に住んでいなくて良かった〜と テレビを見るたびホっとしていた。 ● ミサキ FAXは入れた原稿がそのまま飛んでくものと思っていた。 ● えっちゃん 電話をかける時に、たとえば「045-4・・・」の場合、 「045の4・・・」と言われて、 「の」はどこを押したらいいのか分からなかった。 ● 怪茶 ある日、画鋲を踏んだらどうなるのか知りたくなった。 壁にカレンダーを留めてあった画鋲を わざわざはずして踏んでみた。 予想以上に痛くて、血が出てびっくりして わあわあ泣いたら、母が飛んできて「何やってんの?」 と聞いた。 わざと踏んだくせに間違って踏んでしまったふりまでして しまった。 |
2000-01-14-FRI
● ひな 小学校低学年の頃ファンタジーが好きだった。 図書館で魔女が出てくる本を借りた。 わくわくしながら読んだが、魔女は出てこない。 我慢して読みつづけた。 結局おしまいまで出てこなかった。 本の題名は「東洋の魔女」だった。 ● ひな 母と絵本を見ていた。 母が「これなぁに?」と聞いた。 幼い私は自信を持って「ハトとカサ!」と答えた。 母が指さしていたのは“クジャク”だった… ● cocco 確か、小学校2年生の頃だったと思う。 国語のテストで、ものの名前を 書かなければいけない問題の中に、 茄子の絵が描いてあった。 私は得意げに、「ぼけ茄子」と書いてしまったのだ。 うちの親は常に茄子のことをそう呼んでいたから、 そう書かざるをえない訳なのだ。 勿論テストが帰ってくるときに先生が 「coccoさんは茄子のことをぼけ茄子と書きました」 とクラス中に言ったものだから、クラスメイトは大爆笑。 その中で私一人だけが、何故笑われているのか 解らなかった。だって私は正しいことを 書いたつもりだったのだから。 ● めんねコッペ 本当にちっちゃい時。 家族の誰よりも先に寝る私は、 「眠る時には目をつむる」ことを知らなかった! ある日、ふと夜中に目を醒ますと、 隣の布団の妹が白雪姫のように目をつむって眠っている! 驚いてその向こうを見ると、なんと両親も! よく目を半開きにしたまま寝てる子ども、いるでしょ。 知らないんだと思いますよ〜。 ● えんどうまめ 小2の頃、給食でご飯が出た時 クラス中のみんながお椀をゆすっていた。 だんだんご飯がまとまってきて おにぎりのようになるのが楽しかったらしい。 ● 嫁ご 小学校の時暇つぶしに読むために買った 「ウォーリーを探せ」 にウォーリー君を見つけると 片っ端から黒のボールペンで大きく丸を 付けてしまったために、 二度と見られなくなってしまいました。 でもね、それって小学5年生くらいの頃なんですよ! ● ステレオ 僕がまだ小学低学年の頃、 ウチの4つ上の姉はシャキシャキしている割に アホ姉さんでした。 ウチの兄弟は鍵っ子で出かける時には ポストの中にカギを隠すのを(言っちゃダメですよ) 忘れないようにきつく言われてました。 ある日、僕が学校から帰ってくると、家は留守で、 姉も遊びに行った様でした。 と、玄関に『かぎはポストの中です。』ていう貼り紙 がぁぁぁ!!! しかも良く見える位置に!!! ● マザークラビッ2 小学校低学年、ある夏の昼下がり。 ところはともだちの家のまえの青空駐車場でした。 真夏だったので駐車場の地面はパサパサに乾いていて、 わたしはひとり腰をかがめて、 ふとそのパサパサを両手にとり、 居並ぶ車のガソリン注入口にサラサラと 入れはじめたのでした。 かなりの台数、やった記憶があります。 だってそこにフタがあったから...。皆さんごめんちゃい。 ● トト 小学2年生の水泳の授業のとき、 私はいつも“けのび”のお手本役だった。 “けのび”とは、手も足も伸ばしきって、 ただまっすぐ浮くだけのかなり地味な泳法。 先生はいつも「みんなよくみて、上手いだろう!」 と絶賛し、友だちからも拍手をもらってた。 私も水中で、みんなの声にこたえなきゃと、 一生懸命に息をとめていた。 意気揚揚とみんなの前で“けのび”をする姿 今おもうとマヌケだなぁ。 ● あゆみ 中学生ぐらいまで、家でやる焼き肉のことを 「やきやき」、手巻き寿司のことを、 「まきまき」と呼んでました。 たぶん小さい頃そう言ったんでしょうね。 今でも(26歳)健在ですわ。 家族4人の中では当たり前のように使ってます・・・。 ● ねこ 小学生のころ、二人で一緒にトイレの個室に入るのが はやりました。 もちろんどっちかは用があって来てるわけで、 そのあいだもう一人は後ろ向いて目隠しして 「まだー?」ってやってるわけです。 なんでそんなことしてたのかさっぱりわかりませんが、 一緒に入ることには何か「友情のあかし」みたいなのが あった気がしました。 ● キーみ 小学校の頃、林隆三と古谷一行が見分けられませんでした。 妹は緒方拳と菅原文太が同一人物と化していたようです。 え、どっちもわかる?そうかなー。 ● うだ 今から20年以上前、『スーパーカーブーム』が 世を席巻してました。 近所の高級マンションの駐車場で、兄と二人、 マイナスドライバー片手に、フェラーリやら ランボルギーニやらポルシェやらのエンブレム収集に いそしんでました。 昆虫採集気分だったので、真昼間に堂々と。 なんでバレなかったんだろ? ● こお 色んなのがありますけど、ある時期 「マンホールのフタを踏むと死ぬ」という規則が 自然発生した事があります。 そのルールを知らない人がマンホールを踏んだら、 みんなで一斉に「お前もう死んだー!いえーい!」 って囃し立てて泣かしてました。そんな無茶な。 ● ガーヨ よく粗大ゴミで捨ててある他人のトロフィー (いわゆるゴルフコンペ○賞等)を家へ持って帰って 応接間のガラス棚の上に飾ってはそれを眺めて 満足気だったあほなガキンチョ。 でもそれをとがめずそのままにしてた母親に 少し疑問をもったもの。 ● ナヲコ 父親に、道路をロードと言うように、 日本語を逆さまにして読むと英語になるのだ、 と教えられました。 空はラーソでお風呂はロフオ。 当然、近所の友達に自慢気に教えてあげました。 ● なお 家で一人ボーッとしていることが多かった。 で、ぼんやりしていると、ふと「おばけ」が怖くなり、 とにかく背中から襲われないように 壁にぴったりと背中をくっつけて 部屋中を睨みつけていつまでもじっとしていた。 その頃ピアノが好きで、弾いている時に 背中から襲われても平気なように、 布団をかぶって弾いていた。 布団がずり落ちてこないように 洗濯鋏をいくつも止めたりした (布団鋏だと大きすぎて弾けないので)。 夏でもタオルケットは薄すぎて不安だったので、 何枚も重ねたりして、真剣そのものだった。 ● maria 私の旦那様は羊の毛を刈ると山羊になると 本気で信じていたらしい。 だって「ヤギ」漢字で書くと「山羊だぞ」 あれは羊だ。今でも信じてるかもしれない。 ● きなこ 幼稚園の頃、今より髪も目の色も明るい茶色だったので、 クラスの男の子たちに 「お前、日本人じゃないな。外人だろ!」 といじめられ、気の弱かった私はピーピー泣いてました。 おまけにタイミングの悪いことに、その頃母が 「そんな子はウチの子じゃありません!」 というフレーズをよく私を叱る時に使っていたため、 私はやっぱり外人の子で捨て子でこの家に拾われたんだと 大真面目に心を痛めてました。 何か・・・今から考えると思いっきりアホですね・・・。 ● StrikeGold 中学生の頃 「自分はいつでも家を出て一人で生活していけるけど、 仕方なく家にいてやってるんだ」 と本気で思っていました。 お金を稼げるはずもないし、 アパートを借りる方法も知らないし、 炊事洗濯も何も出来ないのにもかかわらず! 本当にバカでした。 ● マーレ・インフィニトゥス 小さい頃住んでいた団地には、階段ごとに 入口が4つあった。 右から2番目の入口を使わないと家にたどり着けないのに、 どれだかわからなくなって、三輪車に乗ったまま、 「うちに帰れない!」とよくわんわん泣いていたわよー、 あんた。と母が言ってました。 ● しょうた 小学3〜4年生の頃の話。 僕は留守番していて、一人で昼ごはんを食べていた。 そこには嫌いなマメがあったので、一口食べて、 すぐゴミ袋に捨てた。 母親が帰ってきて、冷蔵庫に保管していた マメのにおいを嗅いで、 「コレ変な匂いするわー。 しょうちゃん(僕)マメ全部食べたん?」 僕は捨てたことを隠さなくてはいけないと思い、 「食べたよ」と答えた。 親は、何度も「まずかっただろうにえらいなあ」 と誉めるので、どんなにまずかったか、 どんなに苦労して食べたかを語った。 誉めてもらって嬉しくないのは初めてだった。 ● Megumi××× 小学2年生の頃。近所に住む由美ちゃんは、 毎週たくさんの漫画本を我が家に持ってきてくれる ありがたい存在だった。 しかし今考えるとそれは間違いなく「エロ本」。 ある日親に見つかってこっぴどく叱られ 倉庫に隠しておいた大量のエロ本を 由美ちゃん家に返しに行かされたが、 そんな本を返された由美ちゃんのパパの気持ちって・・・。 そして私は 「女性はお風呂から出ても下着を きちんと着けなければいけない。 脱がせる楽しみがなくなるから」 という当時エロ本から得た教えを、今も忠実に守っている。 ● うーちゃん 小学5年生の頃、クラスの男子の間で、給食のパンを 「床にたたきつけて食べる」というのがはやりました (女の子は誰もやっていなかった)。 当時、教室の中は、木の床で、年に1度か2度「油引き」 (オイルワックスをかける)をやってたのですが、 男の子たちは 「油引きのあと、床にたたきつけて食べるとうまい」 と豪語していました。校舎内は上履き着用とはいえ、 床はずいぶん汚かったと思います。 でも誰も腹痛で学校を休むこともなく、 なぜか先生も別にとめなかった。 なんだったんだろ、あれ。 ● akko 夜、遅くなると母に「子どもは早く寝なさい」 と言われ見たいTVをあきらめきれず、 子どもごころに大決心。 襖の角に小さな穴を開ける計画をたてました。 畳にはいつくばって、のぞけるように。 (穴の位置を決めるのにあたって、 TVの見える角度を考えつつ、 昼間の母のいないときを狙って 少しずつ穴を開けていました)。 上手に穴が開き、ばれずにTVを見ていましたが、 ある時TVを見ながらそのまま寝てしまい、 穴を開けたことが発覚して、えらくおこられました。 あの努力はいったい...。 ● トト 小学生の頃“中国地方”とは、 中華人民共和国だと思っていた。 そんなに大きそうでもないのに人口多くて、 きっと満員なんだろう、と想像していた。 もちろん中国地方出身のおばさんは中国人だと思ってた。 なんてバカなんだろう。 |
2000-01-13-THU
●怪茶 3歳くらいのとき、男性用便器「アサガオ」でしゃがまず、 立ったままで用を足すのが、いたくかっこよく 見えてしまい、ある日試してみたのでした。 さすがに、女の子の構造上、「小」はきちんと 便器には届かず、じょーっと、足の下に水溜りを作って 母に怒られたのでした。 今でも覚えてるのは、木目の床が みるみるびしょびしょになって びっくりしたことであります。 だって、自分のイメージとしては、 ちゃーっとアサガオに向けておしっこを飛ばせると 思ったんですもの。 ● さやか 小3のとき、バカ劇団を、そのへんのガキ集めて 主宰していた。 わたしはほとんどエロ演出で、キスシーン盛りだくさんの 戯曲を書き、私なりのオーディション(!)で 募った役者どもを、色々難癖つけながらも指揮していた。 あのころが、人生の中で最も情熱的に 輝いていた時代なのではないかと思う。 ● VAN ・高校の物理の時間。 トランジスタラジオ(な、懐かし一)のイヤホンが はずれて実況アナウンサーの絶叫。 「ホームランです。ナガシマ、 サヨナラホームランでーす」。 即、三日間の自宅謹慎でした。 ・高校の化学の時間。 先週のテストの結果が配られ、 百点満点の3点だったわたくしは、 学生服の前ボタンにその答案用紙を引っかけて、 一時間教壇の横に立たされました。 ちょうどその頃でした。私立文系進学を決めたのは。 ● おーしま 近所の友だち(年下)と町内を自転車で 1周する競争をしたときのこと。 運動神経ゼロのくせに負けず嫌い度100%の私は 最終コーナーでスパートをかけたものの、 追い越すどころかカーブを曲がり切れずに ブロック塀に激突。 側溝に突っ込んで、サドルを内ふとももにしたたか 打ち付けて、デカいあざを作って泣きました。 繰り返しますが、運動神経はゼロの私、 小学校低学年のころのお話です。 ●わたまり 小学校の頃、絵の具を食ったやつがいて、 しかも「うまい」とのこと。 その瞬間、図工の時間は一気にグルメの時間と化した。 協議の結果、「赤が一番うまい」と意見がまとまった。 ちなみに高校時代の友達には石鹸を食う女がいた。 ほのかな苦味がオトナの味だ、と力説していた。 ● 大竹@あほらしか 「明日という字は明るい日と書くのね」 という歌があった頃、 「努力という字が女の又に力と書くのね」 と得意げに歌ってたら 「そんな歌、歌うもんじゃにゃあ」 と母親にえらい剣幕でおこられた。 結構力作だと思っていただけに 何でそんなに怒られなければならないのかと、 その理不尽さにムッとしていたあの頃にかえりたい。 ● かず 私の小学生時代はかなり暗く、 いっつも授業中は暗い想像ばかり・・・。 学校から100mも離れていない自宅が、 もし火事になったらどうしようとか、 原発事故がおきたらどうやって逃げようかとか、 今思えば、そんなのその時になってみないと わかんねーじゃないかっ! ということばかり考えてました。もうバカですね〜。 ● バイリンガル 3才くらいの頃、 「お匙の英語はスプーン、スプーンの英語はお匙!」 と自信をもって言っていた。 ● ayay 小学校の学習発表会で詩を発表するクラスが 毎年絶対あって、さらに絶対ある詩のタイトルが 「お腹」だった。 そして内容が 「お腹はどうして4時間目になると、なるのだろう。 不思議だね」だった。 ● マドレーヌ 幼稚園の頃、私と幼なじみのSちゃんが心斎橋を 家族といっしょに歩いていた時。 前にめちゃくちゃ背のちっちゃいおっちゃんが 歩いていたので、私はそれを隣のSちゃんに こっそり教えてあげようと思って、 「Sちゃん、前のおっちゃん背低いなぁ」と ささやいたのだけどSちゃんは返事をしなかった のでもっと大きな声で2回ぐらい繰り返し 「Sちゃん、前のおっちゃん背低いなぁ!」 と言ったら前のおっちゃんが振り返って 「わしはおっちゃんちゃうわ! まだ独身じゃ!」 といって軽く頭をたたかれた。 子ども心になんやようわからん怒られ方やな と思ったけれど、 私はSちゃんが返事をしてくれたら あんな事にはならなかったのに・・・と思ってあとで 「Sちゃんなんで返事してくれへんかったん?」 と聞いたらSちゃんは、 「だってきのう幼稚園で先生が他人の悪口は 言うたらあきませんて言うてたやん!」 と言われました。 ● ゆーじん 小さい頃茶碗蒸しの中には茶碗虫という 昆虫が入っていると思い込み、食わず嫌いでした。 今では大好物だけど。 それにしても茶碗虫って一体…? ● 海狸 小さい頃、「雪やこんこん」の歌を 「雪やこんこ、あれらやこんこ、降っても降っても 大丈夫―」と歌っていた。 めったに雪の積もらない街に住んでいたからね。 ● Dr.Ryu 小学生くらいの時 「カップラーメンを3日続けて食べると死ぬ」 という噂が立った。 給食で麺類が出るとみんな少しためらってました ●mido 実は、「焼き増し」のことを「焼き回し」だと思ってた…。 どうやって回されちゃうんだろう… と一人ひそかに心配していていた小学校の私。 ● ayaka 小学生の時、当時爆発的ブームだった 「ゲームウォッチ」なるものを父が会社の同僚から 借りて来てくれました。 夢中になって遊んだ後、ふと気づけば電源offの方法が わからない。 ゲーム「ウォッチ」の部分は24時間動き続けることも 分からず、困りに困った私は電池を抜き、 抜いたら真っ暗になってしまった画面に更に驚き、 「人様の物なのに壊してしまった!」 と猛烈に後悔しました。その日の私の日記には 「今日私はとりかえしのつかない失敗をしてしまいました」 と世も末の様な反省文が書かれています。 ● けーこ くせ毛の自分の髪同様にりかちゃん人形の髪の毛も カットしたらクリリンとなるものと 思いこんでハサミをいれてしまい、 りかちゃんの髪の毛は収拾のつかないザンギリヘア!! ピンクのドレスが妙に浮いてしまった。 ● まるりん ケーキ作りの時に振りかける 「バニラエッセンス」のあの甘〜い香りにつられて、 母の目を盗んでこっそり掌に落としてね舐めました。 その苦いことったら・・・火をふく味でした。 ● ミレニアムパンダ 私がやっとひらがなが書ける年になったころ。 水森亜土さんのイラスト絵柄のはいった 母お気に入りのノートに、こっそり (・・・の割にはたっぷりと)絵を描いた。 ごていねいに、そのあとのページを使って、 「このノートに、絵を描いてしまった」 と詫び状までたっぷりと書いた。 ● ミレニアムパンダ 中学のころ流行った「茶巾寿司」。 決まって給食後、教室の後ろで女子がみんなに囲まれて、 プリーツスカートの裾を全部アタマまで持ち上げられて、 アタマの上で縛る遊びが流行った。いやぁね、もう。 ● ミレニアムパンダ プリーツスカート一発芸。 スカートの裾を持って、横に広げて「ギョーザ」。 くるくる回って座ると「シューマイ」。 これをやるときは決まって3人くらい揃って、披露した。 「ギョーザ」のまんま、廊下を歩いたりするのさ。 ● みほ クラスメイトの石松くんとは誕生日が 1日違いで血液型が同じだった。 それだけのことで「実は生き別れになった双子に 違いない」と思い込んでいた。 彼がお母さんのことを「ママ」なんて呼ぶのは、 ほんとは嫌だけど、もらわれっこだから 気を遣ってるんだろう、と。 26歳になった今でも「ママ」のままだろうか。 今はそれが気がかりです。 ● たかち 小学校の頃のこと。 同じ団地に住んでいる仲間内で交換日記をしていたが 「ぜったい手渡ししてはいけない」という固い掟があった。 必ず、本人の目につかないように ポストに入れに行かなくてはならなかったのだ。 毎日一緒に学校に行ってたのに。 ちなみに内容は「なぞなぞ」でした・・。 ● ハムスケ 親が共働きだったため、おやつとかのたぐいは 母親が適当に買っておいてくれた。 自分が食べたければ勝手に食べてよかったんだけど、 なぜかいちいち姉に 「お姉ちゃん、お菓子食べる?」 とお伺いをたて、 「いらない」 と言われると、自分も食べなかった馬鹿な私。 独り占めしちゃえばよかったのに。 ● ハムスケ 兄と姉は首の後ろのおなじとこにほくろがあって、 家族全員二重。なのに私はほくろもないし、一重だった。 「なんで私だけ違うの?」 と聞いたら、冗談で 「実はね、あんたは本当の子じゃないんだよ。 橋の下で拾われたんだよ」 と親はいったらしい。 そのあと私の姿が見えなくなったので姉が探したら、 押入れの隅でしくしく泣いていたらしい。 本人は全然覚えてないんだけど。 ● ベティ モノゴコロついた頃から、お色気むんむんの うっふんおねぇさん系キャラクターが大好きで (峰不二子、まいっちんぐまちこ先生等) 私もあんなふうになりたいと思い、 とりあえずお尻をくねくねさせながら 歩く練習をしていました。主に小学校の帰り道。 傍目にはおしっこもれそうな小学生だったと思います。 なんでそんな練習をしていたのだろう。 あーはずかしい。 そして成長した現在となっては当時の訓練は 全く活かされず、どこもかしこも ペッタンコの大人になってしまいました。 うって感じ、ですが。 ● うぬ 小学生の頃、なぜか床板の隙間を ほじくっていた。 すると出てくるんですよ。 小指の爪ぐらいの大きさのガラス玉とか、BB弾とか。 たまに変な虫も発掘。 ● マーレ・インフィニトゥス 小学生の時、親の留守中にコーヒーに入れるクリープを こっそり舐めてみた。 ミルキーのような味がして、甘くておいしいので止まらず、 中身が半分になってしまって親にバレて叱られた。 ばかだねえ。 ● りん 小学生の頃、ときどき奇妙な思いつきに とらわれることがあった。 寝る時に部屋の照明を消したあと、 もう一度つけてから消さないといけないと思ったり、 横断歩道は白い部分しか踏んではいけないとか、 右足からはいたパンツは一旦脱いで次に左足からはき直す、 など。それらは思いつくと、実行せずには いられませんでした。 今思えば、軽い強迫神経症だったのかも・・・。 |
2000-01-12-WED
●たかこ 小学4年生頃まで結婚すれば子どもが自然とできるものと 信じていました。 ● でこ 中学2年生の時に友人に教えられるまで、 『フランク・シナトラ』のことを 『フランク・品寅』という名前の芸人さんだと 思っていました。 ● ころちゃん 小学生のとき、科学クラブに入っていた友だちと一緒に スライムを作り、それをゼリーと称し クラスメートに食べさせていた。 今思えばとても恐ろしいことであった。 私と同じクラスの皆さんごめんなさい! ● じび その1 一家で銚子(ちょうし)へ行った時のこと。 食いしん坊の私は道路標識を指さすや、 「餃子(ぎょうざ)!」と叫んだとか。 その2 兄貴と義姉と初詣に行き、人込の中から お賽銭を投げようと手を振り上げたら、 前にいたおっさんの後頭部を強か殴ってしまい、 慌てて逃げた。 ● 嫁ご 昔ルパン三世で、鉛筆削りでかつお節を削って ルパンがおいしそうにそれを食べてるのを見た。 当時私は三、四歳でまだ鉛筆削り機(手で回す方)を もっていなくて、知り合いの家に遊びに行った時 鉛筆削り機を見つけ、思わず親の目を盗んで中身の削り屑を 食べてしまった。もちろん中身は鉛筆の粉で 全然おいしくなくて「まっずー! なんで?!」 と一人でこっそりパニックになっていた。 あれはバカだったなぁ・・・。 ● まさき まだ私が小学生だった頃、勉強で使うドリルの問いで 「〜を解きなさい」という問題文を、 命令調とはなんて偉そうなんだ! と思っていた。 だから成績が悪かったのかなぁ。 ● なおぞー 旦那の小さい頃の話。 幼稚園の時、初めて会った子に 「じゃーん」という声と共に登場した彼の鼻には タンポポの花が。 それを片方ずつ「フン! フン!」と飛ばして そのまま視界から消えたらしい。 最近、その友人から聞いた話です。 (本人は、すっかり忘れていた) バカと言うより、可笑しくて好きです。 ● じび グリコは1粒300m。これに着目した私は(当時小3) マラソン大会の時、5粒(1500mだったから) 舐めて走ったのです。…しかしながら結果は惨敗。 むしろ舐めない時の方が順位がよかったのでした。トホホ。 ● でんなぼちぼち シモネタですいません。 友人の話しだが、セックスの意味を母親に聞いたところ 「着替えること」という回答をされたらしい。 で、後日。 一家で出かけるので仕度をしていた。 仕度が終わった彼が玄関で待っていると 郵便やさんが来たそうだ。 「書留なのでハンコください。 お父さんかお母さんはいる?」 「うん、二階でセックスしてる」。 ● なおぷ 今の穏やかなOL生活からは考えられないくらい 野心家だった小学生時代、 「どうすれば将来お金持ちになれるか」と悩ん末、 “女がエッチなマンガを書くと珍しいし儲かるはず” と的を得ているのないのかよくわからん事を思いつき、 一生懸命すごい絵を練習して母に見つかっては怒られてた。 その時は「なんて分からんやつだ!」とぷんぷんだったが、 今となっては勉強もせず、すごい絵ばかり描いてる娘を 持った母の気持ちを思うと不憫や。 ● わたまり 小学生の頃、兄がどこから聞いてきたのか 「みかんは天井にぶつけてから食うとウマイ」と言い出し、 兄弟3人で天井めがけてみかん投げまくってました。 衝撃でぐちゃぐちゃになったみかんなんて 絶対おいしくなかったはずなのに、 「うわ〜ホントにおいしいね! すごい!!」と喜びつつ、 ウヒョウヒョ食っていた。バカ兄弟・・・ ● マル坊 小学生3年だった頃の話。 家族で温泉に行った。 自分は、一度だけ女湯を覗いて見たいという願望があった。 その温泉は、竹製の柵で男と女湯を分断していた。 柵の下の方に、子ども一人が通り抜けられそうな隙間を 発見。子どもの特権ってやつか? 見つかっても子どもだし大丈夫だろう。 俺は水中に潜り、柵をくぐり抜け、 女湯を岩の陰から覗いた。 女湯は、おばさんと婆ちゃんだらけだった。 マンガのような出来事に遭遇し、感激に浸った。 しかし、若い女性がいなかったことが、 やはりショックだった。 ● ゆけしゃん 小学生のころの頃。 学校がえりの狭い道で友だち3人と通る車のタイヤに 足を踏ませて遊んでました。道幅が狭い上に クソガキがふらふらしているので 通過スピードは遅いのですが ドキドキしながら前輪が通った後に つま先をさしだしました。 よほど痛かったか怖かったのかその時一回だけでやめました 勇気の競い合いだったのかなー・・・やっぱりバカでした。 ● メデューサ 山口百恵の「ひと夏の経験」の歌詞、 “愛は尊いわ〜”を“愛はとうとう岩〜”と歌っていた。 ● インドメタ神 古い木造の体育館でしたよ。 床なんか木目がボコボコで、節穴ぬけちゃったりしてる。 その穴にタコ糸たらして釣りしてましたよ。友だちと二人。 別の友人に「なに釣れんの?」ってきかれて僕ら、 悩んだ末にかえした返事が「ジゴロ」。 思い返してもわけがわからん。 ● 蝿の大王 中1の遠足のバスで、友だち(おんなのこ)が みんなを笑わせようとして、みかんをまるまる (皮は剥いてる)くちにいれました。 すぽっと入りこみ、みんな大笑いでしたが 咀嚼しようとしても口腔のカーブとみかんのカーブが ぴったり一致し、噛んでもかめず、小さくならず、 そのうち口が疲れきってしまい、 その子はよだれを流しながらついに泣き出し、 走行中のバスの窓から吐き落としました。 げえげえ言ってる背中がかわいそうでした。 ● JINKO 小学2年の頃。 とあるアニメ映画の主題歌のシングルCDに 書いてある歌詞をコピーしたいと思い、 そのままじゃ歌詞の文章だけで殺風景だと思って なんと前の部分(あのパカパカするとこ)のイラストを 切り取って貼ってしまったんです!! バカだなぁ。あれじゃ中古に出せないじゃん。 9年後の今、小遣いの足しにもできん・・・。 (ぜんぜん大した値はつかないけど) 当時も結構叱られたし。 ● キューちゃん 自分では賢いつもりでいた小学生のころ。 「花の子ルンルン魔法の鍵」だけは、 おもちゃだけどもしかしたら本当に魔法が使えるのでは、 いや待てそんなはずはない、と自問自答しながら ようやく買ってもらった。 さあひと振り!…使えるわけがない。 ● きよこ 私には、双児の妹がいて小学校の頃いつも一緒に ゲームをしながら帰っていました。 その日は、1人が目をつぶって、 もう片方の人が手を引いてわざとジグザクに歩いて 怖がらせると言うゲームをしていました。 そのうち「ガツン!」とものすごい痛みが頭を走りました。 びっくりして目を開けてみると妹も痛そうに こっちを見ていました。 どうやら交互にやっていたつもりが、いつの間にか2人とも 目をつぶったまま道をそれ電柱に ぶつかってしまったらしかった。 それに気がつくと急におかしくなって、 家に着くまで、ずっと大笑いしながら帰りました。 ● おわ 確か小学校低学年の頃、母のおつかいで肉屋に行った。 当時の私は挽き肉と細切れ肉の区別がつかず、 母から「細切れ買ってきて!」と頼まれても 肉屋のショーケースの前に来ると、 どうしても細かく刻まれているミンチ状のものが イコール細切れと思えてしまい、 間違えて挽き肉を頼んでしまうのでした。 その後2、3度同じことを繰り返し、 その度に母に叱られたものでした。 ● やんやん 魔女の存在を本気で(小学校6年生位まで) 信じていました。 というのも、大正生まれの不良ばあちゃん(母方)が 総入れ歯で、時々、入れ歯を取ってみせては、 純真無垢な私たちを怯えさせ 「おばあちゃんは二階で寝ていたら、魔女に歯をとられた」 と言ってたからでした。 「妹と私は、玄関に正座をして 【おばあちゃんは魔女に全部歯をとられたの】と大真面目に 来るお客様に言ってた」とおばあさまはおかしそうに 高校生になった私におっしゃいました・・・。 ● せきがん よくニュースで「○日の未明に・・・」っていうのは、 昼だか夜だか時刻が特定できなくて不明なんだと思ってた。 それと、 「事故により○○線は不通になってます」は、 「急行」や「快速」が運行できなくて 「普通」になったんだと思ってた。 でも、いまだにそう聞こえるときがあるんだよなぁ。 ● たまごん 友だちと給食で「どっちが牛乳をたくさん飲めるか」 という競争をしました。 友だちが5本、私が4本でおしくも1本差で負けてしまい、 悔しい思いをしました。 が、次の日友だちは腹痛で学校を休んでいました。 ● えくぼくぼ 通っていた小学校は新興住宅地だったので、 通学路の周りは開発途中の自然が残っていて、 いろんな虫がたくさんいた。 その中でも「アメリカシロヒトリ」という毛虫は 写真入りのポスターで注意がされるくらい、 猛毒で絶対触ってはイケナイと学校の先生にも 言われていました。 でも、触ってしまう子どもがいたのでしょうか、 1年生の時の担任の先生は教室で生徒に向かって 「先生が寝ころんでいたら毛虫が落ちてきて、 そうしたらそこから毛がはえてきました。ホラ。 だから毛虫は絶対触ってはいけません。 またいでもいけません」 と話しながら毛のはえた腕を皆に見せました。 小学校1年生だった私は腕に毛がはえてきたということに いたく衝撃を受けて、おまけに 「そうかー、またいでもいけないんだ」とおびえ、 信じきっていました。 でも20歳もこえたある日「そんなわけはない」 とふと気がついてしまったのでした。 この話を男友だちにしたら、 「あながちウソではない。またいだら毛がはえてくるゾ」 とお下品なことを言われてしまった。 今でも毛虫は大の苦手です。 ● ゆみりんぷー 確か7〜8歳のころ・・・ ○ィズニーの絵本『○ンビ』の始めの方 「おかあさんは、死んでいませんでした」 (死んでしまって、もう既にいない) の一文に妙にひっかかって、なんでわざわざ、 「死んでない」のにこんな文をつけるの??? それに、おかあさんがでてこないゾ!!! とひとりもがいていたことが・・・。 赤ペンでチェックを入れた絵本がいまだに恥ずかしい。 おまけに現在、コピーライターしてる私って・・・。 ● Izzy おばあちゃんっ子だった私は30代になった今でも 電車代のことを「汽車賃」と言っては 友人に笑われています。 汽車なんか今時走ってないのは よぉっくわかってるんですけどね・・・ ところで、常日頃思っていることがひとつ。 ウィスキーっておばあちゃんちにあった、 いい具合に古びた「みずや」(茶箪笥のこってす)の 「においを味にした」味がしませんか? 今まで私に同意してくれた人たったの数人。 ● tetsu2 家の電話機で、自宅の電話番号をかけてはいけない。 理由として、壊れる・ナンカ怖いところへかかる・ 爆発する。 ● しょうちゃん まわりが田んぼだらけのところで育った私。 ある時、その田んぼに向かって硬球を打ちこんだ。 草取りのおじさんがいたのに……。 そういう思考のとぎれが、今もあるかな? ● ズッキーニ 小学校五年生くらいのとき私のいた班(男3女3人)では 給食を食べ終わるのが1番遅かった人は 班全員分の食器をかたずけるというルールがあった。 その班は給食開始から15分で全員が食べ終わっている 恐ろしい班だった。 それに飽きてくると冷凍ミカンは 必ず丸ごと食べなくてはいけないというルールもできた。 しかも口に詰め込んだミカンを噛むと 一気に口から汁が出たらやっぱり全員の食器を かたさなくてはいけなかった。 死に物狂いで頑張ったけど 今思えば食器をかたす方が楽だったと思う。 |
2000-01-11-TUE
●殿谷仁志 クリスマスのケーキを買いに行った時のこと。 沢山の客に店員が対応。 私には、女性の職人さんが現われて対応してくれました。 彼女は、注文を聴いて最後に「お時間は?」と。 「はい、今すぐに」とすかさず私は、答えました。 「いえ、お時間は?」「だから、今すぐ!」と私。 「あの、ご自宅までのお時間は?」 「あ、10分です」と馬鹿な時間の誤解をした 29歳のガキでした。 ● 1号 小学生の頃、「鼻唄は人には聞こえない」と盲信していた。 授業中、『スプーンおばさん』のエンディング曲を ふんふん唄っていたら、前の席の子に笑いながら 指摘されたが、「何のこと?」なんて、 焦りながらもしらをきり、 それで止めたと思われたら悔しいので、また少し たってから、ふんふんと意地でも唄い続けていた。 ● あきふみ 小学4年生の時、引っ越しをしたんですが、 両親が僕らを新居において荷物を取りに行ったのを、 自分たちは捨てられたと思いこみ 弟と一緒に交番に訴えにいった。 ● やしゅー 道を歩いていてトカゲをみたら親指をかくさないと、 トカゲに親指をとられると言っていました。 なぜトカゲが親指を・・・? なぞです。 ● アイルランドの歴史と文化 小学校の時分、友だちと2、3人で学校帰りに 飲食店なんかが5軒並んでいる建物の換気口を 1軒ずつまわって、その店から出る排気を胸一杯吸って 「やっぱり中華料理は脂っこいなあ」、 「シメはケーキでなくちゃ」 と食事した気になりウンチクをたれるという、 今思うとビンボー臭い行為をみんなで楽しんでました。 ちなみに僕たちはその行為を 「ディナーツアー」と呼んでました。 ● ひさみ 幼稚園の頃、運動会の時のテーマ音楽は 天地真理の曲のインストルメンタルだった。 私は、声が入ってないのは、運動会当日に 天地真理が来て歌ってくれるためだと信じ、 周りの幼稚園児にその考えを聞いてもらっていた。 わりと皆、真剣に「そうかもしれない」と話し合っていた。 ● rika 「サンタクロースは寝ている子どもの枕もとに プレゼントを置いて行く」と知った頃。 なぜかわたしは、この「枕もと」の「もと」を 「中」だと思いこんでいたのでした。 そして、どうやって枕の中にプレゼントを入れるのか、 プレゼントが大きい場合、頭はどうなっちゃうのか、 なぜ入れられるときみんな気づかないのか、 すごく悩んでいました。 その悩んでいた心の感触は今も覚えていて、 ばかだったなあと苦笑まじりで思いだします。 ● てれびちゃん テレビって、小さいこどもにとって 「不思議!」なモノだと思います。 私は、テレビは基本的に生放送だと思ってました。 CMも生放送だと思ってました。 そして、なぜか「2時間生放送!」 は収録したものだと思ってました。 「8時だよ全員集合2時間生放送!」は 小さいころの私にとってうれしいものでは ありませんでした。ビデオか・・・と。 ● 椿 天地真理を愛唱していた私は(小1)、 虹の向こうには何があるのかしら、 と草原を駆けて行こうとしたが、そこは牧場。 牛のよだれとフンにつまずき現実を知ったのでした・・・。 ● コリンズ・スミ 母から聞いた妹の話しなんですが・・・。 妹が小学生のころ、学校の帰りに腰砕けの小猫を 拾ってきて、家族に内緒で庭の倉庫で飼っていました。 そのことを知らなかった母が夕飯のときに 妹が自分のおかずをこっそりテーブルの下に 隠しているので、おかしいと思い、妹が 「ごちそうさま」をした後、 「なにしよん?」と聞いたのですが、 妹は、自分の残したおかずを両手で後に隠しながら 「なんでもない」と首を振り振り、あとずさり。 したものの、途中で、きびすをかえして猛ダッシュ。 もちろん、後に隠したつもりのおかずは そのままの状態で、母には丸見え。 母は、その姿がおかしくて、怒るきにもなれず そのまま、妹の好きにさせていました。 ちなみに、私はそのことをまったく覚えていませんでした。 ● タケシ まず殺虫剤のスプレー缶にローソクを ガムテープで張りつけます (ローソクの先がちょうどスプレー缶の口のところに 来るように)。ローソクに火をつけてから殺虫剤を出して、 「火炎放射器!」なんて言って遊んでました。 今考えると本物のバカでした。 危ないから絶対真似しないでね。 ● みきりん 自転車の手放し運転がなんとも自由な感じで 好きだったわたし。 ある日スピードつけて立ちこぎをしている時に 「あ! 立ちこぎ手放し運転。カッコイイ」と気が付き、 即実行!! 一瞬にして地面に肩から叩きつけられ、 右手が上がらないこと1週間。お尻は青あざ。 中国雑伎団じゃなるまいし。出来ないよなぁ。 ● ゆんた 子どもの頃購読していた雑誌に早起きの呪文が載っていた。 「とこるねくやは」と唱えて枕を3回叩いてから寝ると 早起き出来るとあった。 行事の前には必ずやっていた。... で、いまでもそれをやると必ず起きられる私。 まだガキなのかななんだかおめでたい。 ● うーちゃん 小学生のとき、学校で遊んでたときのこと。 給食室の横に飲んだ後の牛乳瓶が積まれてて、 一緒に遊んでた子が「牛乳瓶が汚れているから洗おう」 と言い出しました。 なんかそれってちょっといいことっぽい、と私も思って、 2人してせっせと洗ったんです。 運動場のすみっこの水道で。 2人あわせて200本は洗ったでしょうか。 あと半分で終わりだ、というところになって、 その「洗おう」と言い出した子がハッとして、 「もしかしたら勝手に牛乳瓶をさわったって、 先生に怒られるかもしれない」とわめきだしたのです。 それで、今度は洗った痕跡を消すために、 まだ手つかずだった牛乳瓶の底にわずかに残った牛乳を かき集め、洗った牛乳瓶にちょっとずつ入れて汚す、 という作業を始めました。 でも、キレイになった瓶の半分も元に戻せず、 夕暮れてきたので仕方なく家に帰りました。 いったい、どんな情熱が、私たち2人を牛乳瓶に 向かわせたのか、いまだにワケがわかりませんが、 まる1日、そんなことをしていました。 ● こぐま 小学校低学年の頃、ワーゲン(蛙みたいな形の)占い というのが流行っていた。 白いワーゲンか水色のワーゲンを一日に7台見ると 幸せになる。黒いワーゲンを見ると死ぬというもので、 学校の行き帰りに嬉々として白や水色を探したものだった。 黒を見てしまった日は本当に死ぬかもしれないと おびえながら暗く一日を過ごしていた。 黒いワーゲンの持ち主は乗る度に死ぬのだろうか? とやっと気づいて、数えるをやめたのは 中学校に上がってからだった。 ● ポロンペ 夕ご飯までに家に帰らない悪い子どもは ラーメンの屋台のリヤカーに連れてゆかれ ダシにされる…と脅されていたので いまだに屋台のラーメンを見ると体が硬直します。 「ピロロロンに連れていかれるよ」って。 ● ケンジ 駄菓子屋で買ったり、ゲームの戦利品として 集めていたビー玉を、埋蔵金よろしく近くの川原に埋めた。 しかし、あまりに本格的に埋めてしまったので、 二度と発掘することはできなかった。 夕闇せまる川原で、泣きそうになりながら 砂をほったなあ・・・。 ● kazz ‘汚職事件’は‘お食事券’だと思ってた。 「タクシーの汚職事件」なんてニュースで聞くと、 タクシーに食堂車が付いたようなイメージを持ってた。 電車の定期券はケーキ券、テレビのフィナーレは ひなあられ。なんでも食べる物に聞き違える肥満児だった。 ● 深桜野 小学校の水道の蛇口はたいてい 「ミミズが入っている」ことになっていて使えなかった。 ミミズを避けるのと手を洗わないのと どっちが危険だったんだろう? ちなみに手洗い洗剤(アルボースって言うんですよね)も 妙にきれいな色だったために「絵の具が入っている」 と言われて使えなかった。 ● おーしま 兄が小学校高学年のころ、 同じクラスのSさん(女子)が、 授業中に居眠りをしておりました。 で、先生に見つかって起こされたとき、 寝ぼけていたSさんは、 「うちの庭のアワビが、アワビが……」 と口走ったそうな。 どうやら本人は「アケビ」と言ったつもりだったらしいが、 翌日から彼女のアダ名はもちろん「アワビ」でした。 ● ゆきちゃん ある寒い朝、さやかちゃんはうちの畑で大をもよおした。 コトが終わった後、ホカホカと湯気の上がるソレを見た 私の姉は、「ウンコが燃えている」とのたまった。 私は、「ぜったいちがう」と思いつつも、 反論の材料もなかった。 棒切れで分解して火の気があるか確かめたが、 何も出てこなかった。ヘンな連帯感がうまれた。 ● ヨウ 総タイル張りの家は、内部もタイル張りだと思っていた。 「掃除をする時、家具を出して水で流しちゃえば楽だね」 と、友人に熱弁していた。 ● 二人のミツル あれは確か小学生の頃の事でした。 寝る前に顔を洗っていると、なぜか 「顔を洗っている時の自分の顔ってどんな風に なっているんだろう」と思い、目を開けて 鏡を見てみました。しかし、目に泡が入ってしまい、 とてつもない激痛が僕の目を襲いました。 結局泡のせいで鏡は見えず、ただただ涙を流すだけでした。 それにしても、顔を洗っている時の顔は どうなっているのでしょう・・・。 ● ayay うちの家の前のお寺の境内で近所の2つ上の子と キャンディーズの振り付けをやっていて、 ある時、間違ったら徒歩15分はかかるプールまで 走って扉にタッチして返ってくるというバツゲームが 考え出されました。 その結果、一番年下の私が間違ってしまい、 泣いたけど行かされてしまいました。 ● はぐ いまだに何故あんなことしたか覚えていない。 何故家中にリンスを撒いたのか、、。 ● へなちょこ1号 みんなで海にいったときのこと。 セルフタイマーで写真を撮ろうとしているとき、 私の口の中のおやつがなくなりました。 「おやつをとりにいってたら、この写真には写れない」 そう思った私は考えた挙げ句、 カメラにむかって片手をさしだし、 『たんまっ!』とひとこと。 その瞬間にシャッターがきれ、 いまでも証拠写真として残ってます。 ● ミネコ テレビの「しちょうりつ」の存在だけは知っていた私。 それが何故か、テレビには視聴率を測定するための 監視カメラが付いているのだという 思い込みにつながっていた。 着替えるときなんて、恥ずかしいから「いやん、エッチ!」 と言って、画面から隠れなくちゃいけないので大変だった。 もしくは「ちょっと、着替えるから見ないで」 とテレビに頼まなくてはいけなかった。 部屋で独り、テレビと会話する娘を 親はどう見ていたのだろうか? 怖くて聞けない。 ● ゆき 小学1年生のとき、ガムを友だちと食べてて それをそのまま捨てるのはなぜかもったいなく思い、 近所の電信柱にぐるっとひっつけました。 口から直接ぐるっと電信柱一周。 今でもそこを通るとかぺかぺにひからびたものが ひっついてます。 今でも母に「これ、私つけたんだよー」と自慢してます。 今でもかなりのばか。 ● マーレ・インフィニトゥス 小学校の頃、男子の間で、給食の牛乳の三角パックを 足で踏んでつぶすのが流行った。 いつも、ぱん! といい音を出す森君が尊敬されていた。 ライバルの山野君はそれがくやしかったらしく、 ある時、給食を食べ終わるや否や、パックをつぶした。 でもまだ中身が残っていて、 踏んだ途端に教室中大騒ぎ。 山野君は全身牛乳くさくなるわ、先生に大目玉を食らうは、 速攻で「牛乳」とあだ名がつくわ、 人気者でなく笑い者になってしまった。 ● こたつアリシオ 幼稚園のころ、お風呂からあがって いつまでも遊んでいると怖〜い顔をした母に 「ゆざめ(湯冷め)がくるよ〜」とよく脅かされた。 母は「ゆざめ」という名の白い着物を着た髪の長い女が、 ボロ傘のえを回しながら飛んできて窓から侵入し、 布団の中にそっともぐり込むのだと言いながら、 墨絵調の絵まで書いてくれたので、 当時の私をモーレツに怖がらせた。 ● JINKO 「声優」という存在を知らなかった。 アニメなどで聞くあの声は人間ぽくないと思ったのか、 キャラクターの声はすべて“実在する本物のキャラクター” がいてそのひとたちが“アニメ化された自分の姿”に 声を入れていたのだ、と信じていた 少なくとも当時10歳未満の自分・・・。 |
2000-01-10-MON
●MAIKIAM 高校の同級生で、ド田舎に住んでる友だちがいた。 彼女たちが小学生の頃の、夏休みのプール帰りの 遊びといえばもっぱら 「オタマジャクシの鉄板焼き」だったそうです。 夏に、あっつ〜くなってる溝にかぶせてある鉄板に オタマジャクシを乗せると、面白いくらいに オタマジャクシがのたうちまわって、 地獄焼きができたそうです。 子どもの頃って結構エグイことしてますよね。 ● ねこぴん 小学生くらいだったと思いますが、 「もんしろちょうの羽の白い粉は コーラ味」 というのが仲間うちでの定説でした。 もちろん試す勇気はなかったです。 (だから今でもほんとは信じてる)。 ● mituko 小学生の頃の初冬のある日、学校帰りにある家の生垣に、 カマキリが卵を産み付けているのを発見。 じっと観察していて、産卵終了後小枝ごと家に持ちかえり、 宝物として勉強机の引き出しにしまっておいた。 春のある日、その引出しを開けたら、 なか一面が緑色でモゾモゾ波打っている。 良く見たら、体調1センチくらいの小さなカマキリが ビッシリ、グッチャリ、あふれ出てきた。 私は慌てて引き出しの中身を全部、窓の外に投げ捨てた。 ● ペロンチョ 「ママがサンタにキスをした」。 これはママの浮気の歌だと思ってました。 パパは残業で遅いのにママったら見知らぬサンタに うつつをぬかしているのです。 でもクリスマスだから無礼講! って内容だと最近まで信じてました。(現在31歳) ● つかちゃん 小学生の頃、テレビのニュースで 政治家の汚職事件の報道がされるたび 偉い政治家になるとそんなに「お食事券」が もらえるのかぁ〜と羨ましく思っていました。 「きっとすごい料理のお食事券なんだろうなぁ〜、 テレビで言うくらいなんだから・・・」。 大人になったら政治家になって すごいお食事券でテレビを賑わそうと思っていました。 そうならなくてよかったです。 ● いおん 皆さんサンタクロースって何歳まで信じていましたか? (今でも信じてるさ! って方ごめんなさい) 私は小学校5年生まで本気で信じていました。 手紙を書いたり、雪が降ってきたらサンタ観測。 (雪が降るのはサンタさんのソリが 近づいてきたからという私の説) ずっとずっと信じてたの!! ・・・当時幼稚園生だった弟に事実を告げられるまでは。 ● まゆにゃご 小学1年生の時の事。 当時、私が通っていた学校のトイレは水洗ではなく、 ぼっとん式のもので、ちょうどまん中のトイレの底に ハンカチが落ちていた。 うわさでは、底から突然手が出てきて、 それに驚いた生徒がおとしてしまったものらしい。 多分うっかり落としてしまったんだろうけれど、 本気で怖れていた私は、絶対にそのトイレに 入ることはなかった。しかし、時々覗いては、 逃げるとゆう不思議な行動をとっていた。 ● イリノカズト 私の小学校の、下校時の校内放送、しめは 「・・・みなさんさようなら。F、B、C」でした。 この「C」の前に私たちは校門から出てなきゃ ならないのですが、これには特別ルールがあって、 この「C」のときに地面に足が着いてなければいい (つまり学校に瞬間的にいなくなる)ということで、 「C」と同時にみんなでいっせいにジャンプするのです。 そのあとしばらく、法の網をくぐった喜びにひたり、 ふたたびドッジボールに興じるのでした。 ● コリンズ・すみ 小学生のころ、二つ違いの妹は、いつも私の後をついて 離れなかった。 私が友だちのうちへ遊びに行く時も、いつもついてきた。 私はうっとうしかったので、妹を友だちんちの玄関に 置き去りにしたまま、友達の部屋に上がり込んで遊んだ。 しばらくは「遊んでぇ」と叫んでいたが、 そのうち静かになった。 帰りに玄関へ行くと、妹と私の靴が消えていた。 妹が私の靴を持って帰ったのだ。 今にしておもえば、なんであんなにいやだったのか、 いっしょに遊んでやればよかったなぁ。 ● ブハンドン 埋蔵金が出るのを信じて疑いませんでした。 母に「出るわけ無いじゃない、テレビなんてウソよ」 と言われ続け、 「じゃあ、このすんばらしい穴はどう説明するんだよ!」 と本気で激昂してました。昨年なら、 「出るか出ないかの結果じゃなくて、 その過程が全てなんだよ」 と、落ち着いて楽しめると思います。 いやあ、大人になった。 ● Mc 小さい頃、というかこれは今でもですが、 開けた扉は取り敢えずこまめに閉めないといやな人でして、 つまり、開けっ放し、というのがいやな人だったんですね。 ある日、親に連れられて、電車で街へと。 さぁ着いたぞ降りるぞというところで、 事件は起こりました。 その電車というのは、今でもそうなんですが、 ドアの開け閉めというのはお客さんがしなくちゃ いけないんです。「開」ボタンを押すと開いて、 「閉」ボタンを押すと閉まる。しかし、電車の外側には 「開」ボタンしか存在しません。 ボタンが2つ存在するのは、内側だけなワケです。 そこでまた、無意識のウチに何気なく、 いつのも習慣が出てしまいました。 親に手を引かれて降りる際、手を伸ばして「閉」ボタンを 押してしまったんです。 私たちのすぐ後ろで同じように降りようとしていた サラリーマン風のオジサンが、 危うくはさまれそうになってしまって。 当然、あとでそれはそれはこっぴどく叱られました。 ● ふじい なんでも口に入れてみてた。 ある日、キャラメルのようなルックスに惹かれて 「コンソメ」の素を食べてみた。 ・・・・ディープな味だった。 ● 昔、ウルトラマン大好き少女 小学校低学年の時、隣の席だった強くん(仮名)の書いた 作文『ウルトラマンのうんこ』は私の人生観を 大きく変えました。 「ウルトラマンは身長が○○メートルあるから うんこの大きさは○○メートルくらいになる」 という書き出しでした。 日頃はあんなにニョロニョロと頼りない強くんなのに こんなにまでウルトラマンの事を考えていてくれたなんて! ――その日を境につよしくんを密かに崇拝し、 二度といじめたりしなくなりました。 ● まっさ あれは、もう、物事の分別が或る程度ついていた 小学校6年生くらいだったと思います。 下校時、友だちと農道でふざけあっていた私は、 とっさに両腕をひろげ、「とおさないぞぉ〜」と、 友だちの行く手をふさぎました。 なんのつっこみもないのを不思議に思った私が ふと振りかえると車が、私がどくのを 待っているじゃありませんか。 ちょっとした渋滞になってしまい、 そのまま90度振り返り、腕を振って交通整理を しているふりをしてしまいました。 ● チーマン 子どもの頃、ピーナッツとかアーモンドがキライで、 でも親や親戚が与えてくれるのはなぜか アーモンドチョコレートばかり。 アーモンドが嫌いでもチョコレートは大好きな私は (きっと)よろこんでもらったに違いないが、 それを私はチョコレートだけを食べ(なめ)、 アーモンドは全部ごみ箱に捨てていた。 そのままごみ箱に捨てていたため、 すぐにバレ怒られたので、次からはティッシュに 何重にもくるんで捨てていた。 なんてことをしてたのか…… 今では一緒に食べることをちゃんと覚えたけどね。 ● きり 自分のことをなぜだか「超美人」だと思いこんでたわたし。 今思えば、女王様きどりの鼻につく 本当にヤなやつだったと思います。 暇さえあれば、鏡の前で「にっこり」微笑んだり しておりました。あー、恥ずかしい。 でも、そのころは自分が美しくないなどとは、 夢にも思わなかったんですよね〜。 そんなわたしは今では 「十人並みではあるが、ブスではない」と思っている、 ちょっぴりヤな奴へと成長しました。 ●risa 私の姉は小学校に入るくらいまで 親指をしゃぶっているクセがあった。 小学校に入ってからも指しゃぶりをしているとは みっともないと思った両親はある日強行手段に出た。 今思えば、あれはオキシドールだったハズ。 それを親指に塗りたくり、 「これは毒だ。これをなめたら死んでしまうぞ」 と姉に宣告。横でその宣告を聞いていた私は、 「姉ちゃんが死んでしまう。 姉ちゃん、指をなめてはいけない! 神様、今晩、ねえちゃんが指しゃぶりしませんように!」 とまじめに焦っていた。 と同時に「そんな猛毒がこの家にはあるのか」 と恐ろしく思ったものだ。 ● カユー 小学校5年くらいの時、トモダチのクツを履かせたり、 クツののヒモを縛ってあげたり、宿題してあげたり、 カバン持たされたりしてました。 周りから見るとワタシはいじめを受けてるみたいに 見えたらしいのですが、当の本人のワタシは いじめというよりも世話焼いてあげられるので むしろ大喜びでやってました。バカだったなあ。 でも今でも世話焼くのとかヒトのために動くのが 大好きなのでそれはそれでよかったのかも? ● サンタでなくても休日出社の妻帯者 クリスマスの歌で、真っ赤なお鼻の〜、の歌詞で 暗い夜道はーピカピカのー、と歌うところを 暗いよー道はーピカピカのー、と弱気のサンタが嘆いて トナカイを大抜擢しているものだと、 つい最近まで思っていた。 でも、結構そう思っていた人いるのでは? ● ごおちゃん ヘッドフォンを口に当てて音楽を流しながら 口をパクパクすると 「インチキじみへん」みたいなわうわうした音になるので よくやっていた。 いまでもときどきやっている。 特につらいときはヘッドフォンに向かって 思い切り口を広げると俺の魂の叫びが表現されるような。 ● マヤコフスキー 小学校に上がる頃、近所のゲームセンターに かの"KISS"のリアルなイラストが描かれたピンボール台が ありました。シモンズ火吐き。 彼ら4人はまっとうに生きなかったが故に本当の 「悪魔」になってしまっただめな大人たちなのだ、 となぜか信じて疑わず、大人になるのが なんとなく恐ろしくなった、あの頃の私でした。 ● つん太くん 小学五年生のとき「青い山脈」という歌を知りました。 ちゃんと意味も分かったんですけど、 歌い出しを口ずさむとき、 「わ」と「あ」が入れ代わる癖がついてしまいました。 あーかーく、わッかるい、うたごえにー・・・ ともだちから間違いを指摘されたんですけど、 意識してないと、すぐ間違えてしまいます。いまでも ●でまーし 小学生の頃、沸騰したお湯にふきんをいれると 消毒できることを知った私はある日、 洗面所にある歯ブラシが汚れているのを見て早速 「熱湯で消毒だ!」とひらめいた。 喜び勇んで家族全員分の歯ブラシを ぐらぐらたぎる鍋の中に入れると、 あっという間にすべての歯ブラシはくるっと“弓なり”に。 ● AYAY 幼稚園のころの私の散髪と言えば、 母親の仕事(免許はなかったけど)でした。 そしてそのころ、私は女の子の絵を描くのが好きで、 前髪をギザギザにしたりナミナミにするのが 自分の中ではやってました。 …そうなんです。私はお母さんに絵を見せて、 これと同じ前髪にして〜と言ったのです。 でも答えはノー! 当たり前ですが、当時は悔しくて泣きまくってた。 ● hasesige 私自身のことではなく、伝聞話なので恐縮ですが。 知り合いの弟が、今中学生で野球部員なんですが、 この弟がテレビの野球中継を見ていたそうです。 その時、彼がポツッと「のしゅ」という言葉を 使ったんだって。 「は? のしゅ? のしゅって何?」 知り合いは野球の新しいワザか何かかと思って、 弟に聞いたそうです。 「えーっ、ほら、出てんじゃん」彼が指さすところには、 「野手」というテロップが……。 中学生にもなって、野球部員のクセに「野手」を 「のしゅ」と読むとは……。 私はこの話を知り合いに聞いて、 「全員が『のしゅ』だと思っている中学野球部」 を想像してしまいました。 「おらー、そこののしゅ! ノックいくぞー」 「こらー、のしゅ! 腰が高い」とか、 いがぐり頭のみんなで言い合ってるの。なんかカワイイ。 ● ヤギダイ たぶんこれは、掲載できないかもしれない……。 あれは10代の頃、一人でTVを見ておりました。 で、その日はオナカが張って、よくオナラが出てたんです。 寝転がってオナラをプップップ! とやってるウチに、 だんだん調子にのって、 「よーし、ためて一気にやるぞ!」と思ったバカな私。 グッと踏ん張りプププププー! ところがその軽快な音が途中からいきなり 「ブリブリブリー!」に大変化! 「はうぅっ!」と気が付いて止めたときは もう手遅れでした……。 ● うき虫 小学2年生の頃。 学校のお昼の放送で、週1回、宇宙から「ポンピーちゃん」 という宇宙人が来てしゃべってた。 みんな給食を食べながら聞いていた。 本当は、先生が声を変えていただけなんだけど。 最後は必ず「サヨウナラ〜」「サヨウナラ〜」と、 声をだんだん小さくして宇宙に帰っていく、という設定。 その時クラス全員、食べるのをやめ、 窓にダダダーッと駆け寄って、 「ポンピーちゃんはどこ!?」 「いた!あの小さいの!」と空を指さす。 週に1回の習慣だった。 ● ふうみえ 小学校低学年の頃、試供品でクリームクレンザー 「ジフ」をもらった。 私も妹も、それが何であるのか分からなかったのだが、 姉らしさをアピールしたかった私は 「クリームって書いてあるでしょ。 これ塗るとすべすべになるんだよ」 と知ったかぶって、自分の腿にジフをたっぷりと 塗って見せた。すんごく自慢げに。 アトピーで滅茶苦茶皮膚弱かったのに。本当にアホだった |
2000-01-09-SUN
●ロビタ 幼稚園の頃、なぜかそんなに好きでもなかった ポパイの真似をしてバドミントンの柄を 口にくわえて御機嫌で行進してたら運悪く転倒。 ノドを強く打ってそのまま気絶した。 救急車を呼ぶ寸前で我にかえったけど、 トラウマなのか、大人になった今でもノド付近が苦手で、 風邪の時にノドに塗るルゴールを 「すいません、それ、やらないで下さい」 と断ってしまう……。 ● よたろー 「秘密基地」を作って「見張り」を立てたりなんかして 遊んでいました。 何を見張っていたのか、今考えてもよく分からないけど、 往来にオジサンが通りかかったりすると、 勝手に「悪者」ってことにされて、 真剣に隠れたりしてました。秘密基地がばれないように。 オジサンが行ってしまうと「ふー、ばれなかったな…」 と子どもなりに精一杯の渋い台詞で演技するの。 ● エナ 母の事ですが、小学校低学年のころ ヤギを飼っていたそうなんですが、 ある日学校から帰ってくると伯父に 「ヤギは自分から柿の木にぶつかっていって死んだ」 と言われ、それを彼女は40まで信じていました。 ちなみに伯父達は宴会をしていたそうです。 ● もも 夕飯のおかずが「すき焼き」のとき、 必ず、じぶんの茶碗に盛られたご飯に箸でトンネルを掘り、 その奥深くに煮汁の浸みたシラタキを埋めた。 ご飯を食べすすめていって、 そのシラタキに再び巡り会うとむやみに嬉しかった。 ● きしくん 垢太郎という昔話を知り、お風呂に入るたびに垢を集め、 ビー玉くらいの大きさの団子が出来たところで 親に見つかり、捨てられ、泣いた。 ● PEN 小学生のころ、ウメが熟したら ウメボシになると思っていた。 だって、青い実が赤くなるんだもん。 ● なおぞー 私のダンナの話ですが、幼稚園のころ、初めてあった子に 鼻にタンポポの花を詰めて登場、 それを「フン! フン!」と片方ずつ 飛ばしてそのまま去っていったらしい。 本人は思いっきり忘れていた。 ● pu-pu- よくマンションの7階から大空向けておしっこをしてた。 爽快だった。 ● ふぢい 一家でカニを食していたときのことです (北海道に住んでて、割とよく食べてたのです)。 大人ばかり食べていて、自分用に剥いてくれない! と感じた私は、 「それなら、もういらない!」 と宣言し、それ以来十年ちかくカニを食べる場に 加わろうとしなかったのです。 なんて意地っ張りだったんでしょう。 ● くきゅ 小学生の頃のお話。留守番中、回ってる扇風機に 父さんのゴルフクラブを突っ込み、 羽根はバラバラになってしまいました。 ただどうなるのかなーと思ってやってみただけなのに、 かなりあせりました。セメダインで くっつけといたのですが、ウインウイン変な音がして すぐばれました。 また別の時は、着ていた体操服を はさみで切ってしまいました。 本当に切れるのかなーと思って切ってみたら 本当に切れてしまってこれまたかなりあせりました。 家に帰り、母親に自分で切ったと言っても 理解してもらえず、学校でいじめられているのではと 母は本気で思ったそうです。 ● あやあや 小学校の頃練り消しがはやって、 でさて「どこに練り消しもってるか?」と質問。 てのひら側にくっつけているのがすぐばれて、 負けず嫌いのおいらは、とっさに髪の毛の中に隠して・・・ ふーホントにばかだった・・・いまもかわらずね。 ● sanamy おトイレの中で「こっく○さん」と3回唱えると 出てくるからって聞いて、必死に頭に浮かべないように してました。2回以上。 ● 雲 あれは小学4年生の頃だったはず。 初めて好きになったクラスメートのM君に、 ラブレターなる物を書いた。 何を思ったか、居間のソファーのクッションの下に 隠したそのラブレターが、親に見つかるのは 時間の問題で。当然、その日のうちに親に 見つかってしまった。親に、これは何だと問い詰められて、 友だちの代筆だと答えた。 (「代筆」なんて言う難しい言葉は 当然使ってはいないんだけれど) そんな自分が可愛く、バカだったと思う今日この頃。 ● ノリノリ 「筋肉」というのは光り物だと思っていました。 体のどこかにぱかっと開く窓みたいなのがあって (その窓は大人になると出来る) そこから覗くと全身光って見えると信じていた。 ● 沙野 土手鍋のせいだと思うんですけど、 初めて見る一緒に入っていたカキとしめじを 混同しちゃって『ひ〜〜っ! このキノコっ!! 茎にぐちゃぐちゃしたものが入ってるぅぅぅぅ〜〜〜!!』 それはかなり衝撃的だったらしく、 その後10年ぐらい誤解が解けず、 しめじが食べられませんでした……。 カキは大丈夫で食べてた。 ● えど マンガ少女だったわたしは、ノックをする時は 「トントン」、ドアをあける時は「ガラッ」と、 言っていました。そういうもんだと思っていたので。 中学生になって人の肩をたたいて呼ぶ時にも「トントン」。 違う小学校から来た人に 「あの人トントンだって(クスクス)」 と笑われるまで続けてました。 ● おませちゃん 母にしかられた小学生の私は 妙に感傷的な気分になっていた。 「死んじゃおう。ここから飛び降りちゃおう」。 夜雨のせいで曇っている窓に遺言を書き付ける。 子どもの書くことだから大した内容ではない。 「ママ、僕は死にます」とかそのくらい。 これ当然本気じゃなくて、全部お芝居なのね。 自分で演じて自分で酔ってるんです。 小学生に自殺する勇気なんてそうそうないでしょう。 でも、「ママ、僕は死にます」って書いていると、 本当に悲しいって言うか切ないって言うか、 そんな気持ちになってきてしまい、 涙がこぼれてくるんですよ。 振り返ってみるとバカなんだけれど、 こういうのも。なんかいいよね。 ● かよこ 小学校4年生のこと。 給食のとき、鼻から牛乳を出すという大技が流行ったが、 私は何度やっても出来ず、悔しくて、負け惜しみに、 鼻から牛乳を「飲ん」でみせた。 今だったら絶対にやらないだろーな。 ● ズッキ 昔々お母さんが私の為にパーマン変身セットを 買ってくれた。お母さんはそれをなにかイベント (誕生日、クリスマスetc)に渡そうと思ったらしく それを箱に入れたまま押入れに隠していた。 はずみでそれを発見した私。「私実はパーマンだったんだ」 と本気で信じその変身セットを胸に素早く外に飛び出すと さっと着替え近所のへいによじ登り颯爽と飛び立った。 その1分後、私はすりむいたひざを隠しつつ トボトボと家に戻った。 変身セットは箱にいれて押入れに戻したが 地面にぶつけて無数の傷がついていたため だまって使った事がばれて結局怒られた。あ〜あ。 ● あいば 幼稚園のとき、制服の下にパジャマを着たまま 出かけてしまったことがある。 家に帰って親に話したら大笑いされ、 「やめて、幼稚園に聞こえちゃう」 と言ったらさらに笑われた。 ● IZZY 小学4年生の頃、クラスで 「紙粘土を作ってそれで学校の周りの立体地図を作る」 ことに。みんな自宅から古新聞を持ち寄り、 ポリバケツ1杯分古新聞と水を入れ準備万端、 しばらく「寝かす」ことに。 そのうちどこからともなく異臭がっ! みんな 「くっさ〜」「なんやこれ〜」。 ちょうど梅雨のムシムシする時期でポ リバケツの中で紙粘土の元が発酵してたんですね! これでいいのかどうかわからず、 あまりの異臭に日頃物を大切に! をモットーにしていた担任の先生も 「捨てましょう」と一言。 が、誰もそのブツを触りたがらず 結局くじびきで決めることに。 掃除を担当した班の子達は給食の時間も 食欲無さそうでした・・・。 ● かずっぺ 小学生のとき、私の憧れは「目が悪くなること」だった。 目を細めて物を見たり、眼鏡をかけることが、 なぜだか格好いいと信じきっていて、 わざと視力検査で見えないふりをした。 眼科で眼鏡の度を合わせてもらい、 念願の眼鏡を手に入れたのだけど、 眼科で、私の嘘は、ばればれだったはず。 でもその時は「しめしめ」と思ってて、ほんとーおバカ! でも罰があたって、今は両目0.03しかなくて 苦労している。 ● ピカピカの1年生 小1の夏 初めての「たいいく」でのプールの授業でのこと。 水着の前にあるべきゼッケンが後ろに付いていた。 ゼッケンとって忘れ物に名乗りを上げるか そのまま着るか・・・。 ちなみに女子の水着は小1といえど 背中がザックリあいてます。 ● 名前だけはかんべんして うちのお便所は(田舎なもので)長い廊下の向こうでした。 わたしはそこへ行くのが怖く、暗くなると 廊下よりも手前にある玄関に置いてあった私自身の 『ながぐつ』に用を足していたのです。 当時は名案だと思ったんですが。 見つかったときの親の顔と言葉を覚えてないのが残念です。 ● よすけ 夏はげさんとかぶってますが 僕は小学生の頃オナラをするとき 「へっへっ屁が出る5秒前!! 10・9・8・・・」 などという矛盾したことをほざいてました。 ● ほねザカナ 子どもの頃、近くにドブ川(というか、幅の拾い溝)が 流れていて、コンクリで固められた地上から 川底までは子どもの背丈くらいありました。 そこにパイプが渡してあって、 我々はそこにぶらさがりながら 「た〜すけ〜て ポパァ〜イ」 とオリーブの真似をしておりました。 わたしがある日いつものようにそれをしてると 手がすべりあのきちゃないドブにはまって 赤い糸ミミズだらけになったことがあります。 ● はにわ 小学生の頃、友人たちと「疲れる鬼ごっこ」 という遊びがあった。 今、考えるとオニがただひたすら追いかけるというだけの いたってシンプルな鬼ごっこだった。 何で頭に「疲れる」が付いていたのか、疑問である。 普通の鬼ごっこじゃん! ● 青木ナガスネ彦 小学校の高学年、杉並の街中で「鍵っ子」だった私は、 同じような仲間数人と日ごとコンクリートの壁に向かって 「高ション」を競い合っていました。 「高ション」は高い小便のこと。 小便の高さを競う遊びでした。 争っているうちに小便は自分の身長を越え、 やがてコンクリート塀を凌駕し、 飛沫はシャワーのようにみんなの頭の上から 降り注ぎました。 自分の尿の味を知ったのはこのときです。 |
2000-01-08-SAT
●せいP 時代ははるか昔にさかのぼりますが、 私がまだ小学校の低学年で、カワイかった頃。 「うちのお母さんは内藤康子の大親友!」と、 なぜか大の得意になっていました。 しかもそれは全くのホラで、 しかも嘘ってこわいですよねー。 だんだん感覚が麻痺してしまい、最終的には、 尾崎キヨヒコがおとうさん。 オーヤンフィフィがおかあさんといったキャスティング。 私もバカだが、羨ましがっていたクラスメイトも バカですよね。 ● やあや 小さい私はお母さんが絶対だった。 絶対の母は、こう言った。 「西条秀樹は昔、女でおちんちんを付けて、 今みたく男になったのよ」 ああ、小学2年生の私は、クラスのみんなに その通りに説き伏せてしまったわ。オフレコよって。 ● フトン 小学校低学年の頃、絵のついたティッシュというのが 女子の間で流行った。 新しく買ったティッシュを学校に持って行っては、 友だちと交換してた。 交換したティッシュの保管場所がなくて 帰る時には結構ボロボロになってたなぁ。 結局使ったことがない。 ● お茶心 カエルを捕まえようと田んぼに入った小学2年生のガキは ぬかるみで足が抜けなくなり、 その足を抜こうとぬかるみに入れた両手も抜けなくなり、 田んぼの真ん中でよつんばいになって泣いていました。 通りがかったオジサンに引っこ抜いてもらいました。 ありがとう、あの時のおじさん。 ● キング 友だちは、太陽を見た後なんかにチカチカする残像は、 自分にしか見えないものだと思っていたらしいです。 その友だちは、今でも超能力を信じて、 とりあえず念力を使ってみるそうですが。 ● さわ イケルのは白い絵の具と、赤い絵の具。 しいて言えば、白の方がおいしい。 でも、ぼくの絵に、白は欠かせない存在だったので、 泣く泣く赤を食べていた。 緑はあまりのまずさに、 1度きりで口にすることはなくなった。 ● 仲村和生 小学校3年生のときのことです。 僕は火遊びが好きなコドモでした。 その日は自宅の屋根が修理されておりました。 やがて作業が終ったようだったので、 僕は屋根に登りました。 すると、ペンキがきれいに塗りかえられていたのです。 僕は、ちょっとした出来心で、 ドラマでキャンプファイヤーをする時に 丸太を組んでいるように、マッチを組んで ミニキャンプファイヤーをしようと思いつきました。 その屋根の上で。 マッチに火を付けたら勢いよく、ミニキャンプファイヤーは 燃え上がりました。そのうち、火は勢いを増し、 屋根のペンキに燃え移りました。 なんたって塗りたてです。よく燃えます。 コドモ心にさすがにまずいと思って、 消火にあたったのですが、 もはやコドモの手におえる状態ではありません。 「もうダメだな」と心のなかで呟いて諦めた僕は、 …逃げることにしました。 ● こふで 給食に出るパックの牛乳についてくるストローの袋を ストローの根元に結んで飲むと死ぬと 同じ班の男子が力説していた。 証拠もあったためそれを信じた私。 その証拠とは「猫に飲ませたら次の日死んだんぞ―!」 ストローで牛乳を飲む猫って・・・。 当時は素直で純粋だったな。 理屈なんて必要無かったもん・・・。 今思えばバカだけど、なんかいい思い出。 ● めけめけ 子どもの頃、ニュースで言う “台風一過”は”台風一家”だと思っていた。 だからいつも“台風一過の今日”なんてニュースで 読まれる日は、その澄み切った青空を見るたびに その向こう側にバカボン一家みたいな台風一家が 仲良く手をつないでいるんだなー、きっと、 と勝手に思ってました。 ● フォトグラファーコバラジ 幼稚園の頃から結構大きくなるまで 白黒写真をカラーフィルムで撮影すると カラー写真になると勝手に思いこみ あちらこちらで自慢げに話していた。 同様にプラカラーのシンナーも塗ると 塗られたものは透明になると。 ● わたまり 小学校のとき、「赤い靴」の歌に出てくる 「異人さんに連れられて行っちゃった〜♪」のところが 「いい爺さん」か、「偉人さん」か、 いや「ひい爺さん」だ! とか言ってクラス内で大モメしたことがある。 結果は、教室に入ってきた先生の「異人さんです」 の一言であっけなく終結。 ちなみに私はイージンさんという 固有名詞だと思ってました。皆さんは?? ● ゆきこ 役場の地下にはコセキ室があって、 どこかの家に子どもが産まれると、 コセキ係の人が地下室におりていって、 カツンカツンと石に名前を彫るんだと思っていました。 でも、もしお祖母ちゃんが死んだら、 コセキ係の人は名前を削らなくちゃいけないから、 大変だなあ、と子ども心に心配したものです。 ● めめ 小学校も6年生になる頃まで、「島」は浮かんでいるもの、 「大陸」は地球とつながっているものだと思っていた。 日本は「島国」だから、浜辺から沖まで行くと、 どこかで地面が途切れてて、 もし流されて日本の下にもぐりこんだら怖いなあって、 ずっと海を恐がっていた。理科か社会の時間に、 陸から海へ深くなっていく図を見た時、 はじめて全部つながってるって知った。 大発見をした気分だった。 ● ひろチャン 小学5年生の時、友達と線路の上に大きな岩を置いて 電車を止めたのは、やはり犯罪でしょうか? しかも1度切りではありません。 ● ゆみっち 小学3年生の頃、給食のアップルシャーベット (ご存知の方、います??)を残し、 机の中に隠しておきました。 ひと月そのままにしといたら、 ・・・やがて机の中から時々「ぶーん」ってなにかが 飛び立つようになって・・・どうしよう・・・どうしよう・・・ って悩みながらも何もせずにいたら、 その「ぶ〜〜ん」の瞬間をついに隣の子に 目撃されてしまいました。 以来私は「ウジむし」と呼ばれるようになりました。 ● おのちん 東北出身の私は、「東名高速」とは、 「透明高速」だと思い込み、 東京の道はみんな透き通っているのだと思っていました。 ● kero いなかの名前は「イソウ」。 みんなから「タケチャン」と呼ばれていました。 ある日、テレビで民謡の番組が流れていました。 木曽節。 「イーソーのーなぁーあ なかのりさん イーソーのーおんタケサンはなんじゃらほい」 なんでオレのこと知ってんねんやろ? かなりドキドキしました。 ● ひだしゃん 小学校に入って初めての係り決めのことでした。 掲示係ってなんですかぁという質問をした男子に 先生が答えるのを遮って、 「悪い事をしたひとをこらしめるったい!」 と得意になって叫んでしまいました。 ● ちゃー 「ソ連の衛星が落ちてくる」ニュースを見て 「衛星のかけら」を近所の公園に探しに行った。 赤く錆びた大きなボルトを見つけ家に持ち帰り、 「ほら、衛星のねじ!」と家族中に自慢した。 ● ちゃー カルピスを少しでも長く味わいたくて、 最初は4倍、あとはちょっと飲んでは水を注ぎ足して 最後は15倍くらいに薄くしたものを飲んでいた。 ● hannah 子どものとき、初めて行った映画館で、 “恐竜映画の新作がゴールデンウィークに公開!” という予告を観た。 そのとき初めてG.W.という言葉を聞き、 恐竜のことだと思いこんだ。しかも怪獣と恐竜の区別が ついてなかった。さらに、G.W.(恐竜)は夜中に うちの町内を歩き回って、寝てない子がいるか チェックする、となぜか信じて、毎晩おびえて泣いていた。 “G.W.が来る、怖いよう”と毎晩のように泣く私に 両親は困り果てた。ものすごく怖がりだったせいか、 いつも想像のほうが現実より怖かった。 そして自分の想像におびえて泣いていたわたし。 ● エクアドルばなな あたしが幼稚園児だったころ、 世間では「オバタリアン」がブラウン管を賑わせていた。 ある日、鬼ごっこをしていた年長組の男の子が 「オバタリアン!」と言って、握り拳を作り、 腕を胸の前でクロスさせていた。 どうやら「バリア」「エンピ」の類のつもりだったようだ。 そこは田舎もいいところで、そのころ民放の番組は 放送されていないと言ってよかった。 あたしも真似ていたが、引っ越しして テレビを見たときのショックは きっと誰にも理解できないだろう。 ● mapo 親友だったシンちゃんと「ケガしててカワイソウ」と 近所中の木の皮のはげた部分に赤チンを塗ってまわった ●はなお ミニサイズの笛を友人が鼻に指し鼻息で鳴らし、 周りの友人たちを笑わせていました。 何かの拍子に、笛全体が鼻に すっぽり収まってしまいました。 本人は取れなくなって焦って泣き出していたんですが、 息を吸う度に「ピー」と音がして、 周りの人間は心配せずに笑い転げていました。 子どもの時ってウケると思うと調子に乗って おばかな事をやっちゃうんですよね〜。 ● SAKA 小さい頃、何かの本に載っていた「空中を歩く法」を 実践していた隣のお兄ちゃん。 「右足を上げ、その右足が地面につく前に 左足を上げ...」を信じ、鴨居にぶら下がりながら 足をばたばたしていた。 子ども心にも「馬鹿だなあ」と感じたことを 思い出しました。 ● おさしみ 小学校3年生のコロ。 何をしてもおこらないと評判の校長先生を おこらせるという企画が悪友3人の間でもちあがりました。 トップバッターの私は駐車場にとめてある 校長先生のセドリックのフロントガラスにウンコしました。 校長先生もうカンカン。 企画はトップバッターの私で打ち切り。 もちろん犯人捜しにも名乗り出ませんでした。 評判ってアテにならないと思った(と思う)。 ● ぴーさん たしか5歳のころのある晩のことです。 ボクは部屋の明かりをつけては消し、つけては消し。 いったんあきらめてはまた再挑戦でつけては消し、 を繰り返していました。 光子がとぶところを見たかったのです。 ● 陽子 安全地帯好きな友人に 私:「わたしもあの曲は好き! えーっと なんだっけ? 電熱線!」(得意げな顔)。 友人:「えっ?それって・・・熱視線じゃない?] (こわばった顔)。 笑うに笑えない重度のボケ。 ● はるき 昔、私のアイドルは小林旭でした。 貰ったノートに彼の名前をいっぱい書くほどファンでした。 証拠が幼稚園の卒園アルバムにも残っていました。 「大きくなったら小林旭のお嫁さんになりたい」ですと。 今思うと、なぜ幼稚園児が渡り鳥なのだか・・・。 小学生になって、こんどは石原軍団に夢中に。 舘ひろしの真似をして自転車で両手を離し、 モデルガンを構え、かっこよく決めようとして、 電柱に激突したことも。 |
2000-01-07-FRI
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