まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.06>

◆「まるでハガキのように」によせられた
「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。

●ふにゃこ
おかあさんが裁縫していると
「すごいなあ、なんか手伝えることはないかなあ」と思い、
ランダムに針刺しに刺さっている待ち針を
いっしょうけんめい隙間なく整列させてあげて
「ほら、きれいでしょ」と言ってました。
あまり喜んでもらえませんでした。
よく怒られなかったなあ。


●ふにゃこ
戸の蝶番がおかあさんの使う口紅に似ていると思い、
蝶番のてっぺんの丸いところにくちびるをすりつけて、
おめかししている気分になったのを覚えています。
同じ年頃になった息子が賢く思えます。


●みき
わたしじゃありません。だんなです。
小学校一年生だったかわいい彼は、
登校途中の道にあるお家(ふつうの民家)の門のあたりに
ちいさな箱を見つけました。
のぞくと「あ、牛乳が2本入ってる」。
牛乳が好きで、はりきって歩いて来たところだったので、
のども渇いていた彼は、その2本の牛乳は
自分のために用意されている確信を持ち、
元気にごくごくと飲み干しました。
でも小さな男の子ですから、いっぺんに1本が限度です。
「ごめんなさい。飲みきれないです」と
後ろ髪を引かれつつ学校に向かいました。
下校途中、心配しながら同じ家のおなじ箱を開けてみると、
そこには2本の空瓶。
「よかったあ。誰かが飲んでくれたんだ」。
安心して彼はまた元気にお家に帰りました。
こんな日々を半年も続けたらしい・・・。
そのお家の方、これ、みてませんかねー。
だんなが「ありがとう。ごめんなさい」と言ってます。


●たんぼ
小学校3年まで、静岡の田舎町に住んでいた。
3年で同じクラスになった加代子ちゃんと仲良くなって、
家のカーテンの中に隠れて最初のキスをした。
4年生になって父親の転勤で東京に引っ越した。
東京の小学校では、「キスをすると子供ができるんだぞ」
って言ってる子がいて、本気で加代子ちゃんのことを
心配した。
むかしはよかったよなあ。


●だい
小学生のころ外国人の名前(ジョンとか)は
日本語に訳すと太郎とかの
日本人の名前になるんだと思っていた。
「だってりんごはアップルになるじゃん」
と言ったら笑われた。馬鹿でしたねー。


●ふく
子どもの頃って言うか、かなり大きくなるまで、
家の近所にある「おこと教室」ってのは、
あの、毛筆の感じからして、ものすごくヤラシイことを
するところなんだと、思っていました。
何か、訳もなく小走りで前を通ったりして...。
「おこと」を「おとこ」と勘違いしてたんですね〜
バカだったなぁ〜 何だか。


●もも爺
私が幼稚園だったころのある日、
当時近所に住んでいたおばちゃんの家に
一人で遊びに行った。
いろいろごちそうになりいざ帰るとき、
おみやげに焼き芋を3本もらった。
お礼を言って家に向かう途中、
何を思ったかあわてて引き返した。
「おばちゃん、お父さんの分がない!!」


●ママのぼり
「なみだロート」という目薬は、
18歳になったばかりの女の子の涙を集めて原料にしている。
彼女が今、その涙を出すバイトに言っている、って
いとこのお兄さんに言われて信じてた中学生三年の私。
おまけに「18になったら、なみだロートのアルバイトを
紹介してあげるよっ!」と言われ、18になったばかりの頃、
お兄さんに「なみだロート」のアルバイトをしてみたい
といったら「?」と怪訝な顔をされた。
ようやく騙されていたとわかった私。
三年間も信じていたなんて、ものすごいバカっていうか
アホというか・・・。


●ユキタロウ
親が近所に買い物に出ているすきに
冷蔵庫のへそくりソフトクリームをひとなめするべく、
踏み台を運んだ5歳の私。
やっとこさよじのぼった冷凍室の扉にしがみつき
ソフトクリームをひとぺろしたところ、
クリームを冷凍室の中にちょいこぼし、
ついでにそこも・・・とひとぺろしたところ、大惨事に!
舌が冷凍室(床面)にくっついて離れない!!
しがみつき、踏み台で背伸びした状態で約20分。
5歳の私には途方もなくながいながい時間だった。
人間の小ささを実感したはじめての体験。
母は「首つってると思った」などと今になって言ってるが、
その現場では爆笑しながら私の開けっぱなしの口に
湯を注ぐという拷問のような手段で私を救出したのだった。


●あめゆ
3歳の時、バイクにはねられて、
頭に7針縫うケガをしました。
しかしその時、自分の服に付いた血のシミを見て、
『お洋服が汚れる! お母さんに怒られる!』
と泣いていたそうです。


●かりサマ
ご飯の後の皿洗いのとき、
キューピー三分間クッキングのテーマソングを
口ずさみながら、その日のご飯の食べかすを使って
「はい、そうしたら次にこれを混ぜます。
 このようにして盛りつけますと素敵ですね」
と、泡立てた洗剤なんかもまぜながら、
創作料理を作って遊んでた。楽しかった。


●kazz
小学校の中学年くらいのころ、友だちが
「仲良しは、くちづけって言って口と口をくっつけるの。
 もっと仲良しは、舌と舌をくっつけるんだよ」
と教えてくれました。
私たち仲良しグループは、学校の帰り道、
舌を細長く突き出して、順に舌先と舌先をくっつけました。
これって何だろうって思ったけど、
ほんとの意味がわかったのはずっと後のことでした。


●たくやの母
うちの長男の過去。幼稚園の頃、なぜか彼は、
ダンゴ虫が大好きでした。
ある日、幼稚園から帰って、カバンから
お弁当箱など取り出そうとすると、ビニール袋が...。
出してみると、ダンゴ虫がぎっしりつまっていて、
虫が大嫌いな私は、「ぎゃおぉ〜〜〜」
と失神しそうになった。
翌日、先生に告白すると、
「そうなんです、たっくんがどうしても
 おうちに持って帰りたいって言うもんですから....」
って先生。
おいおい、持たせるなよ〜〜〜〜。


●カールおじさん
風邪を引いて、高熱を出して寝込んでいたとき。
子ども心に「何か食べなくては、元気になれないんだ」
と『カール』というお菓子を一袋食べて、
吐き気までもよおしてしまいました。
その後、テレビで「カールおじさん」のCMを見るたび、
なんだか気分が悪くなりました。


●くるくるちゃん
小学校4年生の時、友だちがマンガで
「4月4日の4時44分に白い壁にもたれると
 4次元の世界にいける」と読んで本気にし、
みんなそれぞれの家で真剣に実行した。
そんな真夜中にごそごそ起き出し、マンガなどの荷物を
いっぱい抱え、ジャストタイムにもたれ掛かったが、
当然行けなかった。でも、思えば3次元に帰ってくるには、
3月3日の3時33分なので、
1年近くも家に帰れなかったら困ると思い、
うまくいかなくて内心ほっとした。


●マザークラビッ2
小学校低学年の私と兄は隣のきくおちゃんの家で遊ぶのが
好きでした。きくおちゃんの妹ののりちゃんと一緒に
4人でその日にしたことは、みかんがはいっていた
赤いネットを順番にかぶって他の一人が
それをグイグイと上に引っ張ってむりやり脱がせて、
残りの人たちはその時に変化する顔を鑑賞する、
というものでした。
で、あんなに笑ったのはあれがきっと人生で
最初だと思います。


●カオリータ
夜になると、自分の部屋の押し入れには、
銀色の宇宙服を着た宇宙飛行士とドラキュラが
やって来ると思い込んでいた。
私はコワくて、自分の部屋での用が済むと
サッと電気を消して、お茶の間に走っていました。
しかも宇宙飛行士は、永遠に宇宙をさまよっている
という設定でした。


●ユキタロウ
我が家にはじめてビデオデッキがきたとき、
父が会社の同僚から借りてきたソフトが
「13日の金曜日」だった。
お茶の間で一家で楽しむ夕食後の惨殺は
幼い私に多大な影響を及ぼし、
つい最近までビデオソフトの最初の画面
(ポニーキャニオンとかのロゴがぼわわわーんと出るあれ)
を見るとたとえそれが「子猫物語」でも
半べそになる癖となった。


●おばげげ
幼稚園の頃、女の子はピンク、男の子は水色のスモッグ
と呼ばれる(割烹着みたいな)ものを着ていた。
ある夏の日、町内放送で「スモッグ注意報発令」
という言葉を聞いて母に、
「スモッグ注意報って何?」と聞いたら、
「スモッグが空から飛んでくるんだよ」
と言われた。その夜、幼稚園で着ているスモッグが
空一杯に散らばって飛んで来る夢を見てうなされた。
怖かった。


●May
たぶん、弟はまだ2、3歳だったと思う。
家族で車に乗っているときに、
“これからは道路でワーゲンを見つけたら
「ワーゲン見ーっけ!」って言うんだよ”と宣言した。
しかもより早く言った人が勝ち、
という妙なルール付きだった。
以来20年近く経った今でも、ワーゲンを見つけると
つい口走ってしまう。


●kd
そうとう冷めたガキだった私は、
幼稚園の運動会の時にも、まったくやる気がなく、
障害物競走の最中に長いトンネルのような物の中で、
しばらくすわりこんで休んでおりました。
先生に見つかって結局ゴールしたのですが、
「何であんな所ですわってたの?」
と聞かれてもニーッと笑うだけでした。


●こーちゃん
小学校3年生くらいまで、
「モータープール」(駐車場)を泳ぐプールだと思い込み、
海パンを持ってモータープールの前まで行きましたが、
そこには車しかありませんでした。


●kazz
幼稚園の頃、人形相手にお医者さんごっこをしてて、
「妊娠9ヶ月ですね」って私が診断したら、
小耳にはさんだ母が
「あらー、それまで気付かなかったの」と言いました。
大きい数のほうがいいと思っただけでした。
それ以来、オトナの前では遊ばなくなりました。


●まーくん
ガキの頃というより赤ちゃんだった頃。
私の好物は、土壁だった。
毎日、壁の前で座り込んで食べてたらしい。


●みずしま
幼稚園のころ、母親に
「ちゃんと弟のめんどう見てるのよ」
と言われ、何を勘違いしたのか、私は一所懸命
「ねんど」を見てたそうです。
全然覚えてないんだけど、弟ははっきり覚えてるらしい。 


●笹田松蔵
当時、バナナが貴重品で貴重品で。
お盆とかお葬式のときにやっとありつけるような
金色の食べ物でした。ガブッといきたいのをこらえつつ、
弟の減り具合を横眼で見ながら
舐めるように食べたものでした。


●佐藤B作
親父のゲンコツもお袋のヒステリーも幽霊も口裂け女も
恐れなかった弟が森進一の「おふくろさん」の歌声に
泣き出したのには驚いた・・・。


●asa
水入れて“爆弾”とか言って、
外で投げ合う遊びが流行ったころ、
母のたんすの引き出しから、コンドームをみつけて
「お母さんたちも水風船あそびをやるんだ」
とびっくりした。薄いグリーンだった。
どこでやってるのか疑問だったが、
一緒に入っていた香水をすこしこぼしたので、
聞けなかった。お母さん、後片付けもせずごめんなさい。


●77
そう、今でも忘れない。あれは4歳の頃。
近所の中3になるお姉ちゃんがうちに遊びにきて、
折り紙を折ってくれていた。色んな物を折ってくれてたが、
最後にカメラを折ってくれた。
そのときお姉ちゃんは、
「これは不思議なカメラでね、折り紙で折ったものだけど、
白黒で映るんだよ」っていって、
タヌキのぬいぐるみを撮った。
そしたら、開けてみるとびっくり、
しっかり写ってるではないか。
それを小学校3年生まで信じてました。
もちろん、その写真は、彼女の手書きです・・・。


●くらんべりー
小学2年の夏休み、木の上に巣をつくり、
卵をのっけて“ヒヨコの誕生”を観察しようとしていた
Kちゃんと私は、まぎれもなくバカでした。
二人のバカはとどまる所を知らず、
冬休みには、コタツで卵をあたためていました。
その年、二人が学んだのは
『腐った卵は吐き気がするほど臭い!』という事実でした。


●たれたれ
家の辺りは山ばっかりで、よく外で遊んでいると
毒(普通の?)きのこを発見した。
そのころは半径1メートル以内に近づくと
毒を噴射され死んでしまうと思い、
遊びながらも目を光らせていた。毎日大変だったよー。


かきこみもできる版はこちらへ。

2000-01-23-SUN

 
●maruchang
小学校5年の時、
道徳の時間にみんなでテレビ見てたら
テレビとその台の間から白い物が
「ワラワラ…」と出てきたんです。
クラスの誰かが外で拾ってきた
カマキリの卵をそこに置き去りにしていて
忘れた頃に孵化したということが
鑑識(先生)の結果でわかりました。


●ユキタロウ
中1・理科の先生の家(単身赴任)に遊びに行ったら
大理石の味噌汁をのまされた。飲んだ。
人間信じれば飲めるもんだ。
(飲んでよかったのかは今だ不明)。
中2・放課後たまたま友人のいじめられ現場を目撃。
助けたいがどうしていいかわからず一旦家に帰り、
額に大量のケチャップをかけて現場に戻る。
いじめていた連中がまんまとひっかかり友人は救われた。
が、ケチャップがばれてあまりの奇行にみな少々怯える。
10年後救ってやった当の友人に
「あの頃は本当に変な人だったよねえ・・・」
と飲み会でしみじみ言われる。


●まさまさ
階段の最後の段を右足で昇るとなぜか快感でした。
それがくせになりマスターしました。
偶数なら左足から、奇数なら右足から
という高等テクニックを身に付け、
毎日最後の段を右足で昇りました。
やってる間は「なんでこんなことしてるんだろ」って
気づいているのにもかかわらず、
それはくせとなりなかなか抜けませんでした。


●もり
新興宗教ブームだった中学生の頃、
仲間うちで一心教という宗教をつくって、布教した。
体の前で大きくゆっくりと、
両手でハートの形を書きながら、
♪ハ〜〜トゥ〜〜ハ〜〜(heart-to-heart)と、
節をつけ大きな声で唱えるだけで、
何の教義もありませんでした。
お腹から声を出すのが結構気持ち良くて、信者が急増し、
みんなで大合唱していた。
が、2週間くらいで信者は激減し、教団は自然解散した。


●ぐね
5歳の時、身長の高い人が年上だと思ってました。
私は早生まれなので、同学年の中では
実際一番下なのですが、身体がでかかったんで、
年長組みの中で、一番年上だと思ってました。
小学校1年生になって、誕生日順だった出席番号が
うしろから3番目で、初めて「年齢」の概念を知り、
ほんっとに驚きました。


●So
「こっくりさん」のコトを「ぽっくりさん」と思い込み、
別の意味で恐れていました。


●東京ジョー
幼稚園のころ、死ぬほど三輪車が好きだった。
いつも近所の公園に行って三輪車で遊んでいたが、
すぐに親が帰りたがり、不完全燃焼の日々が続いた。
ある日一大決心をしたワタクシ、
自分の気が済むまで三輪車をこいでやろう…と外に出た。
夕方、家から10キロほど離れた国道沿いで、
わあわあ泣きながら三輪車をこぐ児童を
たまたま近所の人が発見し、電話で連絡を受けた両親は
車で迎えにきた。


●サマンサ厚子
今でも 『クモ恐怖症』なんですが、子どものころ
実家のボットン便所には、しょっちゅう手のひらサイズの
でっか〜いクモに遭遇したんですよ。
もうその怖さは相当なもので、『小』の時は、
さりげなく風呂場で済ませていたんですが、
『大』の時はもう、困った!!
しかたなく、自室のまん中で
こっそりと新聞紙を敷き、やってしまいました。


●JavaJava
小学生の頃のお話。
13日の金曜日に起こる恐い話を13日の金曜日に
聞いてしまった私。
かなりビクツキながらお家に帰ると家にいた兄貴が
「遊びに行ってくる」って出て行こうとしている!!
焦った私は「ギャーッ! 行かないでぇ!! うあぁ〜ん」
と泣き喚き兄貴の服を引っ張り、
意地でも阻止しようとしていた。


●海狸
60年アンポの時まだ幼稚園に行っていた私。
訳もわからず「アンポ反対! アンポ反対!」
と園庭で叫んでいた。
小学校に上がって国連のしくみを習って、
なんで安全保障理事会に反対などしていたんだろう
と不思議でたまらなかった。
謎が解消されたのはやっと70年アンポ闘争が始まってから。
アンポは日米安全保障条約のことだったのね、と納得。


●ぶー
幼稚園のころ、父親に正座させられて、
しかられていた時のことです。
あまりにも反省の色が見られない私を見かねて、
父が言いました。
「お父ちゃんが、腹立つか?
 腹立つんやったらお父ちゃんを殴ってみぃ!」
次の瞬間、私は父の左頬を
思いっきり平手打ちしていました。
しばらく父と娘の平手打ちが繰り返され、
だんだん本気になってきた父に恐怖を感じた私は、
悔しさをじっとこらえ、手を止めました。


●やぎめえめえ
小学校3年の時。
友だちの家で懐かしの黒電話の受話器を置く白いところを
ガチャガチャやると、何故か近所の精神病院に
かかることを発見。
面白いので何度もイタズラ電話をかけてたら、
突然電話が「りぃーーーーーーーん」
(「りーん、りーん」では無く鳴りっぱなし!)
と鳴り続け、仕方無く出ると、電電公社のおじさんに
こっぴどく叱られ、おまけに電話番号と名前を聞かれた。
とってもコワカッタけど、内心「友だちの家でヨカッタ」
と思ってしまったワタシは卑怯モノ。


●うなぎ
小学生のころは、県営のアパートに住んでいました。
時々包丁研ぎのおじさんが回ってきて、
どこかの棟の階段の下の入口のところでお店を広げます。
学校から帰ってきた私は、「人殺しのおじさんがいる」
と思い、怖くて遠回りをして帰っていましたが、
時には私の家の階段口にいるときもあり、
そのときは大変でした。
一番遠くの入口から屋上まで上って、
逆に上から降りるのですが、その間におじさんに見つかって
あがってこられると大変なので、
屋上からおじさんの動向をのぞいて、
スキを見て3階にある自分のうちまで、
忍び足で帰っていました。
かぎっ子だったので、帰り着いてかぎをかけるまでは
生きた心地がしませんでした。


●shinko
小さい頃お風呂に独りで入っていて
(特に湯船につかっているときとか)、
静か過ぎるのがこわかった。
そこでお風呂の水を常にちょろちょろと
出すようにしていた。
追い炊きなどできない頃の話で、
ぬるくなりすぎるといけないから、ものすごく少なめに、
でもちゃんと音がするように出すのが至難の業だった。
そんなおばかな調整に必死だった自分をふと思い出した。


●まゆ
蒸し暑かった初夏のある日、
開け放たれた3F教室の窓の外からなにやら生臭い匂いが。
耐え切れなくなったクラスのみんなが「調査」すると、
狭い梁の奥に、並んだ3本の牛乳ビン(中身入り) 。
臭いの元は腐った牛乳。
いぶかしがる皆に、涙目のY田くんは
「だって俺、ヨーグルト食べたかったんだよう!」


●どらんか〜
小学校の時、よく町の体育館に卓球をしに通っていた。
たまたま球がそれて取りに行ったとき
壁の真っ赤な非常ベルが目に入った。
吸い込まれるように押してしまった。
体育館にベルが鳴り響き、消防車が二台駆けつけた。
我に帰って事務室に私が押しましたと言いに行った。
何もなくても不機嫌なおじいさんは、
ココゾとばかり説教をたれまくった。
いうまでもなく「そんなことをしてはいけない」のは
よーく分っていた。


●calsama
小学校の頃、死んだカエルを見たときは、
親指をかくして3歩さがり、そのさがった3歩を
5歩かけて戻らないと呪われる、という噂があった。
見てしまったときはもう必死で
「1、2、3。1、2、3、4、5!!」
と変な歩き方をしたもんだ。


●ひろあき
小学校の校舎が、木造(1−4年)、
鉄筋(5、6年、職員室)に分かれていました。
木造で生活していた頃、恐い教頭先生が赴任してきました。
先生は、いつも、怒鳴りながら職員室から出てくるので、
「怒りの鉄筋校舎」と呼ばれ、怖れられ、挑発され、
避けられていました。


●はな
東京を走る電車は、すべて地下鉄だと思っていた。
高校まで、JRの他に私鉄があるのを知らなかった。
大学に入った時に、大阪出身の友だちに言ったら、
「あほか」と言われた。
この時、大阪にも地下鉄や、私鉄がある事を知った。
だって、私の住んでた所はJR以外なかったもん。


●うーちゃん
子どもにケガはつきものですが、
それでも「包帯」とか「松葉杖」とかになると
「大ケガをした」=「なんだかわかんないけどスゴイ!」
ってことで、クラスでも注目を浴びます。
小学校3年生の時ケガをして、手首の骨に
ヒビが入っただけでしたが、
「包帯した腕を三角巾で首から吊る」という格好のためか、
一躍クラスの中心に。
実は、押入れから落ちたため、
というマヌケなケガだったにも関わらず、
みんなにやけにチヤホヤされて、
なんだか誇らしかった気がしました。


●sin
持っている塗り絵に飽きちゃって、
でも塗りきらないと新しいのを買ってもらえない家でした。
ある冬の日、姉と2人で
「雪に埋めちゃって、新しいの買ってって言えばいいかも」
と作戦を立て、実行しました。
めでたく新しいぬりえを買ってもらったんですが、
春になって雪が解けてから
その古い塗り絵が出てきちゃって。
親にこっぴどくしかられました。


●まゆぞう
信号を青に変えるには「おちょこちょん!!」
という呪文を唱えなければならないと信じていました。
(幼児のころ)自分が唱える前に信号が変わると、
「他の人が言ったんだ」と思っていた。


●はおはお
私の26年来の友人は、つい最近、ワンマンバスは
自分勝手に過ごせるバスじゃないことに気がつき、
目からウロコを落としていました。


●かめころ
小学校五年生になった時。
ピータパンが大好きだった私は
「小学校五年生になって、もう大人になってしまったから
 ピーターパンは迎えに来てくれない」
と思ったら悲しくて、一晩泣き明かした。
「大人」の基準を、なぜ小学校五年生にしていたのかは
不明。


●サラ
全く覚えてないんですが、幼稚園の頃、
姉の算数セットのおもちゃのお金を持って、
近所の駄菓子やさんへ得意げに買い物に行ったそうです。
きっとやるなと思った母は、
あらかじめおばちゃんに手を回していたそうです。
そうだったのね。


●よし
ある女の子のあだなが「はなげ」でした。
何の悪気もなくそう呼んで、
その子も明るく答えていたけど、
ほんとは嫌だったのかなあ。小学生のときのことです。


●くー
テレビで「ノストラダムスの大予言」を見て、
1999年には33歳で死んでしまう、
とその夜は眠れないほど、悲嘆にくれました。
翌日学校の体育の授業で
フォークダンスを練習するクラスメートを眺めながら、
「何がレッツキッスだっ。みんな死んじゃうんだぞ。
 あー世界のことを心配しているのは私だけか」
と心の中で呟きました。現在無事31歳になってます。
(自分の歳の計算すらまともにできないのに
世界の心配してました。)


●フラミンゴ
バレンタインデーの日、家のポストに兄宛に
「好きです」ってメモ付けて、
家にあったハートのチョコ(たしか50円くらいの
ピーナツの入ってる赤いやつ)入れときました。
兄はこっそり自分の部屋に持っていっていきました


●こお
私が子どもの頃、だんご虫は食べるモノだった。
何個食べたかを競い合った。沢山食べた奴は英雄だった。
また、川でめだかやカジカを捕まえては
おどり喰いに舌鼓を打った。
のどでピチピチ跳ねる感触が心地よかったのを覚えている。


●しょちけ
自転車を飛ばしている最中に、
ふと「いま前輪の鍵をかけたらどうなるんだろう」と思い、
左足で鍵をかけてみた。
すると瞬間的に後輪がぶわっと持ち上がり、逆立ち状態に!
逆立ちのまま静止したのでとても焦ったが、
そのあと横に倒れました。バカな女の子でした。


●チョンキー
小学生の時、若王子さん誘拐事件の時
ニュースでテレビを見ていた私は父に、
「どこの国の王子様が誘拐されたの?」
いまだに、馬鹿にされている・・・。


●えりこ
少女の頃は、とにかく片っ端から本を読んでました。
いつもは図書館で借りていたのですが、
ある日母が姉と私に「本を買ってあげる」
というので前から読みたかった刺激的タイトルの
「イワンのばか」を選びました。
もう、うきうき、どきどきしながら帰って
早速袋をあけるとそこには「中国昔話」が。
興奮の余り、間違えて隣りの本を取ってしまったのでした。
姉にはしばらく「えりこのばか」
と文字通りバカにされてました。


●なき
七曲署の刑事のマネをして上着の内ポケットを
自作手縫いしていた。かつ、黒い手帳を忍ばせて
「ハンカチ、チリガミ、爪」係の結果を
その手帳に記していた。
まるでデカのように。


●マンゴスティン
働き者の祖母に向けた素朴な疑問。
「おばあちゃんは、おじいちゃんを小さいときに
 拾ってきて、おじいちゃんって名前をつけて
 育てたんでしょ? いつもご飯をちゃんとあげていて
 まるでお母さんみたいね」。


●おちゃわん
英語の授業中、先生に指された私は、
校舎の改築のために校庭に杭を打ち込む機械の騒音に
負けるものかと大声で二ページにわたる長文を
読み上げた(発音には自信あり)。
読み終わったとほぼ同時に杭打ち機も止まり、
訪れた静寂の中、今度は先生の声がはっきりと聞き取れた。
「訳すんだよっ!」


●あきんど
雨上がりの道で水溜りを見つけて、
長靴でバシャバシャしながら歩いていたら、
運悪く電信柱を抜いた穴にはまってしまい、
足が抜けなくなってしまった小学生の私。


●二人のミツル
これまた小学校高学年の頃、
国語の時間に先生に教科書を読むように言われ、
読んでいたらクラスのみんながなぜか笑い始めた。
僕がしばらく戸惑っていると、隣の席の女の子に
「それ作者名じゃないよ」と言われた。
よく教科書を見てみると「○○○○作」と書いてあった。
どうやら「作」の部分を名前と一緒にして
読んでしまっていたらしい。
そんな僕も今では国語のテストでは
クラスで1、2位を争うほどに成長しました。


●joy
学校の時、筆箱の中の鉛筆を背の順に並べると死ぬ
っていう迷信が広がりました。
Mくんが背の順に鉛筆を並べているのを見て、
隣の子が「あっ、オマエ明日死ぬぞー」
と囃し立ててました。次の日Mくんが欠席したため、
クラス中は「本当に死んだのでは?」と冷や汗ものでした。
次の日M君は元気に登校してきました。

2000-01-22-SAT

 
●きくよい
すごく小さい頃、血のことを「ちが」だと思っていた。
だって、血が出ると母が指さして
「あっ! 血が!」って言うから。
「あっ! 犬!」と同じ原理?で、
「あっ!○○!」の○○の部分が
そのものの名前だと思ったから。
転んで血がにじんだりすると、
「お母さん『血が』が出た!」と騒いでいた


●0
小4で初めてローマ字を習ったときに、なぜか
「すごい! これで筆談でなら外人と話ができる!」
と思いこんでしまいました。
早速、「konnnichiwa, watashi wa ruru desu」
に始まる長いローマ字の手紙をつづって、
外人に会ったら渡そうといつも隠し持ってました。
中1になって英語を習うまで、
誰にも渡す機会がなかったのはほんとにラッキーでした。


●はな
家で友だちと遊んでいたとき、何を思ったか
リボンやら、なかよしやらの付録でついていて、
貯まったシールをある限り残さず部屋中に貼った。
2段ベットが部屋にあったので、
天井にも隙間なく貼る始末。
当時姉と同じ部屋だったので、
その夜ひどく怒られたのは言うまでもない・・・。


●おとん
幼稚園の頃、悪ガキの手下になり、
近所の住吉神社の賽銭泥棒の見張り役をやらされた。
逃げるとき中学生の親分に片手で抱えられて走ってた。


●柊
高校1年までずっと「脱サラ」は脱税した
サラリーマンだと思っていた。
テレビで脱サラに成功した人の特集を見ると、
えっ! 名前だしていいの!?
モザイクかけなくていいの!? と本気で心配していた。
そして、なぜみんな揃いも揃って、たこ焼き屋やら、
おでん屋をやるのだろう?と疑問だった。


●あちゃこ
子どもの頃みんなの関心の的だった
「赤ちゃんはどこからくるのか?」
親に聞いてもちゃんとおしえてくれない。
当時秀才だった私は、もちろん大人の嘘を見破って、
クラスのみんなに、
「いっしょにくらすと空気から赤ちゃんが伝染るのだ」
と断言し、納得させていた。
まさかねー。でもそれなりにみんな納得していました。


●あたる
小学校1年生のとき。
同じ団地にすむ男・女・女の3人幼なじみで
まいっちんぐ マチコ先生ごっこがずっと流行っていた。
1、コタツの中でじゃんけんで負けた人が、
  勝った人のパンツに手を入れる(これは臀部のほう)。
2、カーテンの中に2人で入り、
  ありもしない胸を触りあう。
3、マチコ先生役は「いやぁん」と色っぽく声を出す。
ちなみに、2をやっていたら友だちの家の窓ガラスを
割ってしまった。
理由を聞かれて、友だち2人で「ぶつかった」
と言い張った……。なんとも恥ずかしい思い出。


●黒猫
中学の頃はとにかく反抗期でした。
なにかと気にさわって、風呂場のガラスにでっかく
「ムカツク!!」などと書いてました。
でも後で消せるように石鹸で書いてた。小心者。


●たま
小さい頃、私が持っていた「みにくいあひるのこ」の
絵本には、白鳥の子が醜くなく、
かわいらしく描かれていたため、
「みにくい」は「見難い」なんだと思いこんでいました。
そして、なんで本人は目が悪いなんて
一言も言ってないのにあひるたちは
「見難い」ってわかるんだろうと思っていました。


●ねこむすめ
小さい頃、牛乳と梅酒が大好きだった。
そんな私は、牛乳は若い女の人から採れ、
おばさんからコーヒー牛乳、おばあさんから
梅酒が採れると思っていた。


●ニューヨークっ子エディ
小学生のとき給食にゆでたまごがでて、
僕は、となりのやつに、
「とがったほうをおでこにぶつけて割ることできるか!」
と挑戦を持ちかけたことがあった。
しかしそいつは、難無く額で打ち砕いた。
言い出しっぺの僕は、
何が何でも割らなければいけなくなり、
必死におでこにぶつけたが、結局、僕にはできなかった。


●Kurt
小学生の頃の話です。
僕はテレビはずっと相手からも見えているものだと
思っていました。
だから、ニュースとかでニュースキャスターの
きれいなオネーサンがカメラ目線になると
きまって目をそらしていました。


●Betty
トンガリコーンを必ず、10本の指にさしてから食べた。
『指食べよ〜』と、毎回言いながら・・・。


●うな1
体の弱かった私。
病院で注射を打たれてばかりだったので、
「病院にいくよ」と言われた日は、
一日中逃げ回ってました。
母は一計を案じ、
「あなたの大好きな不○家ネクターを買いにいこう」
と言っては私を連れだし、そのまま病院へ直行……。
このテにどうしてか、何度でも何度でも引っかかった
幼い私……うちの近所では病院の自動販売機にしか、
ネクターを売っていないと気が付くのに、
10年近くかかりました……。


●元でんこ
中学生まで国道沿いにあるラブホテルをずっと
「旅人のための宿」だと思ってました。
旅人といっても旅行者ではなく、
ムーミンのスナフキンスタイルの本物の旅人。
だから分かりやすいように
はっきりと外に料金が表示してあり、
長い旅で先を急ぐ人のために休憩があると思ってました。
そして、外観が以上に派手なのは
たくさんの旅人が楽しめるよう、
また疲れていてもすぐに見つかるようにと、
競争していった結果だと思ってました。


●にゃんこ
物心付く頃からイヌと一緒の生活をしていた。よく父が
「エル(当時のイヌの名前)は家族だ。ペットじゃない」
と言っていた。
小学生の頃、イヌ好きの友だちと遊んでいて
「エルは家族なの」と言うと
「じゃあエルのご飯、食べてもいいのね?」
と言い始め、引っ込みのつかなくなった私は
引きつった顔でドッグフードをカリカリ食べてみせた。
するとおいしそうに見えたのか、
その子は「おいしいね〜」などと言いつつ食べた。


●エビナ
coccoさんは小学校の国語のテストで、
ものの名前を書かなければいけない問題の中で
「ぼけナス」と書いてしまったそうですが、
私の学校のテストでは茄子の絵が書いてあって、
さらその絵の名前を3文字で書きなさい
と言う箱が記入されていました。
私は、茄子は2文字だよな〜と思って
散々悩んだ挙げ句「おなす」と書きました。


●やまうち
納豆のねばねばで御飯を食べていた。
よく噛みなさいと言われていたが
豆を噛むのが嫌だったのでこっそり飲み込んでいた。


●エビナ
うちの弟は、毎日学校の帰り道で
人の家の庭で育っているいちごを食べて帰るのが
日課だった。ある日、学校にその家から
「お宅の生徒さん、毎日庭のいちごを
 勝手に食べているので先生の方から注意してください」
と、電話があった。田舎なのでいちごの家の人も
どこの子どもか分かっていた。先生に、
「欲しい時はちゃんとお家の人に断ってからね。
 黙って食べちゃだめなんですよ」と言われた弟は、
さっそくその日
「いちご食べてもいいですかー?」
と、わざわざ玄関チャイムを押して
断りに行ったらしい。


●エビナ
私は秋田の小学校に通学していた。
3年生の時の先生は、今思うと大嘘つきだったと思う。
ある日先生は
「秋田県の人はね〜、鼻のこうねっ、
 スッと高い人が多いんですよ。
 秋田県の形を見てみなさい、男鹿半島が飛び出てて
 鼻の高い人の横顔みたいだろう?」
と、自分の鼻を撫でながら自慢げに語っていた。
私も、なるほどと感心していた。


●ステーシー
時代はピンクレディー全盛の頃。
父が私たち姉妹を湯船に入れるたびに
「ウォンテッド!」
とあまりにも根気よく言い続けたために、いまだに
「ウォンテッド」のつぶやきなしにお風呂には入れません。


●kazz
通学路で思い出したけど、小学校の帰り道には、
税務署と職安みたいな事務所があって、
下校途中にそこで水を飲ませてもらうのが
流行ったことがあった。
「お水くださーい」と言って、くんでもらった気がする。
母は税金ならいっぱい払ってるから、
税務署で飲ませてもらいなさいと言っていたが、
そのうち苦情がきたらしく、
先生からクラス全体で注意され、寄れなくなってしまった。


●kazz
小学生の頃、冬は雪深くて、男女に分かれて
雪合戦をしながら帰りました。
通学路を戦いながら歩くのですが、
エキサイトしてくると雪の球の真ん中に小石を入れます。
で、それが当たって鼻血がでると、
雪の球の真ん中に血を入れます。
で、血が出ない子は唾を入れます。
汚くて、全然のどかじゃない雪合戦でした。


●まりも
高校の頃、北斗の拳の、
「ケイラクヒコウを突いた。おまえはもう死んでいる。」
ってのを読んで、
「知らない間に、そのツボを突いたり、突かれたりしたら
 どうしよう」
と思ってました。で、10年くらいたって、
鍼灸師になった先輩に会ったときに
「そんなツボってあるの?」
って聞いたら、笑いながら
「そんなのはない」って言われた。
でも、それから7年くらいたった今、
本当はあったりして...っと、
なんとなくまだ疑ってる。


●文倉熊太郎
コーヒー牛乳が好きだった。
そのころは牛乳屋さんが、たまにオマケで
配達してくれた時以外はめったに口に入らなかった。
ある日のこと、水を飲もうと
水道管の蛇口をひねった自分は、思わずコオドリした。
「コ、コーヒー牛乳がでてきた!」
・・・なにかのトラブルで茶色く濁った水道水を、
大喜びでゴクゴク飲んだ。
嬉しさと思い込みのせいか「味」に
疑問もわかなかった3歳児なのであった。


●オカケン
幼稚園の入園式の日に自己紹介がありました。
その時に僕は何をやって良いか分からず、
自分の前に自己紹介した子が言っていることを覚え、
同じことを言ってみました。
しかも全部覚え切れていませんでした。
もちろん、その場には園児の両親も同席しており、
大爆笑でした。


●姫
かなりおバカだった我が妹。
彼女が小学1年か2年の頃の国語のミニテスト。
次の反対語を書きなさい、と言う問いに
大きい←→大きくない
高い ←→高くない
と言う調子で全て否定型で答え、見事0点。
笑いに笑った家族でした。


●Ana-Inu
小学校の頃、学校帰りの立橋の上において、
女の子たちの間でパンツの見せっこがはやっていた。
ちょうどバックプリント(前でなくしりにプリント)が
出だした頃で、「えへー、今日は後ろにくまちゃんなのー」
と言っちゃあ、ぶぁさーっとスカートをめくるめくる。
「あたし前だけどきりんさんー」 、
「きゃーかわいいかわいい!!」。
それでも尻勢力に羨望の眼差しが。
そして、回を重ねる毎に
単なるパンツの見せあいでなくなった。
これも一つのリトル社交界。


●きたしろ まさる
うちの娘5才は、セーラームーンになって、
「月にかわって、おしょうゆよ!」と連呼しています。
親なので、一応
「そこは、『おしおき』っていうんだよ、ほんとは」
と教えるが、おもしろいので
「でも、おしょうゆでも全然オッケーだからね」
と言ったのです。そのうち、幼稚園のみつきちゃんに
「それ、おしおきだよ」なんて指摘され、
めそめそしながら恨まれるんだろうなぁ、と
楽しみなバカな子のバカな親。


●こーちゃん
小学生のころ、ナポレオンが言ったとされる、
「我が辞書に不可能の文字はない」という言葉を聞いて、
自分の国語辞典の「不可能」の文字の説明の部分を
黒く塗りつぶしてました。


●ニューヨ―クっ子エディ
小2のとき、
「いたただきます。」
と、みんなで合唱しないと、
給食を口にしてはいけなかった。
僕は、まわりの何人かを驚かそうと、
いただきますの前に、
おかずを食べるふりをしたところ、
ほんとに食べたと思われ、
その中の一人が、先生に告げ口をした。
結局、その日の給食の時間、
ずっと廊下に正座させられ、
給食は食べさせてもらえなかった。
まったく、もう……。


●かなちゃん
小学校二年生の時、時計の読み方を習いました。
テストで時計の絵が書いてあって、
「次の時間を答えなさい」という問題がありました。
私は「次」の時間だから、その絵の時間の「次の時間」
を答えるのだと思い、2時40分をさしている絵のところに
は、「2時41分」と書き、8時25分をさしていれば、
「8時26分」と書いて、すべて間違いました。
答え合わせの時、
「そのままの時間を答えるなんて簡単すぎるじゃん」
と憤慨してました。
“秒”の概念がまったくないところが、おまぬけですね。


●Betty
リカちゃんが大好きだった。一緒にお風呂に入った。
もちろん、シャンプーで髪を洗ってあげて、
リンスで仕上げ。体は牛乳石鹸赤バコで。
肩まで、湯船につかって
『風邪ひいたらあかんでぇ』などと、話かけながら、
50まで数える。
そして、ゆあげタオルで、体を拭いてあげていた。
それから、シュポンッと頭を引き抜き、
頭にたまった水をザバザバ出していた。


●りとるみー
小学2年くらいのころ「110」にイタ電して、すぐ切った。
そしたら、しばらくして電話が「リリリリーー!」
(何しろ昔だから黒電話ね)と鳴って
「今イタズラ電話しただろー!」
とおまわりさんにあっさりバレた。
つまるところ、管轄区域内の「110」はいとも簡単に
「逆探知」されてしまうのだ、ということを
年少にして知った。


●ひさみ
幼稚園の時、外人の名前をつけたおままごとをやっていた。
おともだちの真理ちゃんの名前は、いつもマリー。
その他はキャサリンだのフランソワーズだの
その日の気分でつけていた。
「はい、キャサリン。ご飯よ」
「ありがとう。マリー」などが食卓の会話。
泥団子の載ったお茶碗など和風テイストいっぱいの
演出だったが・・・。


●いぬ
小学生の時「水」という言葉を使って
文を作りなさいと言われてなぜか
「ブランデー水で割ったらアメリカン」
と書いてはなまるをもらった思い出がある。
その時代とても流行っていたのだと今になって思う。
可愛くない小学生だと思う。

2000-01-21-FRI

●はいみー
実家の斜め向かいは墓地で、
友人といつもその墓地で遊んでいた。
中に広くて椅子まである立派なお墓があって、
そこでままごとをしたり、墓石にのぼって遊んだりした。
今思うとなんてバチあたり。


● はち
実家の段ボールで見つけた幼稚園の誕生日カードに
「好きな食べ物」・・・「はっぱ」。
私、何食べてたの〜?


● うかいっす
小学校への通学路は川沿いの堤防道路で、
当時、河原には牛が数頭放牧されていた。
特に酪農地域でもなく、ましてや柵もなんもないところでの
「牛の放し飼い」は珍しくそして恐怖だった。
「どうか、牛に襲われませんように・・・」と祈りつつ、
身につけている赤い物を必死で隠しながら通ったものです。
牛と私の距離は100mほどもあり、
ましてやホルスタインが川の本流を渡って
どかどか走ってくる訳ないのに・・。
G県M市のT小出身の方、身に覚えはありませんか!


● アイラグ
字を書くことに興味を覚え始めた4歳頃のこと、
大事にしてたお手玉を紙袋にいれて、
その袋に「私が家出をしたらこのお手玉を
だれか使って下さい」というつもりの文を書いた。
(字は書けないからみみずのはったような
線だったけどさっ!)。
親も覚えてるこのコト、なぜに家出を考えたのか
4歳の心は謎ぢゃ。


● かま
夜中、ふと「味の素」が欲しくなって、
台所でこっそりと、なめていました。
「うまみ」に魅せられた僕でした。


● 一番星
小学5年生の頃、近所の時計台で仲間と遊んでいて
「有刺鉄線の中にはいってみようぜい」
と軽いノリで立ち入り禁止の場所に侵入しました。
そこには鉄製の大きなハンドルがたくさん並んでいて、
当時「トラック野郎」が大ブーム!
そりゃーみんな文太になっちゃうでしょう?
ハンドルを「トラック野郎」よろしく、
かたっぱしからクルクル・・・。
そのころ僕の住んでた団地は謎の断水に襲われたのでした。


●こおりみかん
小学校の空前の練り消しブームのころ、
自作練り消しの作成を研究し、
小麦粉を練ると練り消しができる! 
と、発見の喜びにいつまでも酔いしれていた。


● ぱんた
線香花火が終わって落ちた玉を
熱いと知りつつどうしても触ってみたくて
我慢できずに触ってヤケドした小2の夏。


● りこ
「デビルマン」の美樹ちゃんにあこがれて、
カチューシャ(なんて言葉は知らなかったが)を
したいと思ってた。
でもアニメだから仕組みがわかんなくて、
画用紙にピンクのクレヨンで三日月を描いて、
ヤマト糊でアタマに貼りつけて自慢しにでかけたら
近所のお母さんたちに大騒ぎで頭を洗われてしまった。


● きたむぅ
小さい頃、世界(日本だったかも)は
河内長野(大阪)が拠点で、テレビに出てる人たちは、
自分の近所に住んでいると数カ月ぐらい思ってたこと。
結局母に聞いて解決しましたので良かったです。


● koyuzu
小学2、3年の頃、誰かに手紙を書いていた母に向かって、
「何書いてるの? 遺書?」と無邪気に尋ねてしまった。


● オーロラ姫
授業中おしゃべりに命をかけていた小学校低学年の私、
ある時隣の男子に懸命に話かけていた。
ところがいくら面白い話をしてもなしのつぶて。
聴いているのか! と頭をポカリとやっても
まだ黙っている。それで泣くまでぽかぽかやっていたら、
参観日に知らないおばさんが机まで来て
「うちの子の頭をなぐるのはあんたね」
と言うやいなや、私の頭をガツンとなぐった。
その理不尽さに涙をこぼしそうになった。


● あず
「頭の中に人を招く」というのが流行った。
クラスの女の子が言い出したことで、
「人を招きたい」ヒトは、その子のリードで
瞑想状態になる(私は「フリ」をした)。
「道が見えてくるでしょう? 
 扉を開けて、ほら、そこに人がいるでしょう?」……と。
その子は、その「人」に頼んだと言って、
図工の時間にたいそうエキセントリックな絵を
描いておりました。今考えるとコワイ。


● 麗子
4歳の頃、一つ年上の友だち(私よりトロかった)が
誕生日に「あらー、もう5つになったの〜。すごいわねぇ」
と大人に言われるのを見て、いつかこいつの年を
抜いてやろうと心に誓った。


● かとちゃんぺ
あれはちょうど、缶入りのお茶が出始めた頃のことです。
私が中学生の頃でした。
めったにお茶など、ましてやウーロン茶など
飲んだことのない私でしたが、そのとき、珍しく
ウーロン茶を飲んでみようと思い立ち、買ってみました。
缶をよく見ると「鉄観音入り」と
書いてあるではないですか。
私ははじめは軽く缶を揺らしてみました。
でも、何の音もしません。
徐々に激しく揺さぶってみるのですが、何の音もしません。
そう、私は鉄観音というのは、
鉄でできた観音様が缶の中に入っているのか
と思っていたのです。


● ぶぶ
キャンプに行ったとき、母がコンビーフを
「カエルの肉」だと言い、味噌汁の具にした。
「おいしいよ。大人の味だよ」
という言葉につられて泣きながら食べた。
その後、コーン=カエル、ビーフ=肉だと信じて
大人になった。


● たまごん
4、5才頃のこと。
母に頼まれ、はじめてのお買い物。
どきどきわくわく、大興奮。
で、母が頼んだ
「いつもの厚めの食パンじゃないやつ」
というのが、よくわからなくなってしまったのです。
考えた末に“あつい”の反対やから、と
「さむいパン下さい」と言ってしまった。
お店の人が大笑いして、でも結局何が
“さむいパン”か判明しせず、泣く泣く何も買えず、
家に帰った記憶があります。
いまだに食パンみると思いだしてしまいます。


● K2
道ばたに転がってる石って、
マヨネーズが固まってできてるんだと思ってた3歳。


● ベルベル
祖母が広田から飯田に、母が飯田から飯坂に
嫁入りしていたと聞き、自分は坂上家か寺坂家みたいに
一字絡んでるトコでないと嫁に行けないと思ってた。


● パンダ
子どもの頃の家族写真で、
妹がひとりだけにこやかに足を「ケンケンパー」の
「パー」状態に開き、母がバカウケしているものがある。
これはなんだ、と尋ねたら、童謡「むすんでひらいて」を
歌っている最中のことだった、と言う。
「まーたひらいて」のところにさしかかったら、
みんな手を開いたのになぜか妹だけ
「股」を開いたんだそうだ。


● ひさみ
幼稚園のお誕生日会に、先生が私に
将来何になりたいかを問うてきた。
ためらいもなく「天使!」と答えると、
先生は「・・・それは、死ななきゃ
なれないんじゃないの・・??」と困ってしまった。


● Mars
小学生のころ、家でお菓子を作るのが好きでした。
あるときコーティング用のチョコを使うことにしました。
それは当時出回り始めた「パッ缶」に入っていました。
開けたふたにはチョコがいっぱい付いていました。
私は思わずアイスのふたと同じように、
ぺろーり舐めて……。
舌にバンソウコウ貼るわけにもいかず、
血が止まるまでべろ出しっぱなしで我慢してました。
今思い出しても舌が収縮してしまいます。


● festa
私が小学生の頃。
TVアニメ『宝島』の主題歌で、
「ただーひとつのー憧れだけはー
 どこの誰にも消せはしないさー」
という歌詞があったのですが、それを聞き本気で、
「私が諦めさせてやるっ!」と画策したことがあります。
たしか、主人公に
「宝島は無いんだよ、行っても無駄」
と手紙を書こうとしていたはず・・・。


● びば
私は小学校の5〜6年になるまで、西部劇にでてくる
「保安官」って英語だと思ってました。
ホアンカンが漢字で書けるのを知ったとき、
まじでおどろきでした。


● いちき
小学生の時 近所の友だちの誕生会があるのを
すっかり忘れていて、当日親は外出していて
おこづかいもなかったので、
図画工作で作った紙粘土の亀(自分では宝物だった)を
家中を探してみつけた包装紙
(もちろん頂き物のを剥がして)で
包んで持っていった事がある。
みんなサンリオのかわいいプレゼントをもって来ていて、
すんんんんごい恥ずかしかった。
忘れたふりして、後でもっていけばよかったのにね。
もらった子、亀もらって困っただろうなぁ。


● アイラグ
3歳のこと。
保育所の和式便器でおしっこをする時
パンツの下げ位置が中途半端だったため
いっつも濡らしていた。
ある日いらいらした保母さんに
「ここまでっ!」って膝まで下げてもらった。
失敗しなかった。感動でした。


● ぼん
小学校四年生のとき、
習いたてのローマ字をつかって友人と交換日記をしていた。
大人には読めない秘密の言語だと
思いっきり信じこんで・・・。
そのくせ最初のページに解読表までつけてたんですけどね。
母親にしっかり読まれたときには赤面しました。
ばかだったなぁ。


● ayay
幼稚園のころ、どんなキノコ類も
マツタケというものだと思っていた私。
ある時友だちの家で鍋を食べた時、
「何が食べたい?」と聞かれて、
大声で「マツタケ!」と言ってしまったそうです。
友だちの家族にはかなり嫌味に聞こえたようです。


● 所持金500円
あらゆる映画に影響されてた。
「少林寺」を見て、トンチンカンな拳法の練習。
「明日のジョー」を見て、ボクシングのトレーニング。
「E.T」見て河原にチョコを撒いてた。
「ネバーエンディングストーリー」観て
ローソク立てて本読んだ。


● 土井 秀文
夜道を歩いていると、
月が追いかけてくるような気がしませんでしたか?
幼稚園くらいの頃、あれがとっても怖かったんです。
でもそのうち
「なんでぼくを追いかけてくるんだろう?
 別にお月様に怒られる覚えはない」と気がついて、
「お月様は歩いている人を、誰かれかまわず
 追っかけてるに違いない」と思うようになりました。
でも、夜道を歩いているのは自分だけじゃない、
ということは、他にも今この瞬間月に追いかけられてる人が
いるんじゃないか?
ここまできたら、月が人を追いかけてるわけじゃない、
とわかってもよさそうなもんですが、そこが幼稚園児、
「月が追ってくる」ってとこからは
どうしても抜け出せないんですねぇ。
たどり着いた結論は
「どうやったら何人もの人を
 一度に追いかけられるんだろう?
 お月様ってすごいなぁ」でした。
我ながらかわいいというか、馬鹿というか。


● ひろぷ
「飛び石連休」を「飛び石電球」だと思い込んでいた私。
ニュースなどで耳にするたび、
「うちの電球、大丈夫やろうか?」と不安だった。
蛍光灯が切れかかったときに黒っぽくなった部分を見て、
「大変! 石が入ってる!」と母親に訴え、
間違いに気付いた。


● ぐま
映画「ジョーズ」を見て水ものがこわくなり、
トイレに行けば下からお尻を食われるのではないか、
お風呂に入れば排水口から
ひきずりこまれるのではないかと、
恐怖に打ち震えながら過ごしていました。
トイレは必死でぎりぎりまでがまんしました。


● 富士山のように
なぜか、おしろい花の種がお気に入りだった。
あるとき、横断歩道を渡りながら、
ふと、豆まきのようにこれを停まっているクルマに
投げたい!!! という衝動に駆られ、ばばばばっ!!!
と、投げて、そのまま平然と渡ってしまったことがある。
おしろい花の種は思いの外堅くて、
フロントガラスに当たると、ものすごい音がした。
あのときの運転手さん、ごめんなさい。


● たかのり
テレビのニュースとかで、
中央分離帯に車が激突したというニュースを見るたびに、
中央分離帯を自衛隊関係の施設だと勘違いしていた私は、
何か起こるのではないかとどきどきしていました。
中央分離帯というものを理解したのは
自動車学校に通い始めてからのことです。


● バカボン、ありがとう
どっちが西か東か、わからなかった頃。
テストのとき、
「西からのぼったお日様が、東へしーずーむー。
 ってことは、その反対だから・・・」と、
『天才バカボン』の歌を口ずさみながら、
答を考えていました。
あの歌に助けられた子どもたちは、結構いたと思います。


● ぷーさん
梅酒の梅を食べて青くなって倒れ、
母に発見されたあくる日もこりずにまた食べ、
またもや母に倒れているところを発見される・・・。

2000-01-20-THU

●チャレンジャー
3歳か4歳の頃、
「仰向けの姿勢で吐いたらどうなるか」
をどうしても試したくて、風邪をひいて催してきた時に、
それっとばかりに仰向けに寝てゲロゲロゲーとやった。
案の定、顔面ゲロゲロゲーになってしまい、
二度とやるまいと誓った。
同じ頃「氷枕の栓を開いたらどうなるか」
を試して怒られた事も。


● はなちゃん
お盆やお正月などにおじいちゃんちに集まると、
いとこ総勢11人で遊んでました。
座卓の上に11人が乗って「難破船ごっ こ」や、
「疎開ごっこ」、家中の風呂敷を集めて
「ジュディオングごっこ」などをしていたと思います。
しかし、いとこの中でいちばん年下だった私は、
いつも犬か赤ちゃんの役でみそっかす。
いつか大きくなったら・・・と思っていたけど、
大きくなったら誰もつきあってくれなくなりました。


● しんら
5歳くらいのころ、私は自分の嫌いな食べ物が
ごはんにでたとき、かなり無茶してました。
昼ごはんに、うどんに大っ嫌いなしいたけ発見!
私のとった行動は親がいなくなった瞬間に
とっさにあついスープの中からしいたけのみを抜き取り
ダッシュで玄関まで逃走。
その後なんととなりの家の庭にむかってそれを投げ込み、
何事もなかったように食卓に到着。
一回だけではなかったと思いますけど
親にばれなかったので、何回かやりました。
となりの家の人ごめんなさい。


● ゆゆた
小学校の低学年の頃、自分で納得のいかない事で
母に叱られた。腹が立ったので新聞の
折り込みチラシの裏の白いところにサインペンで
「おかあさんのバカ! バカバカ大バカ!...」と。
どんどん書き進むうちなんだかすごーくスッキリした。
それを家の古新聞を置く場所にポイッと置き、
その後母とお風呂に入った。
会社から帰った父が「これなーに?」とそのチラシを手に
お風呂を覗いた時、子どもながら頭が真っ白になった。
ああいう物はちゃんと捨てなきゃいけなかったのね。


● でで
「救心」は「ぽっけに入れておくだけで
安心が得られる小さな瓶のこと」だと信じており、
いつかあれを手に入れたいものだと密かに思っていました。
粒状の経口服用薬だと知らされたとき、
何か社会というものを漠然と感じた記憶があります。


● みんと
おんぶバッタは親子だと思い観察していたあの頃。
親子じゃない、夫婦? 恋人同士?
って気づいたのはいつの頃だったろうか?
セピア色の遠い記憶です。


● nobue
中3も「ガキ」かなあ。
1970年に中学に入った私の世代の中学生は
今の中学生に比べて幼いかもしれないが、
私は家にあった「女性自身」や「週間女性」などで、
結構耳年増だった。
(そんな雑誌で耳年増になるなんて、平和な時代だよね)。
そんなある日、理科で地質の変化について学び、
テストがあった。
地面が上がることを「土地の隆起」というが、
私はテストが返ってくるまで、それを「土地のぼっ起」
(漢字が書けなかったのでこうなった)
と書いていたことに気づかなかった。
先生もなにも言わなかった。


● みほ
昔、学校の近くに古い家があった。
その家の塀には、雨が降ると翌日、
なめくじがいっぱいついていた。
なめくじが大嫌いにも関らず、バカな中学生だった私は、
試しに数えてみた。
200まで数えた所で、気持ちが悪くなってやめた。


● 富士山のように
私の通っていた小学校は、とても大きなトイレがあり、
ずらっと個室が並んでいて、ぽっとん式で、しかも!
便槽が大きなひとつのコンクリートの箱だったんです。
低学年の頃は、ひとりで入るのが怖くて、
友だちと一緒に入るのが流行っていました。
だって、本当に落ちた子が居て、
大きな箱の便槽だったゆえ、下を歩き回って
助けを求めていた!!! という話があったんだもん。
想像するだけで怖い・・・。
ひとりで入ったときに、
うっかり落ちたらどうしようって・・・。
でも、よく4人も5人も一緒に入ったなぁ・・・。
よく考えたら、こっちの方が足場が小さいのだから、
落っこちそうなものなんだけど・・・。


● いち
うんこの気配を感じて、トイレに行った。
ふつうにすわって、うんこが出るのを待っていたら、
突如、「ボンッッ」とバカでかい音がして、
それがおならだとわかるまでしばし放心状態だった。
我にかえると笑いがこみあげてきて、
窓も開いていたがひとり大笑いをしてしまった。
うんこどころじゃなかった。


● いち
小二の頃、眉毛を抜く癖があったわたしは、
その日の授業中も眉毛をいじっては時々抜いていた。
となりの小山君の視線をなんとなく感じ、
一緒にぬきっこをしていたら、小山君のがごっそり抜けた。
彼の眉毛は片方だけ「麻呂」なっていた。


● もくはん
「エープリルフールっていつだっけ?」
「4月2日よ」。
「なんだ、明日か……」。
よくだまされた。


● Yoji
焼肉屋さんで牛タンを注文したときの話。
焼肉用に薄く切られた牛タンが、
牛一頭から1枚しか取れないと思っていた。
一人前で6頭分の牛の舌だと思い、
すごく高級品だと思ってた。


● きもも
あれは多分小学一年ぐらいだったころの夏の暑い午後。
食べ終わったアイスのカップがあまりにかわいくて、
「これを私用のコップにしよう」と思い立った。
 が、今のところ、このおニューのコップで飲むものが
 ない。そして作ったドリンクは「しょうゆジュース」。
 しょうゆを水で薄めただけのものでした。
 一口飲んで新しいコップの使い心地に
 満足しているところを母に発見されました。
 全部飲んでいたら腎臓病になってたかな。母に感謝。


● すいかちゃん
小学校の古い木造校舎の廊下には鏡があった。
ある日、恐がりの友だちに
「この鏡見ちゃダメ!、霊が見えるんだって!」
と言ったら、怖がって逃げていった。
一週間後、鏡を見ないように、
廊下をしゃがんで通っていく生徒たちの行列があった。
なんだか自分も怖くなって、しゃがんで通った。


● NEKO
私ではなく夫の話なんですが、夫は小学生の頃に
「ハリケーン」は
「強風で針が凄い勢いで飛んで剣のように突き刺さる」
から。「サイクロン」は
「(動物の)サイがコロンと転がるほどの
強い風が吹き荒れる」からそう呼ばれているのだと
ずっと信じて疑わなかったそうです。
おまけに、自分で信じているならまだしも、
周りの友だちに、自慢げに話して歩いていたそうで
友だちの一人が
「外国でも『針』とか『サイ』とか言うのか?」
と疑問を投げかけてくれたお陰で夫の目がさめたとか。
夫に比べてお友だちはおりこうさんだったんですね。


● おひさま
小さい頃すごく怖がりだった私は
近所のバラの木の花が落ちるたびに
「赤いバラの花と白いバラの花を踏むと
 道路から千本の手が出てくる」
と友だちに言われ、怖くてその道を通ることが
できなかった。


● ともたん
保育園児の頃、クルマの中から見かけた
長髪でサングラスをしてて、リュックを背負って
歩いていた3人組を、絶対にフィンガー5のメンバーだと
思い込み、誰にも言いませんでしたが、
中学を卒業するくらいまでずーっとそう信じてました。


● ポテトチョップス
小五の頃だったか、体温計の水銀の目盛りが
ぐいーーーんと上がっていくところが見たくて
仏壇のろうそくの火に、体温計の先っぽを近づけて
観察した。
いきなり、パリンと体温計の先が割れ、
水銀が辺りに飛び散った。マジでびっくりした。
そんなつもりじゃなかったのに。
飛び散った水銀を全部拾うのはかなり時間がかかった。
その始末をした親にこっぴどく怒られた。


● うぬ
よく友だちと階段の何段目を踏むと呪われる、
とか、この段はおばけが出る、とか決めて
上ったり降りたりしていた。
これを踊り場ごとにやっていたからさあ大変。
当時住んでいたマンションは10階建てでした。


● はなお
小学生くらいの頃、どうしても欲しいおもちゃが
ありました。そりゃ当然か。
クリスマスとか誕生日とかイベント事が
無い時期だったので親にはねだれないな、
と判断し血迷って親の財布から3千円ほどくすねました。
買ってすぐさま親の目の前で「友だちから借りた」
と嘘をつきおもちゃで遊ぶ私。
親が財布の中身を見ながら
「あれ? 今日下ろしたお金が、、、」
とつぶやくのを聞いて、即おもちゃ屋さんに走りました。
普通不良品以外返品なんてしてくれませんよね。
泣いて強引に返品してもらい、
隙を見てこっそりお金は戻しましたとさ。


● びば
うちの妹は小学2年生の時初めて、
ある人のファンになりました。
それは五木ひろし。
そのころの妹は、「いつきさん」と名前を口に出すのも
恥ずかしかったらしく「ごもくさん」
とわざわざ読み方を代えて呼んでました。
その後すぐに、あっさり熱がさめてしまい、
なぜそんなにときめいたのか聞いてみても、
本人自身首をかしげておりました。


● はなお
親戚一同で温泉旅館に泊まりに行きました。
温泉街にありがちな(?)ストリップに
当時幼稚園くらいの私も連れて行かれました。
お酒も入って上機嫌な大人たちを横目に、
ステージの全裸なお姉さんを見た私は
「わたしも脱ぐ〜!」と脱ぎ始めたそうです。
大人たちは“よちよち”な感じで見守っていたそうです。
何故止めない? 親戚一同が集まる場所では、
20年近く経った今でも話題にされます。


● ハタピー
小学生の頃、保健室の掃除を担当したとき、
ガラス製の薬瓶のフタを開け、
瓶の口から中の薬のにおいを嗅いでいたのです。
そして、ある薬品の瓶のにおいを嗅いだとたん、
猛烈な刺激臭が鼻を刺して、
一時的に嗅覚が麻痺してしまい、
一瞬、鼻が溶けてしまったのではと真剣に思いました。
正体はアンモニア。
その後、理科の授業で、薬品のにおいを嗅ぐときは、
手で仰ぐようにと教わったのでした。


● tunekiti
小さい頃兄妹けんかでいつも勝つことが出来なかった私が、
唯一兄を泣かせた言葉って言うのが
『あんたは橋の下で拾われたんだ!』
兄は黙ってしまい、そして泣いた。
しかし、何で妹の私がそれを知ってるのか
不思議に思わないなんて、勉強のできた兄もガキの頃は 
ただのバカだったんですね。


● すくすく
小学校5年生の時、風呂場で石鹸は滑るものと知り
床中に塗りたくった。
その後、興奮して出たために、中にタオルを忘れて
慌てて取りに戻ったら本当によく滑って転んで頭打った。


● きょうこ
貸しレコード屋
小学生の頃、お姉さんのいる友人が
「貸しレコード屋さんに行こう」と誘ってくれた。
初めて聞いた言葉だったので「菓子レコード屋さん」
と思い込んでいた。
すごいな! お菓子とレコードの店って、
とわくわくしていると、洋楽のLPを借りる友人が
そこにいた。大人に見えた。


● PicNic
小学生の頃、サンタクロースは毎年、クリスマスの朝、
枕元にプレゼントを届けてくれました。
「サンタに会いたい!」そう思った私達姉妹は、
イブの夜、子ども部屋の入り口に仕掛けを作って、
ベッドに入りました。
「サンタが来たら起きれるように」
と、縄跳びのロープに鈴をつけてドアの取っ手に結んだり、
幼い頭であれこれ工夫して…。
パパとママに、
「今年はどんな仕掛けを作ったの?」と聞かれ、
「ほら見て!」
と、喜々としてプレゼンしていました。
サンタは、一度もつかまらず、でした。


● さわにゃ
小さい頃、何故か「外国の人は全員左利きである」
と信じ込んでいました。
英語は左利きに書き易いように左からの横書き、
日本語は右利きに書き易いように右からの縦書きである、
とも。
後日左利きの友人にそのことを話したら
「英語だって書きづらいよ!」と一喝されました。


● Mars
「太陽にほえろ!」に出ている石原裕次郎は、
自分の父親だと思ってました。
裕次郎と父が別人なのはちゃんとわかってたのに、
あのドラマのオープニングは
父親だと寸分も違っていませんでした。


● hasesige
私はまだ幼稚園に入るか入らないかの頃、
小学生の兄にくっついて近所の公園まで
遊びに行くのが日課だった。
でも、兄にはついてくる弟が鬱陶しかったらしく、
自分だけとっとと自転車で公園まで行ってしまい、
弟の私は後を追って走る、というのもいつものことだった。
そんなある日、いつものように兄を追って走っていると、
見知らぬおじさんが私を呼び止め、
「チョコレートをあげる」と言って
私をどこかに連れて行こうとしているようだった。
だが、私は先に行ってしまった兄が気がかりで、
おじさんからチョコレートだけもらうとお礼も言わずに
兄を追って走り出した。
今思うと、あのままおじさんについて行ったら
どうなっていたんだろうと。
ちがう人生が待っていたんだろうか。
チョコを持ち帰った私は、当然母に思い切り怒られた。


● みー
幼稚園の頃、夜眠れない時には、
自分のかいた恥や恥ずかしかったことを思い浮かべると、
眠れると信じていました。
まちがえて人のお弁当食べちゃったことや、
靴下の模様は外がわになるようにはくんだよ、
としんじ君に注意されたことを思い浮かべては、
遠足の前日などに布団の中で赤面してもだえてました。


● こぐま
4つ年下の妹がまだ幼稚園にあがる前、
たんすの上に飾ってあった真っ白い顔をした
和服姿の女性の日本人形を
「あれは化け猫人形で、夜中になると
 恐ろしい化け猫に変身して襲ってくる」
と、おどかして泣かしては楽しんでた。
化け猫人形の由来やなぜうちにあるのかなどのストーリーを
想像力たくましく作って話ているうちに
自分でも怖くなってしまい、
夜その人形を絶対に見ないようにしていた私は
本当にバカだったと思う。


● あゆみ
小学校の時、やたら「ね?」って言う先生がいて、
それをみんなで授業中に何回言うか数えてました。
「この公式をーね? えーね?」
言うたんびにみんなでかお見合わせてたなぁ。
でもみんな途中で飽きるんだよね


●シライシ
小学生の頃、部屋に蝉が飛び込んできて、
そのまま死んでしまいました。
虫が恐ろしくて仕方のなかった私は母親に、
捨ててくれるように頼んでみたんだけど、
さっぱり相手にしてもらえず、
しぶしぶ自分で対応する事になり、
厚紙ですくってみる事にしたのでした。
しかし、蝉に対する余りの恐怖心のせいで
厚紙越しに感触が伝わって来た途端、悲鳴をあげて、
部屋を脱出。

それでも母は助けてくれず、泣きながら再挑戦しようと、
そーっと部屋の扉を開けてみると、
さっきまで仰向けに転がっていた蝉が、
床のカーペットの上にきちんと着地していたのでした。
いや、今なら転がって足のギザギザが
カーペットに引っ掛かっただけだと分かるのですが、
当時は生き返ったと勘違いし、
「これで自分で出て行ってくれる!」
と思い、窓を開けて2、3日放置しておきました。


● ひさみ
長崎にはバス通りに「おとなのおもちゃ」の
大きなお店があるのだが、小さい頃、
それを見て
「おとなのおもちゃだから民芸品なのだろう。
 こけしとか・・」などと思っていた。
 当たらずとも遠からず。ニアピン賞。


● ニングル
小学校の頃 学校帰りにいつも桑の実(ドドメ)と
青梅をシーズンになると毎日食べながら
家路についたものです。
「また 食べてきたねドドメを!」なんて
母に叱られ
「食ってないよ」としらを切っても
口の周りはすっかりオバQでした。
おまけに青梅食ってるものだからゲリッピになりました。


● えみり
小学生のころ、社会のテストで「大陸だな」とは
何かという質問があった。
さっぱりわからなかった私は、
「大陸を発見した人が最初に言った言葉」などという
わけのわからない答えを書いて先生に散々笑われた。
でも私は大まじめだったんです。バカでした。


● ひみつのユッコちゃん
まだ幼稚園児だった頃、縁日で
「ひみつのアッコちゃん」のコンパクトを買ってもらった。
大きいのと小さいのがあったが、迷わず大きいのにした。
数日後「小さいのは本物で、本当に変身できる」
という噂を耳にし、何で小さい方にしなかったのだろう、
私ったらばかばか! 
と、ショックでしばらく後悔し続けた。
「大きければいいってもんじゃない」と、
この時学習したような気がする。


● みみ
「わたしは、本当はこの家の子じゃない」って信じてた。
いつか、お金持ちの本当のお父さんとお母さんが
迎えに来てくれる!! って。
こんなにそっくり母娘なのに。


● kazoo
「勉」のなかの「力」を「ム」と書いてた。
「商」のなかの「口」を「古」と書いてた。
そのことに独り気がついた。


● じょん
あれは忘れもしない5歳の冬。
祖母とスーパーに買い物に行ったとき、
魚売り場で衝撃的な魚を見ました。
その名は「アジの開き」・・・。
ずいぶんグロい魚が世界にはいるんだなあ、
と子ども心に思いました。


● MAU
保育園の頃、ティッシュを食べるのがはやっていました。
一番人気は絵付きのもので、次が色付きのものでした。
あの頃は本気でおいしいと思っていたのですから、
子どもの味覚って当てにならないですね。


● ゲルゲ
小学6年生の頃まで エッチのやり方を勘違いしてました。
おちんちんを女性のアソコに挿入するのが
正しい方法なのですが・・・
その頃は、おちんちんを女性のお尻の穴へ
挿入するものだと思っていて、エッチって
とても汚いものだと思ってました。
そして、赤ちゃんもお尻から出てくるから、大変だなあ
と思ってました。


● マーレ・インフィニトゥス
小学生の時、クラスでカエルを飼ったのだが
ある日気がつくと水槽にカエルの姿はなかった。
そして学期末、大掃除をしていたところ、
普段は動かさないテレビ台の下から
ひからびたミイラが・・・。
なんで誰も水槽に蓋をするということを
思いつかなかったんだろう。合掌。


● 56 ひなお
小学生の頃、忍者修行のために、部屋の絨毯に針を立て、
それを飛び越える訓練をしていました。
そのうちに晩飯になり、針のことなど
すっかり忘れてしまいました。
帰宅した父が見事にその針を踏み抜き、
誰がこんなことをしたんだと、家中大騒動になりましたが、
わたしは忍者なので口を割りませんでした。


● もんろー
小学2年生ですでに算数が大嫌いだった。
授業があんまりいやなので、
家で体温計をいろいろいじくり、
どうにかしてウソ熱を出す為に研究し、
先端の銀色の部分を持って振ると
ドバーッと熱表示があがることを発見したときは
もう無茶苦茶嬉しくて、実際にその方法で
何度も保健室で授業をさぼることができた。


● けん
親戚家族と僕の家族でクルマにのって移動中のこと。
車窓から見える、やたらゴージャスな建物が
目に入ったので
「ねーねー、あそこ、寄ろうよお。なあーなあー」
と大連呼。ゴージャスな建物だから、
ゴージャスな料理でも食べられるに違いない
と思っていたのだ。同乗していた叔父が
「けんちゃんが大人になったら行くようになるよー」
と教えてくれました。
僕がラブホテルの用途を知るのはだいぶ先にこと。
一応大人になりましたが、また行ってないです。


● 裏番
大人になると性別が変わると信じていた。
私は女の子なので、男の子になるんだーと喜んでいた。
でもいつまでたっても女のままです。


● ca
小学生の頃、自分は絶対忍者になるんやっ!
と、通学路を修業の場として利用していた。
斜面を見つけてはそこを横切るように走りぬけ、
水溜まりやちょっとばかり背の高い雑草を見つけては、
いかに高く飛び越えられるかと
これまた必死にジャンプしていた。


● マイ
時代劇ごっこが大好きでした。
みんなお姫様とか“くのいち”とかやりたがるのに
渋好みの私は座頭一になりきっていた。
常に白目をむいているのがむずかしかった。
しかも人形連れて「ちゃん!」とかやっていたので、
どうやら子連れ狼と混同していたらしいです。
しかもみんなが早々に飽きて
ベストテンごっことかに移ってるのに
1人で勝新にひたってた。女の子なのに・・・。


● mich
ある日の給食の時間、何を思ったか大島くんが
「みんな見ろ!」と教壇に立ち、
鼻から牛乳を吸い、目から牛乳の涙を流すのを
披露しました。
あっけに取られつつもホントに目と鼻は
つながってるんだ〜と妙に実感してしまいました。
調子に乗った彼は、耳からも出せると言って
何度もトライして、しまいには真っ赤な顔で
ほんとの涙をこぼし、みんなからは
「うそつき」呼ばわりされました。
痛かったろうなーあれは。


● べっち
私は「雰囲気」のことを中学2年ぐらいまで
「ふいんき」だと信じていた。
言葉の間違いなんてこれぐらいだろうと思っていたが、
英語教師の嫁と結婚し、30にして分かったことがある。
「シュミレーション」ではなく「シミュレーション」
が正しいんだとか、
あと「ユニーク」ってのは日本語で、
「おもしろおかしい」って意味だと思ってたのに
嫁に言われて辞書ひいたらそんなこと一言も書いてない。
「独特な」とか「珍しい」ってことだった。
そういえば、嫁の実家に「娘さんを下さい」と
言いに行った時、お父さんに
「うちの娘はユニークだろ?」と聞かれ
「ええ、そうですね」と答えたことを
嫁はいまだに根に持っている。
「私はそんなに珍しいんかい!」と。


● そこまめ
人間の性欲は、悲しいかな、生殖機能が備わる
はるか前に現われます。
幼稚園の頃、落ちてたエロ本などを見て
ち○こが大きくなり、皮がちょっとめくれて
ヒリヒリするのは、
嘘をつくと鼻が伸びるピノキオがごとく、
何らかの罰を受けているものだと思っていました。
だからち○こが大きくなる度に、
「ごめんなさい、ごめんなさい」と心でつぶやき、
ビクビクしながら必死で許しを乞うてました。
それもこれもおかんが、
「ちんちん触ってばっかりしよったら、
 おっきいままになってしまうよ、かっこわるいだろ」
と注意したからです。
今思えば、おっきいほうがかっこええ。

2000-01-19-WED

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