まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.20>

みなさん、こんにちは。

「あなたの、桜の名所」に
たくさんのご投稿ありがとうございました!!
いやあ、もう投稿がいつにも増して
集まること、集まること。
やっぱり誰にとっても桜は特別なものなんだなあ
って改めて感じました。
鼠穴に写真まで送ってくださった方もいたんですよ〜。
今年は満開のときにお花見しそびれちゃったから
心が和みました。
ありがとうございますね。

さて、桜の季節も終わりを告げつつありますので、
本日より新しいお題に移らせていただきます。
新しいお題は、

「おやじは昔、不良だった」

です。
どこのおうちでも必ずと言っていいほど話題になるのが
おとーさんの若き日の武勇伝。
みなさまんちのおとーさまは
「俺っち、昔、モテてモテて、
 そりゃ大変だったんだぜ〜〜」とか
「俺っち、昔、すごい番長でさー、
 県内の高校でおいらの名を知らない奴はいなかったぜ」
などなど、“俺はカッコよかったぜ”エピソードを
得意そうに披露していませんか?

もちろん、“おやじさん”に限らず、
「お母さんはねー、昔、ものすんごいかわいくって、
 “仙台の原節子”って言われてたんよー」
などという、いまとなっては真偽のほどは知る由もない
お母上の若き時代の華麗なる思い出でもかまいません。

いつものように、ルールはとくにありません。
字数は800字以内でおねがいします。

みなさまからのたくさんのご投稿お待ちしております。

(※ここをクリックすると、投稿にいきます。)

2001-04-10-TUE

●かお

私の母は昔、
松竹のお姫様スターのオーディションの
“書類選考”に残ったことを得意げに話します。
祖父の猛反対にあって、
面接には行けなかったとか。
応募したのはよくありがちですが、
“友人”だったとか・・・・
「面接行ってたら、今頃ああなってたかしら」
と、美人女優を見ながら言う母は
赤木春恵に劇似。


●どん

父語る。
「昔は、新聞に載るほどの
 キックボクシングの選手だった。
 浪速のジョーとかもしっとるでぇ」
確かに昔の写真を見ると、
そこには腹筋六つに割れた、
細身で筋肉質の父が・・・。
「いい体しとったんやねぇ〜」
と返す私。
「ほれっ、見てみろ!」
といいながら、
自慢のカモシカの脚と
ピクピク動く胸筋を見せびらかす。
さらに続く自慢話。
「わしは、森田健作と
 同じオーディションを受けた。
 受かっとったら、スターやったわ!
 でも、えかったなぁ。
 スターになっとたら、
 おまえらは生まれとらんかった」
たしかにそうだけど・・・
父よ、ひとこと言わせて。
あなたは、何を目指していたの?


●iku

私の父は若い頃、
吉永小百合は自分に惚れていると
本気で思っていたらしいです。
一面識もないのに。
【そう思ってしまった理由】
1.父は八百屋。
  当時、吉永小百合の親戚だという家に
  よく配達に行っていた。
 (だからその家の人が自分のことを話した、
  という理屈)
2.吉永小百合がTVのインタビューか何かで、
 「じゃがいものような男性が好き」
 と言ったため。
 素朴な人ってことなんだろうけど、
 じゃがいも→八百屋→俺!
 と父は自分本位に連想した。


●ふぐこ

うちのパパ。
幼稚園からは脱走し、
小学生の時からタバコを吸っていたといいます。
そんなパパの高校時代の写真は
当然ヤンキームード満点。
いまだに当時のお仲間と、
当時のままの呼び名で呼び合っています。
「ダボ」「グニャチン」「チャンキー」
あなた達何者?


●tomo

父は酔うと、
よく自分の昔話をしてくれるのですが、
そのレパートリーの中に伝書鳩の話があります。
「お父さんが子供の頃、
 伝書鳩を飼うのが流行ってな。
 その頃伝書鳩飼ってるってーと
 ちょっとした不良だったんだぞ」
と話が始まります。
当時のその感覚が理解できません。


●チクリ

私の父は、自称、女子のアイドル。
毎日、女子が
「○○君にいじめられた〜!
 まさみさん(父の名)、助けて!」
 と来るそうな。
まさみさんは、
「よっしゃ!まかしとけ!」
と、いじめっ子退治に行くそうな。

父の小学生の時の通信簿には
“ケンカしてよく泣いていますね”
と書かれていた。


●kittu

わたしの友人の元テキヤの親父、
どこへいっても傍若無人の親父、
毎日きっちり午後1時に銭湯に行く、
毎度の事ながらこの日はパンツを洗い、
最近出来たサウナ室に干していた。
乾いたばかりのパンツを履き
突然ぎゃ−、バンダイのおばさんに
「かあさん、火傷の薬カシテくれないかい」
この親父のパンツの丁度ナニを出すところに、
ボタンがあり、それがサウナで熱されて、
XXXに米粒大のみずぷくれが出来、
周りの人に見せて大騒ぎしていた。


●マンゴスティン

目の上に傷があり
(洗濯機を修理していた時できたもの)、
御髪にはゆるやかにパーマをあて(天然です)、
広島弁を流暢に操るダンディな父。
ちょうど「仁義なき戦い」が上映されていた頃、
出張先の、混雑する昼時の渋谷駅ハチ公口前で
「おい、ワレ、飯食いに行かんかい。
(ねえ、あなた、ご飯食べに行こうよ)」
と同僚に声をかけたら、
人ごみがさーっと分かれ
父のために道をあけてくれたそうです。
いたいけな父は広島に戻ってから
話し方教室に通い始めました。


●ボン

お見合い結婚をした母いわく、
「私の結婚が決まって嫁いだら、
 実家に夜な夜な泣きに来る男性が
 何人もいたって話よ」

どこから来た話だろう。


●T.A

父とドッヂボールをしていると、
父が、
「わしは昔ドッヂの鬼だったんじゃ」
と言いました。
ちょっと前は、「ソフトの鬼」でした。


●KEATON

私の父は、モテモテ男だったそうです。
「学生時代は、K大のジェームスディーン
 と騒がれたもんさ」
と自慢げに言っていましたが、
当時の写真を見せてもらうと
確かにそこには、かるいリーゼントに
Tシャツ、ジーンス姿の
おもいっきりJ.ディーンとカメラを意識した
男が立っていました。
私にはちょっとカジュアルな鳥羽一郎にしか
見えませんでした。

2001-04-23-MON

●tico

母の自慢は
「高校の時に3年生の卒業式で、
 壇上に上がり“庭の千草”を独唱した」
ということ。
「難しい歌なのよー。
 一人で独唱だったしい。
 それに先生達に大絶賛されちゃって、
 宝塚に入らないかって言われたのよお。」
何度もそう自慢されたけど、
一人で歌うから独唱だっつーの。
そしてアナタは身長が152cmなんだから、
宝塚じゃ埋まっちゃうわ。


●まみや

いつだったか実家の押し入れを
母と掃除をしていたら
父の子供の頃のアルバムがでてきました。
そのなかの中学時代の修学旅行の写真。
みんな夏服の白いワイシャツなのに
ひとりだけアロハを着ている奴が。
よく顔をみたら父でした。
私が高校時代
「少しでもスカートを長くしたらぶっとばす」
とか言ってたくせにテメーは何なんだよ!


●aki

父は、死にかけ伝説を誇らしげに語ります。
一番すごいのはトラック運転手をやっていた頃、
坂からトラックごと転落したという話です。
もう駄目だと思った瞬間、神様が現れて

「おまえはまだ死ぬべきではなーい」

と言って助けてくれたというのです。
「オレは神様にも守られてる」
と言い切ります。確かに生きてるけど・・・


●JINKO

うちのお父さまは学生時代、
それはそれは優秀な学生でした。
彼いわく。

学校の先生には
いつもひいきされほめまくられていました。
彼いわく。

そして英語が大得意でした。
彼いわく。

今うちの電話線のところには
「When in'net to tel」
という謎の文章があります。
telは動詞じゃないわ(もちろんtelephoneの略)
名詞のinternetは
勝手にアポストロフィーつけられてるわ。
どう訳してよいものか。
ちなみに私は翻訳家志望。
二の舞にならんことを。


●まめこ

父は昔、免許取りたての後輩に
自分の車を運転させて走行中、
橋の上で後輩が運転を誤り
車ごと欄干を突き破り川へ落下。
運良く無傷だった後輩を
「まぁいい」と家へ帰し、
自らは流血しつつ車を乗り捨て帰宅、
そのまま寝たらしい。
翌朝、何も知らずに父を起こしに行った祖母は
血みどろで布団に臥す父を目撃し、
93歳の今でも
「あんなに驚いたことはない」
と言う。
そりゃそうだ。
っていうか、なにが「まぁいい」んだ。


●寿

私の父は不良だったという事はありませんが、
大学柔道部のキャプテンだったので、
血気盛んな時代を送ったそうです。
ある時、パチンコ屋の前で、
男性に絡んでいるヤクザがいたので、
父が止めると、
「うるせえ!」と襲いかかってきました。
父は、軽く足払いを決めると、
ふいを食らった相手は
見事に素っ転んだそうです。
周りから、わっとあがる拍手。
「テメエ、なんかやってやがるな!」
と相手がヨロヨロと立ち上がったのを見て、
ちょっといい気になった父が、
今度は背負い投げを決めてやろうとした瞬間、
父の履いていたサンダルがすべって、
頭をカチョーン!
とガードレールにぶつけてしまったそうです。
薄れゆく意識の中、父の目には、
野次馬と化した人々と、逃げるヤクザ、
そして助けたはずの男性が助けも呼ばず、
スタコラ逃げて行く姿でした。


●ねこまくら

うちの父は昔、
びんビールの王冠を
自分の歯でぐわっしぐわっし!
と、いともたやすく抜いていたそうです。
父曰く、父と同世代の体育会系の人は
こんな事みんな出来ていたそうです。
ほんとうですか?今50代半ばの方々。


●くまくま

最近発した親父さまのコトバ。
『おれは昔、
 “松竹の男版宝塚の前身みたいなもの”に
 スカウトされた』
・・・そんなのあったのか?


●狭

父曰く。
自分が学生の頃は、
素行も成績も良く、模範生だった。

母曰く。
自分が学生の頃は、
素行も成績も悪く、番はってた。

そんな二人が数年後、
どうして一緒になったのか不思議です。


●モモノフ

8つも年の離れた兄が
一時グレたときワタシは12歳。
そんなワタシに真剣にグチ?った
彼の言葉通り書き記します。

「おやじはよぉ、俺がゾクやってる事、
 なんやかんやゆーけどよぉ、
 あいつだってやってたんだぜ。
 あいつの時はカミナリ族とか言ったらしいぜ。
 だっせー。
 でもよー、水平乗りできんだって。
 これはちょっと見直したぜぇ。
 すげーよなぁ」
 
なんですか?水平乗りって。


●まる

学生服にコートをはおった裕次郎カットの男子が
オープンカーの前で
ポーズを決めている写真。。。
よく見るとそれは父でした。


●ぷみ

母の結婚前の職業は看護婦です。
ちなみに看護学校も出ていなければ、
看護婦免許も持っていません。
「大阪では大丈夫だったの!
 手術にも立ち会ってたんだから」
おそるべし、大阪の病院・・・


●リンダ

うちのオヤジというか「オヤジたち」。
私がまだ小さい頃、朝、
近所の若いお父さん数人と話をしていたところ、
突然「東京に遊びに行こう」という話になり、
勢いでそのまま東京に行ってしまった。
母ほか近所の奥さん方は
「旦那が集団で消えた」と大騒ぎ。
夜になって「いま東京にいる」
と電話が入ったそうですが、
帰ってきてしばらくは
集団無視にあったそうです。

2001-04-19-THU

●テラピー

船乗りで、村の青年団長を務めていた父。
もてもてでブイブイ言わせていたとは本人談。
もてもてのはずが母とは見合い結婚。
港で撮ったと思われる当時(昭和40年頃)の
写真は、石原裕次郎ばりに、スーツを着込み、
船のロープをかける鉄のかたまりに
足をかけている。
身長が155cmじゃなきゃねぇ
信じてもよかったんだけど。


●Anne

父が東京に来て、
初めて車で田舎に帰ったときの話です。
友人二人を乗せて、
ワゴン車でいつものようにぶっとばして
帰っていたそうなのですが、
真冬の薄氷が張る高速道路で
そんなスピードを出したので、
車はスリップし、ごろんところび、
さかさまになってしまい、
そしてはずみがついてまたごろん。
そう、一回転してしまったのです。
当然窓という窓が割れ、仕方がないので
窓がないまま冬のさっむーい風を全身に浴びて
家に帰りました。
その姿をみた祖父は、
窓がない車をみてふびんに思い、
新車を買ってくれたそうです。
もちろん祖父にはスリップ事件は内緒です。


●十季子

父の自慢は
「吉田総理の国葬時、白バイで先導した」
です。
そんな父は今自転車で
町内の子供たちを学校へと先導してます。
パチンコ屋の前をとおりがかる時、
「軍艦マーチ」にあわせ行進してしまう、
そんな父が私はとてもいとおしい。


●ふ

父と二人で地元名古屋の住吉町あたり
(昔の繁華街?)を通っていた時のこと。
父が
「ここは昔お母さんの
 縄張りだったところだよ」
・・・縄張りって何?


●Naomi

結婚の決まった私に父が
「結婚を前提に付き合ったのは彼が初めてか?」
と尋ねました。
どういう意味だろうと思っていると
「父さんはなあ、3人の人と
 結婚を前提に付き合ってから
 結婚を決めたんだぞ。」
とのこと。
全くもてそうのない父にしては
おかしいなあと思っていたら、
「3人の人とお見合いをした」
という意味だったらしい。(3人目が母)
全然自慢にならないじゃん。


●まゆこ

うちの父は田舎から
出稼ぎに東京へ来ておりました。
とある日、(世の中は成人の日)
日比谷公園へ行ったそうです。
きれいな服きたお姉さんに声をかけたら、
お姉さんは池に落ちたそうです・・・。
どんな声をかけたんだろか?


●うに

父は27歳まで吉祥寺に住んでいた。
そこで知り合った黒人のアメリカ人と
意気投合し、ナンパしまくっていたらしい。
黒人の彼は日本語が達者で、
大きな鹿のような瞳をしたナイスガイ。
2人でちょっと優しい声を掛けると、
面白いほどコロリとナンパできたそうな。
とゆーわけで、おのれの経験上、
いきなり褒める奴、
やたらと優しい奴はろくな男じゃないから
気をつけろと説教された。


●くろまめ

うちの母は昔不良園児で、
ついに幼稚園を退園させられたそうです。
強制退園のきっかけになったのは、
何か悪さをして押入れに閉じ込められたときに
「園長のくそばばあ!!
 出せ、こっから出せ!」
と叫びつづけ、しまいに
「出さんかったらここでうんこするぞ!出せ!」
と言ったことらしいです。
ほんとにうんこしたかどうかまでは
聞いてません。


●meguppe

うちの親父は公務員だったが、
若いころやくざとけんかしたことがあるらしい。
武器はなんと「塔婆」。
先日、祖父の一周忌でお墓に
塔婆を持った父が現れた。
「武器を持ってどこへゆく!
 またやくざとけんかか?」
と聞いたら
「ふふふ。」
と不敵な笑みを浮かべていた。


●ぽん

うちの父。
今67歳ですが40歳まで
無免許でキャデラックに乗ってたそうです。


●ばーばれら

中3の父は、先生直々に
「風紀委員」を任命されました。
風紀委員は、
タバコを吸っている生徒を取り締まり、
自ら吸ってその有害性を証明するのが
主な活動だったそうです。
先生公認のうえ、父はすでに生徒の中で
「一目置かれる立場」を築いていたので、
向かうところ敵なしだったようです。
そんな父の娘である私は 
「常にトップを狙え」と育てられました。
しかし父の言うところのトップにはなれず、
失望させてしまったようです。

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●オパール

いつもの店でのんでいたら、
友達のお父様がいた。
なぜか一緒にのむはめに・・
グラスを傾ける父上様。
なにげに手元をみると<中指が短い>、
っていうか爪の部分がない。
固まった私の気がつくと
「なんてことはないから。
 意見を聞かずにヤンチャしたから。
 ふっふ」
すごく実直そうなお父様だったから、
まさかの気持ちで、彼の娘たる友達に
<見ちゃったの>と伝えた。

「ねえ、それって
 見せびらかしているようだったでしょ?
 まだ若いころ、
 <町内清掃・ドブさらい>で
 張り切ってやっていたんだって。
 で、最後、ふたの鉄板を乗せて
 完了ってときに、
 よそ見していて自分の指をはさんじゃったの。
 掃除そっちのけで大騒ぎだったらしいよ。
 過失よ、単なる過失」
 
そんなお父様、また一緒にのみましょう。

2001-04-17-TUE

●リエちゃん

「不良」というのとは
ちょいと別物かもしれませんが。
若き日のおとんの写真を見たところ・・・。
直毛のはずのおとんは
ゆるいパーマのかかったロン毛で
首にはスカーフを巻き、
薄い茶色の大門サングラスをかけ
パンツはパンタロン
(←ブーツカットとは言いますまい。)
だった・・・。
小学生の頃、はじめてその写真を見たときの
衝撃といったら。


●はいいろ

うちのおやじは頑固な変わり者です。
「昔、みかん箱で勉強したものだ。」
私が勉強をサボっているとこう言います。
そして昔の苦労話に移るのです。

叔母に聞くと、本当にやっていたそうですが
別に貧乏なわけではなくて、
ただ単に好きでやっていたそうです。


●しまバナナ

うちの父は新潟の出身で、
当時の人間としては比較的背が高いです。
その父が飲むと出てくる話が、
高校時代に頼まれて出た
バスケットボールの試合で
ジャイアント馬場さんと対戦したというもの。
でも、先ごろの訃報を見てびっくり。
父と馬場さんは3歳以上年が離れていた。
親元を離れてはや幾年、
今さらって感じもなくはないので、
一応追及はしないでおいてあげますが・・・。


●カーライル

「お父さんは昔、モテてモテて、
 毎日女の子にかこまれて、
 かきわけかきわけ進んでいたんだぞ」

「お母さんは昔、それはそれはモテて、
 毎週のように違う人から
 ラブレターをもらってたのよ」

そんな二人の息子である僕が、
女の子にかこまれもしないし、
手紙もまったくもらわないのは
何故なんだろうか。


●みかとも

父の話。
初めて就職した会社で、
軽トラで配達に行く途中で
飛び出してきた車とぶつかった。
相手はひたすら頭下げて
「警察を呼びます」
と言ったが、父は笑顔で
「気にしないで下さい」
と言って走り去ったという。
・・・その時まだ無免許だったそうです。


●かりのん

不良だった、ってわけではないんですが。
うちのパパは田舎から名古屋まで
電車で通っていた高校生時代、
電車の窓からトイレットペーパーを
長々と風にひらひらとさらしたりしたそうな。
のどかな光景と
ひらひらするトイレットペーパー。
・・・・・。
考えると、微笑ましいんか、
アホアホなんだか判りません。


●しょ〜み〜

うちのオヤジは、UFOを
素手でつかまえたことがあるらしい・・・。


●あくび

うちの母によると、
「お母さんは、吉永小百合“風”で
 三人ぐらいの男の人にプロポーズされた。
 お父さんはその頃の竹脇無我“風”で
 モテていた」

この話は何度も聞かされてます。
“○○風”って
いったいどこまで含まれるのだろうか。


●ガッテン承知の介

父は真面目一徹の教師。
タバコは吸わない、
パチンコもギャンブルもしない、
酒は好きだが女遊びなんて想像もつかない。
若い頃はMR.オクレそっくりで、
もちろん母とはお見合い結婚。
そんな父に果たして青春時代があったのか?
と常々思っていた子どもたちに、
ある日酔った父が

「教育実習生のころ、
 先輩とストリップ劇場に行って
 ダンサーに陰毛をもらった」

と自慢げに話してくれた時、心からほっとした。


●まり

父は20歳前後の頃、
所謂「カミナリ族」だったそうで、
バイク7台事故で完全破壊し、
かつ自分は無傷だったことを自慢します。
古いアルバムには、
仮面ライダーのショッカーみたいな格好をした
父の写真があります。
おまけに黒シャツはドクロマークならぬ
ロッコツマーク入り。
レントゲン写真着てるみたいです。


●ばっぽ、うぃー

うちの父の自慢は、徴兵検査で甲種合格した事。
18歳で単身満州に渡り銀行員になり、
徴兵され戦火を潜り抜けながら、
昇進試験までこなし、
シベリアで5年も抑留されても
未だにそこら辺の若者より丈夫で、
酔うと必ず
「俺は甲種合格だったんだ!」
と語りだす。
シベリアから日本に帰るときには
現地の女の人が
「帰らないで」
と泣いたと言っていたが
それはウソだろう、たぶん。


●にんぐる

自転車をねだった小学生の私にむかって、
父は言った。

「俺達は、10kgくらいの荷物を背負って、
 30キロくらい、平気で歩いたものだ」

そりゃあ、歩くでしょうよ。
あんたは自衛隊出身。
演習ともなれば、ホフク前進で山ひとつ、
平気で登りきっちゃうんだから。

2001-04-15-SUN

●kei@会社

うちの父は町で一番はじめにGパンをはき、
リーゼントで決めて会社で呼び出しを喰らった。

と言い張ります。

また、町で唯一のデパートを歩くと
女の子がうしろから
わらわらと付いてきた。
(ハメルンの笛吹のように)

と言い張ります。

若い頃の写真はそのような女の子達に取られて
手元にないのだそうです。


●四四壱六

私の祖母は、
「ばあちゃんねぇ、
 若い頃は吉永小百合に似てるって
 言われてたんだよ」
とよく言っていましたが、
昔の写真を見てみると、
そこには笠置シヅ子がいた。


●フジー

僕たち子供三人は
父ちゃんと同じ小学校に通っていました。
ある日、父ちゃんは
小学生の僕たちに言いました。

「お父ちゃんはなあ、
 小学生の時は神童って言われたもんだ。
 その証拠にほれ、
 校舎の裏には父ちゃんの銅像があるんだぞ」

必死で探したあの頃が懐かしい。
当然、父ちゃんのどころか、
校長先生の銅像もありませんでした。
すぐばれる見栄を張るなよ。


●チビ

むかぁ〜しむかしの事じゃったぁ〜
お母さんは近所で
「我が町のいしだあゆみ」
と言われていたそうなぁ〜。
(近所のオバサン情報)
確かにウェディングドレスのウエストは
驚くほど細い・・・
しかし、今じゃ「我が町のデビ婦人」


●ぴろり

うちの親父様、世間では
立場のあるポストについておりますが。
昔から親分肌であったようで、
言い伝えられてる武勇伝は数知れず・・・。
中でも、高校時代に、
同級生の農家の息子さんに、
新米で必ず「どぶろく」(いわゆる濁り酒)を
密造させて部室で酒盛りをしていたそな。
酒税法とか問題になるんじゃぁないの?
と言ったところで時効か。


●ニカラグアゆみ

私の父親は、高校生の頃登山をやっていました。
おばあちゃんいわく、
「捜索願いを出そうかと思った事も数知れず」
だそうな。
私のとっぴょうしもない性格も
彼からの遺伝であろうと思われるのですが、
そんな彼から聞いた、
自慢話というか怖い話です。
冬の富士山にのぼった時、
友人数人とやっと山小屋に着いて中に入ると、
火もついていない山小屋の中に
人が座っているのが、ぼ〜っと見えたそうです。
声をかけても動かない。
まさかと思い近付くと、
それは凍死して、凍り付いた、
男の死体だったそうです。
父と友人達は見過ごすわけにも行かず
その死体を担いで下山しました。
しかし、座ったままの凍り付いたその方を
そのまま運べず二つに折って
(まっぷたつ、ではないのでしょうけど)
「俺が担いで運んだんだぞぉ!」
と言っていました。
ホントかなあ、そんな事を
自慢げに話す父も父ですが。
でも、冬って富士山登れたっけ?
疑惑の目で見つめる親不孝娘なのでした。


●T.A

父の右腕には、
なにやら濃くなっているところがあります。
「小学生のころ宝さがしごっこで
 地図を書いたんじゃが
 肌に染みといてしもうた。はっはっは」
父はそう言いました。
ここだから言います。
そんなことあるわけないだろ度阿呆。


●たけ

自分の乗るバスだけが
男子学生で混雑するという伝説は
各地の娘さんがお母さまより
聞いてらっしゃるかもしれませんが、
うちの母もそのクチです。
昔は、美智子妃殿下(当時)の仮装を
担当するほど美しかったそうです。
(証拠写真があった。
 顔はよく写っていませんでした)
で、そんな彼女は卒業に際し、
ある男子から言われたそうです。
「フジツカさんは、日陰の花だった。」
高嶺の花じゃなくて
「日陰」なところが妙にリアルなんですが、
それってほめ言葉??

2001-04-13-FRI

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