まるでハガキのように。 |
●まほまほ ●MI 地方の銀行に入社した私。 春の新入行員歓迎会で先輩方からの質問、 「銀行員にならなかったら何していた?」 ほとんどが高卒や短大卒の女の子ばかりで、 「保育科出なので保母さん」 とか 「英語科だったから英語関係」 とか言ってくるので、負けじと私は 「家政科出身なので家政婦です!」 と言い放った。 おのれは市原悦子か! -------------------------------- ●わたまり ちなみに今の会社には 「得意料理はインドカレーです」 と言って採って貰いました。 人生とはこんなものか、と悟った。 ●祐鈴 3年前。 今現在、働いている会社の面接でのことです。 「あなたを採用すると、 我が社にはどんないいことがありますか?」 という質問に、明るく 「使い減りしません!」 と答えてしまいました。 入社以来、どうみても、男性社員と比べても、 力仕事が多いような気が・・・。 ●フナちゃん 近所のコンビニでのこと。 「このジュース、期限切れて飲んでも、 お腹痛くならないですよね〜」 としつこく女店員にせっつく男がいた。 店長が現れ、 「これは、賞味期間が長いから お腹痛くならないですよ!」 と言うと、 納得してその男はジュースを買っていった。 答えにならない回答で納得させた店長を エライと思った。 ●へろへろサンチュ 今から10年程前の、新卒採用の面接での事です。 面接官の 「あなたの性格を一言で表わすと?」 という質問に、 「あ、ラテン系です」 と返答。 面接官は、苦笑していましたが、 見事、採用されました。 まだ日本の景気が今ほど悪くはなかった時代、 私はその年の夏休みを遊んで暮しました。 めでたし。 ●そんな 上司のかわりにクライアントに会う事になった。 外で会うので電話で私の説明をしている。 「あ、そーですねぇ、 見た目は葉月里緒菜に似てます。 葉月里緒菜にケリ入れて 百回くらいひっぱたいたような顔したのが 伺いますのでよろしくお願いします」 そこまで言うなら、 いっそ似てないと言われた方がましだ・・・ ●タケッコ そーいえば、昔会社の先輩が、 「勢いのある津波のような子、○○勢津子です」 と言ってたなあ・・・ |
2001-07-19-THU
●ジョンソン ●ウォーターマウス 小学校2年の時、若い担任の先生が 「いま、面白い歌があるよね、 なんだっけ、死んでしまって、 どうのこうのいうやつ・・・誰か知ってる?」 その言葉にいち早く手を挙げて反応した僕。 おもむろに歌い出したのが 「ばかは〜死ななきゃ〜なおらない〜」 こぶしきかせて思い切り歌い上げました。 が、教室中あきらかにしらけムードがたちこめ、 教壇の先生もかたまりながら、 「いや、それじゃないな・・・」。 背中に冷たい汗を感じながら、 クラス1お勉強のできる牛島さんの 「おらは死んじまっただー」を聞きました。 ●ゆっこ 「私はかすみ草です」 就職活動で何度も使いました。 だって、会社にも、一緒に受けた学生たちにも、 うけがよかったんです・・。(恥) つまり、派手で目立つタイプではないけれど、 他人をひきたてフォローし、 ひとりでも凛とした、 それなりの存在感がある人間ですってこと。 とくにアクがない人間だったので、 これを使いまわしてたら、 おんなじ会社受けてたやつにパクられた。 ふっ。 世間のキビシさを味わったことよ。 ●雪 小学6年生の時児童会書記に選ばれ、 初の集会であいさつした時のこと。 『児童会“副”会長になった、○○です! 宜しくお願いします!!』 ・・・。 間違えている事にさえ気づかず、 『会長』とか言っちゃうならまだしも 『副会長』止まり。 自分が小さい人間に思える出来事でした。 ●ガープ 「ワインレッドの男です!!」 って大マジメに言ってきました。 「ワインレッドは、一見シブイですが、 そこには熱いハートが隠されてます。 私もそんな男です」 って。大笑いされた。 ●まおぬう ちょっと変わった漢字を使っている私の名前。 普段ちょっとなじみの無い字なので、 子供の頃は説明するのに一苦労。 無い知恵をしぼって 解り易いように説明したつもりだった。 にもかかわらず年賀状に 「卵」と書いてくる奴が・・・ だからぁ「卵」っていう字の 点々の無いやつなんだってば・・・ (「卯」です) ●はまこう。 就職活動中、 広いスペースのあるエントリーシートには、 必ずポンジュースの絵を書いていた私。 ポンジュース=私の成分は 「明るさ43% 純朴さ23% 好奇心26% エロス8% 」 無理やり。 ●100円扇風機 ぶりっこ全盛期のころ 「寂しがり屋の○○ちゃんでーす」 と言ってた。 「かまととハイジ」 とも言ってた。 意外と自分のことわかってたのネ。 ●夏見貫太郎 「転ばぬ先の杖で、 石橋を叩きながら渡ってゆく冷静さと、 広げただけの大風呂敷を頼りに、 清水の舞台から飛び降りる大胆さを併せ持った、 私です」 ・・・ってこれ、長すぎでした。 |
2001-07-15-SUN
●みえくん
●めぇたん 「私、ボディービルをやっておりますので 体力には自信があります」 20年ほど前の話。 これのお陰かどうか、 某コンピュータ販売会社へ入社できました。 スポーツクラブだと思って入ったのが ボディービルクラブで 会社の面接受ける少し前に入って、 入社したら残業だらけでまったく通えなくなり、 1ヶ月くらいで辞めました。 ほんとうは体力なんかまるで自信なし。 でも、仕事はほんとうに 体力がモノを言う仕事だった。 入社前 「ものすごい女ボディービルダーが入ってくる」 と社内で噂になっていたとか・・・
●junjunjun 「あの子、馬鹿じゃない?と思われても、 周囲を明るくする人間でいたい と思っています」 胸をはって就職の面接で話しましたが、 「うちは馬鹿はいらないんだよね。 お笑い芸人もね」 と片頬のみで冷笑されて落とされました。
●あよねぇ 就職活動の面接で自分のことを 「小鳥のような人間です」 と言った。 「ほお、どういう意味ですか」 の問いに、 「いてもいなくても大きな差はないが、 いると小さなさえずりが 人の心を少しは和まします」 という自分でも 分かるような分からないようなことを力説した。 就職活動は時に人を詩人にする。 ちなみにいてもいなくても 大きな差のないわたしは、 力説むなしくそこで敗退しました。
●弟子 大学では少林寺拳法部に入ることに決めた 根っからの体育会系人間の私。 新入生の女子は二人だけらしく、 紹介されたのはフワッとしたロングヘアーに、 ワンピースがよく似合う 小柄でおとなしそうな女の子でした。 “この人とうまくやっていけるのかなあ” と思った瞬間ソイツは 「はじめまして ふみこ っていいます。 ふみこの“ふ”は“婦女暴行”の“婦”です」 と言いやがりました。 それから12年。 友情は続いております。
●きりほ 「刃金を真綿で包んだ良い女」
●きゃさりん 私のことを友達が 「おんな、みのもんた」と紹介してくれた。
●パリのゆうこ 「炎のような女になりたい」。 漁師の命を繋ぐ漁り火のようでもあり、 消えているようでくすぶり続ける 埋み火のようでもあり、 人を暖める暖炉のようでもある、炎のような。 自己紹介と理想を含めていますが・・・ 高校二年のときに クラスの大爆笑と大関心を得たセリフだ!!
●大福 英作文の授業でのこと。 自己紹介用のペーパーに 「nice guy(ナイス・ガイ)と結婚したいです」 と書いたつもりが 「nice gay(ナイス・ゲイ)と結婚したいです」 になっておりました。 赤いアンダーラインが引かれて戻ってきました。
●サンキチ 「わたしは、昨日地球に降り立った宇宙人です。」 もしくは、 「わたしは、鳥肌人間です。」 と面接で堂々と言っていました。 ・・・気持ち悪い。そんな人。 好奇心が旺盛で、 感受性が豊かってことを 売りにしようと思ったのですが、 たとえが悪かった。 |
2001-07-13-FRI
●bana-bana ●てん 学生時代、英国人の先生による英会話の授業で 「自己紹介と自分の特徴を述べよ」 という質問に 「私は表情が豊かです」 と言おうとして英語が思いつかず、 「I have many faces.」 と言ってしまいました。 ●猫も好き 「犬が好きです!!!」 就職試験の面接で、思いやりが有り、 物事を最後までやり遂げる事を 言いたかったのですが、 緊張のあまりきっぱり一言で言ってしまいました。 なのに、7倍の競争率を勝ち抜き、 入社できちゃったの。 ●もろきゅう 入試の面接で試験官に 「最近読んだ本は?」 といわれ自信満々で 「ビートたけしの顔面麻痺でっす!」 といいきったら落ちた。 笑いをさそう作戦だったのに。
●鞆ノ花 まわしの似あう35歳です。
●A92M055 「人間離れしたナルシズムを持つ男」 仕事や飲み会でどんなに怒られたり、 いじめられたりしても 翌日は必ず復活する僕に先輩がくれた称号です。 最初は褒め言葉と思っていました。 ・・・今でもそう思っています。
●奏 「毎日天気図を作成しています」 就職のマニュアル本に載ってませんでした? 履歴書に“前向きな日課”を書いとくと、 有利だって。 半分嘘だったけど、 他には「食う・寝る」しかなかったので。 突っ込んだ質問をされたら、 とヒヤヒヤものでした。 知識は、素人同然でしたから。 人事の人は、絶句してました。 フツーの事務職だったもんなぁ。 困るよなぁ。よく就職できたもんだ。 いまでも、そう思います。
●bas 「わたしはアメリカのためになる人物です。 将来はアメリカに貢献する人物になれるよう、 研究に励みます」 某アメリカ国内の大学院に出願する際、 エッセイに書いた言葉です。 しかも締めくくりのところに。 幸い受かりましたが、 卒業したら、即、最愛の祖国・日本に帰り、 日本の為に働きま〜す! ●☆ |
2001-07-10-TUE
●ケイスリー ●流され者かず 「俺はアフリカンな日本人代表」です。 必ずすれ違う人は、じぃ〜っと俺の顔を見ます。 代表になってかれこれ25年経ちます。 そんなに顔が濃いのか? 自分じゃ分からないがみんな「濃い」って言う。 ●誰かもらって。 「いつでもどこでも、誰とでも、どこへでも」 をキャッチフレーズに嫁の口を探して10数年、 今だ行かず後家のやらず後家でございます。 これ以上、どこを安売りしろというのか… ●まぁちゃん 「白銀の貴公子」 う〜ん。 今思い出しても恥ずかしい・・・ その頃、スキーに凝っていて、 ふと頭によぎったんですよね。 ●と〜やん なんとなく、クリスタルな俺。 ●わふまさ 今、私は転職活動まっぱなか。 以前務めていた会社の 同僚の人たちから付けていただいたサブネームが 「ゴリラの赤ちゃん」。 真意は「成長過程がおもしろい奴」だそうです。 僕はこれは何かに使えると思い、 転職活動の面接の場での自己PRの席で、 “どん欲に物事を吸収するタイプです” ってのを言いたくて、 「ぼくは生まれたてのゴリラの赤ちゃんです!」 と鼻息フーと言い放ちました。 しばらく沈黙後。 「君さぁ?受けるところ間違ってない??」 だとさ。 ぼくの心に、昭和のいる・こいるの 「そんなもんだよしょうがない」が 小さく流れた。 ●ゆか 上の子が幼稚園の頃、 初めて母親の親睦会なるものに出席した私。 周りは年上のお母さんばかりで、 緊張しまくりの中、自己紹介。 心の中で 「○○さんの次は私だわっ!」 とドキドキしながら順番を待っていて、 いよいよ私の番! 何を思ったか、自分の名前を言うべきところを、 私の前に自己紹介した○○さんの名前を口走り、 「○○です。宜しくお願いします」 と、堂々と言ってしまった。 自分の名前を間違えた私は、 その後2年間、 名前のことで突っ込まれ続けました。 |
2001-07-09-MON
●和泉 ●ひろこ 雨といったら、 私の夫の友人の奥さんはお日様にあたるのが嫌いな人です。 そのため、家の庭の草取りをするのは ほとんど雨の日、しかも、ずぶ濡れになって、 本人曰く、 「日焼けしたくないから」 と開き直る。 そして、雨が降ると、ミニスカート姿で 軍手を穿いて草取りに勤しむのです。 さすがに土砂降りとなると家に閉じこもるのです。 頼むから雨の日の草取りはやめてくれーと 旦那様にも云われている。 ●夜更かしママ・みーみー 私が13才の6月ごろ、 たまたま一人で中学から家に帰るときです。 いきなり大粒のきれいな雨が降ってきました。 「お天気あめ」というのでしょうか、 空は何故か青空でした。 傘は持っていたのですが、 どうしても雨に打たれたくなって、 ちょうどあたりには誰もいなかったので、 傘を閉じたまま歩きました。 気分は「水もしたたるいい女」です。 「あー、私はそぼふる雨の中一人たたずむいい女・・・」 と13才の私は一人悦に入 りながら家まで歩きました。 はたから見たら不気味だったろうなー。 次の日、ひどい風邪を引いて 学校を欠席してしまいました。 今思い返しても恥ずかしいような、 うれしいような不思議な思い出です。 ●Japanese 私はカナダの田舎町に居ますが、雪は多いのですが、 雨は夏に少し降る程度なんですね。 しかも“降る”となると、 ドッと短時間(2〜3時間程度でしょうか)に降るのです。 しかし!ここの人は傘をささないんです。 雪が降っても傘をささないせいでしょうか、 傘が普及していない。 雨傘は、なんと日よけに使われているのです。 雨が降ると、“あ〜、傘をさしたい!”と思うのですが、 周りがささないので、 自分だけ浮いてしまうのもナンだから・・・ と言う理由でさせないで居る、とても日本人な私です。 ●わに じっと座っていられない母親の口癖は昔から、 「お日さんがでてるのにもったいない」です。 貴重な休日は洗濯と布団干しのために使い果たします。 だから、私は休みの日に雨が降ると内心ホッとします。 ●pipoko 高校のとき部活中に、 なんか音がするなと思って振りかえると なんと大粒の雨のカベがものすごい勢いで こっちにせまってきてました。 もちろん捕まってびしょびしょに・・・。 運動場が端から黒く塗りつぶされていくのには 恐怖さえ感じましたが、 「雨とのさかいめ」を実際に体験できて、 なんだかおもしろくてわくわくしてました。 滝のような雨に打たれながら。 ●み〜ん 九州のド田舎に住んでいた幼稚園の頃、 当時、母の事を「かあちゃん」と呼んでいた私。 台風で一斉帰宅となった日、母がなかなか迎えに来ない。 そのうち、S君のお父様(開業医)が 車でお迎えに。 先生に「家が近いから一緒に乗せていただきなさい。」 と言われ、乗りました。 乗って帰る途中、突風の中を 膝まで水に漬かりながら私を迎えに来る母を発見。 しかし、車の窓を開けて叫ぶ事が出来なかった 「かあちゃ〜ん!!」と。 今でも胸が痛い思い出です。 |
2001-07-04-WED
●めぇたん ●ゆうさん 夕立らしく、すさまじい雨。 閉まったお店の屋根の下で、 傘もなく途方に暮れていると、 あまりのどしゃ降りに 傘さし運転のちゃりんこの 茶髪兄さんも入ってきました。 どうやって帰ろうかなあと思っていると、 そのお兄さんが私に 「拾ったものだからどうぞ」 と、自分のビニール傘を!! 本当にすごい雨だったので、 申し訳ないので断ると 「家すぐそこなので」 と再度。 ありがたく頂くことにすると、 傘を残してお兄さんは、 雨の中颯爽と行ってしまいました。 マンガみたいと思いながらも、 すごく嬉しかったです。 カッコイイ人がいたもんだなあ。 ●はな 前の職場に居た時に、 昼食帰りにお天気雨に降られ、 すかさず傘をさした年配の女性の同僚が あまりに用意が良かったもので 「いつも持ち歩いているんですか?」 と聞いたところ、 「濡れたら溶けちゃう体なの・・」 と言われました。 そのひとの怒った姿を見たことが無いのに 納得しました。 ●難民 2年前、ボストンで半地下のアパートに 住んでいた。 窓から人の足が見える不思議な眺めが 気に入っていたのだが、 なんせ築100年の物件、水周りが弱かった。 ある夜、旅行のから豪雨の中を戻ってきて、 「やれやれ」とうちに戻ったら、 部屋が水没していた。 ベッドが浸かる見事な床上浸水で、 しかたなく、夜中にザーザーぶりの雨の中、 重い荷物を抱えて空き部屋を探し、 近所のホテルを巡り歩くはめに・・・。 以後、高層階の部屋ばかりに住んでいます。 ●さのまおまお。 高1の時の遠足のコトです。 お昼ゴハンは現地で作る事になってました。 雨降りでしたが、学校は決行しました。 片道5キロ、雨が降る中一所懸命歩きました。 お昼ゴハンの材料やら鍋やら全部持参です。 しかし悲しいかな飯ごう炊さん 現地にようやく着いた私達に 腰に手を当てながら先生は言い放ちました。 「雨で火がおこせないので、ここで解散!」 現地解散…。 来た道をUターンする250人。 そこでは誰もが無口でした…。 ●かず 7年くらい前、 フラリとあてもなく一人で旅に出かけました。 天気が良かったので オープンカーの屋根を全開にして 中央道を走っていると、突然の雨。 路肩に止まるのは危険なので PAまでそのまま走りました。 大雨の中ずぶ濡れのまま走る僕を 他のクルマは驚いた顔で眺めていました。 ●002935 4年前のユーミン逗子マリーナコンサートの日、 台風9号が関東に上陸していて 嵐のような大雨でした。 当時、私はワケありな人と 付き合っていたのですが、 別れる踏ん切りがつかずウジウジしていたので、 ケリを付ける意味で 「コンサートの時に雨が降っていたら別れよう」 と思っていました。 絶対に止むことは無いと思っていたのに、 コンサート開始10分前に雨は止み、 終了まで降りませんでした。 あの日の、台風の名残が残る逗子の大波は 忘れられません。 その彼とはその後も何度か危機がありましたが、 今でも付き合っています。 ・・・結婚しようと思っています。 ●morumoru 東京に来て間もないころ、雨の日 「傘かぶっていこう」 と言ったら 「え??」 という顔をされました。 標準語だと傘は「さす」なんですね。 実家(青森)では 傘は「かぶる」モノなんですが… 標準語が流暢に言えるようになった今でも、 つい「傘をかぶる」と言ってしまいます。 青森では雪が多いので、 傘はかぶらないといけないんだい! ●necca 長女が2ヶ月の時のこと。 天気がよかったので、ベビーカーに娘を乗せて 新米ママは初めて遠出しました。 本来ものぐさな私だったけど、 母だから、と思って気負って出かけたのです。 かなり遠くまで来た時、突然の大雨。 急いでベビーカーを押して高架下まで走り、 雨宿り。 雨はなかなか止まず、 だんだん肌寒くもなってきて、 早く止まないかとすいぶん気をもみました。 小雨になって、 他の人たちがサーッと駆け出して行っても、 小さい赤ん坊をぬらすわけにはいかず、 完全に止むまで、 心細い気持ちで待ち続けた時間は 長く長く感じられました。 一人だったら、 少しくらい濡れたって平気なのに・・・。 その時、なんて言うか、 母になったんだって 本当の意味で実感したのでした。 背負っちゃったんだって。 それからはどんなに天気の良い日でも、 ベビーカーの下に 専用レインカバーを入れての外出が義務でしたが 永遠に続くかと思われた、 そういう日々も 今では懐かしい思い出になってしまいました。 折り畳んだビニールカバーを見ると、 赤ん坊+雨=大変!だったあの頃を思い出します。 ●ねね 丁度梅雨の真っ只中の頃、 雨の中会社に行く途中で、 凄く楽しそうな遊びをしている子供たちを 発見しました。 スケボーに寝そべって (アラレちゃんのスッパマンの格好です) ちょっとした下り坂から水溜りに向けて 突っ込んでいくんです。 小学生の頃大雨の日に 水溜りで水泳大会をしたのを思い出しました。 やりてぇなぁ。ちくしょー。 |
2001-07-02-MON
●ゆう ●一条まろ 中学生のころ車に撥ね飛ばされたが 田んぼにぶっとんだため無事だったのですが、 そのときヒジを打ったらしく、 それ以来、雨が降ろうとすると 信号のように教えてくれる。 へたな天気予報より当たると自画自賛している。 ●Aco イラン人は雨がふると 「いい天気ですね」 といって挨拶します。 イランの英会話学校に通ってたときも、 雨の日のことは 「It's Wonderful Day!」 と斉唱させられました。 雨少ないもんね。 ●カルシウム 私は雨の日の車の中が好きです。 フロントガラスに雨の滴がついてて、 外もよく見えなくて なんかムーディーじゃないですか? (私は運転しないので、 こんな事が言えるんでしょうか?) 雨降る日に、 家の前まで送ってもらった車の中で プロポーズをされる!!! 私の夢です。 どんな手段を使ってでも実現させたい! ●いかん 名前に晴がついてるのに なぜか結納、結婚式、ハネムーン、出産という 人生の一大イベントは大雨に台風、大雪。 初めてのグアム旅行も 大雨、大風で飛行機止めるし。 どうやら私がノリノリで挑むイベントは 町内会の草取りでさえ大雨のようです。 そんな私ってただの雨女? ●スケスケ 小学生の時、駄菓子屋に向かって 自転車を走らせていた。 しかし、ふと気がついたら、道路に倒れていた。 どうやら、雨で転んで頭を打って 気絶していたらしい。 フラフラと家に帰り着いたあと、 お昼に食べた ナポリタンスパゲティのゲロを吐いた。 死ななかった。良かった。 ●ぺん太郎 仕事で2年間働いた「金沢」。 ここは大変雨の多いところ・・・ といってももちろんスコールが 降るわけじゃあありません。 梅雨時は一日中しとしと降ったりやんだりで、 観光客から見れば情緒がある街って 感じなのでしょうけど、 生活する人にとっては結構大変です。 天気予報は「くもり時々雨」って 毎朝同じことを繰り返してるので 傘を手放すことができません。 そんなわけで地元では 「弁当忘れても傘忘れるな」 って言い伝えがあるのです。 でもね、でもさ、 地元の人はみんな言い伝えを守らなくて 傘持って出かけないので、 お店とかで傘おいとくと 持って行かれちゃうんですよ。 2年間で10本くらいとられたかな。 傘屋が儲かる街〜金沢・・・・。 ●KAZU 兄がピッカピカの小学1年生の頃、 下校時間に雨が降ってきて 心配した母が迎えに行ってみると、 兄は傘を開いて転がしながら 歌を歌ってたそうです。 もう30年以上も昔の話なのに、 昨日の事のように、雨が降ると母は話します。 ●チャーミー 我が家は田園地帯の真っ只中・・・ 農業用水の脇の道路を通って行かないと 仕事に行けない。 のどかーな所、この時期つらいのが 雨の夕方会社帰りの車の運転・・・ なんてったって道路一面に (それはもう節分の豆まきのように かえるの赤ちゃんが・・・) 道路が緑色になるくらい どーしてもそこを通らないと お家に帰れないワナワナとふるえる足で アクセルを踏みながら ブチッ ブチッ ブチッっという音まで。 怖いよー。 「今日はいったい何百匹の命を 奪ってしまったかな」 梅雨が終わる頃には神経衰弱。 神様どーぞこんな私でも地獄に落とさないでね。 ●ゆうこ 私は自転車で通勤しています。 朝は雨が降っていなかったのですが、 帰りは結構降ってきた。 一応雨具の用意はしていたが、ズブヌレ状態。 信号待ちをしていると 後ろから変なオッサンが 「姉ちゃん、ねぇちゃん・・・」 と呼んでいる。 振り向くとそのオッサンは 「あっ、オバチャン・・」 と言い換えた。 私は右手をグーにして殴ってやろうかと思った。 本当に腹が立った。 家に帰って鏡を見ると、 化粧も雨に流れひどかった。 思わず 「ごもっともです。 アナタの言う通りでございます」 と呟いた。 |
2001-07-01-SUN
●卯月 ●火出子 今年から私立高校に通う息子には金がかかる その上、大事に履いて 3年は持つよう高級な靴を買ってやった。 この前、学校の帰りに、 どしゃ降りの雨に会い靴を鞄に入れて、 裸足で帰って来た 「靴だけは守った」 と言う息子に 「えらい!」 と言ってやりました! ●ふく 雨と言えば、 なんといっても「シェルブールの雨傘」です。 卒業間近に寮友と見に行きました。 切ないってことは判ったけど、 ストーリーのほうはいまひとつでした。 でも映像が印象に残っていて見返してみようと ずーっと思っていますが、果たしてない。 この梅雨にはぜひ借りてきてみることにします。 ●カナリサトコ OL時代のうっとうしい梅雨の朝。 ただでさえ遅刻しそうなバスに乗ったのが 更に渋滞に遭い、私は焦っていた。 ようやく目的の停留所に到着し、 大股開きでステップを降りようとした瞬間、 タイトスカートだったことに気づいたが遅かった。 そして頭からぬかるみへとダイビング・・・ もちろん会社は休みました。 理由は風邪にしました。 ●奏 「弁当忘れても傘忘れるな」 そんな諺がある土地に住んでいた時、 突然の大雨で、ずぶぬれに。 ところが、これがまったくの通り雨で、 家の近くは地面も乾いていて、 髪から服から滴をしたたらせた私を、 ひきつった顔で見つめる小学生が。 傍らには、大きな川が流れておりました…。 『違うって〜!』 ●nero 昨日の朝は、すごーい雨だった。 子供に「今日は一日雨だから」と言って 長靴をはかせて行ったら 一時間ほどで止んでしまい、 「カッコ悪い」 と言って子供は怒っていた。 なぜ今の子は長靴を履かないのだろう? 雨の日は、長靴で 水溜りをジャブジャブするもんでしょう。 ああ、水溜りの真中にジャンプしたい!! ●ブラックウイング 小学校のとき雨の中傘をさして歩いていた私。 急におしっこがしたくなり、 何も迷わず傘を捨てた。 けっこう貧乏な家だったから貴重な傘だったけど、 迷わず捨てた。 おしっこ歩きしながら 水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」を歌った。 ちょっと大人の気分だった。 ● nrk 雨と言えば、今は昔、 通学路で知った私のささやかなる大発見のお話。 ある朝、道にカエルが轢かれていた。 その後も処理される事なく放置されていたそれは、 日毎に熨され、もはや限界かと思われたある日、 私は思わず息を呑んだ。 『戻ってる・・!』。 昨日まで、道路と同一化していた筈の カエルの干物が、昨夜からの雨により、 元の瑞々しい姿に見事復活していたのである。 それはまるで戻したての椎茸の如く、 ふっくらと滑らかだった。 ●さゆり 私は水不足でよく悩まされている 香川県高松市に住んでいます。 雨といえば、 『香川の降水確率は当たらん』 ということです。 今日も昼から90%という高い確率なのに 降りませんでした・・・ 近くの岡山県ではざざぶりなのに、 高松きたら晴れてるよ、って事はよくあります。 多分地形のせいだとは思うんですけど・・・ こんだけはずれるのもどうかと思います・・・ ●かつぼう ウチのお爺は 「梅雨は蒸し風呂でキライだ」 と言いながら、せっせとサウナに通います。 蒸し風呂ホントは好きなんじゃん! ●にゃるぽん わたしの勤め先は、新宿区某所にあります。 先日大江戸線の駅に向かっていたら、 急にと雨が・・・ すると、向こうから スーパー(丸正)の手提げ袋を 頭にかぶったおばさんが 歩いてくるではないですか。 (それも手提げ部分を耳にひっかけて) わたし、田舎者なので、 東京ってこんな人もいるの?と びっくりしたり、なごんだりいたしました。 でも、髪だけがぬれなかったからって、 あとのところはびしょびしょ。 それでいいのかなーとかるーい疑問も残りました。 ●瓜 数年前の夏、アルバイトでお使いにでたんです。 店に入って文房具買って、 外へ出ると突然の集中豪雨。 降り始めて数秒後には、 道のあちこちに水溜りが出来ていて 買ったものが濡れる! と慌てて駆け出すと、 自転車にぶつかりそうになり、 よけようとした途端すべって 固いアスファルトにしたたか手を打ち付けました。 折れました、小指がぽっきりと。 以来、雨の日は絶対走らないようにしています。 |
2001-06-26-TUE
●FUE ●ゆきん子 あれは、今から40年ほど前、 私がまだ保育園に通っているときのこと。 ちょうど梅雨時、朝からよく晴れていたのですが 午後から雲行きが怪しくなり、 帰宅時間にはザ〜ザ〜降り。 たいがいの子は お母さんが傘をもってお迎えに来るのですが・・・ うちの母は来ない・・・いつも! 同じようにお母さんに忘れられた子が 私のほかに 2人居たのですが、 忘れ物の置き傘は2本・・・ 一番最後に玄関に行った私に傘はない・・・ それで、保母さんが必死で探してくれたのは ゴザで作った蓑(みの)。 そう、昔雪国の子供がかぶってたやつです。 いくら40年前といっても そんものかぶっている人は居ません。 家に帰るまで近所のおばさんやお友達に見られ はずかしかったです。 翌日も片手に傘を持ちゴザ蓑をかぶって 登園した私でした。 はずかしー! ●Ale 私が住んでいるバンクーバーでは 年間200日雨が降ります。 でも、カナダ人は誰も傘をさしません。 なぜ? ●にんぐる 雨が降っていた。チャンスだった。 その頃、お友達だった彼は 「これじゃ帰れないな」 と言った。 私は「傘を貸そうか」という言葉を あえて飲み込んだ。 そして朝になる頃、 私達は無事、彼氏と彼女になっていました。 だけど本当は、 雨は10分くらいで止んでいました。 気が付かないふりをしていました。 あったりまえじゃんねえ? ●しろ 私の大好きな(男性歌手)K、 昔の曲も知りたいわ! と思い古いCDを購入。 聞き進むと何故か 天ぷら揚げる音??? でも歌詞は“傘に当たる雨の音”とある。 今は梅雨どき。 私は天ぷら揚げる音に似てる雨音を 一生懸命探してる。 ●すいか 私の旦那さまの高校時代 まだリーゼントが流行していた時代に リーゼントはシャンプーで固めるのが 一番いいんだぜってことで バリバリにして学校へでも どこへでも行っていたそうです。 しかし、ある日、 通学途中に雨が・・・ 旦那さまの頭からは 泡がぶくぶく・・・ 本当に馬鹿です。 ●兵庫県:さっちゃん 20年程前の思い出です。 幼稚園の遠足で、 お弁当の時間に突然雨が降り出し、 担任の先生が 「お弁当が“お茶漬け弁当”になっちゃうから 早くバスに戻りましょう」 と大声で叫んでいた。 その“お茶漬け弁当”って言葉に 何故かすごいインパクトがあり、 当時の私はバスへと走りながら 「お茶漬け弁当ってどうなるんやろ?」 と思い、わざと食べかけのお弁当が 雨に当たるように仕向けてましたが (しかも結構同じ事やってるクラスメイト 多かったですが) 当然そんな風にはならんかった。 今思えばアホですねえ。 ●Haluko いちばん最初の雨の記憶。 3歳の頃、いつも幼稚園から家までの 3kmをてくてく歩いていた。 ある雨の日、傘がなく「お迎え」もない私は 歩いているうちに無性に寂しくなって 泣いてしまった。 ずぶぬれの私が帰るのと同時に 母も家に飛び込んできた。 泣いているわたしを見て 「な〜んば泣きよっとね。 お母さんは雨が降ると楽しかよ」 と言って笑った。 その日から雨の日が楽しくなった。 |
2001-06-25-MON
●Anne ●ゆかりやん わたし、雨がふっているときの車への出入りが ヘタなんです。 ドアを開けて傘を半開きにしつつ外へ出てみても、 結局車内もわたしも濡れてしまうので、 いっそいさぎよく 外に出てから傘を広げてるのですが、 モタモタしてて、みっともないような気もする。 2丁目の方などに、「エレガントな傘の広げ方」を 教えていただきたいくらいです。 ●職業婦人 バス停でバスを待っていたときの出来事。 私は傘があったのですが、 わたしの後ろに並んでいた女子大生風の彼女は、 傘を持っていないようでした。 かわいそうだな。 知らないコだけど、傘にいれてあげようかしら。 なんて思っていたら、 そばにいた作業員風のオジちゃんが、 「よかったらこれを使いなさい」 と、手にもっていたスポーツ新聞を 彼女に差し出したのでした。 彼女は一瞬狼狽し、 「あ、ありがとうございます。 でも結構ですから」 と、できるだけ機嫌を損ねないよう 丁重にお断りをしたのですが、 何を勘違いしたのかそのオジちゃん、 「そんな遠慮はいらんから。 ほら、こうやって使えばいいんだ!」 と自ら頭にかぶってお手本を示し、 そして無理やり彼女に握らせたのでした。 そこまでされて彼女、いったいどうするだろう、 としばらく観察していましたが、 私も含め周りの注目の中、 ついにオジちゃんの好意を受け入れました。 オジちゃんの満足げな表情が印象的でした。 ●ちゃっぴー 昔、原宿でショッピングをしていたとき、 急に雨が降り出したことがあった。 ふと近くのコンビニを見ると、 ビニ傘が600円で売られている。 家には傘があるから 今日以外使わないかもと思うと、 微妙に高く感じる値段だ。 でも濡れるよりマシだと思い、 ピンク色の傘を買って、ショッピングを続けた。 それから数分後、あるお店から出ようとしたら、 私が買ったピンクのビニ傘が 店の傘入れから消えている! 残りは黄色と緑と白の3色しかない。 しょうがないから黄色を持って外に出た。 普段はモノを拝借することのない私だけれど、 盗まれた後は なぜか盗んでも心が痛まないから不思議。 そして次の店から出ようとすると、 なんと今度は黄色の傘が消えていた! そこに残っていたのは緑と白と黒。 仕方ないので今度は緑を持って外に出た。 “次は白と黒だけかも・・・” 「こうなったらどっちの色が人気がないか 試してみるか」 なんてフト思ったけれど、 緑から白か黒になることを考えると、 ソンした気分になってきたので辞めた。 そんな経験をした私は、 雨が降ると、ビニ傘のもっとも人気のない色は、 白と黒、どっちなのか考えることがある。 最近黒はあまり見ないから、 白の勝ちってことかなぁ? それとも白はコストが低く済むから多いのかなぁ? ●めめ美 わたくしはここ15年ほど 髪をロン毛にしてまいりました。 というのもなんとも強情な髪質で スーパーストレート、ベリーショートに憧れても その長さにすればそのとたん、 いかようにセットしてもそこに居るのは ただの板前、角刈りになってしまいます。 そういうわけで 体中のあちらこちらの毛が スーパーストレートなわたくしはこの季節、 日々の努力も空しく感じることがあるのです。 それはまつげ。 もともとの6カケな美貌を まつげで補うわたくしですが 梅雨の時だけはオラーッ!!! とマスカラで持ち上げても、 いくらビュ−ラ−で挟みまくっても、 もとの直毛に戻ってしまいます。 ああ、悲しい。 ヨヨヨ・・・と泣いても戻ってしまいます。 うらめしや、雨。 ●poco 雨の日は基本的に好きだけど、 なぜか雨にいじわるされてる気が・・・ 数年前、ギックリ腰で1週間会社を休んで、 やっと出勤したその初日、 家を出るときは晴天だったのに、 駅から職場までの徒歩20分の間だけにわか雨! 会社に到着したけど、ずぶ濡れになってしまい、 ついでにもう1日休んでしまった。 “さあ〜今日からまた頑張るゾ!” っていう気持ちだったのに、 泣きながら帰った・・・ 自分が悪いんだけど、結構めげた。 覆面パトカーに愛車がオカマほられたのも 大雨の日だったしなあ・・・ みんな自分が悪いのか? ●果歩 前回、三善英二の話が出ておりましたが、 つい先日、3人で 「雨といって思い出す歌は?」 と話をしていました。 ひとりは「森高千里の“雨”」。 ひとりは「ASUKAの“はじまりはいつも雨”」 そして私は 「雨と言ったらあんた、三善英二でしょ!」 と発言し、 みんなの目を点にさせてしまいました。 ちなみに3人とも30歳です。 |
2001-06-24-SUN
●寿々 ●まころん フロリダに行った時のこと。 季節は夏。 オーランドの湿地帯の高速道路を ビュンビュン飛ばしていたら、 車の前面に ナンバープレートが読めない程の 虫の死骸が大量に・・・ 飛んでる虫と交通事故(?)状態です。 レンタカーだったので 洗うのが大変だなぁと思っていたら、 夕方激しいスコール。 洗車をしたかのように スッキリきれいになりました。 大雨に感謝したのはあのときが最初で最後でした。 ●りんりん 私は日本一の雨女。 子供の頃から運動会、遠足、修学旅行、 花見、ビアガーデン、爺ちゃんの葬式、 兄の結婚式(嫁は泣きました)、 イベントはすべて雨です。 一番ひどかったのは 自動車運転教習所に通っていた頃。 私が運転する日は必ず集中豪雨。 教習中はもちろん試験のときもみごとに雨でした。 おかげで雨の日だけは A級ライセンス並のドライバーです。 ●マイク 中学生のころ雨の日に 母親にごっつ怒られて おばさんの家にお使いに行く時、 「傘」の一言が言えず雨にぬられ歩いていたら、 絶対自転車に乗らない母が やはり雨にぬられながら追いかけてきて、 傘を投げつけUターンして帰っていった。 泣きながらつらくてうれしかった。 ●フランチェスカ こんにちは。 「雨」で思い出すことと言えば、 子どもの頃から大学卒業まで、 「傘」に恵まれなかったことです。 呪われたようにすぐ壊れたり、なくしたり、 盗まれたりのくり返しで、 「私のところにやってくる傘は幸せになれない」 と思っていました。 親もあきれて、 私用の傘を買ってくれなくなったので、 泣く泣く親のお古を持って登校したものです。 一番強烈だったのは、相手の不注意ながら、 大学の時つき合っていた彼氏に、 ボッキリ折られてしまったこと。 「恋人よ、お前もか・・・」 と先行き不安になりました。 (その後、別れがやってきました) 就職して初めてお給料をもらった日、 デパートの傘売場に置いてあるものの中で、 一番高い傘を買いました。 (妙なゴージャス感と落ち着きが、 うら若きOLには いまいち似合っていませんでしたが・・・) それ以後、ぱったりと受難はやみました。 丈夫だし、置き忘れても必ず戻ってくるし。 ただ単に安物という点が、 災いしていただけだったのでしょうか? 以来、傘を買うときは、特別に奮発しています。 ●ほの 友達の家に遊びに行っている時に トイレに行きたくなったのですが そこのトイレは牛小屋の隣にあって、 牛に見つめられながら用を足すスタイルでした。 どうしても出来なかったので、 そのまま帰る事にしましたが 家までは自転車で30分。 かなり限界まできていた時、 ザーッとものすごい雨が降ってきたのです。 とっさに「今だ!」と思った私がしたのは、 自発的おもらしでした。 家に帰るまでには全身ずぶ濡れで、 絶対にカモフラージュ出来る予定でした。 ところが、それはただの通り雨で、 あっという間にやんでしまったんです・・・。 おしり周りだけがびしょびしょの、雨の話でした。 ●hiroka この間の雨で、 半年くらい使ってなかった傘を開いてみたら、 半年くらい捜し求めていた家の鍵を発見。 なんか「答」というものを見た気がした。 ●無頼庵 小2の夏のこと。 突然の雨で傘のない僕が困っていると、 同じクラスの子が 「一緒に帰る?」と傘を差しのべてくれました。 大好きな女の子だったので、 相合い傘がしたかった・・・ なのに、友達にからかわれた僕は、 照れ隠しに彼女を突き飛ばして 雨の中を家まで走りました。 彼女はそれ以来口をきいてくれず、 その年の秋に転校してしまいました。 もう25年も前の話なのに 未だにちょっと切ない、初恋の思い出です。 ●きえ 皆さんは修行僧のごとく 滝に打たれたことがありますでしょうか? 私はあります。 場所は自分の働く職場が入っている 老朽化著しいビル。 (職場は地下階でした) 滝とは、集中豪雨で下水管からあふれだし、 天井から漏れ出した雨水のこと。 頭上から激しく降り注ぐ汚水をあびる私達は 映画『ショーシャンクの空に』の ティム・ロビンスさながらでした。 蒸し暑い夏は 短時間に大量の降水量を記録する夕立が ちょくちょくやってくるものですよね。 強めの雨が20分以上降り続くと 必ず職場は水没しました。 天井からはいく筋もの雨漏りが。 トイレのタイル張りの壁の割れ目からは 秒速10メートル級の鉄砲水が。 雨漏りはくるぶしのあたりまでが平均水位でした。 台風の季節になると、雨が降るたび 「また、滝に打たれるのかな・・・」 「今ごろ職場は湖になっているのだろうか・・・」 と思い、気が休まることがありませんでした。 現在、そのひどいビルからは裁判沙汰の末に 引っ越すことができましたので、 これで、夜、雨音が聞こえても 安心して寝ていることが出来るようになりました。 安全な住空間を持つことの大切さを感じつつ 生きている今日このごろです。 ●いっちゃん ダンナと付き合い始めた頃、阪急梅田の駅構内。 彼が来るのを待ってました。 外は雨がふってました。 4時間くらい待ってました。 (今なら5分で帰るね) 横に来たおっちゃんがその頃流行ってた、 三善エイジの 『雨にぬれながら・・・・』 を歌い出した。 違う意味で泣きそうになった。 |
2001-06-21-THU
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