まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.22>

●やまうっちゃん

3年半も過ごした下宿を去る時、
荷造りしたものをどしどし運ばれ
感傷に浸るひまなどありませんでした。
最後に大家さんにお茶をご馳走になったのですが、
妹を指して一言。
「おばさんですか」
・・・。
人ごとながら、妹をちょっと気の毒に思った。
まだうら若き20歳なのに。


●しろ沢シロ美

引っ越して来るときの挨拶で
お隣さんには親切にしてもらったのに、
何も知らない私と弟は
引っ越してから連日のようにお隣さんの庭めがけて
「紙吹雪ーーー!!」
と称して広告をビリビリにやぶったカスゴミを
まき散らしたりと悪戯の限りをつくした。
あれから10年、
いま何となくお隣さんとの仲が険悪なのは
私たちのせいではないと言い切れない。


●いしたん

55キロのスーツケースに18キロのかばん。
これが全財産でした。
引越しはフランスからベルギーに国境を越えた。
一人で全部荷物をはこべたのは、
「ちっこいアジア人女子で、
 ヨーロッパだったから」
だと思います。
フランスでのアパートは駅のすぐ近くだったので、
駅からカートを拝借。
列車へは駅員さんが荷物を載せてくれる。
パリからベルギーまでの列車へ乗り込むも、
まわりの男性はみな手伝ってくれる。
しかもヨーロッパの駅には階段はない。
エレベーターかエスカレーター、
もしくはフラットな駅なのです。
しかし・・・
ベルギーのミディ駅は階段だった。
いっそのこと、
このスーツケースころがして落としてしまえ、
とおもっていたら、
ジャンギャバンのような紳士がやってきて
「私が荷物お手伝いします」
と言って持っちゃった。
(それ、55キロもあるんだよ・・・
 いいよ、おじさん・・・)
とつぶやく私。
紳士は持ち上げた瞬間息をのんで、
階段を冷静を装いながらもこめかみに青筋がたち、
徐じょに顔が紅潮していた。
「本当に重かったのにありがとうございました」
「いいえ、なんてことありません」
ときびすを返した紳士の手が震えていた ・・・。
ありがたかったよ。


●葉子

風呂無し、トイレ共同の木造アパートから
引っ越してしばらく経った頃。
突然「刑事」と名乗る人から電話があり、
「以前住んでいた部屋に
 空き巣が入りませんでしたか?」
と聞かれました。
空き巣を捕まえたところ、
その犯人は、入った部屋約200軒の場所と
盗んだものを全て覚えていて、
私の部屋で「40円」盗んだと言ったそうです。
それまでは己の経済状況には
あまり触れないようにしてきましたが、
我ながら相当貧乏なんだな、とへこんだ。


●ミミ

去年の4月に東京に引っ越してきましたが、
プロダイダーのアクセスポイントの設定を
変更するのを忘れてしまい、
最初の電話料金請求額が6万円でした。
あわてて手続きをしたけどすでに遅く、
次の月も3万円台でした。
(それまで8千円ぐらいだったのに・・・)


●tanny

小学生の時、引っ越すことになった我が家。
新しい物件は、学校は変わらないけど
通学路が激変してしまう場所にありました。
仲の良い友達との通学が楽しかった私は、
泣き叫んでの大反対。
両親は予想外の反対に弱りつつ、
結局その物件を諦めることにしたそうです。
数日後。
同一の通学路内に、先日の物件と同価格帯で、
部屋が一つ広い物件が出現。
親父は今でも私に感謝しています。
「お前があの時泣いて反対しなけりゃ、
 ここを買い逃していたんだもんなぁ」
別にそんなの狙って反対した訳じゃないのに。


●ぺん太郎@横濱

「引越しは捨てることからはじまる」
とQさんも書かれているように、
引越しをするととにかくゴミが出ます。
幼い頃から父親の転勤で
引っ越すことが多かった僕は、
住んでる期間が長ければ長いほど
ゴミの量は増えていくことを実感しました。
この事実を良く考えると、
毎日ゴミと一緒に暮らし、
ゴミの為に家賃を払っているわけです。
そこで、来るべき引越しの日に備えて、
年末には大掃除をして
1年間使わなかったり見なかったものは
どんどん捨てる事にしました。
今ではそれが習慣になったので
いつでも引越しができるほど身軽です。
しかし、家内はそんな習慣がないし、
買うものも僕より多いので
引越しの度に僕の家でのスペースは減り、
家内の「領土」になっていくのでした。
これは大きな誤算だった・・・


●み〜ん

10年前、広島から神奈川に引越して来た時、
当時小学生だった3人の子供達。
3人ともバリバリの広島弁で、
学校や近所でイジメに
遭うんじゃないかと心配していたのですが・・・。
気がつけば、近所の子供達がみんな語尾に
「○○じゃけん」
とつけていた・・・。
広島育ちのパワーを感じました。


●ぐるみー

家電製品製造会社の転勤族の娘として育ち、
同じ市内で社宅調整の関係で引っ越しした際に
アパートの入り口に
新しい冷蔵庫と洗濯機がででーんとあった時、
「うわーうちってお金持ちだったんだー」
と思った小学生のあたし。
あれが
「うちはお金持ち」
と思った最後の時でした。
美しい誤解でした。


●こりんご

一人暮らししていた二人が
結婚を機に同居することになり
荷物をそれぞれ運びいれたら
文字通り「立錐の余地もない」状態になり、
どの荷物を実家に送り返すかで、
結婚後最初の大喧嘩を荷物の間で立ったままで
えんえんと続けた、あの夜。
私の「マンガ」が彼の「本」に負けたのは
今でも納得できない・・・。


●kaoru

今の家に引越しするまえは、
山手線大塚駅の線路から5メートルくらいしか
離れていない場所にすんでました。
毎朝毎晩
「キューごぉおおオー」
という電車の音が鳴り響く
とんでもない部屋でした。
あの頃はちょっと不謹慎な話ですけど、
事故とかで山手線が止まるのが
しばしの静寂でうれしかったです。
引っ越した後しばらくしても、
「山手線不通」とかの臨時ニュースをみると
つい「やったー」と思っていました。


●そで

引越し屋さんに、最後の見積もりをしてもらいに
自宅へ来てもらった時のこと。
見積もり人のおじさんは
部屋の物を一つ一つカウントしていき、
最後に計算をし始めたときに、
「安くおねがいしますねー、とにかく安く!」
と私は連呼しましたが、
16万ちょっとの見積もりになった。
引越し作業以外の例えば詰め込む箱代も
オプションみたいにして
ドンドンお金が足されていきました。
おじさん「ダンボールは?」
私「ただですか?」
おじさん「2500円です」
私「だったらいらないです。
  がんばってMツキヨで取ってきます」
という感じで、
最後の最後の集計の時に
「安くしてよぉぉー。
 年末にこんな引越しするとは
 思っていなかたんだぁああ(叫) 」
と言いつづけた甲斐あって、
何とか値下げて15万6千円とか
その辺になりました。
それでも諦めない私。
「一期一会っていうじゃない!」
「15(万)でいこう!!」
「15万ぽっきりでー!?」
大笑いされたが15万円になった。
すべての商談(!?)は終り、
おじさんは帰っていった。
数分後、ピンぽ〜ん♪とチャイムが鳴り、
これあげるよと、
おじさんは笑顔で
ダンボールを10箱置いていった。
えぇ?
意外な事だったのでびっくりしましたが
有難く頂戴した。
やさしさにほろりときたのですが
未だに2500円ひいてくれればよかったのに
と思う私でした。

2001-08-01-TUE

●新妻こしひかり

若き野望を抱いて上京してきた
2000年4月の昼下がり。
私は60年代をほうふつとさせる
風呂無し木造アパートの前に立っていた。
あんまりのうらぶれ方に
めまいがしそうだったが、
「ここが野望達成の新しいアジトなのだ!」
と自分を奮い立たせて2階の奥の部屋へ向かった。
いざ鍵でドアを開けようとしたら、
鍵が壊されている。
ああ、どうやらピッキングにあったらしい。
引越し初日は警官が現場検証をすることになり、
大騒ぎ。
田舎者の私は将来へのぼんやりとした不安に
ただただ立ちすくんでいたのです。


●わたまり

実家が新しく家を建てたときのこと。
親戚総出で荷物を運び入れようとしたとき、
初めて来た伯母が
「あら〜いいウチねぇ」
ときょろきょろよそ見・・・。
誰もが危ない!と思った瞬間、
伯母の抱えていたテーブルの角が
まっさらな壁紙をガリガリガリッ!
その日からその場所は
「カズコ海溝」と呼ばれている。


●スネミ

引越しの朝、
「父」という印のついた大きなダンボールを
階段から落っことしたドジな私。
そこには父親秘蔵の凄そうなエッチビデオが
いっぱい飛び出ていました。
そばにいた母親と拾い集めた時の重苦しい沈黙は
今思い出しても
頭をかきむしりたくなってしまいます。


●のこ

関西から関東に引っ越した時
「かたす」という言葉を知りませんでした。
転校初日の私は一番うしろに
机を増やしてもらって座ったが、
先生の「机かたして」の一言の元に
全員一斉に立ち上がり椅子を机の上に上げて、
机ごとガーッと後ろに攻めてきた時の衝撃が
忘れられません。
イントネーションや語尾が違うだけだと
思っていたのに…
通じない言葉が多かった。


●きくちゃん

引っ越しをくり返す我が家はとても殺風景だ。


●めぇたん

埼玉から岩手へ引っ越したのが真冬の1月末。
水道管の凍結防止のため
「水抜き」と言うのを
やらないといけないと聞いて、
カルチャーショック。
気温、零下7度辺りが境界線らしい。
でも、万が一の事を考えると
アパートだから大変だと思って、
気温が零下になっている間は、
ずーーっと水道の水抜きをしてました。
(4月過ぎても雪降るところだし)
トイレなどは、バケツを用意して
風呂の水で流したりして。
朝、水道の栓を開ける時も、すごく怖かった。
間違えて、水道管のモト?を
閉め忘れて栓を開けると
タンクの水がぜーんぶ抜けて、
それだけで水道代ン万円だと聞かされていたから。
暖かくなるまでは、
水道代が気になってビクビクしながら
生活してましたー(涙)


●よしき

海辺の町にお引越し。
かなり古いけど、広いし、安いし、海も見えるっ!
屋上は花火大会の特等席っ!
が、しかし、やっとなじんだ頃、大家が倒産。
新たな引越し先が見つからず、
1週間電気なしの生活・・・
事情が事情だけに、
敷金を返してもらうのがやっと。
ボーナス1回分が消えていきました。


●ばあばら

カトリック系の高校の寮に入るときに、
西側か東側の部屋を選べ、というので見に行った。
西側は、丁度勉強をする時間に西日がきつく、
カーテンも薄いので目がくらむほどだった。
東側は、目の前に
尼さんのお墓+学校の焼却炉しかなかった。
勉強しなければ、という強迫観念から、
東側にしてしまった。
焼却炉でソファーを焼く尼さんを見たときには
激しく後悔した・・・


●にんぐる

小学2年生の時、転校先で
いじめられっこになりかけていた私に届いた手紙。
「元気ですか?
 ぼくは心配しているよ。
 おともだちができたら、盛岡につれてきてね。
 まってるよ。」
泣きました。
友達つくって盛岡に帰ろうと思いました。
幼くして、立身出世を夢見た夏でした。

2001-07-29-SUN

●tanny

会社の転勤で大阪に引っ越しました。
関西圏に住むのは初めてだったので、
色々勉強して関西でもあちこち遊びに行ったり、
美味しいものを食べたり出来たらいいよな、
と思って、コンビニで
お弁当と共に「関西ウォーカー」を購入。
すぐさま家に戻りました。
店頭で内容の確認をしなかった私が
悪かったのでしょう。
その号の特集は、
「東京ディズニーランドで思いっきり遊ぶ!
 30ページ大特集!」
いらんわっ!


●わにこ

引っ越しのときちょうど妊娠中だったので、
黒×コのらくらくパックを頼んでいました。
ところが、その引っ越し1週間前に
救急車で運ばれて入院せねばならぬ羽目に陥り、
引っ越し前の最後の始末ができなかったのですが、
歯列矯正のために抜いた左右の犬歯を
本棚に置きっぱなしにしてあったのが一番心配で、
その後退院し、新しいおうちに初めて行って、
その犬歯を探してみたら、
なんと、そっくりそのまま本棚のその場所に
その犬歯が並んでました。
恐るべし、黒ネ×ヤ×ト。


●ara-yoshi

身の回りの人で引っ越ししたのは
今のところ兄貴一人だけです。
その兄貴が家を出て行くとき
「お前にこれをやるよ」
と大事にしていた
ビンテージジーンズをくれました。
なんか“お別れ”ムード一杯で、
僕もいつになくしんみりしてしまいました。
が・・・、
その台詞と共に物は僕のもとに一気に集中!
いらない物まであふれ、もう一杯です。
どうやら後片付けが面倒で
僕に押し付けていたことが判明。
結局、兄貴は笑顔で出て行き、
僕はその後処理で
ゴミの分別を三日間続けていました・・・。
むやみに人の好意を
信じてはいけないと知りました。


●オパール

小学校5年生のときに、
風光明媚な伊豆へ引っ越した。
新しいクラスに、
なぜかやたらとつっかかってくる男の子がいた。
最初の体育の授業。
50m走でビリの私に向かって
「東京じゃそういう走り方をするんだ、へえ〜」
食が細く、給食を食べきれないでいた私に
「食えよな。東京の方がうまいのかョ」。
この、つりズボンのバカがきは無視して、
朝一番登校に闘志を燃やしていた私。
いつものように教室に入ったら、そいつがいた。
交通事故に遭ったカメを拾ってきて、
割れた甲羅を雑巾で包んで治療していた。
「・・・そんなことするひと、
 東京じゃ見なかったぞ」
転校して、はじめて、
興味が沸いた出来事だった。
(ちなみにこの方、みごとに獣医になりました)


●ちび

私ではないのですが、
相方の引っ越しにまつわるお話です。
20才の時、
とにかく急に引っ越さなきゃならなくなったので、
てんやわんやで荷物をまとめてました。
そのうち段ボールが足りなくなったので、
子供の頃からのアルバムや卒業アルバムなんかを
まとめて黒いゴミ袋に入れてたそうです。
そしたら、相方のおばーちゃんが
間違ってそれを捨ててしまったそうなんです!
以前、「小さい頃の写真とかないの?」
と聞いた時、ホントーに泣きそうな顔して
捨てられたことを話してくれました。
誰も責められないから、余計痛い話っす。


●タカタカ号

引越しの数日前に大掃除をしてたら
なんとゴキブリが登場!
虫嫌いの私は向かってくるゴキに
「あっちに行けー!」
と足踏みをどんどん鳴らしていたら、
ブチッという音と共に
ふくらはぎに激痛が走りました。
なんと肉離れになってしまったのです。
家族には
「なんでこんな引越し前に・・・」
と冷ややかな視線を向けられ、
病院では大笑いされてしまいました。


●にんぐる(その一)

自衛官だった父の若かりし頃。
まだ私が生まれる前の事です。
父は、富良野駅のプラットホームで
ブラスバンドの楽隊に送られ、
「隊長、ばんざーい!!」
と歓喜の声を浴びながら転勤したそうです。
新婚だった母は、たかが転勤なのだけど、
なんだかとっても誇らしかったと言っていました。
ただ、その時、
何故にブラスバンドまで出たのかは、
未だに謎だそうです。

2001-07-25-WED

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