まるでハガキのように。 |
●宗 ●KEN 独身の男性担任。 ある日、 「どういう女の人を選ぶのがいいんですか?」 と、ませガキみんなで聞いた。 「女は体で選ぶんや。」 と言っていた。 中学2年の事だった。 ●Cane 高校時代現代国語のH先生。 年配でよぼよぼだったけど、 授業中寝ている生徒を見つけると、 顔を真っ赤にして、近くの生徒を名指しして 「血が出るまで殴れっ!!」 と叫んでました。 実行する同級生はいませんでしたが。 ●なみ。 短大の時の英語の先生は、 大のオードリーファン。 初めての授業の時に 「まずはこれを見て欲しい」と 『ローマの休日』を鑑賞。 もちろん時間内に上映が終わるわけなく、 授業時間を超えてもまだ鑑賞。 映画が終わり、部屋の明かりをつけると、 先生はオイオイ泣いて、映画の魅力を語り倒し、 授業が終わった時には外は真っ暗。 学校には私達と警備員しか残っていなかった。 その後の授業(週2回2年間)も、 毎回外が暗くなるまで行なわれていました。 そのためか、オードリー関係の話は 今でもお腹いっぱいで耳にも目にも入りません。 ●たかさん 高校時代の物理の先生。 いつも用務員室にいてお茶を飲んだり パンクした自転車をなおしてくれたり。 「彼は先生である」 と気づいたのは、 高校入学後、一年もすぎてからでした。 ●ナチ バレーボールの顧問の思い出深い言葉・・・。 試合でミスして落ち込んだ時。 「時すでに遅し!!」 スタメンから外れて落ち込んだ時。 「時すでに遅し!!」 全ては先を読んで努力するべきなのですね。 ●Marcy 高校の時の数学のN先生。 月曜日の授業は必ず 「今日はやる気の月曜日」 と言ってからはじめていた。 あれは自分に言い聞かせていたんだと思う。 ●JO 高校の物理の名物先生の逸話。 1.まず口癖が、 「ニューヨーク(何で?)で 〇〇高校の〇〇(先生の名前)と言って 知らないヤツがいたら、そいつはもぐりだ!」 (いったい、何のもぐりだ?) 2.万有引力の法則の授業の時。 青いポリバケツに水をたっぷり入れ、 それを下から上へまた下へと ぐるぐるまわしても、 水がこぼれない事を証明するのに 先生手作りの台に乗り、 気持ちよさそうに バケツをふりまわし調子にのって 両手でバケツをまわしはじめ、 タイミングをはずして 毎年(学校では代々有名な話)、 びしょびしょになる。 3.私服の学校なので決まりとして バッチを着用する事になっているが たまに着用していない生徒を見つけると ローラースケートで必死に追いかける。 (なぜいつも彼はローラースケートを 履いていたのか?) |
2002-01-15-TUE
●may ●etsu 僕たちの高校の体育の先生は、 僕の名前をずーっと間違えて呼んでいた。 最初のうちは訂正していたが、 めんどくさくなってそのままにしておいたら、 最後まで間違えたままだった。 どうやって通知表をつけたんだろうか? ●Mr.Y 中学校の林間学校で。 林間学校は山でのキャンプでした。 その林間学校はお菓子の持ち込み禁止でしたが、 みんな隠し持っていました。 夜、先生の見回りを警戒して、 テントから顔を出して様子をうかがうと、 どうやら一つのテントの中に 先生が入っているのがわかります。 テントの中の明かりで 人物のシルエットが見えました。 なんと、そのシルエットは、 生徒一人に馬乗りになって殴りつける教師です! 「おいおいマジかよ・・・」 見てはいけないものを見てしまった気分で いっぱいだったその時、 教師Tの声が夜の闇に響きました。 「俺の林間学校を返せ〜〜っ!!!」 お前のものかよっ! ●vivi 中学3年の時の担任。 進路を決める大事な三者面談の時のこと その先生が机を挟んで僕と母の前に座り 最初に発した言葉 「お前はお母さんに栄養とられてるんだな。」 たしかに母は、 痩せている僕の2倍ぐらい幅がありました。 でも、三者面談でそんなこと言わなくても。 ●すだこ 高校の時の担任は 毎朝10キロジョキングしてから学校に来てた。 そして授業中必ず居眠りしていた。 ●mun 高校時代の倫社の先生、岡ポン。 彼の試験はいつも多者択一式だった。 回答欄を正解で全部埋めると、そこには、 『かあぷがかつたようれしいな』 とか 『このなつひろしまぜつこうちよう』 などの“カープ万歳”な文章が 出来上がるようになっていたので、 2・3問わからなくっても、 文章から考えれば結果正解になるという ブラボーなものだった。 ある時の試験で、 どうも回答欄が文章にならず、 今回はいつものパターンじゃないのかしら? と思ったが、 『うよしんえうおをましろひもしとこでなんみ』 逆から読めば・・・。 それに気づいた私は、めでたく満点をとれました。 ●ちゃらりん。 高校の古典の先生はお寺の住職でもあった。 ある日授業で当てられた私は、 答えられずに立ったままでいた。 すると、 「わからんのやったら、 ここ(3階)からベルトでつるすぞ!」 ・・・住職ちゃうん!? ●まんた 小2の時の担任の女性教師は音楽が専門で いつもレースのブラウスをはためかせて、 学校を闊歩しているおばさんだった。 物をはっきりという方だったので なんとなーく先生方から避けられていて 子供からも怖がられていた。 私もそんな1人だった。 小3の水泳大会の日、泳ぎの苦手な私は、 わざわざ仕事を休んで見に来てくれた母を見つけて ますます緊張していた。 当然、泳ぎだしても私はみんなに遙かに遅れ、 溺れそうになりながらゴールを目指していた。 みんなはとっくにゴールに着いている。 たくさんの人の目が私に集中している。 母が恥ずかしそうにしている。 もう嫌だ、苦しい、 もう足をついてしまおうか・・・・。 その時、誰かがゴールに駆け寄って来た。 ブラウスが見えた。 あの先生だった。 「あと少しよ! ほら、がんばれ! がんばれ!」 と今にもプールに落ちそうになりながら 手を打って私を励ましてくれた。 やっとたどり着いた私を 先生はプールから引き上げて 「よくやった! よくやったね!」 と笑顔いっぱいで抱きしめてくれた。 先生の自慢のレースのブラウスは すっかり濡れてしまったし、 目立ってしまい恥ずかしかった。 でもがんばってよかった、と心から思えた。 その日の夜、母が 「一瞬でも、恥ずかしいと思った 親である自分が情けなかった」 といった言葉と共に私の大事な思い出です。 |
2002-01-13-SUN
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