まるでハガキのように。 |
●akubi 私の自由研究はかなり力が入っていた。 というか、正確に言うと、 母親が、異様に力が入っていた。 中学2年の時は、鹿のはく製を作った。 それが、かなり本物に近い形で出来たので 学校に持って行く時が注目の的ではずかしかった。 しかも、作品の大きさもかなり大きいから、 学校に登校する生徒だけじゃなくって、 通勤途中の人の目とか・・・・。 だから、夏休み明けの登校初日の朝、 門をくぐるのはいつもNo.1でした。 ●てるりん 中学の夏休みの自由研究に、 「金属の腐食」と題して、 1円5円10円硬貨を金属のサンプルとして はりつけました。 立派にできた緑青に満足。 優秀賞も貰い、 いよいよ父兄参観日間近になった時、 なんとあの緑青つき硬貨がない・・・・。 誰かが小遣い代わりにはがした? あわてて実験しなおして緑青を作ったが、 いまいち。 夏の努力の結晶、緑青をかえせー! ●きゃめ 中学生の頃、なぜか自由研究を熱心にやった 記憶があります。 1年の時は、どうやって切り込みを入れると 烏賊(イカ)が丸まらずに焼けるか・・・・・ 実際にカセットコンロと冷凍イカを 予め仕込んでおいて、 理科の時間に振る舞いました。 2年の時には、何を墨汁に混ぜたら プラスチックに文字が書けるか・・・・・ ニスを混ぜた墨汁で、書道が得意な友達に 発表の時理科室のガラスに書道実演。 3年の時には、ずばり「ダイエット」。 結局やせなくて「成長期のダイエットは危険」 という結論で提出。 研究というか、エンタテインメントでした。 ●God V えんぴつの神通力を研究しました。 わたしの学校の宿題問題集は 全教科4択問題だったので、 三菱ユニとトンボのえんぴつを用意して、 面を削って数字をふり、 転がして回答を占って見ました。 5・6が出たらやりなおしで、 たしかトンボの方が 理系教科につよかったような・・・。 先生はほめてくれなっかたけど、 後の試験のときの心のよりどころはできました。 ●ヘテラン主婦 子供達を田舎で育てたいという夫の考えで 半農村に土地をもとめ、 一年間かかりログハウスを作り移りすみました。 田舎と言っても1時間半程で都心にでます。 夫の夢でもあった動物を庭で飼い、 犬はもちろんガチョウ・七面鳥・アヒル・うさぎ等など。 小学校の一年生で「朝顔の観察日記」宿題があり、 早起きして毎日観察していたのですが、 ある朝、朝顔が姿を全く消していたのです。 理由は庭で放し飼いにしていたウサギが 食べてしまったのです。 息子の観察日記には ウサギが朝顔を食べている絵を描き、 以降は空白のまま提出。 そんな息子は獣医学部の2年生となりました。 ●はるみ 兄が「光合成」の自由研究をするので暗室が必要だと、 わたしの洋服ダンスの明け渡しを命じた父。 私はその夏、ダンボール箱から毎日服を出して着た。 ●りかりか 中学1年の夏休み、「技術家庭」って教科だったかな? 工作の宿題が出された。 夏休み終了間際になって困っていたら、 なぜか、父が電話台を作ってくれた。 電話帳も置けて、受話器を置くフックもある 立派な電話台だった。 ところが、提出してみると 工作の宿題は男子のみで、 女子は家庭科の宿題だったらしい・・・。 家に帰って、 「どうだ!クラスで1番の出来だっただろう?」 と目を輝かせて言う父に、本当のことが言えないまま 2学期が終わってから持って帰ったっけ・・・。 結局、提出できないまま、 2学期中ずっと教室のすみに放置されてました。 でも今も実家で使われてるから、良しとしてます。。 ●しおちゃん 夏休みの自由研究といえば、友達のやった 「コーラで骨は溶けるか?」です。 水とコーラが同じ量だけ入った容器に 魚の骨を入れて 経過を写真付きで説明するというもので やっぱりコーラの方が異様に溶けていて恐かった。 もう20年以上経つのに忘れられません。 ●ADU 小学校3年の時、夏の自由課題発表で クラスの男の子の一人が発表したものが 妙に印象に残っている。 それは「美味しい店の割り箸」。 その子はただただ、 雑誌などで紹介されている食べ物屋さんを訪れ、 食したあとに、割り箸をいただいて帰ったようで、 子供ながらに、そういう研究を思いつく、 彼の着眼点に関心しました。 |
2002-09-01-SUN
●いもちゃん 私が小学校2年から5年までの4年間提出しつづけた 自由研究の課題は、 「20日間大根を育てて・・・」。 20日あればラディッシュが育つということで、 夏休みの最初の日に種をまき、 お盆には研究を終わらせるという計画でしたが、 ただの一度も実がならず、 貝割れ大根として我が家に食されること、4年連続。 結論・・・・ 「今年も実がならなかった」。 こんな自由研究に4年間もつきあってくれた担任に感謝。 ●りえちん 中学生の時、お習字の宿題が出てました。 私は、中1から中3まで、ずっと、 「初志貫徹」と書いて賞を貰いました。 3つ下の弟は、私の習字を下に敷いて写し、 やっぱり、「初志貫徹」。 今思うと、 私達姉弟の「初志」ってなんだったんだろう・・・。 ●ほの 夏休みの最後の日、庭に棒を立てて、 影の長さを1時間ごとに測るという 「やっつけ」の自由研究をして提出したら、 先生がすごく気に入って、 県の自由研究展に発表することになってしまいました。 放課後、泣きながら無理矢理リッパな棒グラフに 作り直させられたことは、 夏になるたび思い出します・・・。 ●メリー 小学6年生の時、地球の成り立ちに興味があった私は、 自由研究を「自分で地層を掘る」という 壮大なものに決め、 とりあえず近所に地層を捜しに行きました。 まず、一番簡単そうな畑を掘りはじめました。 1時間ほど無我夢中で掘った結果、 ちょっと深い落とし穴が出来上がりました。 もちろん地層は出ません。 「何で地層でないのかな〜」と本気で悩み、 お母さんを呼びに行ったところ、 当然、しこたま怒られました。 なんで頑張ってるのに怒られるのかわけが分からず、 泣きながら今までの事情を話すと、 「考えてわかんなかったの?」と 悲しそうに言われたのが一番辛かったです。 ●kittu 今から20年前、高校3年の時、 自分の町の人口動向の研究課題が出された時、 たまたま新聞に 離婚率が北海道で一番高いと報道されていたので、 3人でチームを組み、 どのホテルや結婚式場、またどこの神社、教会で 式を挙げると離婚が高いかの、 聞き取り調査をすることにし、 神社の宮司さんに面談したら、怒鳴られ、 翌日学校に抗議され、担任の先生と3人で 校長室で起立してお詫びさせられた。 ●くま 中2の夏休み明け、 自由研究の宿題のことをすっかり忘れていて、 思い出したのは提出10分前。 生活指導の気難しい先生の出題で、 よもや忘れたとは言えない。 書くしかない・・・。 タイトルは「ゴキブリの生態」。 家のあちこちにゴキブリホイホイを仕掛け、 どこで何匹捕まったか適当な数字をでっちあげ、 ゴキブリがどんな場所を好むかなどを書き殴り、 提出。 「素晴らしい!」 とお褒めのコトバを頂戴しました。 世の中チョロいと思いました。 ●ペプシバラ 毎年なにかスゴイものがやれるような気がしていた 自由研究。 盛り上がると必ずカマボコ板に釘を打って、 なにかを作ろうとする傾向の強かった私は、 カマボコ板が溜まるまで待つ ↓ 待ちきれなくて3枚くらいで作り始める ↓ なにを作っているかよくわからなくなる、 で、夏を終了してしまっていた。 本立て作ってくれてありがとう、お父さん。 |
2002-08-25-SUN
●ひろ 子どものころ、 「おしっこは飲んだものがそのまま出るんだ。」 とばかり思っていました。 それを実証すべく、小学校3年生か4年生の自由研究は、 「ひと夏、おしっこの色を変える」。 日によってトマトジュースだけを飲んだり、 コーヒー牛乳だけを飲んだりしました。 それで朝のおしっこの色が濃くなったり 薄くなったりすることに一喜一憂したものです。 フィルムケース40本分のおしっこを 平然と受け取ってくれた先生と、 計画当初から何も言わなかった両親は 偉い大人だったと思います。 ●Cane 小学校5年くらいの時、近所の池田くんを誘って 「ヤクルトで作った船に人間は乗れるのか。」 という実験がしたくて、 夏休み中かかって、 二人で大量のヤクルトの空き瓶を集め、 ボンドでつなげて 長さ2メートルくらいの結構立派な船を作りました。 が、学校に持っていったら悪ガキの級友達に あっという間にプールに持っていかれ、 実験されてしまいました。 一瞬、級友は船に乗れましたが、 すぐにバラバラになってしまい・・・ その時の池田君の悲しそうな顔が忘れられません。 ●たなか 僕の通った中学校はヤンキー君がたくさんいた学校。 そんな僕らに与えられた中2の時の、理科の課題。 「カップラーメンの空き容器を使った理科工作」 新学期最初の理科の授業で 各自が自分の作品を発表したのですが、 僕のクラスのヤンキー君は、上半身裸になり、 教壇の前に立って、2つの空き容器を胸に当てて、 「ブラジャー」とのたまっていた。 理科の先生(生活指導主任)、お疲れ様でした。 ●エル 夏休みの宿題は教室に展示されますよね。 みんなの注目を浴びていたのが 武部君の習字の作品「借金」です。 なぜ借金・・・。 いつも「レッツゴー・ヤング」と書いてある Tシャツを着ていた武部君。 彼のそんなセンスがちょっと好きでした。 ●フラニー 私の友達の妹さんは、 夏休みの課題のお習字をお母さんに書いてもらったところ、 上手すぎて入選してしまい、 どこやらへ出かけて行って その場で書かなければならないことになりました。 「大変なことになった!!!!」と 家へ駆け込んできた妹の蒼白な顔を、今も忘れない、 と友達は言っています。 ●まりもん ある夏休みの課題は「ギネスに挑戦」。 私はなぜか「毎日一枚雑巾を縫う」に挑戦しました。 おばあちゃんの家に泊まった時も縫いました。 夏休み明け、なぜかクラス代表に選ばれ、 リフティングを華麗に披露する同級生の隣りで、 長い紐に吊された雑巾の前に立っていました。 その後はクラスの備品として、 役だった様に記憶しています。 ●ひつじ 1年間海外勤務をしていた父のもとに 夏休みを利用して会いに行った年があります。 その年の自由研究は、ほとんど母の手による 「ドイツ旅行記」。 中身を見ると、妙に父の写真が多い。 当時は「私の研究なのに、勝手に作っちゃって!」 って怒ってたけど、いまになって見返してみると、 「あー、お母さん、やっぱりちょっと寂しかったんだなあ。」 なんて思ってます。 |
2002-08-22-THU
●小一男児の母 自由研究ではないのですが。 息子よ、 小さい「ゃ」「ゅ」「ょ」を使った言葉を書く 宿題に、 「しょうゆ」「ちゃあしゅう」はともかく、 「しゃっきん」はやめてくれ。 直させる気力が沸きません・・・。 ●みみ 小学3年生の頃、 「夏休みにどんな野菜を食べたか」を調べて、 グラフを作りました。 だからどうなんだ、 という感じの研究だったにもかかわらず 休み明けに、クラス中から質問責めにあいました。 「スイカは食べなかったのか。」 わたしはスイカは果物だと思っていたので、 グラフに入れませんでした。 クラスのみんなは、 スイカは畑でとれるので野菜だというのです。 ショックでした。 それ以来、スイカが果物なのか、野菜なのか いまだにわかりません。 ●いくま 夏休み終了間際になって大慌てで 「モーターで自走する車」を作りました。 ところが木のフレームが重すぎたのか、 スイッチを入れても、 うんともすんともいいません。 残り時間もないのでやむを得ずそのまま提出。 次の年の夏休み、工作の注意書きには 「ちゃんと動くものを作ってくること。」 という一文が加えられていた。 ●ナツヲ 夏休みの宿題として、 ねんどをてきとうに丸めて、 つまようじをたくさんおしりの方からさして、 「うに。」 と言って提出しました。 自分ではかなりの力作だと思っていたのですが、 親も担任も苦笑をもらしただけでした。 その後、しばらく教室に、 うには展示されていましたが、 いつの間にかなくなっていました。 どこに行ってしまったのか、今でも謎です。 ●miho 中2の時、非常に馬鹿らしい自由研究を 大真面目にした。 「どうすれば、きれいな部屋に保てるか」。 結論:こまめに掃除する、 あるべきところに整理する。 何だったんだろう・・・あれは、 と今でも思い出すと 脳が停止してしまう瞬間です。 ●もずこ 中学の時の自由研究が学校代表になり、 他校の代表達と研究を発表しあう場に行きました。 その中に 「蚊はどの血液型が一番好きか」 (各血液型の人間が、薮の中に入り、 誰が何ヶ所刺されたかを記録) という体を張った実験をした生徒がいました。 先生の批評は、 「蚊に刺されると病気になることもあるから、 このような事は二度としないように。」 というものでした。 刺され損。 ●しおちゃん 私本人はよく覚えていないのですが、 絵の具を片っ端から舐めて その味の違いを表にしていたらしいです。 「白はねー甘いんだよー!」 と、とても得意気だったらしい。 ●天然ボケの母 むすめのお習字の宿題。 課題を忘れたらしく、 神妙な面持ちで先生宅に電話をかけて 聞いていた。 その日の午後、子供部屋は半紙に 「○」を書いたものがたくさん。 「何書いたの?」とたずねると彼女は 「わ(輪)を書くんだって」。 「あのさあ・・・」 と言いかけましたが、あきらめました。 |
2002-08-18-SUN
●缶 小学3年生の当時、隣の組の加奈子ちゃんは 「一番蚊に刺されやすい場所はどこか」 というテーマを考案。 自宅の庭や、公園、竹薮などと場所を変え、 毎日、夕方に20分間、 Tシャツ・短パン姿で、ただただ立ち尽くす という実験を行っていました。 結局、どこが一番ということよりも、 「たくさん蚊に刺されると痒い。」 ということだけが、 強く彼女の心に残ったようでした。 ●ばっぽ、うぃー 自由研究ではないのですが、 息子の夏休み宿題を見たら、 漢字の書き取りで 「しょくぎょう(職業)」と書くところに 「食魚」と書き込んであった。 あと「けんさ(検査)」の「けん」が 「犬」と書いてあった。 (「さ」はわからなかったらしい。) 息子よ・・・・・ ●まりこっち 幼稚園の頃の記憶なんて曖昧ですが、 一つだけ忘れられないのが、 夏休みの作品で父が腕によりをかけて作った 熊の紙粘土細工。 北海道のお土産の木彫りの熊を手本に、 よりリアルさを増した作品になってました。 幼稚園児には絶対作れそうもない代物に、 幼稚園児ながらも、 「やりすぎだよ、お父さん。」 と思いました。 ●俊 わが息子とおばあちゃんの会話。 祖母「大ちゃん、今年の自由研究は何にするの?」 大 「陰陽師について調べるんだ!」 祖母「ん〜どこのお寺?」 大 「???」 大 「安倍晴明だよ」 祖母「阿部さん家の清明(セイメイ)君か・・・」 大 「???」 とってもかみ合わない会話でした。 ●きょん アイディアに乏しかったため、 私が取り上げた研究は、 「家族の日常レポート」。 うちの家族が、普段、何を食べ、何をして、 どんなふうに生活しているか。 今思えば、うちの家族をただの恥さらしにしていた。 あの頃は若かった。純粋だった。 ●よしの 小学校のとき同じクラスだったHくんは、 同い年からみてもかなりどうでもいいことに 情熱を傾ける人だったのですが、 自由研究に『カメの観察』を選んで 「3日目に逃げた。」 と大真面目にレポートしてました。 手抜きでないというのが恐ろしい。 ●ふぐこ 小学校のとき 「うちから出るごみの量」と題して 毎日生ごみとかの重さを調べました。 今、仕事で産業廃棄物に関する調査をしています。 なんか、20年を経て、同じことをしている。 |
2002-08-15-THU
●ken 夏休みが終わり、最初の授業で 自由研究の内容を クラスで一人ずつ発表することになりました。 そのときにクラスメートが とんでもないものを発表しました。 「青汁の研究」。 研究内容は、 「いろいろな野菜を ミキサーでジュースにしたものを 人に飲ませて、その反応を見る」 というもの。 結果は・・・・・ 「家の近くを毎日うろついている野良犬に たまねぎとほうれん草のジュースを飲ませたら キャインキャインと逃げていき、 しばらく家のそばに寄らなくなった。」 「姉に同じモノを飲ませたら殴られた。」 と、きわめて妥当な研究結果だった。 ●amico 小学一年生の夏、「かたつむりの研究」をした。 最初は楽しく観察日記を付けていたが えさをふんだんに与えすぎたか、 しまいには、一日でキュウリ一本とかスイカ半分とか ガツガツ食すようになり、 日に日に巨大化し、 怖くなって公園に放す事に・・・。 今頃どのぐらいの大きさになっているのだろうか・・・。 ちなみに最後の測定では直径5センチ。 ●トランジスタ 小学生の頃、 私の妹が自由研究の課題に選んだのは、 「目玉焼きのおいしい焼き方」。 とにかく片端から目玉焼きを作っていき、 「水を入れてふたをする」 「ふたをしないでただ焼く」 「裏返して焼く」 などしょうもない変化をつけて、 合計30個以上は焼いたでしょうか。 机の上には見たこともないぐらい 大量の目玉焼きが・・・。 それを家族全員で試食し、 「これはうまい」 「いや、この焼き方はまずいだろう」 とかなり真剣に議論し、 妹はそれをまるで重要な研究であるかのように 模造紙いっぱいに書き上げました。 夏休みがあけて私が見たものは、 全校生徒の前で、 目玉焼きのおいしい焼き方について力説する 妹の雄姿でした・・・・。 ●Coo 田舎ながらミッション系の小学校に通っていた。 地元建設会社の社長を父に持つ 柳田君の自由研究は、 小1〜小4まで常に桐箱に入った昆虫採集。 「ど、どこで採ったの?」 という珍しい蝶やトンボが盛りだくさん。 クラスではデパートで買ってるとの噂だった。 しかし、小5の時、提出が押し花に変わり、 その秋、彼は転校して行った。 彼にどのような環境の変化があったか、 今では知るよしもない。 ●H.KOBA 私が小学校3年生の頃、 クラスの女の子で変わった子がいました。 彼女は夏休みの自由研究として 昆虫採集ではなく、 「人のまつげ採集」 なるものを提出していました。 その子の家族や親戚及び近所の人々の名前と その人のまつげがセロテープで貼ってあり、 1冊のノートになっていました。 担任の先生も呆れ顔で叱るでもなく 突っ込むでもなく あまり関わりたくないような風でした。 その子は、その後クラス全員のまつげを貰って回り せっせとセロテープで ノートに貼り付けていました。 当然私のまつげも貼られたのでありました。 その子は、そのまつげを集めただけで それを分析して 研究報告するようなことはありませんでした。 ただの趣味だったのだろうか。 ●hirokochi NZでも自由研究というのがあって、 先日、いまいる中学校で発表会が開催されました。 生徒が選ぶテーマもさまざまです。 「錆の研究」「運動の負荷と心拍数」「紙を作る」 などなど・・・。 むむっ、なんだか難しいテーマが多いな。 仲のいいSparcs先生に 「すごいですね〜」と言ったら、 先生ひとこといわく、 「Some clever parents!」 と。 いずこも同じ親の愛。 ●おりと 小学5年生の夏休みのこと。 自由研究のテーマで、 「お盆」等のお寺関係の行事について調べようと お寺さんに行きました。 そしたら、和尚さんが お彼岸について質問してきました。 「春分の日と秋分の日はどんな日ですか?」 私が 「えっと・・・ ご、午前と午後の長さが一緒の日です。」 と言うと、すかさず 「それは、毎日です。」 と言われました・・・。 |
2002-08-12-MON
●さちんこ 夏休みも終わりに近い頃、 やっと自由研究をしようと思い、 さっさとできて、 しかも大変素晴らしい研究を思い付いたのです。 それは「消化過程について」。 つまりモノは食べられた後、 どうやって消化されていくのか・・・ やり方も素晴らしい事を考え付きました。 みかんにヒモを結び、 3個一気に噛まずに飲み込ませる・・・弟に。 5分後、引っ張ると、 きれいなままのミカンが出て来ました。 が、30分後、2個目を引っ張ると 嘔吐物と一緒に飛び出してきました。 思いっきり失敗でした。 その後、弟は内科医になりました。 自由研究は、ほんま素晴らしいです。 ●リョウコ 小学生の頃、母の田舎へ 自由研究でやろうと思った昆虫採集に行きました。 叔父が虫の居場所を案内してくれるというので、 張り切ってついて行きました。 昆虫を沢山捕まえて、意気揚々と帰る途中、 最悪な事に、ハチに刺されてしまいました。 あまりの痛さに半べそをかいていると、 叔父はおもむろに自分の奥歯をゴシゴシ。 「これで治る」 と言うやいなや、 てんこもりの「歯くそ」を 私の患部にすり込みました。 あまりにも驚いて、 泣き止んでしまったのは事実ですが・・・。 決してマネなどなさらないように。 ●ぽん 小学校低学年の時、ふと思いついたのが 「ラジオ体操についての研究」。 そこで、NHKに突撃インタビューだ! と電話をかけ、いろいろ質問した。 「生演奏ですか?」 「お兄さんはいくつですか?」 「全国で一人ですか?」 ・・・たいした質問もできず、 まとめ方もただのQ&Aになって、自分でも 「これは自由だけど研究か?」と思った。 ちなみに、「生演奏」というのは覚えているが、 何歳で何人かは忘れた。 あと「雨が降ったら困る。」 と言っていたのは妙に覚えている。 ●かんかん 中2の夏の宿題に、 以前本で読んだ実験を再現してみた。 その1.ミルクティーは ミルクを先に入れた方がおいしいのか、 紅茶を先に注いだ方がおいしいのか。 その2.ミルクティーをスプーンでかきまぜる時、 右回りと左回り、どちらがおいしいか。 同じカップを4つ並べ、温度を均等に保つため、 両端のカップにはお湯を張り、 はさまれた二つのカップで実験開始。 その本の著者(イギリスの婦人)は 明確に結論を出していた(ように記憶している)が そんな繊細な味、私にわかるはずもない。 「最初のひとくちが一番おいしかった」 と率直な感想を真面目に記録しました。 ●アスパラグース 夏休みも後3日、 ドリルも絵日記も残っているし考えた末、 自由研究は「光に集まる虫」に決めました。 夕刻から実家の店の前に机を持ち出し、 虫網を立て掛けてドリルを解きました。 2晩続けて蛾とこがね虫ばかり せっせと採集しました。 「くさい! 汚い!」 と言われる事は覚悟の提出でしたが、 ほのかに好意を寄せてた男の子から 「お前、要領いいな。」 と冷めた口調で言われ、ひどく傷つきました。 ●踊るやぎ 家の洗濯機買い替え後、 古い方を綿菓子機にしようと試みた。 綿菓子がいつでも食べられるという期待を胸に、 小5の私は、呆れ顔の母をよそに 粗目の砂糖を投入した。 弾丸の様な溶けてもいない粒が 割り箸握ってる腕に無常に当るだけだった・・・。 その後も父に助けを借り試行錯誤してみるが、 焦げ付いたりと結果は無念に終わり、 その年の自由研究は空の雲のスケッチとなる。 銀賞を頂いたものの、本当は 叶わぬ綿菓子への想いを胸に、描いたのでした。 ●いく 私の実家が東京都千代田区だったので、 弟の自由研究で「皇居の門」を題材に選び、 家族5人で自転車に乗って ぐるっと皇居を1周したことがありました。 桜田門、坂下門、乾門など門に着くたびに パチリと写真を撮り、 脇の看板の説明書きをメモにとるわけです。 妹はまだ小さかったので 母の自転車の後ろに乗っかって、 私と弟は子供用自転車、 父が先頭、母がしんがりで1列に並んで リンリン走りました。 暑い日で、途中の広場で食べた アイスキャンディーがおいしかった。 帰宅してみんなで浴びたシャワーが これまた気持ちよかった。 今思えば、 当時あまり裕福ではなかった我が家にとって、 あれはレジャーだったんですね。 泊まりがけの旅行なんて、 したことなかったですから。 企画したのはたぶん父でしょう。 |
2002-08-08-THU
●ぶりさん 夏休みの子供の自由研究を 毎年代わりにやってる夫の上司。 お盆を過ぎると 「何するか決めたん? そろそろ取り掛かった方がええんとちゃう?」 と、当たり前のように息子に言われ、 やったらやったで 「こんなに上手にやってどないすんねん」 と奥さんに却下され、毎年頭を痛めているらしい。 ●さしみ 小学生の頃、夏休みの自由研究は 私より父の方が張り切っていました。 先生には評判が良かったのですが、 本人の記憶がほとんどありません。 唯一といえば 「別府温泉の地獄巡り」。 家族旅行でわざわざ自由研究のために立ち寄り、 母が父のベルトを掴み、 ぎりぎりまで近づいて 地下から湧き出しているボコボコを 撮影したり、 硫黄の欠片を拾ったら、 さっさと引き上げました。 私は純粋に温泉に入りたかった・・・。 ●sora 私の5年生の時の自由研究は、 「何をかけたらミミズは死ぬか?」。 結果は石灰。 のたうって死んでいくミミズを 友達と二人で、じーっと見ていました。 あとは、色水につけたりもしました。 われながらいやな子供でした。 ●よっち 一人で祖父母の所へ帰省した小学3年の夏休み。 祖父母の家は日曜大工用品店だったので 自由研究は、 店先から2、3本適当に見繕った木材で 簡単な椅子を作ろうとした。 途中から祖父も手伝い、 小学生の作品とは思えない立派な椅子が完成。 挙句の果てに、 飛行機の手荷物で邪魔にならないように、と 折畳式に・・・・。 祖父は元大工。 ●Luke 中学生の時、自由研究に 「ブランド品の偽物の見分け方」を選びました。 ちょうどその頃、 母が購読していた婦人雑誌からのパクリです。 写真や記事もそっくりそのままいただきました。 当時の担任は20代の女性教師。 提出後、 「ね、ね、先生にこのレポートくれるっ?」 とお願いされ、 「いいのかなぁ」と思いつつ、 成績も「A」をもらったので上機嫌であげました。 先生、お役に立てましたか? ●はるさめ 私の彼は小学校高学年の時、 「割り箸はどの辺を持って どの位の力で引っ張ると キレイにまっぷたつに割れるか」 という研究を友達とやって、 夏休み中バキバキと割り箸を割り続け、 その研究は県内コンクールまでいったそうだ。 その賜物か、今でもラーメン屋なんかの ちゃちい割り箸をキレイに割るのがうまい。 でもたまに失敗すると ものすごく悔しがっている。 プライドが傷つくらしい・・・。 ●ぶしこ ボートで川くだりして そこで発見した動物や植物をまとめる研究を 友人と企画。 岩にひっかかったり、 ボートで10メートルは下に落ちたり、 カメラを川に落とし紛失、友人が溺れたり、と 自然観察というより「ファイト一発!」並み。 ゴール地点に着いたのは夜10時ごろで 闇の中のゴールは、 感動というよりは安堵でいっぱいで 2人で抱き合って泣いた。 自然はまったく研究できなかったが、 生きているすばらしさは実感できた研究だった。 |
2002-08-04-SUN
●びんちょうたん 小六の時、アリジゴクの生態について研究。 友達の家でアリジゴク数匹を箱に砂ごと採取し、 巣を作る過程を一部始終観察するつもりでいたが、 夜9時きっかりに就寝する私だったゆえ、 朝起きたら 見事にきれいなすり鉢状の巣が完成していました。 結局、 「夜のうちに巣を作ったようだ。」 というしか報告できず・・・。 そんな研究内容ゼロのレポートだったにもかかわらず、 このレポートが村内一次予選を通過したのが いまだに不思議でならない。 ●ふっきん 友達の妹が、朝から日暮れまで塀に腰掛けていた。 ノートに何か書き込んだりしている。 見せてもらうと、 『誰がウチの前を通ったか』が 克明に記されていた。 何となくその家に遊びに行きづらくなった。 ●katsura 小学1年のとき、絵が得意だったので 家で飼っている金魚の絵を描いて提出しました。 当時飼っていた金魚はランチュウといって 背鰭のない種類でした。 だからトーゼン絵の金魚も背鰭なし。 でも先生には 「背鰭も描きましょうね。」 と言われてしまいました。 無い種類だと説明しましたが、 その次の夏休みには上から見た 背鰭付きの金魚の絵を描いた 暑中見舞い葉書まで送られてきました。 不条理。 ●ミャーシュ 9月の半ばを過ぎて、 太郎君はようやく自由研究を提出しました。 そのテーマは 「3年1組のみんなの自由研究について」。 クラスメート全員の自由研究のテーマに対して、 評価と総評が書かれていました。 ちなみに私の研究に対し、 「○×花子、テーマ:セミの研究、38人中26番目、 ありがち、創意工夫に欠く」 ちなみに太郎君の自己評価は 「38人中?番目、 少なくとも言えることは 自分の研究は クラスメートの協力の賜物である。」 ●ちーまま 息子達の理科の自由研究は、 なぜか毎年私の宿題となる。 課題が5個きまっていてその中から1個選択。 一番簡単そうな植物採集を選ぶことにしている。 でも30種以上・そしてレポート5枚。 採集はバカ息子もするが、問題がレポート。 去年は、 「海岸から徒歩5分にすむ僕の家は エアコンの室外機も3年でさびる。」 というフレーズを入れたら、 「中学生はこんな所帯臭い文章は書かない!」 と息子にダメ出しされた。 だったら最初から自分でやれよ!! 私だって40を過ぎてまで 自由研究なんてしたくないんだよっ!! ●S隊長 ずぼらな小学生だったSの性格丸出しの自由研究。 「カビの観察日記」刻々とカビてゆく 食パンの写真付レポート。 提出日には、物付きで提出。 暑い教室の後ろの棚の上で、 悪臭を放ってクラスメイトには大変不評でした。 ●ぱちこ 小学4年の時、後ろの席の岩田くんが 自由研究として 「24時間テレビを、24時間みた記録」 を提出していました。 担任の先生は 「すごいね! がんばったね! 岩田くん!」 とイイ顔で◎をつけていました。 それでいいんだ・・・。 子供ゴコロに衝撃でした。 |
2002-07-31-WED
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