いままで生きてきて、 |
ルールは超が付くくらい簡単です。 |
第34回のお題 |
●葉子 銀座の鮨屋で食べた、天然あなご。 昭和天皇お抱え寿司職人だった、という すっごい人が出した店で、 一見さんお断りの敷き居の高い店でした。 でも、美味しいと評判のあなごを焼いてるのは、 どうみても普通のガスコンロ。 コンロに乗せた網にポンとアナゴを置いたっきり、 特別な技を使ってるようにも見えない。 「おっさん大丈夫か?」と思いましたが、 食べるとこれが旨い! 身はまさに蕩けるようで、 あなごの濃〜〜〜い旨味が口中に広がって… 他にもあわびのヒモや、マグロ赤身も絶品でした。 感動する私達をしり目に、 「実は俺、肉の方が好きなんだよね」 と奥で肉を焼いて食べていた店主の思い出と共に、 忘れられない味です。 ●kaoru もう今は亡きおばあちゃんが作ってくれたすいとんです。 おばあちゃんのすいとんは 小麦粉団子をカツオベースの醤油スープに入れて、 ありあわせの野菜と豚肉の細切れをいれて ぐつぐつ煮るだけ。 おばあちゃんはいつも 「こんな食事はおばあちゃん、 戦争の時にいっつも食べてたからね。 もう見るのもいやだね。 なんでおまえはこんなものを わざわざ食べたがるのかね。」 と毎回繰り返しながらも、ほぼ毎日作ってくれました。 25年後の今、いざ自分で作ってみても あの時の味とはぜんぜん違うんです。 いったいどこが違うんだろう。 本当に誰か教えてほしい。 ●さ ベルギーのブルージュで食べたチョコレート。 親子でやっている店で、 プラリネと外側部分のバランスが絶妙! その店だけの味でした。 店のマダムが美しくて愛想がよいのに、 職人の旦那さんは無愛想で 「食えばわかる」といっていたと思われる雰囲気が そのチョコのよさの味付けでもありました。 チョコのイメージが変わりました。 ●ayako 海鮮親子丼。 インドネシアに海外赴任していた我が家。 当時は鮭とかイクラ等が現地ではなかなか手にはいらず、 一時帰国の時に成田空港で 家族で食べた海鮮親子丼に家族全員目が血走ってた。 その影響で今でも家の家族は 彼等親子を「御」とか「様」付けで呼んでいる。 ●まぐまぐ “ぶりこ”という魚の卵の塊を醤油で煮たもの。 ぶりこなのでぶりの子供?だったのでしょうか。 昔は(30年くらい前?)たくさん捕れて乱獲して 今は捕っちゃいけないというお決まりのパターンです。 東北の日本海側の港町で、 昔の商店街の店先で冬になるとふつふつと煮えていた。 テニスボールくらいの大きさで 固い粒々の卵をぶちぶち噛んで味わった。 味は極上の筋子かける100倍のおいしさ、と記憶してます。 ●りえっち 幼い頃食べず嫌だった「なす」。 生まれて初めて食べた「ぼてなす」に感激! 油で焼き、普通のなすと違い少し特徴のある、 地方限定のなすだけど、生姜醤油で食べたあの味が、 忘れられません。 ●hama いままでで一番美味しかったもの・・・ それは、大学時代にアルバイトで乗った 漁船上で食べたタラの白子。 捕れたては生で食べ、残りを煮て食べました。 特に煮た白子は、ホクホク・トロリとして 口の中から幸せがわき出すような気分が味わえ最高でした。 あ〜っ、食べたくなった! ●なの そばの白あえ。 大学時代にアメリカへ行ったときに、 ホテルのレストランで食べた。 そこはバイキング形式のところで、 たくさんの洋食のなかにぽつんとあった。 あんまりにもやさしくおいしい味だったので、 白あえを知らなかった私は、 家で一生懸命マヨネーズとそばをまぜた。 まずかった。 ●ドム 高知生まれのわたしは、鰹のたたきがふるさとの味です。 たまには、トロみたいな霜降りの鰹もいいけれど、 やっぱり安い赤身の鰹のたたきが旨いな〜。 1cm位の厚めに切って、薬味をむやみやたらにかけて、 たれもお魚屋さんにもらったやつをぶっかけて・・・ でも、県外で食べたときには 不味くて不味くて、食べられませんでした。 肥えちゃったね、口が。 ●キノミドリ 忘れられない味、それは子供の頃に食べた、 わが家の渋柿の木の上で熟した柿です。 殆どが実が固いうちに収穫して干し柿にするのですが、 そのまま実を置いておき、 赤くプルプルに熟したところを兄妹3人で採って、 近くの川に向かって口から種をプププっと飛ばしながら 食べてました。 お行儀は悪いけどおいしかったー! いろんな想い出もひっくるめて、 秋の最高のおやつでした。 |
2003-02-11-TUE
●マリア スペインでふらっと入ったカフェで食べた、 ストロベリーシャーベット。 少し溶けかけたシャーベットの甘酸っぱさと 甘さ控えめのホイップクリームが ちょうどいいカンジで混ざり合い、 なんとなく懐かしい味がしました。 たった一言、 「うまい!」しか言えませんでした。 彼と二人で「幸せだね・・・」と言いながら食べました。 カフェのオネーサンさんに、 また夏にアイスを食べに戻ってくることを約束すると、 オネーサンは笑顔で 「待ってるわ!」と言ってくれました。 多分、私、今一番幸せな顔してるって思った一瞬でした。 ●カナカナ 海のカキ。 恥ずかしながら社会人になって初めて食べました。 会社の取締役に新橋の料亭でゴチしてもらった、 「一つ何千円」のヤツ。 岩手産、広島産どちらも制覇!! 味付けなんてなぁんにもいらないの。 海水から揚げたすぐのをカコカコはずして、 ヅルンッと・・・・ 独特の甘味と磯の香りにもだえましたわ、ホント。 ただ・・・・ 私の体には生カキが合わないらしく、 あの幸せを味わう代償に 「今まで生きてきて一番痛くて苦しい」 思いをしなければならないなんて。 ●ちさぞう 初めてダッチオーブンで焼いた鶏丸ごと1羽。 鶏の旨みがギュウと凝縮されてパンパンになった 皮をナイフで突くとパチンとはじけて肉汁がじゅわ〜。 味付けは塩だけで充分。 夫婦2人で平らげました。 あのときほど ニワトリに感謝しながら食べたことはありません。 ●Boo 1959年生まれの私の幼い頃は、 鯨肉が当たり前のように食卓へ。 カレーの肉ももちろん鯨。 で、忘れられないのは鯨の皮の部分で うちでは「うねす」と呼んでいたと思います。 かまどに鍋をかけていため、 醤油と砂糖で味つけ。 鯨の食感がなんともおいしくてだいすきでした。 ●おねえさん 今の恋人と付き合い始めてすぐに 「信じられないくらいおいしいよ」 と教えてもらった北海道の愛山渓ドライブインの 「まいたけ丼」。 キノコが大好きな私はずっと食べたいと言い続けて、 約1年後にようやく一緒に訪れて食べることが出来ました。 それはもうまいたけの概念が変わるおいしさでした。 シャキシャキして香りが良くて。 そして、恋人の過去を少し共有できたような気もして なんだかすごく幸せになりました。 ●おーき 夫婦ゲンカをしたとき、私が家を出て行きました。 その後夫が、 「おなかすいたなあ」というと、 8歳の娘がお米をといで、 炊飯器のスイッチを入れたそうです。 ご飯が炊けるまで、卵焼きを作ってくれたそうです。 今でも、夫に、 あの時のご飯と卵焼きは美味しかったと言われます。 ●しまぴ マカオで食べた牛乳プリン。 リアルな牛の絵の大きな看板のお店で、 牛乳と何かを入れて蒸して冷やしたものでした。 一口ごとに 「おいしくて困っちゃうー」と言いながら食べました。 翌日香港に帰ると同じ看板の店があり、 どうやらこちらが本店のようで、 やっぱりそこでも困りながら食べました。 あれを食べるためだけに 香港、マカオに行く値打ちがあるぐらいおいしいです。 |
2003-02-06-THU
●みいこ 私は「牛乳豆腐」です。 実家が昔酪農をしていて、たまに食べたのですが、 子牛を産んだ母牛の最初の母乳を蒸す(?)と、 そのあまりの濃厚さに、牛乳が凝縮してできます。 ごま豆腐みたいな感じで、 ちょこっとだけお醤油をたらして食べる味と言ったら!! コクがあってまろやかで優しいような・・・。 超美味です。 ●shimo 生卵がまだ貴重で毎朝食べれない頃の話。 なぜだか忘れたけれど、卵かけご飯が食べたくて、 ある日の夜に親の目を盗んで卵を2つ割って、 どんぶりに入れた冷やご飯にかけて食べた。 美味しかったなあ。 ホカホカご飯ではなくて、冷めたご飯。 半熟にならず生のままご飯とからみ合う味がいい。 あれから十年、いまでも時々食べたくなる味。 いつも、うまいなあって思います。 ●いっこー 小学校に上がった頃、 お母さんが「ご飯の残り」を干して、 油で揚げて砂糖をまぶしてくれました。 市販のあられとは全然違う米の味にビックリしていました。 ●Kuro 南米に住んでいた時に食べた、 まるごと一匹の鯛の塩焼きです。 40〜50センチの大物を家族3人でつついて食べました。 あまりにおいしかったので、 最後は骨だけになった姿に緑茶をかけ、 それを白ご飯にかけてお茶漬けにしました。 お茶漬けをズルズルすする私と母を見て、 父はそこまですることないだろう、 という目で見ていました。 ●SORA うちは新潟出身なもので、 東京で生活するようになってからも、 お正月は新潟風雑煮。 これがやはり私の一番です。 大根・里芋・焼き豆腐・カマボコ・コンニャク・ 鮭がはいって、 仕上げにトトマメ(塩漬けの筋子を茹でて作る)を 彩りよく。 これを食べると、ああ、お正月がやってきたと実感。 本当に幸せな瞬間です。 ●もすもす 私の家は高知の農家です。 小さいころの遊び場はビニールハウスの中でした。 おやつにいつも食べていた、 もぎたての温かいトマトの味は忘れられません。 生きているものを食べてるんだなあと、 子供心に興奮するような味でした。 ●legoe 父の知人の真珠養殖屋さんからよくいただいた 「真珠貝の貝柱」です。 真珠貝はシンジュを取るために飼ってるから 貝柱は流通しないらしいんですが おいしいからってパックにぎっしり分けてもらってました。 これがもう。すっごくおいしかった〜。 勾玉みたいな形をしてて、超コリコリ。 串に刺して塩焼きにしたり、バターソテーにしたり。 上京して10年、 お正月くらいしか帰郷しない今となっては、 もう二度と口にする機会もないだろうと思えば思うほど、 もう一度食べてみたい思いは募るものですね。 ●もるつ 大学受験を目前にして風邪で寝込んでいたとき、 母が作ってくれた何にも入っていない 白米だけのおにぎり(俵型)の冷えたやつと、 きゅうりのぬか漬けのまるごと1本です。 母いわく、僕がこれがどうしても食べたいと うなされていたんだそうです。 |
2003-01-22-WED
●YOSHI 真冬のあんこう鍋屋さんで食べた、特大あん肝です。 鍋に入れずに、もみじおろしとポン酢でいただきました。 フォアグラより美味しいはず (フォアグラ食べたことないけど)。 お口の中で溶けるとはまさにこの事!! 溶ける前の、ねっとり感・しっとり感は 大人で良かったと思わずにいられなかった瞬間です。 女将さんが「胆は2月よおー!」と言いきる 納得の大きさになるまで、 12月・1月の間、待ちきれない切なさです。 ●柴犬子 4歳のとき、保育園帰りの格好で 母にひきずられて清水(きよみず)の陶器市に行った帰り、 何を思ったか母が間口の狭いお店に入って行きました。 そこは祇園のお店。 遊びと歩き疲れとで、 子供心にも場違いと悟った その店の威圧的な雰囲気を嫌がって、 ぐずる私を黙らせた逸品が、 最初に出された赤貝とキウィの酢の物でした。 一口食べて 「おかあさん、おいしいね。めがさめたわ。」 と言ったそうです。 茶色弁当系の母でしたが、 そんな母のわけのわからない勇気のおかげで 小さいころは貴重な経験をしていたようです。 ●kaula うちの実家は黒豆で有名な自然豊かな土地。 黒豆として収穫する前に、ちょこっとだけとって、 ゆでる枝豆(私の家族は“黒豆の枝豆”と呼んでいます)が 最高に美味しいんです。 毎年食べているけど、毎年感動します。 家族が作ったものだからかな? とにかく柔らかくて、大きくて、 ホクホクでホワホワな、濃厚な豆の味・・! 1年に1回しか食べれないっていうのも ポイントなのかもしれません。 ●はっぱ お歳暮だかお中元だかで 父の仕事先の知り合いから送られてきた 大きな活車海老。 天ぷらにして塩で食べたのですが、 これがもンのすごーく美味しかった! 甘くてジューシーでとろけそうでした。 私はそれまで 海老をそこまで好きだったわけではなかったのですが、 「これが海老の味…!!」 と衝撃を受けました。 単身赴任中の父の口には入らず 私と弟と母の三人で十尾ぐらい 全部食べちゃったんですけどね。 ごめん、父よ。 ●くみこ 福岡のおばちゃんちで食べたかしわの水炊き。 本当の鳥の味がした。 たれは、おしょうゆって言ってたけど、 私の知っている濃くてしょっぱいおしょうゆとは違って、 色がだしのように薄くて、甘みがあった。 中学生という難しい年頃で、 父(おばちゃんの兄)が再婚し、 家庭内がギクシャクしていたとき、おばちゃんが 「気分転換に」と数週間ほど 招待してくれたときのことだった。 ●セイラ バリ島で食べたバナナホットサンドです。 関西空港のできる2年程前に行ったバリ島で、 1泊朝食付き1100円の宿に泊まりました。 朝になるとどこからかあんちゃんがやってきて 庭で宿泊客のためにホットサンドをつくってくれます。 薄いパンにスライスバナナをはさんで焼くだけなのですが そのおいしいこと。 熟れたモンキーバナナが熱でとろとろにとけて、 まったりと口にまとわりつきます。 5日間毎日食べたけどまったく飽きない。 家に帰って作ってみたけどあの味はでません。 ●ひまじん 今を去ること十数年前に、 知り合いが北海道から送ってくれた毛蟹。 タラバやズワイは食べたことがありましたが、 なんといっても毛蟹が絶品! こんな豊かな味わいがこの世にあるんだ!と感動しつつ、 鍋にして最後の一滴まで味わいつくしました。 スーパーで見かけると、買ってくるんですが、 なぜかもうあの味は出ません。 なんでー? |
2003-01-17-FRI
●はさみ 去年の秋に、京都のとある 湯葉専門店で食べたお豆腐! 土鍋の中に、とっても濃い豆乳が温まっていて、 そこに、お猪口一杯のにがりを自分で入れてかき混ぜ、 ふたをして、数分待つのです。 お店の方が「もう、いいですよ」といってくださったら できあがり。 豆乳がお豆腐に。 これが、暖かくて、甘くて、ふわふわで! もう信じられないくらい美味しかったです。 本当に本当に、美味しくて、感動して、涙が出ました。 そして、涙が出た自分にちょっとびっくりしました。 ●kkirikirimaimai あれは私が短大生の頃。 農業を営む友人の家の納屋に、 とれたての苺があったのです。 出荷前の容器に入った苺。 「これは売り物じゃないから食べて良いよ。」 と友人。 大きさが揃ってなくて、色もまばら。 でも、ひとつ口の中に入れると、とても甘くて・・・。 この時ほど、実家が農家ってうらやましいと 思った事はないです。 ●まりりんパパ 14年前、新婚旅行でスペインに行きました。 スペインの片田舎のドライブインで飲んだ エスプレッソコーヒーです。 あまりにも美味しかったので 旅行から帰ってきてエスプレッソマシンを買って 自宅で飲んだのですが、あの味は出ませんでした。 ●プー次郎の妻 小学校低学年の頃(昭和40年代前半)、 山の中の母親の実家で盛大に行われた 田植えに連れて行かれ、 昼ごはんに出た伊勢海老の味噌汁。 何度お椀を箸で引っ掻き回しても、 海老のかけらも発見できなかった。 にもかかわらず、極上の伊勢海老フレーバー。 成人してから、母親に、 忘れられないこのお味の話をしたら、 あれは、前日の身内の結婚式で出された 伊勢海老の刺身の殻の方をダシに作った、とのこと。 お椀の中に殻すらみつからなかったのは、 田植えの労働力として 認められていなかったからでしょうネ。 ●oko 私は1953年の生れで、 中学一年生のときの思い出ですから、 1966年のことになるでしょうか、 山の方に住むクラスメートと仲良しになって、 遊びにゆきました。 農家で大人が野良仕事に行くので 子供がお炊事はするということに驚きました。 もちろん毎日のお炊事は ガスや水道のある台所でするのですが、 私を歓迎して、お滝場で 彼女が作ってくれたお昼ご飯が忘れられません。 町で買ってきた鶏ひき肉を使った炊き込み御飯を 歯釜で炊いてくれて、 七輪で焼きナス、滝で冷やしたスイカ、 スイカの皮は塩もみにしてお漬物代わり。 町の子だった私は薪拾いを手伝ったくらいでした。 のちのち主婦になってから思い出すと、 改めて感心します。 あの日から、焼きナスが大好きにもなったものです。 ●きゃつ 昔の話ですが、学生のころ、 ひそかに想いをよせていた人がいました。 ある時その人に、 「ベトナムに行ってきたおみやげです」と ビン入りのまぜもの無しのハチミツをもらいました。 (ビンにはベトナム語がかいてありました) 私は家に帰り、フレンチトーストを作り、 それをかけてたべました。 とても甘くて、とろとろで、 かすかに花の香りがしました。 懐かしい、忘れられない味です。 ●い 焼きタケノコ。 まだ五右衛門風呂があったときのこと、 義父が裏山から取ってきた「大名竹」を 風呂の下の灰の中に突っ込んで置きました。 焼けたら皮を剥き、 それに酢みそを付けて食べさせてくれました。 タケノコがあんなにおいしいとは。 今では義父も亡くなり五右衛門風呂もありませんが、 5月から6月頃に焼き肉をする時、 網の上で焼いて食べます。 でもあの味とは少し違う気がします。 |
2003-01-13-MON
●妖精 まだ私が子供の頃、 豆腐屋だった我が家はいつも忙しく、 おやつなんて、めったに用意してくれませんでした。 でも冬になると、 おもちを油揚げの鍋で素揚げして それに砂糖をまぶして食べてました。 ●智ピー閣下 OL時代、会社の先輩に奢ってもらったお寿司。 時価の大トロは、めまいがする程、舌が衝撃を受けました。 例えて言えば、普通の世界で、普通の人とする恋愛と、 トム・クルーズとする恋愛とでは 次元の違う感覚があると思うんです。 トム・クルーズ級と恋愛せずに終わる私には、 一生、知りえない五感の感動、 そういった未知なものを大トロは教えてくれました。 舌には「甘い・辛い・苦い・酸っぱい」だけじゃなくて、 こんな感覚も感じることが出来たんだ、人間って。 とびっくりしたものです。 ●ぽんたろう 中学生の頃、父が海で取ってきた「ウニ」を 家の井戸端で剥いてくれて、 すぐに熱々のご飯にしょう油を一垂らしして食べました。 「ウニ」の甘みと潮の香りが口の中に広がりました。 ウン十年経った今でもよみがえります。 ●かんちゃん 小学校5年生のとき、 発熱して一週間ひかなくて、 楽しみだったプラネタリウム見学に行けなかったとき、 つめたく冷えた桃を剥いて、母が持ってきてくれました。 熱でぐったりした身体に、 甘くて冷たい桃が美味しくて、 物を食べて涙が出たのは、 後にも先にもこのときだけです。 ●ヒロ 蒸しジャガで作る肉ジャガ。 いつもの肉ジャガを作る時、 ジャガイモだけ別に蒸します。 蒸せたら適当な大きさに砕き、 他と混ぜ、味をなじませる。 これ、煮崩れたイモも好きな人にオススメ。 中はホクホク、外側はトロホロ。 目からウロコっすよ。 ●tomo 日本で街角の栗といえば「天津甘栗」。 でもイタリアでは「焼き栗」でした。 ミラノのドォーモの前の広場で食べた栗は、 粒が大きくって、甘くって、柔らかくって、 あったかくって、ものすんごいおいしかったです。 しかもとっても安かった覚えがあります。 本当はもっといっぱい食べたかったのですが 「いやしい」と思われたくなくって、 1袋でやめた事を今だに後悔してるくらいです。 ●どらえもん 私が小学校の2年生くらいだった頃、 岡山で、納豆はそんなにポピュラーではありませんでした。 その頃、今は亡き父が、納豆を買ってきてくれ、 生まれて初めて食べました。 世の中に、こんなに美味しいものがあるのかと思うくらい 美味しかったです。 父は好きだったけど、母は納豆の匂いが嫌いで、 実家にいるときは、あまり食べませんでした。 結婚して、主人も納豆の匂いが嫌いで、 だから、私は、主人と子供たちが夕食を食べ終えてから、 3個100円の納豆のパックを開け ご飯と一緒に食べるのです。 でも、なんで、 あんなに父に分けてもらった納豆が美味しかったのか、 いまだによくわかりません。 |
2003-01-07-TUE
●nyar かつて田舎のタウン誌を作っていたとき グリーンアスパラの記事を書くことになって、 高校の同級生で農家を継いでいる友達に 電話取材をしたことがあります。 一通りを聞いたあとで、 農家の人しか知らない美味しい食べ方があったら教えてと 聞いた時の答えが、 「生」。 明け方の気温が上がる前に収穫したものをその日のうちに、 1.気温が上がると甘みは根に戻ってしまう。 2.アスパラは呼吸量の多い野菜なので すぐ生きが悪くなる。 良く洗って味噌マヨネーズをつけ 生でバリバリに限ると。 取りにくるなら1kg1千円で分けてあげるといわれ、 迷わず4kg買いました。 約束していた友達に2kg渡し、持ち帰った2kgのうち、 半分近くを一気に食べてしまいました。 別の知り合いの農家の方にも、 出荷できないサイズだからと、 不ぞろいの生のホワイトアスパラを頂いたことがあります。 これも指定どおりにお浸しにしておかかと醤油で。 口福とか、目ウロコとか、人生観が変わるとか そういうモノが嵐のように全部やって来る体験でした。 あんな美味しいアスパラ、もう食べられないだろうなー。 土の近くでお仕事されてる方は、ホント、すごいです。 ●maruko 発売当時のカップヌードル。 プラスチックのフォークが付いてきたよね。 必ず。 「こんなうまいものが、世の中に!?」 と思いながら食べていたけど・・・。 ●くう 京都の大市のすっぽん鍋と そのスープを入れて飲んだ熱燗です! 世の中がバブリーなころ、 別になんの恩恵もこうむっていた わけではない一介のOLだったのに、 世間の浮かれ気分に乗せられ、 友達と2人で京都まで すっぽんを食べに行ってしまいました。 おひとりさま19800円だった気がします。 後にも先にも、そんな高いものを食べたことはないです。 その後、荒木経惟さんの 「センチメンタルな旅・冬の旅」で病床の奥様が 「大市のすっぽんなら食べられるかもしれない」 と言うので、連れて行ったというような話を読み、 私の中の記憶はますます理想化され 「幻の崇高な食べ物」となりました。 生きているうちに、もう1回食べてみたいです。 ●ありがとう! 小学2年生の時、クリスマスに食べたしゃぶしゃぶ。 父が会社を起こして3年、 やっと軌道にのってきた記念として、 家族みんなで食べにいきました。 口に入れた瞬間に、お肉がとろけて どこかにいっちゃったのにびっくりして 「夢のようだ…」と呟いたら、 仲居さんに笑われました。 母も笑いながら泣いてました。 本当においしかった。 ●とよんとよん 30年ほど前の10歳くらいの時に食べた 紙袋にバターがしみた 生まれて初めて食べたクロワッサン。 小さなベーカリーの品でしたがホントに美味しかった。 あの新鮮な感動をもう一度味わいたい! ●はらっち どこで食べたというのはないのですが 宮崎生まれの私が上京してきて 一番うまいと思ったのは「ちくわぶ」です。 こんなおいしい物があるのかと感動しました。 ●ぱーる 一番美味しかったモノと言えば、 もう15年以上前の話ですが、 祖父の退職祝いの時に食べた「伊勢エビのお造り」です。 親戚一同が集まり海辺の料亭で食べたのですが、 甘くてプリプリしていて思い出すだけで 「ああ幸せ」って感じです。 |
2002-12-26-THU
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