おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

仕事柄、海外のレストラン視察旅行に
お供させていただく機会が少なからずあります。
今でこそ海外旅行することがそれほど珍しいことでなく、
レストランのプロでなくても
海外の素晴らしいレストランで食事することが
当たり前のようになりましたけど、昔はそうじゃなかった。
「円」は今のように強くなかったし、
海外旅行といってもパッケージツアーがほとんどで、
つれていかれるレストランは団体専用の
おなか一杯になればそれでいいでしょ!的な店ばかり。
その街を代表する素晴らしいレストランに行こうと思えば、
現地の知り合いにお願いするか、
出発前から周到な準備をして
レストランを訪れるための旅程を組んでから、
でないと難しかった。
当然、せっかく高いお金を払って
長時間飛行機にも乗ってやってくる海外ですから、
一軒でも多くのレストランを見てこよう、
とスケジュールは過密を極めて当然。
ほとんど一日中、どこかの店で何かを食べる始末で、
結局、どこで何を食べたか思い出せない、
ようなコトは当たり前。
そんな時代の話です。



◆眠ったら負けだとわかっているのに!


パリにいました。
ツアーメンバーはおじさんばかりが10人ほど。
パリを振り出しに1週間ほど、
2日に1度は移動という強行スケジュールで、
毎晩、星付きのレストランでの予約をしていました。
しかもどうしても行きたいパリのレストランが、
到着したその日にしか予約が取れず、
だからボクらは飛行場からほとんど直行、
という具合にレストランに滑り込みました。
よくもそんな馬鹿なことをしたな、と今は思いますが、
何しろ憧れのレストランで食事が出来る、というので
みんな文句も言わず、
疑問も挟まずその店の椅子に納まりました。

グループ用の個室でした。
より親密な空間で、仲間がくつろいで
食事が出来るようにとメインダイニングよりも大きくて、
フックラとしたとても座り心地の良い椅子の部屋。
まるで一人がけのアームチェアの
足だけが長くなったようなユッタリとした椅子で、
座ると体が包み込まれて沈むような気持ちになる。
ギュウギュウ詰めの飛行機に座ったままで半日以上。
くたびれ切って疲れた体には
まるで天国のベッドのように心地よかった。
寝ちゃいかん、と思うのだけれど
いかんせん、気持ちいい。
しかも手の込んだ料理を最大のおもてなしにしている
高級レストランの、料理と料理の間は長いのです。
食事が一旦はじまったら3時間や4時間は
覚悟しなくちゃいけませんからネ。
料理と料理の間は、会話を楽しむためにあるんですからネ。
寝ることだけは日本男児の沽券にかけても
しないようにしましょうヨ。
寝ちゃ負けですからね‥‥、といいながら、
必死の努力でがんばるのだけど、上のまぶたが降りてくる。
一人がコックリコックリし始めると、
眠りの連鎖がみんなを襲う。
伝染病のような眠りの誘惑。
しかも大きな椅子の背中に上半身を預けて
目を閉じると気持ちのいいこと。
夢の世界が向こう側からボクらを迎えに来るんですネ。
つまり、座り心地の良い椅子は、
寝心地の良い椅子でもあったワケです。
だから前菜が終わった頃には、メンバー全員、
気持ちよーくオヤスミナサイ、という具合になっちゃった。

zzzzz‥‥。

背中をトトンと叩く気配に目が覚めました。
重いシャッターをガラガラ引き上げるように目を開けると
横にウェイターが立っていて、手にはクッション。
それをボクの背中と椅子の背の間に
滑り込ませるようにそっと置く。
「そろそろ次のお料理がまいりますので」
とささやきながら。
とても分厚く、しかもギッシリの詰め物で
パンパンに張ったクッションで
背中が押されてしゃんとする。
それまでの座り心地の良さがまるで嘘のように、
まるで固い木作りのちょうど食堂の椅子のような
座り加減になるんですネ‥‥、不思議なことに。
背筋が伸びると空気がスルスル、体の中に入ってくる。
頭もスッキリ、会話もはずむ。
しかも食欲まで湧いてきて、
次の料理が楽しみで仕方なくなったりもする。
眠気がスッカリ取れたかというと、
やはり眠いことに変わりはなくて、
でも座り心地のいささか悪い椅子のおかげで、
料理を楽しむ際に必要な分の緊張感が
睡魔と戦う武器になりました。
それから2時間、見事、誰一人として寝ることもなく、
料理を平らげ、ホテルに入って
泥のように眠ることができたのでありました。
めでたし、めでたし。



◆椅子で、その店での過ごし方がかわります。


そうしてレッスン。
食事を楽しむために、その時々、
その場所場所に応じた緊張感をもつこと、‥‥大切です。
適度な緊張感を保つのに
ふさわしい椅子を用意することを、
おもてなしする側は常に心がけている。
晩餐会におかれた肘置きもない直線的な硬い椅子。
それは笑顔をなくさぬ程度に
最大限の緊張を忘れぬように、というメッセージ。
逆にフカフカしていかにも座り心地が良く、
くつろぎに適した椅子に
長時間座らなきゃいけないとき‥‥、注意です。
別に時差ボケおじさんでなくても、
ちょっとしたことで緊張感をなくしてしまう。
緊張感をなくすと、
他人に不快な思いをさせることになる。
食べている姿が美しくなくなったり、
ふるまいが優雅でなくなったりしちゃうということですネ。

例えばアフタヌーンティーに集まる英国のレディー。
フカフカしたいつもはくつろぐために使われる
ソファに座って、それでも優雅に背筋を伸ばして
お茶を楽しむ。
彼女達を良く観察すると
クッションをとても上手に使っています。
どんな椅子でも浅く座れば背筋が伸びる。
どんな座り心地の良い椅子でも、
その椅子に体をあずけるのでなく
浅くチョコンと腰をかける程度の座り方をする。
そのためにクッションを一つ、
腰と椅子の背の間にそっとしのばせる。
つまりワザワザ座り心地の悪い椅子に
仕立て上げるための一工夫、というわけです。

ところで普通のレストランで、
あまりに素敵な椅子の座り心地の誘惑に
負けてしまいそうになったとき。
どんなに探しても適当なクッションの一つも
みつからないようなとき。
当然のことながら、
どこかから魔法のクッションをもって来てくれる
白馬の王子様のようなウェイターもいはしないとき。
そんなときはどうするか?
身近なものを使って少々の座り心地の悪さをプレゼント。
例えば女性のハンドバッグ。
とっておきでお気に入りのハンドバッグであればあるほど
効果的ですな。
腰の後ろにそっと置き、つぶさぬように意識する。
OKです。

その点、男性は何を腰の後ろに置けばいいか、悩みますネ。
まさかハンドバッグを持って
レストランに行くことをお勧めするわけにはいかないし。
ボクの友人の話をしてヒントとしましょうか。
彼はレストランに行くとかならず
ポケットの中の携帯電話を
椅子の背にそっと立てかけるように置いてから座るんですね。
レストランだけじゃなく勉強会の会場でも。
数時間、姿勢を正さなきゃいけない場所では必ずそうする。
何故? ってある日、聞いてみたら
折りたたみ式の携帯電話を開きながら、こう言いました。
「この待ち受け画面にいつも後ろから
 見つめられてると思ったら、
 背筋がしゃんとするんだよな!」
気恥ずかしそうに見せてくれた画面には奥さんの画像。
ふふふ。
愛妻家なのか、恐妻家なのか、
まあどちらにしても彼はいつも
目が覚めるような凛々しさで
携帯電話を押しつぶさぬよう、
背筋を伸ばして何時間でも
そうして座っているのでありました。

さてさてパリ。
この街はボクにとんでもなく
愉快な思い出を作ってくれた街でもあります。
次回はパリの街角で戸惑うボク、‥‥お話ししましょう。
(つづきます)



2005-10-13-THU

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