登場人物たちは、
アムド語という言葉を話しています。
この少数言語の「響き」が、
なぜだか、とっても心に残りました。
チベットの若い世代には
あまり受け継がれなくなっている、
ということも知り、
映画を撮ったソンタルジャ監督に、
アムド語について、聞きに行きました。
言語学者の海老原志穂さんにも
ご同席いただきながら、
これまで少しも考えたことのなかった
「言葉が消滅する」ということや、
それがどんな意味を持つのか、
言葉こそが世界の多様性を支えていること‥‥
などなど、いろいろ、お話しました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
ソンタルジャ監督&海老原志穂さん
プロフィール
ソンタルジャ
映画監督。1973年5月29日生まれ。
「草原のチベット」ともいわれるアムド地方、
行政区では
青海省海南チベット族自治州の同徳県に生まれ、
牧畜民の中で育つ。
父に教えられた伝統的な仏教画「タンカ」を学ぶ。
少年のころに移動映画で見て以来、映画に憧れる。
青海師範大学の美術科で学んだのち、
小学校の美術教師や美術館のキュレーターとして働き、
1994年から2000年までの間に、
美術家として「Life Series」「"Red Series」など
50以上の絵画を制作。
その後、北京電影学院で学べる奨学金を受け、
幼い頃から夢見た映画の世界に踏み出す。
美術監督や撮影監督として、
チベット映画人の第1世代の重要なメンバーとなり、
中でも今や世界的名匠と認められている
ペマ・ツェテン監督の『静かなるマニ石』(2005)や
『オールド・ドッグ』
(2011/東京フィルメックス・グランプリ作)などに
参加していることはよく知られている。
2011年、初監督作『陽に灼けた道』を発表。
自身の起こした事故で母を死なせてしまった青年の
魂の道程を描いたこの作品は、世界中で高く評価され、
バンクーバー国際映画祭、ロンドン映画祭、
香港国際映画祭などで多数の映画賞を受賞した。
本作『草原の河』が長編第二作となる。
海老原志穂
(えびはらしほ)
言語学博士。
2003年からアムド・チベット語を中心に、
チベット語方言の音や文法の研究。
現在、東京外国語大学
アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー。
最近は、牧畜に関する研究(ヤクの認識語彙など)や
チベット文学の翻訳にも力を入れている。
文学に関する活動に関しては、
以下の「チベット文学と映画製作の現在」のサイトも
ごらんください。
- ──
- アムド語に特有の言葉や言い回しって、
何かあったりしますか?
- ソンタルジャ
- ヤクという家畜をはじめ、
牧畜関連には伝統的な語彙があります。
たとえば1歳のヤク、2歳のヤク‥‥
みたいに、ヤクは、
年齢によって、呼びかたが違うんです。
- ──
- え、そうなんですか。すごい。
- ソンタルジャ
- ヤクの場合は年齢だけじゃなく、
ほかにも去勢している、してないとか、
たくさんの呼びわけがあります。
- 海老原
- たとえば「角の形状」をとってみても、
「まっすぐ」「曲がっている」
「1本しかない」とか、
それぞれでヤクの呼び方が違うんです。
毛の色、模様、性格‥‥
本当に数え切れないくらいあるんです。
- ──
- それ、組み合わせとかもありますよね?
- 海老原
- そうなんです。組み合わせ、あります。
それがまた、ややこしいんです。
たとえば、毛が黄色で角が曲がってて、
お腹に模様がある‥‥とか。
- ──
- 無限にパターンがつくれそう‥‥。
なぜ、そんなことになってるんですか。
- 海老原
- ひとつの家庭で、
「100頭」とか「150頭」ものヤクを、
飼っているからです。
一頭一頭を正確に呼び分けるためには、
細かい特徴を組み合わせて、
個体を把握しておく必要があるんです。
- ──
- そうか、太郎とか花子とかやってたら、
それこそ覚えきれない‥‥というか、
名前をつけること自体、大変ですもんね。
100頭も150頭もいたら。
- 海老原
- たとえば‥‥そうですね、
あのヤクの子がいなくなったって言うとき、
いなくなったその一頭を、
特徴によって
ズバッと特定しなきゃいけない場面が
しょちゅう出てくるんです。
ですから、
そこに関する語彙が発達してるんです。
- ──
- それだけ密接だっていうことですね。
ヤクというものが、
チベットの人たちの生活にとっては。
- ソンタルジャ
- 逆に、われわれチベット人にとって、
「魚」って、「魚」という、
たったひとつの単語しかありません。
でも、みなさん日本の人たちは、
魚を意味する言葉を、
いろいろ、たくさん持ってるそうですね。
- ──
- ええ、同じ魚でも出世魚みたいな‥‥
あ、ヤクの場合と似てる。
- ソンタルジャ
- ちなみに、先ほどもお話に出ましたけど、
映画の中で
ヤンチェン・ラモが子羊のことを
「ジャチャ、ジャチャ」と呼んでますが、
あれも「名前」じゃなく、
ある意味を持った「認識語彙」なんです。
- ──
- 具体的には、どういう意味なんですか?
- ソンタルジャ
- 白と黒が混じったような顔をしてる羊を、
「ジャチャ」と呼ぶんです。
「ジャ」が「黒」で
「チャ」が「まだら」。
身体の毛の色の特徴を示しているんです。
- ──
- そういう一目瞭然な特徴はともかく、
性格でも呼び分けるって、
さっき言ってらっしゃいましたけど、
それは、つまり「獰猛」とか?
- 海老原
- そう、気が荒いとか、おとなしいだとか。
- ソンタルジャ
- 食いしん坊とか、頑固者とか、
すぐ逃げるとか、動かないやつとか‥‥。
- ──
- 動かない?
- 海老原
- 草原に放牧している羊やヤクって、
人間が追わなきゃいけないじゃないですか。
そのとき、怠惰で動かないのがいるんです。
- ソンタルジャ
- よく逃げ出すやつって、困るんですよ。
しょっちゅういなくなって、
遠くまで、探しに行かなきゃならないので。
それが、とても大変で。
- ──
- 広いですもんね、チベットの草原‥‥。
- 海老原
- で、そういうやつは‥‥、
だいたい優先的に売られていきますね。
- ──
- わ、「頑固者」とか「動かない」って、
名付けられたヤクや羊から?
運命まで決めちゃう‥‥っていうのは、
名前とは、すごいものですね。
- ソンタルジャ
- 小さいころ、母羊のミルクを飲まずに、
人間がミルクを与えた羊が、
たいがい「頑固者」になるんですよね。
- ──
- ちなみに、チベットでは、
ヤクのフンを、
生活のいろんな場面で、役立てていますよね。
- ソンタルジャ
- ええ、乾かして燃料にしますし、
冬の間、お肉を保存するための「冷蔵庫」も、
ヤクのフンでつくります。
そのフンの燃料を保存するための柵なんかも、
同じフンでつくったり。
- ──
- やはり、すごく重要なものだと思うんですが、
それなども‥‥「状態」によって、
なんか呼び方が変わったりとかするんですか?
- ソンタルジャ
- はい、変わります。薄く延ばして平らなフン、
冬場、凍って放置されているフン‥‥。
季節によっても、呼び方が変わります。
春のと冬のとで食べている草が違いますから。
- ──
- 食べている草が違うと‥‥。
- ソンタルジャ
- 火の付きが良かったり悪かったり、
燃料としての性質が、違ってくるんです。
火力の調節をフンでしたりもしてるので。
- ──
- すごいものですね‥‥ヤクのフンって。
以前、チベット出身の歌手である
バイマーヤンジンさんの話をうかがったとき、
日本からまる3日くらいかけて
故郷の村へ向かうバスの停留所まで行って、
そこから
さらに2日くらいかけてようやく村に着く、
みたいな話を聞いたんです。
- ソンタルジャ
- ええ、そんな感じですよね。
- ──
- で、そんな大移動の果てに、村に近づくと、
ヤクのフンの匂いがしてきて、
で、それを嗅ぐとどうにも泣けてくるって。
- ソンタルジャ
- わかります。本当です。
わたしも、ずっと北京に住んでいたので、
その気持ちは、すごくわかります。
- ──
- そうですか。
- ソンタルジャ
- ちっちゃいビニール袋にフンを入れて、
持ってったりしてるくらいですから。
- ──
- へーっ。それは、嗅ぐために?
- ソンタルジャ
- そうです。もちろん、嗅ぐために。
- ──
- よそでは絶対に嗅げない?
- ソンタルジャ
- ふるさとのにおい、です。
- ──
- 監督にとって、
ふるさとって、どういうところですか?
- ソンタルジャ
- ぐっすり眠れる場所、かな。
(つづきます)
2017-04-30-SUN
主人公であるチベット牧畜民の少女
ヤンチェン・ラモが、
とにかく、すばらしく輝いています。
チベットには
俳優という職業が存在しないそうで、
ヤンチェン・ラモも
それまでふつうの「牧畜民」でした。
ソンタルジャ監督が
この「小さな女神」に出逢ったことから、
『草原の河』の物語が生まれます。
父と息子の、新たな命を宿した母と娘の。
静かで、つよい、家族のストーリーです。
チベット人監督による映画の劇場公開は、
日本ではじめてだそう。
ヤンチェン・ラモが子羊を呼ぶ
ジャチャ、ジャチャという言葉の響きが、
まるで歌を歌ってるみたいで、
ずいぶん長く、耳に残っていました。