HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 中竹竜二×糸井重里 にわかラグビーファン、U20日本代表ヘッドコーチに会う。
3 日本に合ったラグビー文化。
糸井
ラグビーの見どころは、
点を取り合う「ゲームとしての要素」と
アスリートがぶつかり合う「スポーツとしての要素」の
両方があると思うんですけど、
僕はまだ、ゲームの要素をわかっていないんです。
ラグビーでトライをするシーンでは、
右か左の隅に駆け込むことが多いですよね。
そう来るとわかっているのに、
それでも両隅にいってしまうというのは、
ギリギリでうまくいっているということですよね。
中竹
そうですね。ほんとうにギリギリなんです。
端っこを狙うというのは、
ちょっとでも線から出ると相手ボールになるので、
攻撃側にもリスクは当然あるわけです。
両サイドから5メートル内側のラインを
「5メートルライン」と呼ぶんですけど、
そこは、攻める側としては危険なゾーンです。
ただ、守る側も防御しにくいところでもあるので、
そこには駆け引きがありますね。
糸井
このラインは、強くも弱くもない敵ですね。
中竹
そうなんですよ。
端のラインを、タッチラインと呼ぶんですが
防御では「タッチラインを味方にしろ」と言われます。
ラグビーは15人でやる競技ですが、
ラインを味方にして「16人」で最強の防御をつくる。
縦にぶつかっていくんですけど、
横からのプレッシャーもある、という考え方です。
糸井
ああ、なるほど!
どっちのチームにも、まったく同じことが言えますね。
中竹
そういうことです。
あと、ちょっとした雑学として、
どうしてラグビーでは「タッチライン」と呼ぶか。
他のスポーツなら「サイドライン」って言いますよね。
糸井
あっ、そうか。タッチじゃない。
中竹
昔のラグビーというのは、
お互いに話し合ってルールを決めていたんです。
そこにはラインも引かれていなくて、
観客が囲んでラインの代わりになっていたそうです。
「観客のところまでいくと、危なくてタッチをする。
 だから観客に当たればアウト」という考えが、
本当か嘘かわからない話ですけれども、
ひとつの由来としてあるんです。
糸井
選手と観客が、一体となって
楽しむスポーツだったんですね。
中竹
そうですね。当初は、審判も存在しなかったんです。
自分たちでルールを決めて、自分たちでプレーする。
見ている人たちも一体となってプレーするという
思想があったのだと思います。
糸井
今では観客として大衆がその場にいるけれど、
競技人口がとっても少ない時代には、
ラグビー仲間だけで囲んでいたかもしれませんよね。
中竹
囲んでいたというよりも、
ラグビー発祥のイギリスでは、
選手たちが外の人に見せなかったんです。
糸井
見せなかった。
中竹
プレーしている人にとって、
「こんなに面白いスポーツはない。
 そしてこれは、見ていても面白いはずだ。
 誰もができる競技ではないし、
 この良さはわからないはずだ」ということで、
本当に見せないようにしていたそうです。
これはまあ、差別の意識ですよね。
糸井
ずいぶんとケチな心ですね。
中竹
本当に、そのとおりです。
ラグビーを見たい観客が
木に登って試合を観戦していたりして、
実際に写真も残っているんです。
それほどクローズな場所で試合をしていました。
糸井
地下格闘技みたいですね(笑)。
まあ、地下格闘技は悪い世界だけど、
ラグビー発祥の時代にはもっと、
エリート意識があったはずですよね。
中竹
そうですね。ただ、真のエリートというよりは、
ちょっとした成り上がりなんです。
俺たちの方が強いんだ、偉いんだというような。
糸井
貴族の下にいるような、
これからもっと、登っていきたい方々ですよね。
中竹
差別の構造として、トップにいる人は差別をしません。
どこで差別が生まれるかというと、二番手や三番手で、
自分より上の存在がいるときに生まれるんです。
糸井
はい。
中竹
ラグビー発祥の地として知られる「ラグビー校」も、
今じゃすごくいい学校みたいに思われていますが、
本当にいいパブリックスクールではなく、
イートン校や、ハロー校とかと比べると、
二番手、三番手が成り上がってきたというイメージ。
コンセプトはもうね、男性教(笑)。
糸井
男性教!
中竹
男らしさの極みのような感じを全面に出して、
ラグビーを普及させていったんです。
この差別意識をワールドラグビーは気づいていて、
それを今、いかに崩して
エンターテイメントにしていくかを
頑張っているところなんです。
糸井
これからのラグビーを考えている人たちも、
そこまで意識しているわけですね。
中竹
プロモーションとしては意識しています。
けれど、根本的には相当なプライドがあって(笑)。
糸井
ややこしいんですね(笑)。
中竹さんは、先日はじめてお会いしたときに、
僕ら「にわかファン」がいいなと思うことを、
否定するとこから始められましたよね。
ラグビーについて最初に覚えるようなことが、
じつは違っているんだとか。
中竹
あはは、すいません。
糸井
でも、その話を聞いて、
僕はものすごくすっきりしたんですよ。
何度もお話しになっていると思いますが、
「ほぼ日」を読んでいる方々のためにも、
その講義を短くしていただけませんか。
中竹
わかりました。
日本のラグビー文化って、じつはすごいんです。
世界的に見ても、僕からすると、
イギリスやニュージーランドのラグビー文化より
いいんじゃないかなと思うことがあります。
それは、日本が「ノーサイドの精神(ゲーム終了後に
敵味方がなくなって、健闘をたたえあうこと)」を、
すごく掲げていることなんです。

他の国でも、もちろん同じようにやっていますけど、
言葉としては、あまり掲げていません。
同じく「One For All, All For One」という言葉も、
日本ラグビーならではの言葉なんです。
日本で昔、ラグビーをやっていた人たちが、
フランスの「三銃士」から活用して浸透させた文化です。
だから、日本のラグビー選手がイギリスに行って、
「ノーサイドの精神」とか「One For All」と言っても、
日本の文化だから、キョトンとされるんですよ。
でも、そういう意味では、
日本の文化にすごく合っていたスポーツなんです。
糸井
とてもフィットしていますよね。
「だからラグビーはいいんだ」って喜んでくれる。
中竹
そうですね。
糸井
これはちょっと面白いなと思うんですけど、
「海外ではノーサイドなんて言ってないよ」というのを
誰かに自慢そうに語られても困るし、
「じゃあ、ノーサイドは言わないようにしよう」も困る。
「ノーサイド」を道徳のように押しつけられても
お楽しみ感がなくなりますよね。
「にわか」な僕は、その辺でゆらゆらしていて、
試合を見ながら素直に何を思うかを
もうちょっと試してみたいです。
中竹
我々も、そこを一番聞いてみたいです。
もう、素直な気持ちで見られないので(笑)。
<つづきます>
2016-02-12-FRI