虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第216回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その3 「武士は農民と混じらないンダヨ!」 もうお正月じゃないよね! でも、今が一番、気がゆるむんだね〜。 え〜、新シリーズ反響いただいてます。 ラストサムライ、面白い映画です。 本当はどうなのよ? 佐伯先生による、確かにお得なウンチク、 新春、新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 先生、こんにちわ。 「こんにちわ。 まず、前回の表現を訂正したいのですが、 “江戸時代には剣術が盛んになるから、 刀が武士の魂っぽくなるのです” は、 “江戸時代には剣術が盛んになり、また、 ‘大小二本差し’といわれるように 刀を持つことが武士の身分標識になるので、 ‘刀が武士の魂’などといわれるようになるのです” と、訂正させてください」 なるほど、‘大小二本差し’が身分の目印になるのですね? 士農工商の身分制度の証として。 サラリーマンだったら、すごく上等なスーツぐらいしか、 役員を見分ける方法はないけど、 それも平民が着てはいけないと決まってるわけではないし。 身分制度をカッチリと決める中で、 外見的な要因として刀が機能していた面は大きいですね。 見るからにぶっそうだし。 しかし、現実的には二本差しの江戸時代に戦はなかったと。 「前回申しましたように、 戦がなくなった江戸時代より前には、 ‘刀が武士の魂’というような言説はありません。 そして本来飛び道具で戦ってきた武士が ‘飛び道具は卑怯なり’という建前で戦ってる という説が出てきたのは、たぶん明治時代以降でしょう。 ラストサムライでは、ヨーロッパの騎士のイメージも 入っているかもしれません。」 映画の続きを見てみましょう。 「君たち武士は、アイルランド人が腰布一枚だったころ、 すでに洗練された戦士だったわけです」 などという、U2とかチーフタンズとか、 アイルランドの人たちが聴いたら、 聞き捨てならない不穏なセリフ(笑)が、飛び出します。 アイルランドといえば、 誇り高きケルト文明がありますから、 これはメチャクチャな発言ですよね。 (ケルト文化は、紀元前5世紀頃、 ドイツ西部地域を本拠として次第にその勢力を拡大し、 アルプス北部からヨーロッパ一帯、 さらにブリテンやアイルランドといった 島嶼(とうしょ)部や北欧に及ぶ地域に広がり、 地中海文化圏を脅かす存在となった。 紀元前1世紀ごろ、ローマ帝国のシーザーに屈するが、 ブリテン島北部、アイルランド島はローマ人、 ゲルマン人の支配を免れ、ケルトの伝統を保った。) もちろん日本の歴史より古いわけで、腰布は逆ですよね。 武士が登場するのは、平安時代からですから、 900年以降でしょ? これは、ハリウッドなどでは、 いかにアイルランド人に対する差別ネタが一般的か、 ということでしょうか? アメリカこそ、16世紀まで腰布というか、 ネイティブ・アメリカンの大陸だったのに。 やめてほしいですね。 ケルトなど、歴史あるヨーロッパを相手にしながら、 低次元のおとしめあいは。 「まあ、白人が、手づかみでもの食ってたとき、 日本では源氏物語があったといういいかたも あるにはあるんですがね(笑)」 日本がなまじ、中途半端に歴史があるから、 同盟国のアメリカ人としては日本にカコつけて、 アイルランドに八つ当たりしてるのかもしれませんね。 さらに映画を進めましょう。 「オルグレンが捕虜になって、 勝元の村に連れてこられますよね。 そこに立っている鳥居がヘン! むやみにバカでかい」 確かにこれじゃ、靖国神社の鳥居よりでかいですね? 「なんといっても、村の入り口に鳥居が立っている! これは絶対にヘン! 鳥居は神社の入り口に立つもので、 村の入り口に立つものじゃない。 なにげないけど、これはものすご〜くヘンな風景です!」 日本の子供がこれを見て、覚えちゃったら困りますね。 「おそらく、ハリウッド映画としては、 鳥居という映像を、日本映画として、 中心的に絶対におさえておきたいんでしょうね。 事情はわかるけど、日本の原風景の表現としては ちょっとどうかと‥‥」 それにしても、 勝元の住んでる村はあまり大きくないですね。 この映画の設定の参考は、 おそらく西郷隆盛の西南戦争じゃないか?と思うのですが、 ずいぶん様子が違うような。 「西南戦争は、薩摩一国で戦ったから こんなに小さい村じゃないよ。 それからね、武士と農民の仲がいいけど、これがヘン!」 え? 西郷さんの存在もあり、 ある程度はそういうこともあったのか? と。 「西南戦争は、士族の反乱なのであって、 農民はそれに全面参加ということはありえない。 薩摩は国としてのまとまりが強かったけど、 あくまで、士族による、自分の身分や生活が 危機に瀕していることに対する闘争なのだから、 農民がそれに一体化したわけではないんですよ。 西郷さん個人は庶民的な人でしょうけどね」 そうか、武士は農民と混じらないのか? とすると、この映画の「村ぐるみ」の雰囲気は まるで、誤解だということになりますね。 「西南戦争は、あくまで 士族が地位を奪われることに対して起こした闘争です。 誇り高き武士が、 ‘土百姓’を集めた新政府軍に負けるか、と言って、 農民をバカにしていたわけですから、 農民と共に戦うなどという発想は、 彼らにはないですよね。 農民の側も、そんな武士たちと共に戦うことは できなかったでしょうね」 そうか、なんといっても農民は、 武士に支配されてたんですからね。 「まあ、映画はフィクションですから、 西南戦争と違っていてもかまいませんが、 農民との一体感を描くのは、 アメリカで先住民を殺してきたオルグレンが、 今度は多くの民衆の側で戦うという形を整えるために、 あえてこしらえた、舞台装置みたいなもんでしょうね」 うわ〜、それは鋭い分析ですね! ということは、この映画の武士の村生活の雰囲気は、 全くのフィクションということになりますね。 第三回のまとめ 村の入り口に鳥居はない! 西南戦争など、武士の戦いである維新期の戦争に、 武士の軍に農民は混じらない。 武士と農民は仲良くしない! 残念、ギリ! それでは佐伯先生の著書 「戦場の精神史」を読んでみましょう。 34ページ 戦争に対する原初の意識とは、 このような野獣を狩るという意識に 近いものではなかったか? そして野獣をワナにかけるような戦いの感覚は、 だまし討ちを無条件に肯定する感覚に つながっているように思われる。 戦国時代にいたるまで、武士が繰り広げた戦争は、 もともと古代からの野獣を相手にしてきた 「狩り」の延長上にある部分があるようです。 そこにおいては、ワナやだまし討ちというような、 今で言えば「ズルいよ」と表現される戦術も、 当然のこととして存在していた。 そういう視点で、実戦本位で生きていた 戦国までの武士を見ると、見方が変わってきます。 江戸時代に実戦がなくなってから、 そして、さらに明治時代に武士そのものがなくなってから、 武士のイメージは 虚構の中で一人歩きをはじめたのでしょう。
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2005-01-13-THU
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